下宿は、未だ畑が至る所に残り、ひばりが鳴いている世田谷の桜上水で3畳間、当時は珍しくなかった。 駅は桜上水より小田急の経堂のほうが近く、食事も経堂の商店街へ通った。
持って行った電化製品は、電気ポットとドライヤー、テープレコーダーにトランジスタラジオで、これで全てだった。 下宿代は3千円、一畳千円の相場だった。
仕送りは1万5千円、下宿代を引くと1万2千円が1月の生活費になった。 当時の大卒初任給が2万円前後なので、今の物価に直すと15万円ほどの仕送りだったと換算できる。
下宿代3千円は、大家さんの小学生の家庭教師を夏から始め、相殺して貰った。 一人でさみしく、よく同窓生のところへ出掛けた。 上智大に進学した友人に、四谷のキャンパスを案内してもらった。
素晴らしいキャンパスだった事を憶えている。 この年には「羽田闘争」「佐世保エンプラ入港阻止闘争」などがあったらしいが、全く興味はなかった。
夏帰省したとき、親にせがんで小型テレビを買ってもらった。 これで寂しい下宿生活も少しはまぎれた。 少しさびしいが全く平穏な1年次だった。 |