二十歳の原点
1971年7月、阿佐ヶ谷の駅ビルの本屋で立ち読みをしていた。
「二十歳の原点」と題名された本を手に取った。
ページをパラパラとめくると、感受性は強そうだが、どこかひ弱そうな女の子の写真が載っていた。
名前は高野悦子と記されていた。
最初の数ページを読んで、頭に痺れが走った。

1969年6月24日、運動に疲れ自ら命を絶った立命館大学の女子学生の手記だった。
1949年1月生まれ・・・、私と同学年だった。

東京と京都と離れてはいても、全共闘として同じ時間を共有していた者同士が感じる思いがひしひしと伝わってきた。
買い求め、下宿に帰り一気に読んだ。
真剣に生ようともがき、苦しみ、最後に自らの命を絶った彼女の気持ちが分かるように思えた。
手記の中に潜む彼女が愛しく思えた。
 
1971年当時、私は5年次途中で大学を放り出され、行くところが無くなっていた。
言いようの無い喪失感に苛まれていた。
彼女と私が違ったのは、少なからずの友がいた事だ。
友が、仲間がいなかったらどうなっていたか。

私たちの仲間内では”京都”は憧れの地であった。
特に関東の連中は、古都京都に特別な思いを持っていることも分かった。
酒に酔うと「京都慕情」をよく歌った。
そんな思いと、立命館の女子学生の手記は、思いを一気に増幅させた。

はるばる、彼女の通った六曜社に行った。
小さな椅子に座り飲む、炭焼き焙煎の珈琲はほろ苦かった。
つい2・3年前まで、彼女が通っていたシアンクレールというJAZZ喫茶にも立ち寄った。
黒一色の店内、JBLパラゴンのスピーカーから、コルトレーンが悲しそうに鳴っていた。
本の中の彼女に思いを寄せ、少しでも彼女のいた空間を共有していたい・・・、虚しさの残る行動を続けた。
自分の置かれている虚しさの代償行為として、彼女のいた空間を探して彷徨った。



1971年京都の夏、切なる思いとともに私の全共闘は終わった。


 
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨が良い
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう

原始林の暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小船をうかべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう

小船の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

 しあんくれーるのマッチ、
本の中ではカタカナで記されているが、実際はひらがなの店名だった
 




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