阿佐ヶ谷
4回目の引越し先となった阿佐ヶ谷はいろんな思い出があり、忘れられない街だ。
よく通った穴蔵バーの「吐夢」。
5〜6人入れば満杯で、ウイスキーはレッドやハイニッカ、オールドは高級酒だった。
駅ビルゴールド街の2階にあった、日本最古と称するやけに新しい喫茶店「可否茶館」。
阿佐ヶ谷唯一の映画館「オデオン座」
朝5時までやっているスナック「エプロン」、喫茶「祇園」も不気味な店だった。
Pizza&Jazzの「アランフェス」。
何の店だか忘れたが名前の印象だけ残っている「毘沙門」
歩けば何でも揃うパールセンター商店街。
味噌汁に薄い輪切りのトマトが浮いている、安くて旨いハンバーグライスのお店「キッチン・チャンピオン」、店主はもとボクサーということだった。
何が出てくるか分からない北口の古本屋。
中杉通りの喫茶「亜土」「茜社」。

3回目の下宿を仲間が騒いで追い出され、飛び込み泣き付いた北口の不動産で斡旋してもらったのが、北口より10分ほど北へ上がった雀荘の2階の下宿。
ここは、下の音さえ気にしなければ少しぐらい騒いでも大丈夫だった。
私の下宿には、阿佐ヶ谷南や荻窪から深夜の訪問客が多かった。
SくんやYくんが来ると、ポエムで買ってきたジャーマンコーヒーをミルでカリカリと挽き、カリタで立てた。
私の立てるコーヒーは、皆が喫茶店より旨いと言ってくれた。



喫茶ポエムは北口を出て、駅ガード沿いに左に100m程行った所にこじんまりとあった。
住宅街には珍しく「コーヒー専門店」。
色んなコーヒーを立てており、周囲に住む学生や若者の溜まり場になっていた。
何も指定しないコーヒーを注文すると「ジャーマンコーヒー」が出てきた。
Yくんは「シナモンコーヒー」が好きで良く注文していた。

 

この店には漫画の月刊誌「ガロ」に”若者たち”というシリーズを連載している漫画作家の永島慎二さんが常連で来ていた。
彼の漫画にもこの「ポエム」は登場していた。

何時頃だったか、私のこの下宿に仲間が人を連れてきた。
訳あって一時匿ってくれという。
彼は私の下宿から一歩も出ずに1週間以上いた。


彼は私にこう言った。
「お前には世話になった、俺がソビエト議長になったら、お前を地区ソビエト議長にしてやる」と。
彼は**医大の学生で、ブントの**派のキャップであり、**に追われていたのだ。
彼は今、地方都市で精神科の医師をしていると聞いている。
2003年11月、かつてのポエムがあった跡、建物は当時のままで不動産が営業していた。
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