930同窓会世話人の皆様へ

 大変有意義な会、有り難うございました。
 私にとってはバリケードは生まれ変わった場所であり、故郷なのです。他の小・中・高の同窓会とは次元が違います。
 組織化したり、強制するのではなく、傷付きながらもふんばり、生きてきた同志を暖かく迎える場所であって欲しいと思います。
 その後の色々な経験を語り合う真の《フリーダムユニオン》になれるのではないでしょうか
 私の知らないことがたくさんあったことに気付、出席した甲斐が有りました。今回再会できなかった仲間や今後参加して来る友の集まれる場所として、同窓会を越えた存在になるように希望します。

 バリケードがロックアウトされて以来、全共斗の話が出来たのはこれが初めてです。
 田舎はどこもそうだと思いますが、議員とか実力者と言われているものは目先の利益に飛び付くだけの“蛙”でしかなく、住民はただ多いほうに集まる“めだか”です。私はその中で25年間沈黙を守って来ました。
 しかしながら一度目覚めた魂は押えようがありません。パワーを外に出さなければ爆発してしまいそうなため、学歴社会粉砕、実力主義を唱え、20を越える資格を取得してきました。                                    
 本当は東京に残して来た彼女(現在私の最大の理解者であり操縦者)に会いたいが、硬派としては女々しいことが言えず、受験すると理由を付け上京した。中退では資金を出してくれた親に済まない気持ちもちょぴり有ったが・

 一昨年からJ町で住民の意向を無視した建物に対し、署名・請願運動が展開され、M町では町長の汚職を端に町民大会を開催。I町では3セク移行に関し、業者である議員と町長の癒着問題などと相次いで住民運動が展開され、側面援助の形で拘わりました。                

 噴火・地震・オウムと危機的状況に何等対応出来ない、平和ボケした者に運命を委ねる訳にはいかないと人民が膚で感じ行動を始めた。
 沖縄の一少女も守ることが出来ない《安保》は何を何から守るのか、何を保証するのか根源的な問い掛けがなされている。
 かっての同志からの呼び掛けがあった。これほど頼もしい事はない。
 この中でいかなる活動を展開出来るのか。
 不安よりも熱い青春の血が騒ぐ!
 時代よ俺について来い。
 しかし総括が出来ていないのだ!


 同窓会に出席して「久し振りだな〜」と声をかけられても名前と顔が一致しない。懸命に記憶をさかのぼるが分からない。
 KGから送られて来た昭和42年度の写真学科学生名簿によるとMさんは同じクラスではないか!出席者名簿によるとNさんも同学年。美のYさんも同学年。
 Kさんは行動隊長だったというじゃあないか。  
  この混乱は、私がバリケードの中で行ってきたことに原因がある。
 “人間とは何ぞや、自己の存在とは何か”のみを追い求めていた。
 革命を信じ、追及して来たが、その方法論は革命的状況を作り出し、革命政権を樹立することではなく、一人一人が自己に目覚め、他人の支配を排除し、違いを認め会う社会であった。
 闘争の取組が理論武装できている、左翼系の《日大・東大と日帝の粉砕=革命路線》ではなく、《武士道とは死ぬここと見付けたり》の右翼系発想にあるように思う。
 
 古田を父とし、芸術学部を母として生まれ、
 バリケードを揺篭に、アジテーションを応援歌に、
 ゲバルトを遊びとして育った。
 我闘故我有。
 頭は闘いの象徴のヘルメットを乗せる場所。
 右翼の体質と左翼の理論の峽まで、
 大空に舞い上がることも出来ず、
 ぶつかり、たちどまってから考える。
 壁は壊すために存在。
 理論は行動の正当化に過ぎず。
 隊列を組んだ同志の顔も、名前も知らず。
 あるのは魂と魂の波動による直接交信。
 言葉は単に空気の振動に過ぎず、意味はない。
 内在する宇宙に遭遇したとき、
 爆発する魂は光となり、
 同志集まりて篝火となり、
 暗黒を切り裂く。
 降り注ぐ放水、視界0。
 絞り開放、後ピン、手ぶれ有り。
 網膜を横切るはジュラルミンの壁。
 地を這う黄色い催涙弾。
 空を覆う黒い投石。
 裏に蠢く黒い影を教えてくれたのは風だったのか。


 NKさんに上映してもらった《全共斗の記録》、送っていただいた《死者よ来たりて我が退路を断て》は初めて見ました。今見ると照れ臭いような、懐かしいような・・・

ビデオキャプチャー画集へ

 救対の“**る”が催涙ガス中和・疲労防止にと、くれたレモンの色の思い出に浸りました。
 “**こ”と“*さ”と登ったタワーは未来が見たかったからなのか。
 大空を自由に羽ばたきたかったのか。 
 息を止めて駆け抜け、裂帛の気合で粉砕する日々の中で、彼女達の前ではゆっくり深呼吸できた。
 一時的とはいえ愛に満ち、平和で、豊かな時を共有出来たのは幸せなことです。

  

 私は最初は撮影していたのですが、捕まえた学生を投石避けにしている画像が現像液の中から浮かんで来たとき、ブチンと切れました。
 気が付けば機動隊・右翼・民青はおろか全学連までゲバをかけていました。
 良く記録して戴いたと感謝しています。
 手元に資料が全く無かっただけに喜びもひとしおです。

  

 秋田さんの《獄中記》、橋本さんの《バリケードを吹き抜けた風》は読んでいせん。
 私の知っている範囲は、行動隊の一部分だけです。
 救対・食隊・レポ隊などいろいろな組織の活動を知りたいので、Tさんはじめ’68’69を記録する会の皆様に期待します。

 出席者の名前を全共斗白書の中から捜し、次に会えたらもっといろんなことを語り合いたい。機会が有ればどんどん出席します。

  MJさんへ

 最初にデモに誘ったのは白*か駒*だったように記憶しています。我々のクラスは結構参加してたように思います。クラス会か同級会を段取りして下さい。

  Kさんへ

 バリケードの中で何を語り合ったのだろうか。私の視野があまりにも狭く、記憶もうすれています。
 一番しんどい時期にお守りだったラッパと故郷バリケードを失い、放浪の旅に出てしまい申し訳有りませんでした。次は泊まり込みで行きますので奥方にも宜しく。

 総てのセクトを排除し、どの色にも染まらないゾ!と強い意志を表すためにヘルメットを黒く塗ったのだが、最初に塗ったのは誰だったっけ。

  Yさんへ

 私は写斗委よりも美斗委や映斗委に多く居たように思います。
人より前に出ることしか脳が無かったので校舎の様子が思い出せません。芸斗委の集まりが有ればぜひ声を賭けて下さい。

  TRさんへ

 貸して戴いた《バリケードに賭けた青春》《日大アウシュビッツ》《全学連》を読んで記憶の断片をつなぎ合わせています。
 遅くなりましたが、経済遠征の際、パンのさし入れありがとうございました。
 正統派右翼から見た日大闘争の切口も面白いと思います。一宿一飯の恩義をすぐには返せませんが新しい出会いに感謝しています。奥方やワンちゃんに宜しく。

  M子さんへ

 《新宿発アマゾン行き》《いつか死ぬのねアリバイ》観せて戴きました。
 目標を失い、抜殻を引きずりながら死に場所を求めて北の大地を彷った事を思い出しました。人の出会いとは不思議なものですね。あなたとは共通項が多いみたいです。
 納沙布岬からぼんやりと眺めて居たのが北方領土だったのですね。北海道の人達は親切でした。
 あれは秋味漁の始まる頃、資金が尽きバイトなく、居場所も無く、東京にボロボロになって帰って来た私を拾ってくれたのが今のカミさんです。それ以来彼女の言うことを聞いているので失敗は有りません。
 最近になって惚ているからこの僻地くんだりまで来たのかと思っていたら、放っておくと何をするか分からないので“ボランティア”で来てやったと言われています。    
 下の息子は高校2年生、卒業すれば親の責任は果せるのでカミさんと遊びに行きます。


 記録によると、私が闘争に拘わったのは遅く、訳も分からずについて行ったのが、6.11経済前の総決起集会です。

            
  


 機動隊が右翼をやっつけてくれるだろうと拍手をしたが、排除されたのは我々、この瞬間に右翼・機動隊は敵になりました。
 それ以来、感覚的に敵味方をかぎわけ、無意識のうちに最前線にいました。
 単ゲバと呼ばれていたのですが、その因縁めいた理由?がわかりました。
 8年前、親父がリタイヤしてからルーツ捜しが始まったのですが、**の屋敷は***川の河口に面し、幾度となく台風による大洪水や火事で、資料が紛失してしまった。
 幸い親戚に郷土史家がいて、元禄のころまでならばある程度は分かりました。
 それ以前は推測でしかなかったのですが、3年前に史料を整理して、**県(カミさんの里)に住む親戚の系図を突き合わすと、
 天正十年(1582)仕えていた織田信長が本能寺の変で自害した後、『**三河守家直』坂本の合戦で打ち勝つも、**城落城に及び*州に入る。と記述がありました。

  その前の**氏の遠祖は、寿永三年(1184)山城国宇治での源平合戦で『河野伊賀守道貞』先陣、敵軍を追い払う。敵陣あまた討ち取り、源義経より戦勝の地名をもって氏を**と改める。
 さらに遡ると七代考霊天皇に繋がることが判りました。
 元々がゲバルトの専門家だったようです。
 バリケードの中で、自己の内面を深く追求したため、守護神が現れ、おかげで柔道部の合宿所に引っぱり込まれたときも、神田解放区での機動隊との衝突、催涙弾の水平撃ちも、右翼の芸術学部襲撃の時も恐怖心も不安もなく、全く怪我もせず故障もせず、むしろ水を得た魚のように動けたのだと思うのは、危ない考えでしょうか?
 NKさんの次のテーマとして、幸徳秋水があるそうですが、我家とは遠縁に当たります。
 又、いろいろな本も読みましたが、マルクス・トロツキーや毛沢東よりも、バクーニンや幸徳秋水の考えに近かったように思います。

 《死者よ来たりて我が退路を断て》を見て、思い出したのですが、警備小屋を造ったり、ブルジョア的な考えだと批判されていましたが、バリケの中を綺麗にしたり、野菜を植えるという発想。人影が少なくなった長い夏休みも、割れたガラスから雪が舞い込んだ冬も、少しの苦痛も感じず、泊まり込んだバリケは単に物理的な囲い以上のモノ=日常的な空間として感じていた。
 バリケート=城だったのか?
生まれは城*町、現住所は*城 !・・・
 
 バリケードの中では無我夢中でしたが、人生二度目の落ち込みを経験した、10年前の出来事で守護神の存在を光として感じました。

 高校時代ロックを好み、ジャズベースマンとし活躍しているOの里帰りコンサートで高校時代の同級生がバックアップした。その中に、IとUがいた。

 転校してきたIとは写真。Uは絵を描くことが好きでという感覚が取り持つ縁。Iは考古学に興味を持ち、遺跡の発掘をしたり、自分のルーツを調べたりしていた。
 Uは京都で帯の下絵師になる。宗教に帰依している。
 事件はイベントの成功の昂揚感の余韻が残る中であらわれました。
 Uと芸術の森で話しをしているとき、Iの母親から様子が変だと連絡が入り、Uと一緒に家まで行くと、落ちつかない様子でウロウロしていた。日曜日で病院が休み、夕方になっていたので、とりあえず部屋まで連れていった。
 しばらく寝ていないと言うので安静にさせようとしたが、全く受け付けず、夜が更けるに連れ、山羊のように優しかった目が、鮫のように三角になり、瞳孔が収縮してしまった。

 ヤバイと思ったが、狂暴化していないので、何とか朝まで持たせ、入院させようとした。
 Uが残るというので、夜中に家に帰ると電話がかかってきた。
 「Iが家に火を付けた。!」   
 すぐ駆けつけると消防車も来て、消火していた。燃えていたのは布団。二階に駆け上がると、きな臭い匂いのなかで、消化剤が赤色灯で照らし出されていた。
 近所の人たちが息を潜め、再び訪れた静寂の中で、ブラブラ揺れる蛍光灯の下、Uと二人、Iがブラックホールに引き込まれないように、意識をはっきり持たせるよう、楽しかったことをいろいろ話した。
 気を緩めると一瞬に吸い込まれそうになる。恐らく一人では太刀打ちできなかったろう。
 このギリギリの精神状態の中で“光”を感じました。
 これほど夜明けが待ち遠しかったことはありません。
 バリケードの中の経験がなければ、あちら側へ引きずり込まれたのでは・・
 人生2度目の落ち込みでした。この時も1ケ月間かかりました。
 Iは数カ月間山に篭もり、禊ぎを受けたようです。


   秋田さんへ


 パワーが感じられなかったので、勝手に解釈してみました。外れていたらごめんなさい。
 秋田さんの戦い方は、大地に根ざし、正義の怒り、マグマ型のようです。
 言葉よりも熱い波動を送り出し、何の変哲もない石達が、灼熱の溶岩となり、火砕流となって、流れ出した。
 大地は割れ、至る所から火の手が挙がる。
 荒ましい姿でいた。
 しかし闘争後は逆に作用した。
 噴煙・熱気が去った後、ぽっかり空いた火口はプライバシーを保護できず、無数の亀裂から攻撃を受け傷口を癒す間もない。
 落ち武者のように気配を殺すことしかできない。
 最も堪えるのは、かっての同志からの容赦ない批判。これは自己を高めることではなく、議長を批判・無能呼ばわりすることにより自分の地位を高めようとするネガティブな毒液が浴びせかけられたことだろう。
 また本人の人間性を無視した、知名度利用の罠だったろう。
 その中で何が出来たのか。人を傷つけるよりは自分が傷ついた方が良いと、自らが蓋をしてしまった。
 持っているエネルギーを出すよりも、殺してしまう方が困難であり、非常な苦痛を伴った事でしょう。
 私が気になるのは女性に対する接し方です。

 Iが発狂した後、救うことが出来なかった自分の力のなさ、Iの姿に胸が痛み涙が止まらなかった時、カミサンが「楽になるから話しなさい」と言うので、思わず話しをしてしまった。
 おかげで私は1ケ月で立ち直れましたが、彼女は長い間ネガティブイメージに引きずられていました。
 自分の受けた傷が大きいほど、愛してくれているほど、相手に与える傷は大きい。
 秋田さんのように優しいと、再び自分が傷つき、さらに相手を傷つける。無限地獄の罠に落ちてしまう。
 一度自己の中で浄化してからでないと、いけないと、おもいました。
 一人では生きてしけないし、大勢では衝突が起こります。優しさとは弱さと同義語では有りません。
 弱いモノを守れるゆとりがあるから初めて優しくなれるのです。
 守るモノがあるからこそ強くなれるのです。
 男は女・子供のために命を懸ける、消耗品なのです。

 私の戦い方は台風型でした。
 熱気に誘われるまま、気ままに現れ、暴れ回った。
 持っているエネルギーを放出した後は速度を上げて北に向かう。
 本人は楽しく、明るく動いていたが回りは随分迷惑だったでしょう。
 闘争後もいつまでも考えずに、北海道でスッキリして帰り、新しい目標を立てる。この差が1/4世紀経って出てきています。
 M子さんに二人で漫才をしたら。と言われましたが、みんな秋田さんのことが気になっているのです。


  嫌な気分を振り払う戦術

 良くない例
1 テレビ、雑誌などで気を紛らわしても、そんなに役にたたない。 
2 問題そのものを正面から改善する事はまだましだが、うっかりすると気が滅入る問題に囚われがちになる。
3 社交的にふるまっても、一時の慰めになるが、笑は家まで持って帰れない。
4 怒りや欲求不満を発散させる。
 酒や薬・女に逃げても、その時だけはいい気持ちになるが、醒めれば元に戻り、かえって嫌な気分になる。
5 自分の失敗の傷口を隠して、他人のせいにしたり、宿命のせいにしたりするのは気分を引き立てることにならない。
6 全く個人的・主観的なモノでありながら何か失敗したら、だから自分は駄目なんだと考えこまない。
  ではどうすればよいか
1 自分こそが掛け替えのない存在であり、自分の取り柄に注目する。
2 かって巧くいったことを思いだし、成功したイメージを浮かべる。
3 自分のいいところを取り出して、他人と比べたり、自分が昔よりはずっと巧くやっていけると考え、あるいはもっと巧くやるぞと決心する。
4 私の場合は、実現可能な目標を設定し、次第にステップアップすることにより、自信を取り戻し、自己評価を高め、ゆとりと微笑みを生み出しました。

 宇宙からのエネルギーを無理に押さえたり、転化せず、ありのままに受け入れ、自然に出していく。 ポジティブに、アクティブに。

 日大闘争は秋田明大だから出来たし、信頼していたからこそ前線に飛び出せた。共に戦ったことは誇りであり、その後の人生に対し、いかなる試練にも耐えた。
 リーダは常に統率力と、決断力を問われ、孤独です。
 全共斗運動は未組織故の強さと弱さを持っていました。
 組織は一方向には強いが、柔軟性が無く、予想外の展開には追いつけない。
 このことは9.30までは全共斗が圧倒的に有利な展開をしたことが証明しています。
 しかし、目的化した大衆団交が実現したとき次の運動展開が出来ず、政治的・調整型になったときの脆さ。
 個人の原点としての怒りの感情は大きなエネルギーを生み出すが、長続きしない。
 組織対組織の戦いになれば、大きい方が勝つ。中間層は勝った方になびくため、ますます大きくなる。敗者は少数化するためより先鋭化しなければならなくなり、中間層と遊離し、ますます孤立化する。
 この事は赤軍に象徴的に現れています。
 終盤は全学連主導のスケジュール闘争で消耗してしまった。
 しかしながら日大だけでなく、日本・アメリカを相手に良く戦えたと思います。
 大衆団交が天王山でした。

  

 権力側からの集中攻撃はすざましく、エネルギー供給源のノンポリ分断作戦はなりふり構わず、中枢に届く直前に古田が防波堤となり、せき止められた。
 権力側は隊列を組み替え、大義名分を用意し、じっと機会を待っていた。
 この後の方針ですが、バリケード解除・自治会館要求の条件闘争にすれば、拠点が残ったと言う考え方もある。
 そうすれば他の大学並になったかもしれない。長引く闘争で疲労と分断により、一般学生が少なくなり、全学連が全面に出てきたため、かえって全共斗離れが進んだ。等など
 確かに後で考えると戦術的に徹底抗戦の理論はあったが、撤退の理論が無かった。しかし、その瞬間に執れる最高の決断をしたし、私自身ここで死ぬのは本望だと想っていたので徹底抗戦以外の選択肢は有りませんでした。
 大手を振ってお天道様の下で生きているのだから、負けたことにはなりません。
 若気の至りと笑い飛ばしましょう。
 只、次の戦いに備え、『人材の育成・能力活用・組織戦略』を学習する必用があるでしょう。            

 作者は忘れたのですが、気に入ってる詩があります。

  人間の真の喜びは
  力を出しきることによって得られる
  全力疾走をした後の
  あの爽快さがそれだ
  力一杯働き抜いて
  もうそれ以上出来ぬ所までやった後の
  満足感は何ものにも代え難いではないか
  人間はいつもこのように
  一所懸命生きて生きさえすれば
  何の心配も入らない
  それ以上望んでも無駄だし
  それ以下では断じてあり得ない


 前向きに生きろとは、言葉だけで実は人間は後ろ向きにしか歩けないのではないのか。
 見えるのは過去だけで、決して未来は見えない。いつの時代も暗中模索。
 歴史の中から似たパターンを見いだしても、決して同じでない。

 パンドラの箱を開けてしまい、科学技術という武器を持ち、物質文明を築いてしまった今となっては、螺旋階段を回るようにベクトルが働いている。
 その方向性が破滅に向かって突き進んでいる予感から不安を感じるのではないだろうか?
 徹底的に弾圧された中で、生き延び、再び緩やかではあるが集まってきたのは、何故なんだ。
 我々は何らかのメッセージを託されいたのではないだろうか?
 日々の生活の中で汚れ大切なモノをどこかに置き忘れてきたのではないか?
 その記憶を探すための再結集ではないだろうか?
 我々は人々に伝えるために存在しているのではないだろうか?

 権力側に都合のいいように歴史を改竄するのは常套手段である。
 戦後史の中で全共斗=東大の図式化を進めているが、はたしてそうだろうか?
 能書きだけのエリート階級の見おろした改革ではなく、泥臭い、失うモノは何もない、一歯車としての役割しかないはずの、日大生の反乱こそが体制を根元から揺り動かした。
 明治維新以降、時の権力は、富国強兵・産学協同路線を採ってきた。このことは科学万能・物質文明優先であり、規格品の大量生産・大量消費。その為に人間性を無くする政策を採ってきた。
 それは、偏差値で輪切りにする・規則・暴力で縛ることである。
 必用なのはある程度の技術を持ち、只黙々と働く会社人間を造ることが、教育の使命であった。確かに日本経済は一流と言われているが、中身は自動車・家電等大量生産できるモノだけで、バブルの弾けた今となっては、国際競争力がない。
 内輪の論理だけで済む内はよかった。
 アメリカが世界の警察を自認している内は、追従するだけで済んだが、冷戦構造が崩れ、対立軸が無くなり、ましてやアメリカが不況になり、単なる大国に過ぎなくなった時に、日本を守るどころか規制緩和という開国を迫っている。
 これを認めることは、官僚民主主義の崩壊であり、新秩序が始まる。平成維新と呼べる状況になるのではないだろうか?
 世界的にはヨーロッパの衰退→アメリカ制覇から、アメリカ凋落→アジアの台頭により、政治・経済・安全の常識が破壊され、三度、世界的な混乱の渦に巻き込まれる。
 此の新時代に対応を誤ると、日本はアジアの片田舎になるだろう。

 野生の猿は安全と食糧の確保のため、先見性と統率力を持つ者をリーダーにする。安全と食糧の確保が必用のない動物園の猿では、腕力がモノをいうボスが生まれる。残念ながら此の国の決定権は、猿にも劣る政治ブローカーの手に握られている。
 GTさんのように政界に撃って出て、権利を奪い取るのも一つの方法だと思います。
 冷戦が終わり、世界的規模で根本から価値観がひっくり返る時代を迎え、地方分権とか規制緩和などの小手先の改良では対応できなくなる。
 四国の独立、北海道・沖縄そして九州の独立、さらに本州の分割。
そして連邦制、大統領の直接選挙を通じて初めて自治が確立されるだろう。
 その中で初めて民主主義の意義が問われる。
 日本における民主主義は前に支配していた軍部に比べ、まだましだ、くらいな事で十分吟味せずに取り入れられた。
 それを強要したアメリカも独立戦争の一方の旗印にしか過ぎず、手本としたフランスさえも貴族支配に対する反体制であった。最初に民主主義の概念が出来たギリシャは奴隷制度の上に成り立っていた。
 支配の体制は、神の支配→代理の王の支配→貴族の合議支配→多数の参加と形態は変わっている。しかし愚民による多数決は国粋主義の方向に引きずられると容易にファシズム→独裁に変質する。又共産党一党独裁の恐怖政治がなされる。
 大前提として個人個人が自己を認識して、他人との違いを認め合い尊敬しあえる社会にならなければ、単なる空想・言葉だけに終わるだろう。

 偉いと評価される者は、多くのモノを持っている。
 この事も時代と共に、支配する人間の数から、土地の広さ、金、そして情報と変わっている。マルチメディア・インターネット等、瞬時に大量の情報が行き交う時代にビジュアル関係のTR・MJさん、KNさんのコンピュータ経験。そしてSKさんを始め会社の経営者も多く、Kさんのように会社の中で勉強会をしている。YMさんは地元商工会に根づいている。また、KMさんのように大企業の中に人材がいることは大きな力になるでしょう。
 まだ集まっていない同志が、全国の、あらゆる分野で活躍していることは、無限の可能性を秘めている。

 同窓会に集まった同志達は、自己矛盾を抱え、苦悩しているように思えた。
 バリケの中、神田解放区での、開放感・昂揚感・陶酔感はいかなる薬物でも再現できないだろう。
 エンドルフィンを分泌したあの体験から比べれば、その後の人生のなんと空虚で退屈なことか。
 しかし矛盾を感じるのは正常な状態です。心が豊かで、優しくなければ感じることができません。
 オウムや戦時中では何も感じることさえ出来ない異常な世界だ。矛盾を感じないよう、洗脳され、去勢され、平和ボケした、目先の利益しか見えない輩のなんと多いことか。
 人類が繁栄するほど滅亡に近づく、この大矛盾。科学が発達するほど判らないことが増える、医学が進むほど難病が出てくる。住み易い都市にするほど増えるストレス。作用と反作用のバランスが崩れ、やればやるほど害毒となる。 限界は見え、大きな揺り戻しが始まる。
 19世紀の宗教支配、20世紀の物質支配を乗り越えて、自然に帰り、自然から学び、自然と共に生きていく。自己の存在を矛盾として真っ正面からとらえ、21世紀は哲学の時代にはいるだろう。

 これからの激動の時代を乗り切ることが出来るのは、個性を殺し大量生産するマスプロ教育、物質文面に対するアンチテーゼを出した、我々全共斗の戦士達である。
 独創的なアイディア・豊かな感性、そして個性を持つ者達の時代の到来である。
 我々を押しつぶし、飲み込んだマンモスの腹を喰い破り、再び時代の先端に立つときが来た。

  心優しき戦士達よ。
  できる所で、できる事から始めよう。
  我々は真実を伝える義務がある。
  明るい未来を築く使命がある。
  希望の灯火を消してはならない。

                 
PS 時間が無くて、充分推敲せずに、感覚的な表現しか出来ないのが残念です。次回逢えるときまでにもう少し練ってみます。

 取り急ぎ私の総括と展望です。
 再会できた幸せに感謝して。      

1995.10/21

いまだ全共斗元気学部単ゲバ科 留年中
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