ラッパの大将さん、ご意見ありがとうございます。 投稿者:70年代後半
投稿日:2009年12月21日(月)11時26分29秒 >私はH.N imajinさんのことはスルーしてきました。 >理由は、彼の攻撃対象が的外れな為です。 >現状を容認しているから、今のimajinさんの存在があるのです。 上記、ご指摘に異論はありません。 わたしには、(昔の体質が抜けきっていないためかもしれませんが) 不平不満分子を糾合したいという (たぶんに誤った)視線やおせっかいが、 あるのかもしれません。 imajinさんは、確か自分の派遣の仕事の待遇改善か何かを しようとしていて、その闘いを組合に押しつぶされそうになっていて… その派遣仲間には、秋葉原のあの事件を起こしたKを知っている人もいて… アキバの修羅場は見たくないのだ と叫んでいた そして、叫びながら、的外れな八つ当たりしていたのではないかと、感じています。 藪さんの「通りすがりの団塊ジュニアさん」への指摘、その後の皆さんのやり取りを見ていて、 誠実であることの大切さを考えました。
買うのが遅くなっていましたが、『情況(12月号)』をようやく昨日購入。 「勝手気儘に吠えまくった」対談を読んでいます。 大放談会などというタイトルですが、とても読み応えがあります。
70年代後半さん、おはようございます。 投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年12月21日(月)09時06分36秒 私はH.N imajinさんのことはスルーしてきました。 理由は、彼の攻撃対象が的外れな為です。 この掲示板やおそらく他の掲示板にも八つ当たりしていると思いますが・・・ 攻撃すべきは「権力者や体制」です。 「安全な」掲示板ではありません。 現状を容認しているから、今のimajinさんの存在があるのです。 否なら立ち上がるべきです。 そうなれば、連帯できます。 過去ログにありますが孤軍奮闘して役場改革に乗り出した課長と連帯したこともありました。 管制塔のカンパ。弾圧された出版社など、 実質、声援を送ることしか出来ませんでしたが。 誤解している、たぎりさんへ 投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年12月21日(月)08時50分28秒 藪さんは「排除」したのではない。 「礼儀」について述べたのです。 つまり、再三にわたり述べているのですが、この掲示板は「闘う」為の意志の表明です。 「通りすがりの団塊ジュニア」さんは他人の言葉を使って「評論」しているだけです。 私が関心のあるのはどのような闘いをしているのか?です。 反戦・平和・弱者の擁護・環境・政治改革等など。 具体的な体を張った活動です。 そのような自己紹介なしにいきなり批判とは! 「たぎり」さんもまた無礼です。 私は「通りすがり」の無責任さに違和感を感じます。 >リアル世界で、若輩者から声をかけられたときは、正面からむきあっていただけたらと思います。 とあるが、「リアル・ゲバルト」をしているのであれば連帯できるが「バーチャル」なお喋りに付き合うほどユトリはない。 >「このサイトのすべてのコンテンツを読み込んでから」はあの小熊教授の「“批判するなら全部読め”“自分が書け”」 http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/1968.html と言葉は似ていますが全く違います。 小熊教授は2次3次資料で当事者に直接取材していない。 実名を挙げられた人たちは戸惑いと反発を顕にしています。 このサイトは、「現実に闘った者達」の記録です。 質の違いが判りますか? たぎりさん、こんばんは 投稿者:藪
投稿日:2009年12月21日(月)00時11分26秒 ご批判を、有難うございます。 >ネット特有の陰湿さを感じてイヤな気分になってしまいました。 私の陰湿さは私独自の陰湿さでして「ネット特有」とは、と言われましても困ります。 >「題名がない」 当たり前です。挨拶がないままにカキコする阿呆がどこにいるのでしょうか。 >真摯な態度 そうですか、素晴らしい洞察力と感服しております。 >大人気なさ 失礼いたしました。あなたのいう「大人げ」ってなんなのでしょうか。 教えて戴きたいものです。おほほ >イヤなものを見たような。 そう、わたしは「イヤなもの」でありたいです。 >こんな見方 どうぞ、こんな見方で書き込んで下さいますように。 >なぜ排除をするのか わたしは「排除」なる発言をした覚えはありません。 そも「排除」とカキコしたのは、たぎりさん・あなたです。 >ネット初心者 おほほ。ジュニアさんは「ネット初心者」さんなのでしょうか。 それこそジュニアさんを、小馬鹿に発言してるように思います。 たぎりさんに申し上げます。 また、明日にでもお会いできたらと思います(^o^)丿 藪さん、おはようございます。 投稿者:70年代後半
投稿日:2009年12月20日(日)07時57分28秒 藪さんが、先日書き込んでいた「以前、このbbsに襲来してきた無礼極まりない「うざい君」」って、H.N
imajinさんのこと?それとも、他の方でしょうか。 彼(Iさん)って、確かに言葉の使い方の良く分からない人だったですが、 このbbsには、本気でぶつかってきていた感は、ありました。 それで、まったく日大全共斗とは「無関係」な私ですけど…反応したり、反論したり、してしまっていた記憶があります。 imajinさん(もう見ていないかな…) アキバの修羅場は見たくないのだ と叫んでいた、あなたの闘いの、その後のことが、(何もしてあげれそうもないですが…)気になります。 なぜ排除するのか 投稿者:たぎり
投稿日:2009年12月19日(土)23時20分24秒 以前からこの掲示板を拝見していますが、今回の「藪」氏の「団塊ジュニア」氏への言いがかりとしか思えない書き込みには首をひねるばかりです。 「題名がない」ことがそれほど大変な瑕疵なのか? 「このサイトのすべてのコンテンツを読み込んでから」でなければ、この掲示板で意見は言う資格がないのか。まったく理解不能です。ネット初心者が掲示板でちょっとした質問をしたとたんに「ネットで検索したらわかる。全部調べてから質問しろ!」と、袋叩きにあったようなもの。ネット特有の陰湿さを感じてイヤな気分になってしまいました。そんな「排除の論理」こそ、日大全共闘の「精神」とかけ離れたものではないか? 掲示板に寄せる「団塊ジュニア」さんの文章から真摯な態度がうかがえるのは私だけでしょうか。いまどきの若者にしては、実に好感が持てましたが。 それに難癖つける「藪」氏の態度の大人気なさ。私は団塊世代を見上げて育った世代ですので、「団塊世代」には人一倍敬意を持っていますが、なんだかがっかりしました。イヤなものを見たような。 もはや「団塊ジュニア」さんはこの掲示板を訪れることはないと思いますが、こんな見方をしている読者もいるのだと、ひとこと言いたくて書き込みました。 管理人さま 投稿者:我孫子のニャン@黒ヘル
投稿日:2009年12月19日(土)22時16分56秒 遅くなりましたが、喧嘩売りました?汗(笑 野良になりたいニャン。 通りすがりの団塊ジュニアさんへ 投稿者:日和見教 教祖
投稿日:2009年12月19日(土)15時32分10秒 あなたのお話はもっともだと思いました。 私は若者と正面から向き合う事が大好きです。 あなたのような方が日本の未来を作っていくことでしょう。 40年前の我々と同じです。(残念ながら作りそこないましたが?) 12月4日安芸の宮島に参拝したおり、こんな場面がありました。 夜、修学旅行の女子高生たちがホテルの前にいた鹿をなでていたので、 「スキンシップ、いいですねー、皆でなでやったら」と声をかけました。 彼女たちは喜んで全員が鹿をなではじめました、誠にほほえましい風景でした。 そこに先生らしき男性が現れ、女子高生たちに「君たち風呂に入ったあとの きれいな手でそんな汚い物に触ってはいけません」と言いました。 彼女たちは鹿から手を離しこわばった顔になりました。 それを見ていた私は「カチーン」ときて、「鹿の何処が汚いの?厳島神社の神 のおつかいでもある鹿の何処が汚いの」と言うと、彼は彼女たちに「汚いものは汚い」 「早くホテルの部屋へ戻りなさい」と言い放ちました。 そこで私が「空気中にもバクテリアがウジャウジャしているのを知っていますか」 「そんなと汚い空気を吸ってはいけないなどと言えますか?」と彼に問いかけると、 彼は汚い物は汚いのだの一点張り。そこで私は「あんたそれでも教育者か?」「汚い のはあなたの腹の方だ!」と怒鳴りつけました。 あなたがこんな場面に直面したとき、私と同様の事を言ったと思います。 それこそが40年前の日大全共闘だったのです。 今の若者は可哀想だと実感したしだいです。 ◎
こう言うの嫌だなー・・・。文理学科さん。断固異議なし。 ただし、今の日本には右翼はおりません。街宣車は暴力団の隠れ蓑。 ※昔話PartUは次回に。 09・12・19 教祖 拝
こう言うの嫌だな。。 投稿者:文理\(^o^)/学科 投稿日:2009年12月18日(金)20時38分9秒 民主党の小沢幹事長が、宮内庁長官(元ノーパンシャブシャブ官僚)を批判した。天皇の政治利用や、アポ問題を当然のごとく小沢批判を行い、それに対する小沢幹事長の答えだ。 宮内庁長官は何を勘違いをしたのか「天皇の健康」を盾に取り、自ら役人としての立場性を強調したのだ。このノーパンシャブシャブ官僚など職権乱用で首にしろ、と言いたい。 さらに嫌なのは共産党だ。憲法と言えばしゃしゃり出てくる。このHPからリンク→三井嘉雄法律事務所ブログ-遠方から(ここでも触れており、さらに)http://esquire.air-nifty.com/blog/2009/12/post.htmlで触れているが、この問題はそれらのブログでのとおりである。そこに共産党がいらんことを言う。小沢幹事長は憲法を知らないと、言う。 しかし、小沢幹事長発言は憲法上法的にも全く問題がない発言である。こういう共産党って嫌だ。昔っから嫌だ。一時は左翼連合もあり、と考えていたが体質的に私と会わないと思う。何を偉そうに、共産党が何を言うか。在特会⇔右翼⇔自民⇔マスコミ⇔共産党と並んでいる構図だ。 すいません。 投稿者:通りすがりの団塊ジュニア
投稿日:2009年12月18日(金)14時11分56秒 題名が無題なのがそんなに悪いことと認識していませんでした。申し訳ありませんでした。ネット関連の仕事もしてますが、過剰な見出しよりも「無題」の方が親切だという人もおり、あえて無題とさせていただきました。そうした作法もしらず、申し訳ありません。掲示板の文章については、全共闘世代以外の人も読まれると想定し、やや俯瞰気味に、ややくどく、書きました。まわりに自称全共闘幹部も多いのでこうした話題も多く「耳タコ」なのも存じておりますが、広範囲の世代の人に理解してもらいやすく書こうと思い、あのように書いた次第です。 私の文章は、年配の人たちが「いまどきの若者は・・・」というようなかたちで、「いまどきのおっさんは・・・」と書いているようなものですから、年配のぼやきを聞く、若者が「うざい」と思うように、私の文章が、おじさまたちから「うっとうしい」と思われたのだと理解してます。それを承知で挑発してしまったのかもしれません。多少まじめな受け止めをしてくださる方もいらっしゃるのかと思いましたが、サロンをぶちこわすようではこちらの気分も悪いので退散します。 私のまわりには「若者と議論したい」というくせに、いざ、話を持ちかけると、議論の土俵にのることを避けるおっさんたちがたくさんおり、うんざりしています。みなさまは議論好きなようですから、ぜひリアル世界で、若輩者から声をかけられたときは、正面からむきあっていただけたらと思います。さようなら。 通りすがりの団塊ジュニアさん、こんばんは 投稿者:藪
投稿日:2009年12月16日(水)23時39分36秒 早速で申し訳ありませんが、「題名」が「無題」なのは感心しません。場に対して失礼だと思いませんか?何かしらの挨拶があってしかるべきだ、と私は思います。 以前、まったく無礼極まりない方がこのbbsに襲来してきました。言葉の使い方、良く分からない「現若者型侮蔑言葉」の数々。きもい・うざい・しね・あとなんでしたかね。そんな言葉の数々で管理人さんのルールに反してしまったのでしょうか「削除」もありました。私的には「管理人さんのアホ!なんで削除なんだ」と心のうちに思ったものです。あとから納得しましたけど(謎) 私はこの方のカキコを待っていた一人でした。そう、何物にも代えがたいムチャクチャな文でした>こんな感じに。でも、本当に一生懸命にご自分の・そうテメェの気持ちを訴え伝えたい・その一心でカキコしてたんです、たぶん。今そこに生きている場で自分の言葉で1968bbsにカキコしてたと想うのです。うざい・きもい・しねの以外の文に。それは彼の今ある場からのアピールだった・いえ、過去形にしてはいけない。うざい君、時間があったらカキコしてちょうだい。ヨロ で、ジュニアさん。 失礼ながら「御本」も含めて、あなたからのようなご批判・ご批評は、実は「耳タコ」なんです。もうちょっと直球で言いましょう。ここ「1968年全共闘だった時代」の全てのコンテンツを読み・想像し、リンクしてる日大全共斗のサイトを覗きまくってからカキコに帰ってきていただきたい、です。お願い致します。 まったく日大全共斗とは「無関係」な私ですけど、あなたからの「論・議」への感想でした。 これからも頑張ってください。ではでは PS:しつこいけど うざい君、時間があれば1968bbsに顔をだしてほしい。なんでもいいから、顔をだしてほしい。
(無題) 投稿者:通りすがりの団塊ジュニア 投稿日:2009年12月13日(日)20時26分51秒 先日、「総括せよ!さらば革命的世代」という書籍をめぐり、いくつかの記述をさせていただいたものです。読まずにとやかくいうまい。ということを述べました経緯もありますので、書籍の出版をふまえ、感想などを述べたいと思います。 もとの記事は、新聞社のルポだったというころもあり、かなり読みやすい仕上がりになっていると思います。当時を知らない団塊ジュニアからしてもかなり、わかりやすい。おそらく、今の大学生でも何となく雰囲気をつかめるのではないかと思います。 あのときのことは、同時代の人にしか分からない、といいきるのは簡単ですが、やはり違った世代にも共通して理解してもらえる何かがなければ、それは独善的なものだということになると思います。そういった意味では、雰囲気がきちんと伝わる仕上がりになっていると思います。 ときの流れとともに、言葉の使い方や用語の意味合いも変わります。おそらく、あの当時使われた「総括」と今、一般用語で使われる「総括」では意味が異なるでしょう。あのとき、連合赤軍のなかで使われた「総括」という言葉の意味には、「死」という意味合いがあったでしょうが、おそらく日大全共闘で使われた「総括」には「死」の意味は含まれていなかったと思います。時代だけでなく、その集団によっても言葉の意味が変わります。 以前、私の使った「総括」という言葉が意味をはき違えているといった指摘がありましたが、私はそうは思ってません。いま、社会的に使われている一般用語としての「総括」という意味を使ったまでのことで、全共闘のなかだけで通用する「総括」という言葉を使ったというわけではないつもりです。 全共闘世代の一部分に対し、私がもっている違和感は、自分たちのことは自分たちにしか分からないという独善性です。あのときのことを味わった者にしか分からない。といってしまうことは簡単ですが、それは他者を拒絶するシグナルであるということについても自覚をもってほしいのです。もう少しいえば、全共闘をたたかった人たちに教えをこうたり、良い意味での指導をあおごうと思っても、「おまえらにはわからんよ」といわれてしまうとどうしようもないのです。 例えば、渋谷のコギャル(もう死語ですが)にしても、暴力団にしても、ヤンキーにしても、業界人にしても、みな、自分たちにしかわからない隠語や略語を使い、同種人であることを確かめあいます。全共闘もしかりです。 もうちょっと直球で言いましょう。全共闘の人たちの書いている文章の多くは、ジュニア世代からすると、かなり読みにくい文章なのです。自分たちにしか分からないように細工しているかのようにも思えます。小難しく書こうとして、ややこしくなっているようにも思います。話がかなり飛びましたが、この本は読む人のことを考えているという点で、全共闘人が書いたこれまでの全共闘本より相当ましだと思います。 さらに、「立場」についての指摘がありました。アマゾンの書評はこうありました。 5つ星のうち
5.0 全共闘の全体像を描く入門書 重信房子独占インタビューも注目, 2009/11/29 By にな - レビューをすべて見る 産経新聞大阪本社が1年以上かけて行った連載記事の書籍化。全共闘運動から40年がすぎ、あらためてその意義や成果が問われるなか、全共闘経験者たちで
はなく、若い世代の記者があらためて関係者たちに取材し、時代を検証しようとこころみたものである。全共闘運動の著述の多くは、全共闘関係者たちによる 「回顧録」であるか、単純な全共闘批判の終始するかのどちらかであるが、この本はそのどちらでもない。キャッチフレーズは「総括せよ」と挑発的だが、内容
は丹念で丁寧なインタビューによってつづられている良質なルポルタージュ作品となっている。挑発に乗ってしまって、おもわず本書を開いた団塊世代も、読み 進めるうちに、のめり込んでしまったという人も多いはずだ。 内容は、重信房子被告への獄中インタビューなど、これまで普通のマスコミでは踏み込めなかったところにも入りこむなど、スクープ的色彩も強い。また、全共闘との敵と味方の証言が同時にきちんと収録された初めての全共闘本といってよいかもしれない。 一方、全共闘を直接しらない人たちにとっては時代の入門書としても適しているといえるだろう。全共闘や学生運動に興味を持った人はまず、本書をみてから類書をみることをお薦めする。巻末の参考文献は、全共闘にからむ基本書リストにもなっている。 産経新聞大阪社会部は社会現象を深く掘り下げるルポ作品を次々と生み出している。死の問題に正面から切り込んだ「死の教科書」、生活保護制度の
光と陰をクローズアップした「生活保護が危ない」(ともに扶桑社新書)、また、注目の大阪府知事の実像に迫るとともに、読者とともに橋下府政について語り 合った「橋下徹研究」(産経新聞出版)など、新聞社ルポ作品のヒット作を連発しており、今後の作品も注目される。 5つ星のうち
5.0 いろいろな「総括」の形。, 2009/12/11 By まめたぬき (都内某所) - レビューをすべて見る 「産経」というと、今の新聞記事の論調とかから、どうしても露骨にあの当時の学生運動を批判するような、そんな書籍を期待する人は期待するかもしれませんし、逆にそういう点があると思って先入観で嫌悪する人がいるかもしれません。 でも、正直、それはもったいないなあ…と思います。 この本は、簡単に言ってしまえば、あの当時どういう立場であれ何か動いていた人に対して、インタビューしたものをまとめたルポ本です。その中には当時の活動家だけでなく、右翼(鈴木邦男ですね)とか警察関係(佐々淳行ですね)とかもいます。 実はこれまで、あの当時のいろんな立場の人の本を集めたものというのはなくて、著者がいて、その著者の経験ないし感じ方しか書かれていないような
本しか、このジャンルは出てなかったように思います。だから経験談としては面白いのですが、それ以上の価値はない本が主流だったように思います。 しかも最近の場合は、こういう人の情報を適当に集めて適当に貼り付けて、著者の思うがままに賛美したり中傷するような本も目立ってきていたように思います。 あの当時の学生運動が「歴史」という形になりつつある今、その経験者たちをインタビューして、いろんな立場の人から意見を聞くような本を作ったことは、あの時代を「歴史」として客観的に研究する上の資料を提供してくれたのかな、と思います。 この本は、重信房子に独占インタビュー取ったとかそういうことが結構話題になってるんですが、どちらかというと私はそういう知名度が上の人たちのルポよりも、あの当時「兵士」として現場の前線レベルで活動していた人たちの話の方が面白く感じました。 そういう話をなかなか聞く機会がなかったからかもしれませんが、やっぱり当時の立場で上の人と下の人では「総括」の考え方が違うように感じるんですよね。下のほうの人たちのほうが吹っ切れ方がすごいという印象を受けました。 ただ、これは上のほうの人たちが「総括」から逃げているわけじゃなくて、上の人たちも下の人たちもやはりちゃんと「総括」というものを真面目に考
えているところはあると思います。ただ立場が違うからそうなっただけで、上だろうが下だろうがあの当時真面目に戦ってた人たちは、真面目に「総括」を考 え、悩み苦しんでるんだと思うんです。 そういうことを知ることができた、という意味においても、この本は価値があるのかな、と思います。 この本自身は★5つ。これを作った産経新聞もまだまだ捨てたもんじゃないな、と思いました。 ただ、これは本そのものとはあまり関係のない話なのですが、あの当時現場で動いていた人たちが「総括」だのなんだの悩み苦しんでいる間に、それを
遠巻きに見ていた人たちが、いつの間にか言論の世界とか市民運動の世界で、さも知ったかのように勇ましいことを言ってるような気がするんですよね… …なんか違和感を感じるのは私だけでしょうか? 引用は以上です。 出した出版社で立場を見極めるのは、ちょっと古い手法じゃないでしょうか。例えば、産経新聞についても、東京と大阪では随分違うということもご存じかと思いますし、この本のおもしろさは「右」「左」という公式で全共闘を捉えなかったところにあると思います。 さらに、山本氏のインタビューですが、やはり私の予想でした。インターネットには掲載されていない、あとがきと、解説インタビューに値打ちがあると感じた次第です。 *今回も前回までと同様、管理者さまの判断で掲載しなくても結構です。先日、いい放しにしてしまったという思いがあったため、感想を述べさせていただきました。
Re;1審無罪確定。 投稿者:amanoyaメール 投稿日:2009年12月 7日(月)15時49分33秒 1968年代さん 申し訳ありませんでした。 記憶が殆ど消えている状態です。あの時、S君gは姿を現したとの新聞記事に涙し、てっきり最後まで行ったと勘違いしていたようです。 H先輩のことも、これで社会復帰できると喜んでいました。同時に、何も出来なかった自分の不甲斐なさが、悔しくてなりませんでした。文面から察するに、当事者の方だと思います。改めてお疲れ様でした。 管理人さん いよいよこちらでもゲバラ旗の出番が来るようです。 来年3月には自衛隊百里基地が、百里官民・米帝共有空港としてリニュウアルオープンだそうです。無謀にも、従来の滑走路と『くの字誘導路』の間に新滑走路を新設。 ポスターからは『くの字誘導路』が消えていますが、くの字誘導路の「くの字部分」は健在です。句の字部分の用地収容の対抗策として、法的手段の強化を着々と進めています。 常磐線沿線には陸軍飛行場跡地らしきものが無数に点在しています。 かの明大名物男のそばに1箇所。坂東太郎を渡れば、河原に二箇所。少し北上すると龍崎・阿見飛行場(この二箇所は現在民間小型機撰用)。阿見飛行場は、七つボタンで有名なところだったんでしょうね。霞ヶ浦の美浦村沿岸には、海軍の水上飛行機訓練所跡地スロープ(築70年)が記念碑と共に残存。私のディンギーはここの国有地に不法駐艇。 霞ヶ浦を渡れば、百里基地。狭い地域に6箇所の現役飛行場があります。民間病院にも大型ヘリポート。筑波山中に、分けの解らないヘリポートもあります。 例の旗は、2枚ともこのヘリポートに上っていく途中の雑貨屋で入手したものです。 R6を北上。荒川沖交差点を左折すると、ゲバラの雑貨屋と筑波山。右折するとJR荒川沖駅。海軍映画によく出てくる駅です。このあたりはいまだかって、きな臭いところです。 くの字強制収用の時は、ゲバラ旗は垂れ幕状に造り、目立たせてやります。
1審無罪確定。 投稿者:[1968年代]メール 投稿日:2009年12月 6日(日)22時11分32秒 前に書きましたが、私たちの警視総監公舎爆破(燃)フレームアップ事件では、1審無罪確定。で、最高裁(3審)での無罪確定ではありません。 S君が浮上できるかどうかは検察側の控訴断念。無罪確定がなければ難しかったといえます。(恥知らずな相手で、これ以上顔に泥を塗られたくないなどという恥の意識もない相手が、控訴出来なかったという程度にフレームアップ(虚構)は解体され尽しました。)それまでこの国の裁判での「無罪」のケースは“松川事件”に代表される検察側の控訴(高裁)・上告(最高裁)・破棄差し戻し・再審無罪。というフルコースが現実で、権力からすれば運動の沈静化という効果をすでに獲得した後で、無罪など“馬耳東風”。どうでもいいのです。でも“国の面子丸つぶれ”という風にマスコミが時々解説したりもしますが、これなんかは典型的なリップサービス(ポーズ・国民慰撫)です。元々彼ら(権力とマスコミ)には面子など無い輩であり“臍で茶を沸かす”程度にしかとらえていないから反省もしない。痛いとも痒いとも爪の先ほども思っていないのが本音(フン!という程度)です。いろんな角度から私たちの“事件”を掘り下げると、様々なことが見えてきます。丁度40年前に日大闘争が勝利し、それへの権力の側からの形を変えた攻撃に対する、こちらからの再反撃は、一面では、この“事件”の様相(地下潜行・浮上・逮捕状返還・真犯人問題・関係者のその後の歩みと現在等々)と過程に抜き差しならない内容を孕み、この国の権力が持つ闇の暴露いう暗部に通底しているともいえます。 日大闘争との関係にこじつけて言えば、日大闘争の掘り下げた地平は、この国の地下伏流水にまで到達していたとも言えるのではないかと思っています。殺されなかったとは言えない犠牲も払って、それにも関わらず生きていて、不正・不条理は許さない心情を今だ失わず持ち続けていることの地平こそが“いつの日か白日の下に真実が明かす”時がくる事をを保証してくれているといえます。「日大」および「この国」権力者も、すでに形骸化した張子のトラはやはり張子でしかないという、そんな事実が過去にあきらかになり、今40年の時を経て、この国に変化をもたらしたのもつい最近のことなのですから。
教祖の元気が皆の元気 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年12月 5日(土)22時04分39秒 やはり、ヤバイ橋を渡っていますネ。 誰が殺されても不思議でない情況でした。 芸斗委でも色々あったのですが確認中です。 私も元気なうちに調査して記録に残そうと思います。
れ:昔話 投稿者:J 投稿日:2009年12月 4日(金)10時13分50秒 教組さん、その時の話を本田から聞いた俺達は、腹の底から怒ったよ。 「よし。そっちがその気なら。こっちにも覚悟があるゾ」と。 ま、それで、例の“事件”となった。
昔話 投稿者:日和見教 教祖 投稿日:2009年12月 3日(木)12時12分25秒 ラッパさんみてますよ、日大全共闘の歴史、いいですねー。 No2の中村克己さん・1970年2月25日テロにより3月2日永眠。 誠に悲惨な事件でした。 お怒りはごもっともだと思います。 私事になりますが、日大全共闘でのテロ死の一番は私だったかもしれません。 68年10月8日午後1時〜2時ごろ津田沼の生産工学部前で体育会によるバリ破り の連絡を受け、農斗委赤ヘル軍団十数名は現地へ、私たちが到着したときには既に 敵は逃げ去った後、バリも無傷。空腹だったので本田・G・H・S・Tらと近くの ラーメン店へ。店を出るとき私は皆と離れていた、50メーターほど前方左歩道に 学ランを着用したものが4〜5人見えた。よく見るとサカイ・サカモト・ウツギが 居た(同期入団)サカイが右手を上げた。応援団員4〜5人がバラ々と私を囲んだ。 「お前Sか?」「そうだ」そのとたん新聞紙で包んだ鉄板らしきものが私の眉間を 正確にとらえた、目から火花が飛んだ、前歯、左脇腹に激痛、(刃物が刺さった) 左手親指付け根を日本刀がかすった、うずくまるのみ。 頭・背中を袋たたき、そのとき本田の声が聞こえた「教祖がやられてる」 あとは皆に助けられ校舎の医務室へ数十分後頭部の傷を縫ってもらって居るとき、 顔面青膨れの団員一人が医務室に皆に連行されてきた、私は「テメー!」と、そい つの頬を2〜3回ぶんなぐった。先生が「ここは医務室です、暴力は止めなさい」 団員が白状した「自分は経済学部2年のAです、先輩に命令でやりました」 「すいませんでした」。私は彼を許してやった。私も元応援団員、1年奴隷・2年平民 3年貴族・4年天皇の世界が体育会。右手を上げて指図をしたのは4年サカイだもの。 「教祖、危なかった、日本刀を振り上げ切ろうとしているとき俺が体当たりで奴を 倒した」と本田が言った。 本田さん・Gさん・Hさん・Sさん・Tさんに感謝、本田さんの体当たりが無ければ 私は殺されていた。(前編終わり) 09・12・3旧暦10月16日 教祖 拝 追伸:本日旧暦16夜、出雲大社に集まった全国の神様たちが祖国の神社にお帰りに なる日。大社の禰宜さん達が“神送りの神事”を執り行います。 明日か
わが友アイランダーbbsより 投稿者:藪 投稿日:2009年12月 2日(水)23時47分37秒 もう一つ。 投稿者:アイランダー 投稿日:2009年12月
2日(水)21時30分29秒 普天間基地の移転先は「県内」が現実的で実現可能である、ということについて。 新たな移設・移転先における反発や反対によって、そうした案は頓挫することが目に見えているということなんですね。 実際に、防衛庁の役人どもがそういう発言を繰り返しています。 「新たな候補先の住民たちの説得・推進には膨大な時間と想定以上のコスト的負担を伴う」だから、「現実的可能性として、沖縄のより住民の少ない地域へ移設することが必要なのだ」っていう理屈になっている。 んじゃ、なにか、、日本・ヤマトの各地で起こるであろう「反発・反対」については、配慮するしかないなくそれらを押しつぶして強行するのは、無理・困難であるってことなんですね。 でも、沖縄においてはそうした強制・強行はしても良いってことなんですね。 沖縄においてはそれが許される、だから、沖縄以外にないってことなんですね。 そして、候補先として挙がった地域・住民たちは当然にも反対する。そりゃー反対ですよね、反対すべきですよ。当然にも。 でも、待ってくださいよ。そこで、反対することに終始するのでは、結局、「今ある所においておけ」ってことになるのです。 やはり、自分たちのとこに基地は来ては困るってことは、はっきりと今あるとこにおいても困るってことを同時に言わなければならないでしょ。 そうした、基地の存在そのものを廃絶するってとこに立ってはじめて「連帯」ってことが生まれる素地になるのでは、と思うのです。 -------------------------------------------------------------------------------- ひさしぶり、、っす。
投稿者:アイランダー 投稿日:2009年12月 2日(水)21時05分19秒 藪さんに紹介して貰ったブログをちょっと覗いてまいりました。 基本的な部分で異議はありません。呼びかけの方々にも、ちらっと面識のある方もいらっしゃるし。 特に、吉川勇一氏は私にとって信頼を置ける方でもあります。 3年くらい前に、お会いしてちょこっと話し込んだことがあります。 普天間基地の「移設・移転先」を私たちが提案する必要など全くありません。 これは、ずっーーーっと、一巻して私たちが言っていることです。 それは、単に基地があることでの苦しみを身に染みて知っている者たちが、その苦しみ、負担を「移設」されてしまう地域、そこに住む人たちに「強制・肩代わり」してもらうということに対する税悪感や加害的な位置に立ってしまう、、ということに留まらないのです。 結局、米軍基地の世界的再編の一巻として新基地建設は行われるわけです。 老朽化した使いかっての悪い、最新の状況に即応できなくなってしまっている基地を「整理」(返還する称して)、最新のより機能的な新たな基地を手に入れるということですね。 そして、それはアジア及び世界の各地に出撃するために稼動するわけです。 例えば、イラクそしてアフガニスタンの民衆にとって、自らの頭上に降り注ぐ破壊・殺戮の現実は「どから飛んできたのか」ということが問題ではないのです。 「どの基地から出撃してきているのか」っていうのは本質的なことではなくなってしまうのです。 現実に自らを殺戮する軍・兵がいるのです。それらによって行われるのです。 日常的にそうした殺人状況にさらされている者たちから見たら、普天間とか日本・ヤマト本体であるのか否かどうでも良いことなのではないのか、って思うのです。 グアムから飛んできた爆撃機によって殺されることと普天間から飛んできた爆撃機によって殺されることに差異があるわけではありません。 そんなもん、どっちから来ようと関係ない!ってことなんです。 そうした出撃基地が存在していることが問題なのです。米軍にとって、自らの軍事を迅速に展開できる侵略・出撃態勢の強化・維持こそが問題なんです。 それを可能とするものとして「米国・米軍にとって使いかっての良い」軍事基地を構築・強化するということなのです。 どっかのアホどもが、「米軍がいなくなったら、中国が日本に侵攻してくる」なんて言うような愚かなことをほざいたりしておりますが、沖縄・日本に駐留する米軍・基地は、「防衛」などを想定しておりません。そのために存在しているわけでもありません。 出撃・展開基地をして存在しているのです。 ですから、普天間からグアムに移設せよ、とか。日本のどっかに移転せよ、ということはやはり間違いだと結論したのです。 結局、米国・米軍にとってはどこでも良いのです。地理的なことはさほど障害になりません。本質的には、即応可能で迅速展開可能な基地が存在することが必要なだけです。 そして、それらの維持をほどんど自らはコストを負担せずに使用できるのですから、願ったりであり、日本政府さまさまなのです。 ・・・・・・・・ どぞ、です。
銀ヘルさんへ 投稿者:70年代後半 投稿日:2009年12月 1日(火)22時11分3秒 その方の苦闘のかけらも理解できていない私かもしれませんが、 Sさんは、きっと 銀ヘルさんのような同志を持てたこと 幸せなのだと思います。 それこそ、同志です、よね。
S君に会おうと思う 投稿者:軟弱銀ヘル 投稿日:2009年12月 1日(火)20時11分6秒 S君すまない。何もできなかった。私がチンタラ組合活動をしているときに、君は非妥協的に権力と闘っていた。私は何もできなかった。ただ池袋東口交番のキミの手配書を見ているだけだった。君の顔を正視できないけど、(キミの所在がはっきりした今)年内にもキミに会おうと思う。私はほとんど胸がつぶれそうです。 東京電力又もラッキー 投稿者:C.B.G.R教祖
投稿日:2009年11月30日(月)20時23分29秒 11月21日10時ごろ柏崎市宮川浜でカンボジア船籍の貨物船「ヤナセ202」1,180d とタグボート「ヤナセ201」が座礁。 座礁場所は東京電力柏崎刈羽原子力発電所より約2`ほど東。 もうチョット東からの風神さんが強く吹き付けていたら原発の防波堤に。 その前日新潟県警はテロ防止の訓練を実施したばかり。 スワ「テロ」かなどと空騒ぎした事でしょう。全国ニュースになったものを。 誠に残念な事でした。船会社は座礁した船舶を引き取らないと申しております。 粗大ごみとして東電の防波堤内で座礁していたなら申し分なく大拍手!だったものを。 東電はこのところボヤが続いて営業運転が出来ない状態でいます。 またまた運転見合わせが続いたかもしれません。東京都民の皆さんあなた達のために 全国の人々が迷惑している事を考えてください。 09・11 教祖 拝
S君! 投稿者:amanoyaメール 投稿日:2009年11月29日(日)15時28分45秒 1968年代様、お疲れ様でした。 私は個人的事情から出遅れ、農獣医でありながら桜上水にに泊り込むことが多かった不良全共闘です。41年前のバリスト解除を求める右翼の集会(於下馬三丁目)には、銀ヘル部隊に紛れ右翼駆逐行動に参加。我が学科の恥ずべく右翼を駆逐。 面の割れていないはずの右翼が、集中的に攻撃された。しかも銀ヘル部隊から。 最初に血祭りに上げたのが、F科助教授S(故人)一の子分ダーティS。ダーティとはあいつの過去の仲間が言っている言葉です。 面が割れていないからと安心して悠然と構えていたS.。 二号館前の植え込みで周囲を取り囲み、一発のホイッスル「ピィーーー」。ボコボコにされながらも逃げたS。 脱兎のごとくとはこの表現のためにあったのかと、後日認識。 肉眼追尾装置が銀色の中にまぎれていたなんて、あいつらいまでも知らないだろう。 ある日、北陸出身の女子学生が作ってくれた味噌汁。非常にしょっぱかった。 戸惑うわれわれの前で、その味噌汁を旨そうにたいらげたのが法1のS君でした。 せっかく作ってくれたんだから、ミンナ美味しく食べようぜ。 そんなS君でした。 彼とは69年一月神田カルチェラタンでも一緒だった。理工奪還闘争でも。 三里塚でも、色々面倒をかけました。 社会に出て数年、風の便りに聞きました。フレームアップ事件で、学部の先輩が捕まり、S君が指名手配されたこと。種子島で聞いたと思います。 やがて東京に帰った1978年ごろだと思います。 その日の早朝勤務を終へ、帰宅中自宅近くの住宅街の中、S君を発見。 車を止め、声を掛けた。 S君、S君!!元気か?金はあるのか? その問いかけに、かえってきた言葉は「僕はSではない!○○君」。 そのまま、路地に姿を消した。私は、自分の名前は言ってはいなかった。 その晩、文理SP研のY君に電話を入れた。 電話の向こうから、「元気だったか?金には困っていなかったか?」の涙声が聞こえてきた。 いくばくかの会社の金を持っていたので、全額カンパしようとしたら、そのまま消えたよ。 「あいつは強いからな、大丈夫だよ。キット逃げ切れる。」と、聞こえた。 急に呂律が廻らず、涙の溢れる音のほうが大きかったような気がした。 Y君との付き合いは1968年から続くが、涙を流したところは一度も見ていない。 その後、Hさん以下被告全員無罪の最高裁判決。同日、S君が出てきた。警視庁逮捕断念。 その晩、取って置きの種子島焼酎『甘露』で一人静かに乾杯した。 S君、死ぬ前に一度お会いしたいものです。会えた時、あの器で一緒に飲みましょう。 幼い日にほとんどの人間がお世話になった、あの器で。
お前“赤間”になりたいのか? 投稿者:[1968年代]メール 投稿日:2009年11月28日(土)21時37分57秒 「お前赤間になりたいのか」わけもわからず逮捕されて、はじめての弁護士接見で投げかけられたことばでした。不明にも赤間という人がどういうひとであるかが判ったのは随分時間がたってからで、“松川事件”の関係者の一人だそうです。(ひどくショックで、囚われの孤立感とともに、人生で忘れることのできない名前のひとつとなりました。) 警視総監公舎爆破(燃)?未遂フレームアップ事件は1審(別件含め2件とも無罪。起訴罪名は爆取1条(無期・死刑のみ)・検察側の2審(高裁)への控訴断念まで12年かかりました。その間、共犯とされたS君(法1年)は地下潜行を続け、無罪確定した日に浮上。KC庁は逮捕状を裁判所に返還させられました。浮上当日の夜まで執拗に一発逆転をねらって付きまといましたが、報道陣カメラの前での“赤っ恥はさすがにはずかしながら”で、力及ばず執行断念。(ざまーみろ!という気分でした。) 事件の本質は明白で意図的な“権力犯罪”であり、特に日大全共闘への集中的な攻撃であることは、その後の真犯人を調査する過程で、KC長公安と外事部と犯人との間で闇に閉ざされた取引があったことがほぼつかんでいます。 勿論、“権力犯罪”を行う側の目的が、犯人を特定するのはどうでもよいことで、犯人らしきものをでっち上げる事(フレームアップ)ことのほうが最も相手側にダメージを与え、その後の世論操作をしやすくなることが本当の目的である以上、どんなことも有りという事も背景にあります。 残念ながら、真犯人もそうした相手の意図に乗っかってしまい人生の大半を苦しむことになってしまったようです。(気の毒でもあります。)今後、真実が赤裸々になることは期待できそうもないですが、事の真相は明らかにされなければならない。 そうしなければ、当時、日大闘争の正当性を著しく傷つけ、後退局面を更に困難な状況に追い込んだ一面もある事件の当事者のひとりとして、まっとうに顔を向ける事はできない。と思うのです。こうした生き方のすべてが日大闘争から継続している“志”で、日大闘争から学んだものであり、現在も進行形です。従って、過去を清算して別の人生への船出(切り替え)と言う意味での“総括”にはなりようがない訳です。
メタボ本が2万部だと!? 投稿者:JUN 投稿日:2009年11月28日(土)15時49分35秒 WEB上の朝日書評にこんな記事があった。 http://book.asahi.com/clip/TKY200911280201.html ラッパさん「流れる汗と涙と血で綴られる日大全共闘の記録」をたのむぜよ。
流れる汗と涙と血で綴られる日大全共斗の記録 3 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月26日(木)21時27分22秒 日大全共斗を葬り去ろうとした冤罪事件はまだまだ多くある。 1971年8月7日午前2時頃、千代田区一番町にある警視総監公舎の赤外線装置が突然作動、宿直の巡査が駆けつけたところ、 玄関脇に爆発物らしき物がしかけられているのを発見した。 巡査は犯人と見られる若い男と格闘になり、いったん捕まえたが、後ろ向きのまま鉄扉の間をすり抜け、 待機させていた車で逃げられてしまった。 後の鑑定でわかったことだが、この爆発物は2mmのベニヤ板も損壊できない 「爆弾もどき」「仕掛け花火」にすぎないものであった。 この警視総監公舎爆破未遂事件で、日大闘争などで闘ったメンバーが、車の盗難事件の別件で逮捕され、 爆発物取締罰則で起訴されたが、全員の無罪が確定した。 しかし、今も冤罪で苦しんでいる。 このような事実を知らない者達は簡単に「総括」等と言う。 最先端で闘ったもの達を意図的に外し、偏差値を「島耕作」にして矮小化しようとする。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090214/crm0902141801012-n1.htm このような捏造された歴史を許すわけにはいかない。 闘いは今も続いているのだ。
流れる汗と涙と血で綴られる日大全共斗の記録 2 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月26日(木)21時22分26秒 1970・2・25 武蔵野台駅付近で文闘委を中心とした全共闘行動隊30名がビラ配布の情宣活動中、 右翼暴力学生集団に襲撃され、商闘委の学友・中村克己が重傷を負う。 奥島病院で緊急手術。『右翼に襲われた』学友30名が府中警察署に逮捕される。 3・2 中村克己君が永眠。 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080501/trd0805012144022-n3.htm 襲撃した体育会系「府中の新撰組」は全員釈放されるが、襲われた全共闘は逮捕、一名が起訴され、不当な長い裁判を闘う。 詳細は新版・叛バリ70.2.25
中村君虐殺糾弾 http://www.z930.com/hanbari/hanbari.html 1968・6・11と同じで、権力と日大と右翼の癒着の証明だ。 これが許せるだろうか?
流れる汗と涙と血で綴られる日大全共斗の記録 1 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月26日(木)21時20分3秒 1968年、古田始め理事達の巨額な脱税が発覚。 学生側の単純な要求を日大側は拒み、強権的弾圧を加えてきた。 9・4
仮処分申請の強制執行で、経・法・本部のバリケードが機動隊(800名)によって破壊される。 132名の学友逮捕。全共闘のスト破壊抗議集会(理工9号館建設予定地)に2000名の学友結集、集会以後、法・経を再占拠、バリケード再構築。 激動の10日間の始まりだ。 遺憾ながら西条巡査部長が殉職。 9・30大衆団交で全共闘は冒頭で「なによりも悲しむべきことに、ひとりの人間が死んだ。それなのに、なぜ理事会は仮処分を撤回して、自らの犯罪性について自己批判しないのか」と大学当局を批難するとともに、西条巡査部長への弔意をささげる。 http://www.geocities.jp/nichidainoutoui_1968/nenpyou-hanbari.html 警備1課長に就任した佐々さんは「この一件で警察は態度変えた」と振り返りつつも、「それでも警察の役目は相手を生かして逮捕して裁判にかけることにある。死者を出さない警備をせねばならず、結果的にわれわれの側が大きな被害を受けることになった」と話した。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080911/plc0809112148014-n1.htm 11・8。早朝、身内の機動隊員に代わり「関東軍」に芸斗委のバリケードを襲撃させるが、日大全共斗の鉄の団結により返り討ちにあう。 11・12。千発の催涙弾を打ち込み芸斗委のバリケードを破壊するも、バリケードは堅持される。 1969・4・12。岡山大学で有本宏巡査が殉職。 西条巡査部長の殉職事件に引き続き、わずか半年の間に二件に及ぶこのような不祥事件は国会で取り上げられる。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/061/0010/06104180010019a.html 西条さんの死をめぐる裁判では、日大生ら6被告が傷害致死などの罪に問われたが、長い裁判の後、「彼らが現場にいたとの証明がない」として全員の無罪が確定。 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080911/plc0809112148014-n4.htm 機動隊員は、無為無策で突撃命令を繰り返すだけの無能な上官の犠牲となった。(合掌) この歴史を改竄して佐々の武勇伝として伝えるマスゴミがある。
石原こそ東京都民の面汚し。。 投稿者:文理\(^o^)/学科 投稿日:2009年11月26日(木)19時19分57秒 情況12月号で、今さんが「68年5月20日王子野戦病院闘争で日大反戦会議の旗を出した」と書いています。「反戦会議」は中核派の組織団体ですから、このころすでにマル学同中核派が日大の組織されていたと言っています。そこからいろいろと考えたのは、全共闘の組織主体の一つに「社研」の存在ですがあるのではないかと思います。 近日高円寺駅の近くの飲み屋さんが火事になったのは、そこで夜勤などの労働者が飲んでいた。そこで被害にあったのです。こういう人たちを問題にせず(夜勤などの厳しい労働環境を)、数々の差別発言を意図的に行う恥知らずの石原慎太郎と、彼に投票をした民度が問題です。慎太郎は民族排外主義をあおり、「在特会(右翼団体)」に通じる犯罪性を持っています。日本帝国主義の犯罪を容認しない右翼は、それ自体が犯罪的存在です。 日大闘争は闘争を妨害し、大学側の暴力装置である右翼との闘いでもありました。いつの時代でもこういう存在がありますが、論理性がなく、歴史的事実を捻じ曲げ、差別・抑圧を容認する右翼は唾棄すべきです。
居酒屋 投稿者:下馬家 投稿日:2009年11月26日(木)16時34分23秒 全愛共さん夜中働いて昼間眠れない為帰りがけに一杯飲んで、 また夕方から夜中に起きて出掛けて夜中に働く人は沢山います。 その様なお店は池袋・新宿にもあります。 自分も深夜働いて朝帰り晩酌でなく朝酌をしていた時もありました。 その人たちこそプロレタリアートと呼ばれる人たちです。 自分の生活範囲の中だけで物事を判断・批評しては如何かなと思います。
とても残念です 投稿者:BASSメール 投稿日:2009年11月26日(木)09時43分1秒 今も高円寺駅の南口商店街は焼けた後の燻った匂いが残っています。現場は献花台とロープで張りめぐらせられ事故がいかに悲惨なものだったかを物語っております。 この火事があった石狩亭という店は、地元では翌日朝まで飲める数少ない店の一つでした。 それ故、終電に乗り遅れた者や朝まで飲んでいたい者も確かに多かったのですが、殆どは自分達の仕事が深夜に終わり、やっと解放されてこれから自分の時間が持てるという同業者や 夜の勤めの女性や労働者、ライブの終わった後の若者たちの憩いの場所でした。 亡くなられた4人のうち、2人は同業者の集まり(この時間しか集まれない)でしたし、残りの2人は厨房で料理を作っていた人でした。ましてや、そのうちの1人は60歳という殆ど私と変わりない年の方でした。認識の違いはあれど自業自得といってしまえば、それまでかもしれませんが、とても残念な思いがしました。 杉並区というのは、教科書問題をはじめ反動的な教育現場の数々や山田区長の動き一つをとっても、また今回の衆院選では民主党は石原伸晃には勝てないと読んで立候補者を立てないなど問題は山積みの区です。それでも私の住んでいる高円寺では若者を中心に政党や思想や宗教にとらわれない、少しでも住みやすい町にしようと考え行動するグループが沢山出来ています。我々おじさんやおばさんも負けずに付いていかなければと思うところです。 1974年、参議院選挙(全国区)で三里塚反対同盟の戸村一作委員長は、支援者やまわりの後押しで立候補する事になりました。当時は国政参加という事で色々な意見が飛び交ったの中での選挙でしたが残念ながら落ちてしまいました。しかし全国で23万票集めました。中でも杉並区では22番目という23区ではトップの得票率をはじきだしました。杉並区民として、とても誇りに思った日でもありました。 http://座 RE;amanoyaさんへ、
投稿者:藪 投稿日:2009年11月21日 投稿者:amanoya@百里一坪地主 投稿日:2009年11月26日(木)04時25分19秒 お早うございます。 薮さん、メール打っときました。あまり頭に血を登らせないでください。 当方昨日まで、立ちっぱなし、歩きっぱなしのビラまきが続いていました。足に血が下っています。
全愛共さん、こんばんは 投稿者:藪 投稿日:2009年11月25日(水)23時26分43秒 >いくら休日とはいえ真昼間呑んだくれるとは それがなにか? わたしも気の合った仲間や先輩と、朝から飲むことは数限りなくwww その場合は、カミタン様の許可もいただいてますし。>「あぶれ土方」のような者共 それがなにか? わたしも、そんな業界のひとりですwww(wは三回までby
aaghさん) 高級住宅街ですか?杉並って。行ったこと無いんですか??? でもって、恥でけっこうですよ(笑) 日大闘争は学生運動の範疇に入っていない 最首悟 投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年11月25日(水)12時56分30秒 これは水中のみずすましの「百姓一揆」論に通じる。 (私は「士族の叛乱説」であるが) 最首氏に評価されるとあらためて「日大闘争」の凄さを実感する。 「総括」出来ないまでも「事実」を歴史に刻む責任を再認識する。 JUNさんが精力的に進めている。 http://www.geocities.jp/nichidainoutoui_1968/ だが、ダンボール箱の中で眠っている資料の多いこと・・・ 学部単位で纏めても「小熊本」より厚くなるだろう。 日大全共斗全体になれば・・・想像もつかない。 「核密約」が公表されれば佐藤始め歴代内閣の馬脚が現れるだろう。 冤罪・でっち上げ事件も解明しなければ。 再検証は40年経ってようやく始まったばかりだ。
小熊の本書が〈1968〉の正史になることを拒否しなければならない。高橋順一 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月23日(月)22時12分21秒
非常に近い感覚だ。 やはり、1968を「闘った者」「捕らえられた者」「感じた者」と「文字だけのもの」とでは「観える世界」が違うのだろう。 日大闘争だけで逮捕者が千七百人を越える。 その公判記録・証拠だけでも数万ページを超えるだろう。 それを「わずか」2千ページで現せるわけが・・・と想う。 「情況」を咀嚼するにはまだ時間が掛りそうだ。
真昼の居酒屋の惨事 投稿者:全愛共 投稿日:2009年11月23日(月)19時00分20秒 11月22日午前9時30分、杉並区の居酒屋で火災発生。 4人死亡、多数のけが人との事。 なんとも世も末の出来事。営業は午後7時〜午前10時だそうです。 死んだ方々には申し訳ないが、自業自得と思います? いくら休日とはいえ真昼間呑んだくれるとは。 杉並は高級住宅街と思っていた私にはショックなことでした。 これでは石原都知事その他の方の面汚し。 ドンの中のドンが住む杉並で「あぶれ土方」のような者共が ドンちゃん騒ぎは情けなや、大東米共和国の恥です。
とある家庭事情(T_T) 投稿者:藪 投稿日:2009年11月23日(月)18時34分5秒 >石投げること 離婚してからやってください♪
さすがだねー 投稿者:JUN 投稿日:2009年11月23日(月)08時47分29秒 芸術学部で「表現の基本技術」(P.91)を学んだ作家先生は、BS-hiの「日大全共闘=気の遠くなるような多様性」に続き、情況12月号でも「つまりこの社会でいうところの正義が、すこしばかりとんがって、乱暴に実現されたのが日大闘争なのです」(P.96=最首悟氏との対談)と、分かりやすく語っています。 さすがです。表現をナリワイにしている人は違う。 雑兵たちの「放談会」は措いといて、今君と眞武君もいい。 管理人さんの涙の量が、気になりつつ読んでます。
情況12月号 1968特集 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月22日(日)20時13分24秒 如何なる情況になるか? 小熊英二と日大全共闘 http://sincal.crocro.com/?asin=B002WPDB48
amanoyaさんへ、 投稿者:藪 投稿日:2009年11月21日(土)21時11分38秒 ここのbbsにはウルトラマン・ルールがありますので、最後にします。 >テメーーーラ とりあえず・この発言は撤回してください。論争以前の呼びかけだと思います。 私はamanoyaさんの敵ですか?敵とご判断されてのなら致し方ありませんけどね。 「ラ」ということは複数系かと存じます。誰のことでしょうか? それからメールを出してますけど、お読みになってますか? 私からのテルで「メールを」と申したのはamanoyaさんですよね。 届いていなかったら申し訳ありませんが、再度出させていただきますので。 お知らせくださいませ。 ウルトラマンルールに抵触しないと思いますので。 ではでは ps:管理人さん、そして皆々様。うるさくして御免なさいm(__)m
(無題) 投稿者:なあんだ 投稿日:2009年11月21日(土)03時13分49秒 なんだかんだとでていましたが、 「総括せよ!さらば革命的世代」をよみました。 そのタイトルが批判的に聞こえるとの説もあったようですが、 かなり日大全共闘に好意的じゃないですか。 秋田明大氏のインタビューも ばっちりと出てましたね。 十分じゃないところもあるにせよ むしろあそこまで知っていたことが想定外でしたし、 あのスタンスも意外! よくまあ、あそこまでかけたな。と思いましたが。 パレードに加わって 投稿者:エデンの東メール
投稿日:2009年11月19日(木)23時27分33秒 ある日ある件で、パレードをすることになって、県警に届けを出しに行きました。 許可条件は、列の前後にスタッフを置くこと、交通信号に従うこと、すみやかに歩くこと、それを全員に徹底さすことを注意されました。 窓口の係りが冷たかったというので、「それは実績がないからだよね」と慰めました。 パレードは横断幕が横を向いていたり、スピーカーもなくチラシを配りに行ったものが消えてしまって待っていたりでしたが、みんなニコニコと笑い顔が新聞に載っていました。 やるとやらないでは大違い、自信がついたようです。 おまわりさんは誰も来ないパレードで、『ビービー、ビヤビヤ』と笛の幻聴が聞こえていたのは私だけのようでした。
御手前等に告ぐ 投稿者:amanoya@百里一坪地主 投稿日:2009年11月18日(水)08時22分5秒 御手前等とは、テメーーーラと読む。 テメーラ! 耳の穴をかっぽじって聞け!!!! 米軍基地云々、日米属国契約の結果だろ!!!!!!!!! この夏の選挙で、売国奴政権は崩壊した。 しかるに、安保条約を廃棄する必要がある。現政権には、その義務がある。 『安保粉砕!』これが必須だろう。 米帝の要求は、跳ね除けよう!!!!!! どうしても基地が欲しいとと言うならば、核兵器の全面廃棄条件に、赤字空港を高額で貸してもよろしいかと考える。あくまでも「思いやり予算無し」。 独立国に他国の軍隊は要らない!!!!!!!!!!! お前ら、そんなに戦争が好きなら、米国内で内戦しておけ!!! 一切の
藪さん!座布団!! 投稿者:通りすがり 投稿日:2009年11月17日(火)07時23分7秒 文句なしだね。今でも大阪府民は伊丹が便利だと言っています。 洋上にあり騒音なし、米兵による犯罪減少、大赤字の関空の廃物利用。 日頃、訳の分からん屁理屈こいている橋下がどんな反応するか見ものです。
流れと違うけど 投稿者:藪 投稿日:2009年11月16日(月)22時21分29秒 沖縄では普天間基地「移設」で辺野古が取りざたされてます。過日には21000人の集会が開かれ、圧倒的な沖縄の民意が明らかにされました。民主党は沖・沖移転たる嘉手納基地への集約・酷いことに辺野古@シュワブ論で方を付けようなんて話もあります。私は冗談ではない!と思う。
これ以上沖縄の地に基地はいらない、撤去せよだ。例えば当地には、ほぼ廃港が決定的な出来たばかりの空港があります。もし、この空港に沖縄から米軍の航空機・ヘリが来たとしても私は受け入れます。アメリカ帝国主義の坩堝にある沖縄への「害」を取り除くためなら受け入れるのが当然だと想う。米帝を叩きだす実力を持ちえてない本土人民の、ささやかな「我慢」だとも想うのです。 私的には「関空」なんて最適だと思います。廃港決まりだし市街地は飛ばないし海の上だし。そのくらい橋本はコンジョいれてほしい。無条件で「思いやり予算」も貰える。廃物利用・・・などと、などと。秋の夜の夢かもしれません。しかし、ぜったい沖縄に国内米軍基地の70%以上を押し付けているのは根源的に間違っている。色々と考えやることも考えないと私は卑怯もんになるし、罰あたりになるかも。出来ることからやっていこう、と新たにしてます。 http://imnews.imbc.com/replay/nwdesk/article/2491621_5780.html 上記の動画はアイさんのbbsから失敬したものです。韓国ニュースからですけど、ポン人ニュースよか響きました。
11月15日NHKニュースから 投稿者:全愛共 投稿日:2009年11月16日(月)20時04分15秒 ◎朝鮮半島釜山の射撃場で日本人観光客8名が焼死?!銃撃料金10発¥3,000だとか。 亡くなったのは新人類世代、鉄砲射撃がしたければ、給料もらって撃てる陸自に入隊 すれば?何発撃っても只。遺族は亡くなった息子や夫を恥ずかしいと思ってください。 慰謝料などを請求することは国辱者のすることです。 ◎岡田外相の民主党代表時代の顔はどこにいってしまったの? 新潟で「めぐみさん」の集会で横田夫妻が嘆いていました。 金正日と直談判すれば「めぐみさん」はすぐに帰国できます。 1億ドルくらい払ってやったら〜? 沖縄の米軍基地なんぞ本土の暇空港にいくらでも移転可能です? 大阪・名古屋の・・・他にも赤字空港捨てるほどあります。 辺野古・嘉手納基地などそっくり本土に移転しても余りがあります。 本土国民は我慢しなさい。天皇陛下がついせんだっておっしゃいて いたではありませんか。 ◎APECのポッポ首相、メドベージェフなんてプーチンの飾り物、 なんでプーチンと会談しないの(北方領土の件)ロスケなんぞ 100億ドルくれてやればコロリですもの。 ポッポに期待するのは東アジア共同体。来年日本が議長国。 おおいに期待、紀元は2,600年(S15年)イイですね〜。 大東亜共栄圏そのもの、八紘一宇、共団一致内閣。 来年の参院選で一郎が思い描いているのと同じ、イイですね〜。 大いに頑張ってください。 ◎東京都石原知事さま及び教育委員会さまバンザーイ。 優秀な教員が必要。教員の試験倍率の関東圏は1,5倍・ 東北、四国は7倍とのこと。お金の使い方を知ってなさる。 東京一極集中こそ、大東亜共栄圏のドンのなかのドン。 東京都のやるべきこと、よくぞやったと褒めて差し上げます。 地方は東京の肥やしですもの、東京さえ栄えれば必ず日本は発展します。 東京にはキャリア他エリートしか住めないようにするのが望ましい。 ◎文理学科さん、あなたはすばらしい、11月8日のテロの件。 恨みに思っている奴らは殺して当たり前との事。 大いに賛成、エールを送ります。私とは立場が正反対ですが、 思っていることはいっしょです。共に頑張りましょう。
「バリケードの中の活動者会議」 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月15日(日)21時03分3秒 (1) 自己紹介について セクトは単一の価値観を求めますが、日大全共斗は多様な価値観を認めあいます。 特に芸斗委では映像・出版関係の先輩から高校生まで。支援から観光まで雑多な人物が出入りしていました。 通りすがりの団塊ジュニアさんに自己紹介を求めたのは排除の為ではなく、違いを認め、議論をするためです。 (3)出版情勢 出版業界が厳しい話しは聞いています。 自転車操業状態で一つ躓くと命取りだと。 書店の席取の為の「新書の創刊ラッシュ説」は面白いのですが戦術として如何なものか。 返品が多くて資源の無駄遣い、悪循環で自分の首を絞める気がする。 書店そのものが風前の灯。 私の田舎では雑誌の類だけ、「良書」など殆ど置いていない。 取寄せするならネット注文の方が早いし、ネット検索で用が済む。 私が欲しいのは「本」ではなく「情報」です。 急速に進む情報革命に「新聞」が「旧聞」になり、速報性が売りのTV・ラジオでさえ追いつけず、報道の在りかた自体も揺らいで、放送から通信へ質的転換が図られています。 業界は生き残りを賭けて闘うでしょうが・・・ しかし、電子情報は再生装置がないと価値がなくなるので、今後とも文字や写真・彫刻などは生き残るでしょう。 さて、用語の使い方を貴方はかなり混同しているので分離してみます。 『批判』 「本の内容」についてと「軸足」についての違いですが判りますか? 「本の内容」であれば読んでから批判するのが当然です。 しかし、「軸足」であるなら読む以前の問題です。 『総括』 誰が誰に総括を要求したのですか? 私は他人に対し総括を求めたことは無い。 そもそもが「自己批判や総括」は自分のためであり、他人の為ではない。 「連赤」や「オーム」など要求されて出すのは相手に合わすので「他己批判」。 新聞・雑誌であろうとも同じ。 活動しないものが「総括」したり、他人に求めたり・・・笑止千万。 中には「総括」して、自ら体制内に入った「転向組」「全共闘モドキ」がいる。 「総括」の意味さえ分からない「ファッション」・「学生運動ゴッコ」が多く居る。 彼らは皆がするからヤル、辞めたから止める。それも事実です。 分かっていると思いますが、全共闘と名乗った者でも団塊の世代(私の嫌いな呼び方ですが)の数パーセントしか居ないし、団塊の世代の代表ではありません。 日大全共斗は更に少数です。 仲間が多く居たから出来たのではない。 少数で闘っていくうちに仲間が増えた。 多士済々で非常に個性的な者達が自由に活動した、だから凄いムーブメントを創り上げたのです。 極・異端分子で、「組織」ではない。 「個人」に始まり「個人」に帰趨する。 感覚的なものなので理解できないかもしれませんが、一括りに論じることは間違っていると判るでしょう。 私は現在も活動中なので「総括」する必要が無い。ましてや、求められる事など。 この掲示板は私にとって「バリケードの中の活動者会議」の延長です。 匿名の無責任な書き込みは御免ですが議論する事は歓迎します。
(無題) 投稿者:通りすがりの団塊ジュニア 投稿日:2009年11月14日(土)22時47分3秒 aagh@明大文ゼミ協さま ご教示ありがとうございます。参考になりました。印刷すること、では部数はあまり関係ないのですね。ということは、販売流通コストの差が利益の差につながるということなのかと思います。細かな話をいろいろ書いてしまいましたが、「全共闘」というキーワードはさして金にはならないと思う、という自分の考えをいろいろ理屈をつけながら説明したかたっただけなのかもしれません。お手数をおかけしてすいませんでした。 いただいていた、ご質問への回答を続けさせていただきます。 (4)おまえは何をしているのか、について 会社員として働きながら、ささやかに社会運動の世界にもかかわりを持っております。学生時代は看板すら自由に出すことを許してくれないなど、管理強化を強める大学当局に反発し、それなりの行動をしたこともあります。みなさんのまわりには何万人という仲間がいたかと思いますが、私の周りにはごくごくわずかな人しかいませんでした。みんなで騒いで戦うことができたみなさんをうらやましく思います。あえて経歴について記したのは、「途中でやめたおまえらとは違う」ということではありません。私としては、全共闘の人が運動を続けていようが、やめようが、どっちでもよいのです。そのあたりがややこしくなるので、これは書かないでおこうかなと思いましたが、「貴方は何をしてきたのか」というご質問なので、記しておきます。 学生時代は孤立感、孤独感に悩みながらも、学生が自由に学園生活を送ることを大学当局の都合にじゃまされたくないと考えていました。セクトにはかかわりは持っておりません。その後も、ささやかに、細々と断片的に、自分なりのアクションを続けているつもりです。まわりには、「全共闘の連中は、みんながやめたら、自分もやめちゃうような人らだ」と厳しい人がいる半面、「今の社会運動の流れをつくったのは彼らだ」と高い評価をしている人もいます。 私の運動のきっかけは、理不尽な大学当局への怒りでした。左とか右といった思想的なことでなく、なぜこうも簡単に学生を「商品」として扱うのか、という思いが自らを行動にかりたてました。ですから日大全共闘の行動は、本当にすばらしく尊敬できる運動的成果だったと思っています。 問題は、その後の人生です。 私の目線は比較的単純です。元全共闘にも格好良い人も悪い人もいる。です。そうした意味で、私の個人的視点でいえば、この掲示板の文言もみていても、まさに全共闘が批判した大学教授をはじめとする当時のオトナたちとだぶってみえて「格好悪い」と思える人たちも散見されます。なぜか。本の内容も読まずに批判できるあたりが、そうですね。もし、全共闘運動の当時、あなたたちが書いたビラがあったとして「そんなもの見なくても分かる」という教授がいたら、ひどい教授だと批判したでしょう。そういうことです。文面からうけた私の個人的な印象ですが。 全共闘は確かにすごかった。でも、すごかったのは、全共闘活動家のひとりひとりの個人的な力量ではなかったと思うのです。ものすごいムーブメントを、その後の人生の力に変えた人と、そうでない人の差は何なのでしょうか。 (5)山本氏の文章 最初の文章で「山本氏が書いたのではないのでは」と記したのは、やや私のはやとちりかもしれません。紹介文は、この本のもとになった記事に書いてあった文章とほぼ同一だったため、新聞社ないしは出版社のものだと思ったのです。証拠を出せといわれても、ちょっともちあわせてません。まあ、本が出たらみてみましょう。 一方、私は「総括せよ」というキャッチフレーズには同感です。そもそも総括なんてものは一人ひとりなかであるものであって、いちいち押しつけなくてもよいのではないか、というのが私の思いでもあるのですが、全共闘のみなさんは別です。というのは(もちろん全員が、ではないでしょうけど)他者に対し、総括を迫った集団という言い方もできるからです。それは既存の大学を支配していた、大学の理事であったり、教授であったり、仲間であったり、敵であったり。少なくとも他者に「総括しろ」って言った人には、その後の人生もふまえて、あのときを総括し、それを明らかにしてほしいと、私は思います。「全共闘のみなさんはいま何をしているのか」と記した背景にもこの考えがあります。 逆に、集団として他者に総括を迫ってはいない、ということなら、別にいちいち他人に総括を示さなくてもよいと思います。 それでは失礼いたします。長文でお騒がせいたしました。
無題として 投稿者:aagh@明大文ゼミ協 投稿日:2009年11月14日(土)20時52分33秒 専門?の立場から書きます。 本は、3千部だろうと、3万部だろうと、 費用は、あまり変わりません。 例えば、B5の16ページ。 46半歳の紙に印刷します。 B全2面:B半1面、といいます。 台数単価ですので、 刷版:1色3500円。 印刷:1色5000円くらいでしょうか。 製本は、 無線綴でも中綴でも、台数単価です。 16p×2台、プラス表紙でしたら、 5万でやって、という世界です。 あと、用紙代です。 コート70キロ、 3000部。 B半で1500枚。 枚数(予備含む)×紙のキログラム×紙の単価÷1000 となります。 http://aagh.blog.ocn.ne.jp/godoo/ (無題) 投稿者:通りすがりの団塊ジュニア
投稿日:2009年11月13日(金)23時44分26秒 通りすがりでしたので、ご質問をちょうだしていたことに気づきませんでした。できる範囲でご回答申し上げます。 (1)自己紹介について 匿名掲示板で自分の特性をどこまで明らかにするのかというのは難しい問題でもあります。気のついたことがあったので、わりと気軽に書き込んだのですが、読んでいる人に伝える必要があるのは、第1に、このページの関係者か否か、ということ、第2にページの特性から書いている者の世代が何歳ぐらいであるのかと考えました。こうしたことから、「通りすがり」であること「団塊ジュニア」を示すハンドルネームとしました。このページは、内容をチェックした上で、管理者が掲示するという旨が書かれていたので、最低限のことがかかれていないと判断されたのなら、掲示自体が見送られると思っていました。失礼だと判断したのなら削除していただいても結構です。ご不快に思われた方がいるのなら、削除してください。 (2)両親について 父母ともに運動経験はないと思います。父に聞いたことがありますが、「関心なかった」ということでした。父母の運動経験の有無については、別にどちらでも良いと思っています。「あのころはみんな学生運動してた」とおっしゃる方も多いのですが、同世代のなかでは大学にいけた人ですら少なかったと聞いています。運動をしていなかった人について、「だめだな」と思ったことはありません。 父母については尊敬の対象です。特に自分が働くようになってからそのことを実感しております。毎日、職場で労働し、誰かを守るということは当たり前のようでいて、大変なことです。父はまだ現役の労働者です。口数は少なく、あまり持論を語ることもありませんが、文句も言わず、地道に働く姿は「かっこよい」とも思っております。親子関係は良好な方。車で4時間以上離れたところに住んでいますが、年に何度も行き来しますし、家族旅行にもよくいきます。 (3)出版情勢について これはこちらの筆足らずでした。ご指摘のとおりマーケットとしての団塊は人数が多いもとから、ここをターゲットにしようとする動きはいろんなところであります。ただ実際は、団塊というのはきわめて多様な集団でもあり、単純に「団塊」としてターゲットにできるほど、マーケットは甘くありません。 知人の出版関係者Aにきくと、「団塊とは何か」といったテーマの本は実際に売れてません。「どの本が何冊売れたのかということは公開していないから、数字は出ないだとう」といわれてしまったので、「数字を出せ」というご質問には、私の力では正確なお答えはできません。誰か知っている人がいたら教えてください。ただ、これは学術論文ではないので、正確な数字がなくても文章は成り立つと思っていますので続けます。 知人の出版関係者Bの話をもとにすると、こうです。ここ3年以内で団塊がタイトルにつく作品のなかで3万冊以上売れた作品はなかったんじゃないか。たとえば「新左翼とは何だったのか」(幻冬舎新書)は、1万部は超えたと思いますが、ちょっと3万部まで届いた雰囲気はない。また、「新左翼とロスジェネ」(集英社新書)もよい感じの本だがこれもベストセラーって感じではないのではないか。 堺屋太一氏の「団塊の世代」は確かにベストセラーですが、これは1976年の発売です。30年前のヒット作を持ち出しても現代論としては語りにくいかと思うので、ちょっと除外させていただきます。ここでは、団塊をターゲットにした本ということではなく、団塊という集団についてかかれた本ということです。 で、これも聞いた話も入るので、そいつは違うという方もいらっしゃると思いますが、私の理解を説明します。本を売る側の意識として、出版の際、その本への期待として「とりあえず出す」「出版社が赤字にならない」「3万部狙い」「10万部超」という4段階があるといいます。 そういった視点でみたとき、最近の団塊関連本で「3万部狙い」「10万部超」として考えられるものはなく、ほとんどが「赤字にならない」を目指しているとのことです。「3万部狙い」以上の場合は、相当な広告宣伝や、「しかけ」を準備せねばならず、こうしたものに力をいれる本というのは、数少ない「エース作品」だけだそうです。 では、なぜさしたる利益も見込めない本を出すのか、と疑問になります。ご指摘の通り、出版不況もあいまって、大きな利益がのぞめる書籍は少ない時代になっています。本屋も次々とつぶれています。出版業界は、小さなパイをくいあうため、出版社は書店の陳列棚のスペースを確保しようと、「赤字にならない」本をたくさん出すのだそうです。 ひとつの例が新書の創刊ラッシュです。むかしは、岩波新書、講談社現代新書、中公新書あたりがメジャーどころで、それ以外は新書を出している出版社は少なかったといいます。ですが、たいした利益が期待できないにもかかわらず、最近は各出版社が相次いで新書を創刊してます。これはもうけるためというより、生き残りのためのスペース取りなんです。新書を相次いで出版し、書店の陳列棚のなかで自社の場所を確保します。赤字覚悟とまでいくと語弊がありますが、大手といえども、生き残りのために小刻みな出版を重ねているのが現状です。 企業は利益を追求しますが、それはもちろん最終的な利益です。単純に、売れるからつくる、ということばかりではないのです。それはこの掲示板をごらんのみなさんも、ご存じでしょう。 団塊世代の方々が働き盛りの時代は、高度成長もあいまって、大企業がバーンともうけるというイメージもあったかと思いますが、いまは本当に厳しいです。 また、「あなたが知らないだけ」といわれましたけど、全共闘関係の書籍はけっこうチェックしているつもりです。たとえば、日大全共闘の「叛逆のバリケード」の新バージョン(旧バージョンも古本屋で買っています)も購入しました。良書と思います。ただ、これも、売れ行きはよくて2千から3千部といったところじゃないでしょうか。5千部いってたらすごいですね。違ってたらすいません。 ご質問に対する回答としては不十分ですが、長くなりすぎましたのできょうはここまで。管理人の方は掲載可能であればのせてください。失礼であれば、前回の文章を削除したうえで、この文章も掲載しなくてけっこうです。楽しいサークル部屋に土足で踏みこんでいると思われるのは心外ですから。
平成天皇20周年式典 投稿者:通りすがりの全愛共 投稿日:2009年11月12日(木)19時42分25秒 本日国立劇場で行われた式典最高でした! 300人出席の代表挨拶で新潟県泉田知事が5年前の中越地震、2年前中越沖地震の直後、 両陛下がすぐに現地にお越し被災者の手をとり励ましのお言葉を頂きました事へ、被災者 を代表して深く御礼を述べました。私も同感そのもの。 ◎陛下のお言葉 15年間で47都道府県の全部を回りました。国民と触れあいが重要な事だと気づかされ、 それぞれに美しい土地々で人々が助け合い自分達の地域を作っている姿に感動しました。 64年前かの戦争により310万人の日本人、3,000万人の方々の尊い命が失われま した。その後昭和一桁世代の方々により奇跡の復興を遂げました。 戦前・戦中の間違った日本の行動を戦後に生まれた方々に伝えていく事が大切だと思いま す。世界の人たちが共生できる事を目指して、全ての国の人々が助け合うこと大切です。 絆が大切です。忍耐強く困難を克服していく事を切に願います。 ※平成2年即位式が終わり皇居に帰るおり、「あかね色の空」だった事を思い出す。 現在世界も日本も困難な状態にありますが、20年前の「あかね色の空」と同じように 今後はそれに向かって皆様と共に参りましょう。 「断固異議なし!」「天皇陛下万歳!!」 09・11・12 全愛共
激動の11月 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月11日(水)19時47分3秒 「チームバージンロード」が元気に復活。嬉しい。 江古田に馳せ参じた同志も来られなかった同志にも感謝。 11・8未明。私は屋上から力の限り投石していた。 闇に蠢くモノ達に向かって。 ある時潮が引くように消えた。 おそらく応援部隊が到着した時だろう。 その時は4階まで敵が侵入してきていたらしい。 応援部隊が遅れたら・・・ヤバかった。 何時もの事だが、前後の記憶が飛んでいる。 AとBは不可侵条約を結んでいたらしいが、Bが約束を破ったのでAが落とし前をつけたと言う事だ。 Bは日大当局から「表彰」されたらしい。 「日大紛争の記録 青春の雄たけび」にあるらしいが確認できていない。 なぜ芸術を襲撃に選んだのか理由を聞いてみたい。 1 神田から離れている。 2 柔道部の合宿所が近い。 3 芸術が目立っていた。 4 機動隊導入の「因縁」をつける為、等あるが・・・ 「関東軍」司令官=飯島勇・元陸軍大尉はその後、拓殖大学や国士舘大学などの格闘技系体育会の学生やOBを使い、労働運動・市民運動潰しを専門とする特別防衛保障株式会社を設立している。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E9%98%B2%E8%A1%9B%E4%BF%9D%E9%9A%9C 11・8は関東軍を撃破した事で日大全共斗の名が轟き渡るが、 11・12芸術に機動隊導入。壊滅的打撃を受ける。 それでも11・22「日大・東大闘争勝利全国学生総決起集会」へ。 http://www.geocities.jp/nichidainoutoui_1968/1968.11.22.html 年は変わるが、三島由紀夫の「憂国忌」が11・25。 http://mishima.xii.jp/39th/index.html 全共闘という「変革・再生」の芽を潰した為、日本は腐敗堕落した。
右翼にテロ・リンチは良い・・ 投稿者:文理\(^o^)/学科 投稿日:2009年11月11日(水)09時50分19秒 教祖さん、こんにちは。お元気な様子で何よりです。教祖さんの書き込みに「右翼へのテロはダメ」という趣旨の意見がありました。しかし、右翼は我々や一般学生に暴力で対峙し、学内を支配していました。 ですから、暴力を行使した、しないにかかわらず暴力を肯定していたのです。それに対して等価価値交換で、我々や一般学生の暴力行使は当然です。たまたま我々につっかまって無抵抗にすぎない右翼も、その暴力行使はありです。文理では学内で右翼を見つけると、逮捕監禁し、針金で縛りつけ尋問をしました。暴力(拷問)を行う用意もしましたが、その前に全てを自白しました。
>交流会 投稿者:藪 投稿日:2009年11月10日(火)18時18分18秒 体調を整えてからご参加くださいませ。 アルコールの無い「交流会」は、嫌いじゃ! と、アイランダーさんはいつも申しております\(^o^)/
朝日歌壇 投稿者:JUN 投稿日:2009年11月 9日(月)12時45分37秒 和歌・俳句などというものは、日頃ほとんど興味が無いが、昨日(11月8日)の「朝日歌壇」に あの頃はガリ版だったパソコンの立ち上がる音聞きつつ思う (三重県 高山幸子) という歌があるのを見付けた。選者は教員だろうかと書いていた。 ちょうど、仲間から預かった40年前の資料を手打ちでWEB用に入力している今、立場は違うかも知れないが、共感。 教祖さま。68年10.21国際反戦デーは、日大全共闘としては参加しないが、個人としての参加はOKでした。 ベトナム戦争に使われる米軍のジェット燃料輸送阻止=「米タン阻止闘争」(新宿駅が経由地だった)は、リクツとして非常に分かりやすく、9月の攻防戦を生き延びた私は、また勝てるだろうと参加した。 個人での参加だとしても、どっかの党派にくっついて行くしかなく、結果、緒戦でやられてしまい不幸にも(たぶん)、11.8江古田には行けなかった。 だから教祖さま、私は10.21闘争に参加したことではなく、「緒戦でやられた」ことを今も、反省しています。
関東軍41年目 投稿者:チームバージンロードの教祖 投稿日:2009年11月 8日(日)22時46分0秒 11月8日はヒョットしたら芸闘委の42回忌だったかもしれません。 当日関東軍の襲撃の連絡を受けた農闘委は先発隊として16名がゲバパイプとヘルで江古田へ向かった。 タクシーは西武線の踏み切りでストップ、そこから先の両側50メートルおきに警官が立ち、道を進めば 芸術学部の正門バリ、屋上からSやHのアジテーションの声。校舎の1・2階から激しい音響、正門から 先の道には機動隊の幌付きトラックが待機しているのが見えた。 正門周辺には文闘委が30名ほど居て、中から飛んできた石を中に投げ返していた。ゲバ棒などの武器が 到着していないとの説明。数ばかりでゲバのやり方が未熟なドジな連中。先発隊は正門と裏門の二手に別 れ突入。正門隊は守衛室から校内へ入るとヘルメットに×マーク大きなガタイの乱闘服姿7〜8名のうち 赤ヘルを見て5〜6名は校舎に逃げ込んだ。残っていた者達をギタギタにしたところでパイプが曲がり使 用不能、長机の足掛けパイプを外しゲバパイプにして進む。 1階の窓越しに敵の姿が見えたので投石で窓ガラスを割るとガシャーンガシャーンと大音響、それにビビ ッタのか一人また一人関東軍兵士が逃げ出てくる、それをモグラ叩きのように倒し中に入ると1階はもぬ けの殻。 2階に上る階段でも逃げ出す関東軍に遭遇これらもモグラ叩き状態、2階の部屋で関東軍に捕まり衣服を 剥がれ裸で番線で縛られた2名の女性芸闘委を救出、番線を外してやる。 更に3階に向かうが敵がバリを築きそこから備品などを投げ落としてきた。3階へ続く踊り場が一大決戦 場になる。こちらは研究室から持ち出した塩酸ビン硫酸ビンを敵に向け投げ込む。敵は投げる物に窮しレ コード盤まで投げてきた(なんともマンガチック!) そうこうするうち全共闘応援隊が続々と到着ようやく3階へ攻め込む。敵は鉄製扉のある部屋に逃げ込み 中で日大校歌を合唱「♪日に日に新たに」 ある先発隊員は「♪友よ夜明け前の闇の中で」・・・こんなイメージが浮かんだそうです。 ようやく鉄製扉を開けると輪島をはじめ20名が無抵抗、関東軍指揮者は「皇道会」「住吉会」の飯島・ 恩慈ら。 当時日大は東都6大学のリーダー格、3部リーグまであったから18の私立大の体育部員の寄せ集め、構 成は1・2年生が主軸、だから弱かった。それは昭和20年8月15日の大日本帝国大本営の無条件降伏 と同じ。 ずらり並ばされた彼らに怒り狂った芸闘委のAが中の一人に向かって「テメー空手部のBだろう」と叫び、 Bの両手を机の上に広げさせ煉瓦でぶっ叩いた。Aは重大な罪を犯した。無抵抗のものをテロったのだ! 戦時中でも捕虜は保護されていたというのに。これが日大全共闘へのノンポリ学生からの支援や・シンパ 学生の支援が離れていった一因だった。 最大の原因は10・21国際反戦デーの日 農闘委の2/3が各セクトと行動をともにしたこと。 ノンセクトの旗印だった日大全共闘が各セクトの狩場になったとは・・・・。 11月7日私は農闘委の情報員として午後9時から翌朝8時までの任務で渋谷区大橋の第3機動隊のレポ をしていた。 午前2時の定時連絡で芸術学部のスト破りを知った。第3機動隊は江古田へ行くだろうとの予測があり、 私はその場から離れる事が出来きず、結局8日午前6時30分ころ下馬3丁目に戻った。そのあと先発隊 が戻り上記の報告を聞いた。以上が昭和48年11月8日に農闘委先発隊の彼らが見たことです。 今考えるともしそのとき農闘委16名の先発隊が江古田行かなかったら、彼らの働きがなかったらば、 下の階に居たラッパさんの命は危うかったのではなかろうか? 本日が芸闘委の42回忌になったかもしれません。ナムアミダブツ 々 々〜。 ラッパさん・Hさん・Sさんその時バリの中にいた人達、農闘委先発隊16名に感謝の心を持って下さい。 全共闘の心は共生・友愛です。皆さんもお持ちです。 なんか鳩山発言みたいになったりして、まーぼちぼち行きましょう〜。 応援しています〜。 チーム バージンロードの教祖 拝 09・11・08
団塊ジュニアさんへ質問 投稿者:amanoya 投稿日:2009年11月 7日(土)12時51分29秒 1968年前後、あなたの御両親は如何なる行動をしていたのか? ささやかな質問です。 私は、大した活躍もしていない一兵卒でした。
失礼なとおりすがりの団塊ジュニアさんへ 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月 5日(木)19時37分0秒 >沈黙を解き、あの時代を語るときがきた! >表紙、解説 山本直樹 http://www.sankei-books.co.jp/books/title/9784819110778.html とあるが、これは出版社が書いたのか? 山本直樹氏で無い根拠は? いずれにしろ、産経新聞のスタンスの問題。 彼らが使う「総括」という言葉に対する違和感です。 赤字覚悟で大手出版社は出さないでしょう? “商売”にするのは当然では? そうでなければ「狙い」は何ですか?>マーケティングで調べたことがあるのですが、・・恐ろしく売れてないんです。 団塊世代の人口に比べてなのか? 絶対的に? その具体的なデーターは? 名付け親の堺屋太一氏の小説「団塊の世代
」は? >もっとこの手の本がバンバンでていると思います。 貴方が知らないだけで出ています。 昨年から来年に掛けて。 ただ、売れてない=話題になってないのです。 これは出版社の営業力(宣伝力・資金力)によりますが、活字離れが進んでいる事も一因です。 >その後もかっこよく居続けられた人は少なく、とってもかっこ悪くなっちゃった人が多いと思ってます。 その通りです。時が経てばスターでも落ち目になります。 「総括」出来たものは「転向」して、出来なかった者達は「ドロップアウト」しています。 当事者が語らないから、他人が「勝手に総括」して、悪くなった所に焦点を当てた本を出しているからです。 保守勢力は否定的に評価するしかないでしょう。 ところで、貴方のご両親はかっこ良いのですか? 総括せよ!・・・に >そして今、何も振り上げない若者たちへ >諸君に総括を求める! とあるが貴方は何をしてきたのか? >「じゃあ、全共闘のみなさんは今、何をしているのですか」 と聞く前に自己紹介するのが筋ではないだろうか?
とおりすがりの団塊ジュニア様 投稿者:軟弱銀ヘル 投稿日:2009年11月 5日(木)18時06分10秒 ほとんどご指摘の通りだと思います。私たちは、いったい何をやってきたのか、何を目指してきたのか、いつも迷いながら、私自身もとぼとぼと下を向きながら歩いて、ここまで来てしまいました。余命が数えられるようになった今でも、まだ、迷っています。貴兄に明快に言い切れるものを、何も持ち合わせてはいないのです。これからも迷いながら歩くしかないのか、と思い込んでいるところです。
失礼ですが 投稿者:とおりすがりの団塊ジュニア 投稿日:2009年11月 5日(木)01時54分55秒 ちょいと前に << オイオイ、 小熊本に続き他人の褌で稼ぐ「銭ゲバ」出現か! 何もしないで講釈垂れて、ハイエナ・禿鷹も真っ青。 「彼らが社会から引退してしまう前に、“総括”する。」??? 「彼らの世代は人口が多いから“商売”にする。」だろう。 無責任な・誤った総括は不必要。
>> とかかれていますが、もとページをみるに、ご指摘の文章を書いたのは山本直樹氏ではなく、出版社ではないかと思います。余計なお世話ですが。筋違いなご発言に思えたので。 わざわざ、ここで書き込んだのは、 <<「彼らの世代は人口が多いから“商売”にする。>> というフレーズが気になったからです。 マーケティングで調べたことがあるのですが、 いわゆる全共闘関係、あるいは団塊の本というのは、 その世代の人数の多さから考えると、恐ろしく売れてないんです。 大手出版社から出ているこの手の本でも何百冊も売れなかったのもあるんじゃないかと。最近評判の「1968」も良質な本だと思いますが、おそらく売れているかというと、そうではないでしょう。というか、このページをごらんになっている団塊世代のかたがたでも、実際に団塊本を買っているという人は少ないのではないかと思われます。 団塊本のベストセラーはないというのはいわば定説でもあるらしいので、出版社もさしたる期待はしていないでしょう。銭ゲバというほどもうかるなら、もっとこの手の本がバンバンでていると思います。 あと<<何もしないで>>というのも少々気になります。 ご発言の方が何をされているのかは存じ上げないので、失礼な話かも知れませんが、「じゃあ、全共闘のみなさんは今、何をしているのですか」と聞いてみたい気はします。私は、全共闘のかつて奮闘について、すごく、かっこいいことをした、と思ってますが、その後もかっこよく居続けられた人は少なく、とってもかっこ悪くなっちゃった人が多いと思ってます。 まあ、私は発売前の本のことを読む前に論評する趣味はないので、まずは本を読んでからいろいろ考えてみたいと思います。お気を悪くしたら申し訳ないです。失礼しました。 管理人様、ごめんなさいm(__)m 投稿者:藪
投稿日:2009年11月 3日(火)22時22分12秒 私の認識不足をお笑いください。深く深く反省してます。 失礼いたしましたm(__)m
動きましょう!! 投稿者:大木晴子 投稿日:2009年11月 3日(火)01時58分10秒 11・8沖縄県民大会とともに私たちも声をあげよう! “鳩山とオバマにモノ申す! 普天間基地を即時閉鎖し、辺野古新基地を断念せよ!” ≪デモ行進≫ 日時:11月8日(日)午後2時集合 場所:水谷橋公園(東京都中央区銀座1-12-6) 有楽町線「銀座一丁目」駅、銀座線「京橋」駅、都営浅草線「宝町」駅3分 http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.40.15.963&lon=139.46.23.062&skey=%25b6%25e4%25ba%25c21-12-6&pref=&kind= デモ:午後2時30分出発 詳しくは、下記をお訪ねください。 http://seiko-jiro.net/modules/piCal/index.php?smode=Monthly&action=View&event_id=00005759&caldate=2009-11-8 http://www.seiko-jiro.net/ >期待 投稿者:藪
投稿日:2009年11月 2日(月)21時22分14秒 三対二、、、、。 ムリ・ムチャ・ムリカイの三拍子、、、、。いつもの落ちじゃ、、。 (・・・陰の声・・・(T_T))
総括せよ? 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年11月 1日(日)22時12分28秒 ●「面白」が一番偉いって言う、この山本直樹? http://www.shinjukuloft.com/galaxy/archive/e/2008/post_72.php http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%9B%B4%E6%A8%B9 オイオイ、 小熊本に続き他人の褌で稼ぐ「銭ゲバ」出現か! 何もしないで講釈垂れて、ハイエナ・禿鷹も真っ青。 「彼らが社会から引退してしまう前に、“総括”する。」??? 「彼らの世代は人口が多いから“商売”にする。」だろう。 無責任な・誤った総括は不必要。
口と手連合仮説 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月31日(土)21時43分22秒 アイアイは「リスの歯とコウモリの耳を持つ幻のサル」といわれ、マダガスカル島だけにわずかに生息する原猿で、その特異な姿で分類上の位置づけについて論争が引き起こされた。 ようやく霊長類に属していることが明らかになったが中指が非常に長いことや、大きな耳や指を庇いながらの特徴的な歩き方などアイアイの独特で特徴的な点について説明が出来なかった。 『ドクトルアイアイ』こと島博士が現地に渡り長年の研究の末、解明したのが『口と手連合仮説』である。 このテーマ 「主食は霊長類の手(指)と口(歯)の形を決定する」から人類の二足歩行まで解き明かした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%A4 『ドクトルアイアイ』は今フロリダでマナティーの調査をしている。 同じ海牛目は辺野古に生息しているジュゴンがいる。 http://www.iucn.jp/news/0112.html 彼らは海中で生息しているので良く似ているが、祖先をゾウと同じくしていると一見して解るだろうか? 環境(主食)により生態が大きく異なる例だ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A6%E7%9B%AE 同時期に同一空間に居ても、同じ祖先を持っても、大きく異なるので、外見だけで判断できない。 研究というものは現地の空気を感じないと観えるものも見えない。 全共闘と全学連が似ているのは「ゲバルト」に対する「機能美」が近いからだ。 また、全共闘の左翼は全学連に、右翼はべ平連に伸びているように見えるのは同時代だからだ。 「小熊史観」は読解力が無いとか事実と違うという問題ではない。 研究者としての姿勢の問題である。 改竄・捏造して、大学教授の肩書きで商売しても良いのだろうか?と声を大きくしていったところで、他人の論文を盗用、レポートはネットからコピペを提出しても認められるご時勢だから(笑 「探求者」と「研究屋」の違いだと言っても、理解できない世間は大盛を持て囃す。 料理をしない調理師のお勧めの本 『親指はなぜ太いのか』―直立二足歩行の起原に迫る
(中公新書) 以下、書評 月譚「遠景」”夏の終わりに、面白かった本” http://www6.ocn.ne.jp/~hokugo/En030910.htm 書評空間「ほら貝」 http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2007/01/post_50.html 傳統的作業療法傳説 〜武炉具版〜 http://seisinka-trad-ot.moe-nifty.com/tatarashi/2004/05/__.html 新しい創傷治療 夏井 睦 http://www.wound-treatment.jp/next/dokusho41.htm 「新世紀へようこそ」ヒトの手と歯、数学の天才、詩人たち http://www.impala.jp/bookclub/html/dinfo/10118921.html カスタマーレビュー http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4121017099
(無題) 投稿者:これ 投稿日:2009年10月31日(土)12時15分7秒 「総括せよ! さらば革命的世代」発売のようです。 http://www.sankei-books.co.jp/books/title/9784819110754.html
不味い料理屋・・@ヨッパ 投稿者:藪 投稿日:2009年10月30日(金)23時53分9秒 わたしって人は他人様が調理して下さる料理って、食べられないヒトなんです。でもってヒトリ外食は、全くしませんし外食する場合は「親愛なるひと」としかしないのです。「親愛なるひと」が一緒だと食べられるんですね、何故か。 ま、いちばん安心して食べられる料理は、、、夜なかにわたしを踏みつけてトイレにいくカミタン様や母、カミタン系母のお料理なのです。ゆっくりと食べながら酒も飲めるし莫迦話をしながら食べる時間は・・なにかしらの緊張感を孕みながらも・・横目をチラチラさせながらも、良いものです。 ラッパさんのお話を聞いて、わたしが信じられない(ビックリした!)のは、見も知らぬ方のオリョーリならざるオリョーリを賛美しながら美味しく食べてる方がいらっしゃるなんて。いいんですよ、見知らぬ方の・初めてお会いした方のお料理が美味しいときもございますわよ。某銀ヘルさんの店のお料理はたとえようもなく美味しかったし、乱暴そな方のお料理は美味しかった。そんなお店もございます。 いろいろあります、、、。悪評判を聞いて・怖いもの食べたさで・お店を覗いてちょっと食べて観ただけで、こりゃこりゃだめだ!そんなお店がありました。見た目はいいしお店も大きい。だけど口に含むとゲロゲロ。食べられたもんじゃありませんでした。素材の味は殺しまくり「調味料」はてんこ盛り!舌がしびれ体も震えましたわい。泣きながら某銀ヘル亭で口直しのお料理を戴きました。 こんなデカイだけ店オリョーリを美味しく賞賛しながら食べてるヒトがいらっしゃるなんて、、、。わたしには信じられません。いいのかな、、、これで、ほんとに(揺れ動く目)・・莫迦じゃん
不味いラーメン屋 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月29日(木)20時41分55秒 家の近くに不味いので有名なラーメン屋がある。 行った者は「どうしてあれほど不味くできるのか?」 出汁は生臭く、スープはヌルイ。 麺の太さはばらばら、モヤシはカサカサ。野菜は虫食い。 食器は欠けている。 私は人が美味い!と言ってもなかなか[あう味]が少ない。 書評だけでゲップが出る。 「あの時代」から現代の原点をさぐる――著者のことば http://www.shin-yo-sha.co.jp/essay/1968_jobun.htm 2009年8月2日 毎日新聞書評 (田中優子) http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2009/08/20090802ddm015070012000c.html 2009年8月2日 讀賣新聞書評 (井上寿一・学習院大学教授) http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20090803bk01.htm 朝日新聞(同紙09年8月25日付)(藤生京子) http://book.asahi.com/clip/TKY200908250136.html 2009年10月4日
朝日新聞書評 天児慧(早稲田大学教授・現代アジア論) http://book.asahi.com/review/TKY200910060163.html 紙屋研究所 http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/1968.html 外山恒一
我々少数派 http://ameblo.jp/toyamakoichi/entry-10314424312.html あしぶみの書き散らし脳内ノート http://d.hatena.ne.jp/ashibumi68/20090716 海難記 上巻を読む。http://d.hatena.ne.jp/solar/20090713#p1 下巻を読む。http://d.hatena.ne.jp/solar/20090809/p1 alexisのブログ2009.08.24 http://alexisy1789.blog44.fc2.com/blog-entry-67.html カスタマーレビュー 1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4788511630/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1 1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4788511649/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1
無言館 投稿者:藪 投稿日:2009年10月28日(水)21時51分3秒 エデンの東さん、こんばんは 静かに静かに戦没画学生の絵画が展示されてます。 わたし如きが能書き垂れてもしようがありません。 どうか、ぜひ。
無言館に行ってきたい 投稿者:エデンの東メール 投稿日:2009年10月27日(火)21時58分54秒 管理人さんの通った高等学校の学び舎は、信州にある無言館の展示室にある油絵の中でひっそりと展示されているはずです。 描いた方は機銃の暴発で亡くなった学徒兵。 連れ合いだった医師の寄贈によるものです。 小熊教授「1968」と違った確かなものがそこにあるのではないかと思います。 広島での巡回展では拝見しましたが、一度信州まで足を伸ばしてきたいのです。
(無題) 投稿者:大木晴子 投稿日:2009年10月27日(火)21時02分34秒 11.8 県民大会を成功させよう! 「11.8辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」 を成功させる意見広告へ参加してください!! *昨年の沖縄県議会選挙、そして今夏の衆議院選挙の結果で、 「辺野古への新基地建設や高江への米軍ヘリパッド、せったいNO!」の 県民の思いがようやく実るかに思えました。 ところが、いま、民主党を中心とする政権が、揺れています。 *「沖縄の総意を見たい」という政権に対し、目に見える形で、 「総意」を突きつけることが必要です。 オバマ米大統領の来日を目前にして開催される県民大会は、 まさにその絶好のチャンス。 *県民大会への参加を呼びかける意見広告を、ひとりひとりの力を集めて、 地元両紙に掲載しませんか?意見広告への参加は、私たち自身の意思表示であると同時に、 県民大会への参加よびかけにつながっていきます。 *新基地建設を断念させる大きなうねりを、私たち自身の手でつくっていきましょう! ===意見広告概要====== サイズ 7段(紙面の約半分の大きさです) 掲載紙 沖縄タイムス 琉球新報 掲載予定日 11月4日(水) 意見広告参加費 一口 1000円 主催 「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」を成功させる意見広告の会 取扱責任団体 沖縄平和市民連絡会 ======振込み先====== 郵便振替加入者名 辺野古「沿岸案」「県内移設」を撤回させる意見広告の会 口座番号 01700−2−79586 http://www.seiko-jiro.net/ 誰の事だかですけど 投稿者:藪
投稿日:2009年10月22日(木)21時34分49秒 もう、今だって思春期じゃん、、、、、。 訂正です 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)23時37分56秒
T 小熊 英二(おぐま えいじ)教授の功績 U 個別の検証 V 「総括」を検証 W “全部読め”“取材して書け” X 講談師、観てきたような嘘を言い X→Y 日大全共斗は不滅である Y→Z 小熊先生の功績 Z→[ 何も無くても闘える。それが全共闘。 T が抜けていました。歳をとると・・・ T 小熊 英二(おぐま えいじ)教授の功績 この大作にかけた「情熱」は高く評価する。 彼の「1968」を評価する者もいれば、酷評するものもいる。 どこに食い違いが在るのだろうか? 「創作」と観るか「歴史」と捉えるかの違いだろう。 反論する者達は「事実」と違う「捏造」だと言っている。 立脚点の違いを明らかにしよう。
小熊氏は “批判するなら全部読め”“自分が書け”と開き直る。 私は殆ど読んでいない。 日大全共斗の内、芸斗委の行動隊の一部しか知らない。 しかも、記憶が飛んでいるので少ししか書けていない。 他人の書評の飛ばし読みで評論している。 これが駄目ならば、バッタモンの資料で書いた「本書」もナンセンスである。 あの時代のうねりを体感した私には反論する権利と訂正する義務がある。 みかんは全部食べずとも一口食べれば、腐っているのが判る。 腐ったリンゴが1つあると樽全体がダメになる。という諺もある。 U個別の検証に続く
[ 何も無くても闘える。それが全共闘。 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)21時44分45秒 編集済 『戦後民主主義の救済と再論のためのパラダイム創出』の「総括」が終われば「展望」を出し、「実践」ですね? それが出来ないなら、私の唾棄してきた理論だけの左翼と同じ。 安全なバリケードの中では雄弁に世界革命を語るが、右翼や機動隊の姿を見るや消えていった新左翼・極左暴力集団と呼ばれた者達と。 建前だけで大衆団交から逃げまくる権威の象徴の大学教授。 「反米・愛国」を唱えない右翼も。 時代背景 大東亜戦争・第二次世界大戦の衝撃波の揺り戻しが1970年前後に起こった。 この時代の高波に乗ってしまったのがちょうどモラトリアム期間の学生だった私の青春だった。 40年経って第二のモラトリアム=還暦を迎え全共闘ブームが起こっている。 この時流を掴んだ小熊先生は鼻が利く。 全共斗の叛乱 戦後民主主義の過ち=侵略戦争をした事。戦争の終結を誤り、敗戦したこと。 その結果、米帝の植民地にされた。 これにより指導者達は面従腹背による精神の分裂を引き起こし、自閉症に陥った。 相手が望むことを先読みできる「秀才」が東大を卒業。 官僚・学者・政治家として自閉的共同体を創り日本を誤った方向に導いてきた。 この欺瞞に対する「帝大解体」「自己否定」であり、言動の一致による「自己の確立」を目指した。 議会(実質的に官僚)民主主義ではなく「直接民主主義」を実践した。 全共斗の切り開いた地平 小熊氏は高波の退いた浜辺で残留物を集め評論しているのに過ぎない。 あの巨大な浪に翻弄され、駆け上って観えた景色は想像も出来ないだろう。 小熊氏の視座の限界はそこにある。 逆に言えば、私は周りが見えなかったため未だに総括できないでいる。 しかし、細胞の一つ一つがあの激動を記憶している。 小熊氏が集めたガラクタの中から玉石を選別し、経験を補完する事で、あの時代を総括する手掛かりになるだろう。 全共斗の目標 多様な生態系=「八百万の神々」の復興であり、「人間として生きる」事。 書を捨て荒野に出でよ。 死ぬまで自分探しの旅は続く。 それが闘うことである。 終り
Z 小熊先生の功績 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)21時44分2秒 編集済 2009年1月14日(水) 19:58〜21:54。日本テレビで放送されたバラエティ番組である、日本史サスペンス劇場、『東大落城
安田講堂36時間の攻防 40年目の真実』が放映された。 『東大落城 安田講堂攻防七十二時間』を元に描かれているが、佐々淳行氏の捏造に対し、島泰三氏が『安田講堂 1968−1969』で明確に反論した事により安田講堂内部が描かれ島氏と思える人物も登場している。 『40年目の真実』には程遠いが、佐々の脚色された武勇伝から少しだけ事実に近い形に修正されている。あのCIAの手先=「ナベツネ」の放送局でさえ。 島氏の『安田講堂』を読むまでは私も「東大逃げちゃった」と思い込んでいたのだから。 権力側の歴史の改竄・捏造は罪深いものがある。 蛇足になるが番組内で「日大の工兵隊が正面をコンクリートで固めた」とあるが「工兵隊」は私の造語である。 芸斗委では「バリケード構築隊」であるが正面を固めたのは理工の諸君であると聞き及んでいる。それで理工の工を執り敬意を表し「工兵隊」と名づけた。 この放映日、私は還暦を迎えた。 40年前、関東軍と機動隊に破壊され風雨の吹き込むバリケードの中で凍てつく体を怒りの炎で燃やして迎えた20の誕生日だった。 評価できる点は「総括」に対し、反論が出て、ノンポリを巻き込んだ論争が起こった事だ。 「小熊本」を梃子に新たな展開が期待できる。 一点の野火が荒野を焼き尽し、隠されていた「真実が暴露」される。 いわゆる「反面教師」。 燃料投下ありがとう。小熊先生。 一次資料に当たる手立ても、時間も無いならば、お勧めの一冊がある。 『新版・叛逆のバリケード』だ。 時系列に並べるだけならここまで絞っても熱は伝わる。 「余分な」解説を加えず1968年に関する「総目録」で良かったのだ。 続く
Y 日大全共斗は不滅である 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)21時43分26秒 編集済 1 纏足された宦官達。 2 権力に阿り、権威にひれ伏す者達。 3 洗脳され無批判になった家畜人達。 すなわち、「自己の確立」が出来ず、私利私欲で目先の利益に走り、TVの番組を信じ込み、お笑い番組に現を抜かし、真実を追究しない者達や「小泉改革」に熱狂して覚めてから気が付く惑わされやすい者達は小熊英二教授を賞賛するかもしれない。 国家権力の狂気に対し自らの肉体を凶器に変え、闘う同志と侠気を結んだ日大全共斗は新たな運動を展開した。 勝手連や地域に根ざした住民運動・環境や農業・教育など間口を広げ闘争は受け継がれている。 全共闘は挫折したのではない。 闘争は弾圧され、歴史から抹殺されたのだ。 なぜ? 米帝をも操る「背後の力」の利権の為だ。 走狗の佐藤栄作は国家権力を動員して全共闘を潰し、マスコミを操作して葬り去った。 そのお礼としてノーベル平和賞だ。 「核の密約」が暴かれれば70年安保の真実が白日の下に曝されるだろう。 40年を経て再び全共闘が動き始めたタイミングで刺客として小熊氏が登場したわけだ。 樹を隠すなら森に、真の情報を隠蔽するには大量のガサネタで。 続く
X 講談師、観てきたような嘘を言い 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)21時42分55秒 繰り返す。 『どんなに対象の内部に入り込んで取材したとしても、第三者が表現するものは取材される本人の意図と同じにはならない。』 これは山本義隆氏や多くの闘った者だけでなく、普遍的な感情だ。 対象に接触せずでっち上げたものは本人の意図とかけ離れるのは明白。 誰でも、許せるはずが無い。 むしろ、自分に都合の良い部分だけつまみ食いをしただけだ。 これを『意図的なねつ造や隠ペい、等々の歪曲』と呼ぶ。 「小熊史観」は「佐々史観」と同じ座標にあると言えよう。 つまり、『東大落城』と同じく「真実」を隠蔽する意図が見え隠れする。 小熊の学歴を見ても一目瞭然 1987年東京大学農学部卒業。慶應義塾大学総合政策学部教員。 流派としては 弾圧派の佐藤栄作・佐々淳行。 裏切り転向派の町村信孝・桝添要一。 国を誤った方向に導く渡邉恒雄・小泉純一郎と同列だ。 つまり、バリケードの中にいた者から観れば諸悪の根源に踏ん反り返っている地位だ。 組織に守られ、自らは手を汚さず上前を撥ねる。 権力の腐敗臭が漂ってくる。 バリケードを根城にし、荒野を駆け巡り、組織に従属することを拒んだ者達は爪を研ぎ、牙を剥くだろう。 続く
W “全部読め”“取材して書け” 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)21時42分20秒 国会図書館に寄贈された山本義隆氏の『東大闘争資料集』を読んだのだろうか? この記録は、 <一年間に及ぶ闘争の間につくられたビラやパンフレットは五〇〇〇点以上に及ぶ。その内容は、一九九四(平成六)年に国立国会図書館に寄贈された『東大闘争資料集』全二三巻で知ることができる。当時の全共闘のメンバーがつくつた「68・69を記録する会」が、仲間たちに資料提供を呼びかけ、五年がかりで分類・整理したものだ。> <B5判で全二三巻、積み重ねると一メートルを超える膨大な資料集だ。赤いハードカバーで、背中に金文字で 「東大闘争資料集」と記されている (マイクロフィルム版もある)。> <山本氏は、資料の完成報告の中にこう書いた。 「国会図書館に通って資料を読むという労力を厭わない限り、ドキュメントという一面であれ東大闘争について、意図的なねつ造や隠ペい、等々の歪曲を許すことなく、その実相に触れることが可能となったのではないでしょうか」> <どんなに対象の内部に入り込んで取材したとしても、第三者が表現するものは取材される本人の意図と同じにはならない。それが彼には許せないのだろう。闘争から二六年が過ぎた現在までのところ、この資料集だけが東大闘争について彼が発した唯一のメッセージである。> 小熊氏はしたり顔で「日本一資料を集め、読破し、総括した」と言っているらしい。 それより、集めた資料集の索引目録集にすべきだったのではないだろうか? 手っ取り早く金や名声を求めたのだろうか? それとも人心を惑わす為の隠された意図があるのか? 続く
V 「総括」を検証 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)21時41分35秒 引用 <一九九五年「戦後50年その時日本は」というシリーズ企画の一回で、 「私たちは全共闘とはなんであったか、それが戦後史に何を残したかを問うことをやめ、学生たちが時代に対し、闘争の局面に対し何を感じ、どう判断してきたかを描くことにした。ある意味では価値づけ、「総括」を放棄したのである。」>小熊氏は <上記のように、全共闘運動を中心とする「あの時代」の叛乱を位置づけることは、非常に困難だった。本書は、NHK取材班が「放棄」したテーマ、すなわち「あの時代」の叛乱が「なんであったか」「戦後史に何を残したか」をあえて主題とし、「総括」を試みるものである。> <本書で記述するように、彼らの叛乱は政治運動としては、およそ未熟なものだった。いわゆる「全共闘世代」の人びとに、若い時代を懐かしんでもらうのが目的なら、社会科学的な検証など必要ない。また本書は、彼らの叛乱の未熟さや稚拙さにも言及するから、おそらく「あの時代」を美しい思い出としたい読者の期待には沿わないだろう。> 社会科学的な? 検証?? 「人の集めた」・「死んだ標本」で??? 「総括」を試みる!!! 新しい歴史を創りだそうと思っているかもしれないが、噂を集めた「1968見聞録」に過ぎない。 むしろ、駒場祭の「見聞伝」の方が生身の人間に直接取材を試みている分「実証的」である。 小熊氏の言葉を借れば 本書は、「未熟」で「稚拙」な「メタボ本」と総括できるだろう。 続く
U 個別の検証 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月20日(火)21時40分53秒 長くなるが引用 1 <全共闘運動が発生した原因として、「小中学生時代に戦後民主主義の理想的教育をうけた彼らが、その後の受験競争に罪悪感を抱き、また大学のマスプロ教育に失望したこと」「日本が発展途上国だった時代に幼少期をすごした彼らが、高度成長の結果として先進国となった日本社会に違和感を感じ、また『豊かな社会』特有の『現代的悩み』を抱いていたこと」をあげている。また、ベビーブーマー世代が同様に学生運動を起こした欧米諸国と比して、日本の全共闘世代でその後、政治活動に関わった者が少ない理由として、「急速な勢いで先進国化した日本においては、学生運動は『政治運動』ではなく『自己表現』であったためではないか」としている。> 2 <もっとも小熊英二の、「権力の悪に対して純粋な正義感から反抗を開始したが、体制の厚い壁の前に挫折を余儀なくされ、ついには「連合赤軍事件(1972)をシンボリックな頂点とする「内ゲバ」によって自壊していった」」という、いわゆる「「自分」を探して「自分」を表現」しようとするが「挫折」した、という疎外論に集約させる視点(そこにおいて、その「典型像」として田中美津が「不可避的なターゲット」となっている)および心理主義的手法は「今なお多くのものを規定している通念にすぎない」」という意見もある。> 3 <小熊の当書は、「「戦後民主主義の救済と再論のためのパラダイム創出を目的意識としている」がゆえに、「事実誤認や独断が少なからず存在」し、「一つの立場から記述される論理的構成は資料の文脈を横領」してい、またその全共闘運動と新左翼運動についての資料駆使は、「既刊資料による記述とそこで明らかにされてきた事実経過を出ている」わけではなく、「当事者に対する対面的な責任がかかる」「文字資料を裏づける聞き取りが不足」」しているという評もある。> <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%85%B1%E9%97%98> 検証 1 (私の育った田舎では) 『高度成長の最盛期であり、貧困は解決されつつある』時期は、私の学生時代よりも後である。 団塊の世代が「髪の毛を切って」就職して、「企業戦士」になってからだろう。 『豊かな社会』は物質ではなく、自然環境であった。 「物質文明」と「精神文明」の衝突であり、 米帝「追従」か?「独立」か!の対立であった。 「家畜人」になるか「自由人」であり続けるか?の選択であり、大きな時代の転換期であった。 『その後、政治活動に関わった者が少ない理由』は日本が米帝の植民地状態にあり、盲目的追従している事にある。 つまり、政治家はアメリカの言いなりになっていれば良かった。 民主主義とは名ばかりで民度が低かったからだろう。 『政治』とは自己の意思決定である。これは『自己表現』であり分離できるモノではない。 政治家・政治屋・政治業は少ないが、活動家は多くいる。 骨の髄まで軍国主義の教員が敗戦を機に『理想的』教育を行う? 「戦後民主主義」は統合失調症患者により創られたのだろうか? それでも日大は今でも戦前教育が色濃く残っている。 もしも、『現代的悩み』であるならば、どうして今の学生達は叛乱を起さないのか? 慶応で学生運動が起こらないのは理想とかけ離れた教育が行われているからだろうか? 2 『正義感と自己の確立』は、その通りだ。 だが、日大全共斗では内ゲバ、ましてや連合赤軍と関連性は全く無い。 ここに読者を迷宮に誘い込む罠が仕掛けられている。 『挫折』あるい「転向・逃避」なのか? 「はしか」「ファッション」の批判も在る。 しかし、日大全共斗・私は違う。 3 『小熊史観』についてはWの山本義隆氏の68−69を記録する会で後述する。 続く 嗚呼 共演者が‥ 投稿者:軟弱銀ヘル
投稿日:2009年10月20日(火)16時10分21秒 加藤和彦さんが亡くなられましたが、先年、元東大全共闘の小阪修平さんも亡くなりました。お2人とも日大全共闘の、NHKテレビでの『共演者』でした。ちょっと淋しいです。 68年当時、「悲しくてやりきれない」を口ずさみながら、デモに行ったものでした。私にとっては、けっこう愛唱歌でした。この歌を歌うと、なぜか下高井戸の定食屋を思い出します。
パクリ確認 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月19日(月)20時05分9秒 今日はTV三昧。 10分30秒過ぎ。 1・18−19の映像の中にアジってる場面が一瞬。 午後から小熊教授「1968」の書評を斜め読み。 最近の「若いモン」は何を考えてるんだとブツクサ。
ヒノデハヤマガタ 投稿者:文理\(~o~)/学科 投稿日:2009年10月19日(月)03時23分47秒 今山形市にいます。ヒノデハヤマガタとは山下軍団がマレー半島上陸の暗号です。ま、そんなことはどうでもよいのですが、日大文理学科史学科の仲間と邂逅できました。 複数の人と会ったのですが「日大闘争は今も自分の中にある」という発言に、さらに「文理の隊列は法学・経済と並んで最強だった」という発言に、彼らのその後の生き方が凝縮されていました。私と彼らがタイムスリップしてしまいました。よくよく考えて見ますと、日大闘争はポン大生の生き方を転換するそういう重さがあると思います。 9・30の会で提起された第二次「叛バリ」の話をしますと「お前もしつこいな」といわれましたが「我々と私の歴史の記述の必要性」を展開すると、「そうだよな」という答えがあります。マルクスもレーニンもおよそ関係ないポン大生が立ちあがり、人生を決めるということが当時の決定的な選択だったと思います。そう思うと文理の決起は大衆的な決起であり、さらに一人一人が重い人生を自分なりに歩んでいたということが、実感としてわかります。
なんども、なんども 投稿者:藪 投稿日:2009年10月17日(土)21時06分54秒 管理人さん、こんばんは 往ったり来たりしてました。面映ゆく感激したりして。 私に 有難う じゃなくて、おそらく絶対に 日大全共斗に顔を突っ込んだ管理人さん、そして圧倒的な学友さんの思いと闘いの力だと。 あの頃、あの時期から、今も党派性を超えて敬意を表してるという思いだと。 めちゃくちゃ勝手に解釈してます。 ps:senkuさん、かってに紹介させていただきました。 もしも、お怒りでしたら私に責があります。 1968管理人さんには責がありませんので、ここで言わせて戴きます。 ありがとうございましたm(__)m
生きてく燃料…。 投稿者:文理\(^o^)/学科 投稿日:2009年10月15日(木)21時54分12秒 ティム・オブライエン「世界のすべての七月」村上春樹訳で、訳者の村上により下記の「あとがき」がある。1969年に大学を卒業した人たちが集まり、さまざまな生き方を語る、という小説だ。以下抜粋し紹介したい。 お読みになっていただければわかるように、『世界のすべての七月』は群像劇である。様々な過去を背負った人々が大学の同窓会に集まり、そこで一人ひとりの物語が語られていく。六〇年代に波瀾万丈の、あるいは華やかな青春を送った人々も、今や五十代半ばを迎え、それぞれに人生に幻滅し、企てに挫折し、精神的にすり減り、それでもなんとか人生を仕切り直し、モラルや目的を立て直そうと試みている。決して見通しは明るくないけれど(そして何人かは既に人生を唐突に終えてしまったけれど)、それでもそこには決然とした「集合的意欲」のようなものがうかがえる。
そして人々は生き続けるために、燃料としての記憶を切実に必要としている。 私は「燃料としての記憶」という言葉に感動している。記憶には嫌な記憶もあるだろう。忘れてしまいたいことも多いはずだ。だがそれをも含めて「生きていく燃料」を燃やし続けたい。。。
トリはご存知の千両役者 投稿者:管理人 投稿日:2009年10月15日(木)17時35分23秒 藪さん、有難う。 ↓ トリの部分、 泣き虫親爺が、またまた泣けました。
ここにも1968が 投稿者:藪 投稿日:2009年10月14日(水)18時31分20秒 http://www014.upp.so-net.ne.jp/senku/09-9-todai.pdf 多くは言いません、読んでみてくださいね。 しかもトリは日大全共斗で締めの言葉は、言わずと知れた…さんです(^^)
沖縄・高江から・・・・。 投稿者:大木晴子 投稿日:2009年10月13日(火)01時08分25秒 沖縄の高江で闘っている皆さんからの声を掲載しました。 訪ねて読んでください。 そして、温かい眼差しを向けて、見つめていてください。 http://seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=flat&topic_id=1238&forum=1 http://www.seiko-jiro.net/ 確認しました 投稿者:JUN
投稿日:2009年10月 8日(木)09時39分41秒 台風は足早に通過しつつあるようで、雨の勢いは納まってきました。 皆さんの所は、大丈夫ですか? >連合赤軍の中にも「日大闘争の記録がパクリ」の未確認情報 と、ラッパさんが吼えていたので「実録・連合赤軍」を再生し調べました。 結果は、添付キャプチャー画像のように、クレジットが入っています。 「68-69日大全共闘経済学部闘争委員会OB有志」とか「日大経済学部学生会執行部有志」とかのクレジットも入っていますが、これは映画館では気づかなかった。大体想像はつくんだが、書かない方がいいでしょう。 というわけでラッパの大将閣下、確認させて頂きました。以上、報告終わり。 そういえば 投稿者:70年代後半
投稿日:2009年10月 8日(木)08時27分24秒 >40年経って、いろんな人が「1968」を語り始めました。歌い始めました。…JUNさんの書き込みより そういえば、2007年暮れに、日本フォーク黎明期から歌い続けているミュージシャンが集まったコンサートがあり、加藤さんは、そのサプライズゲストとして最後に登場しました。 ほろ酔い加減の加藤さんは、曲中、次のようなことを語りました。「あの頃、私たち、燃えたわよね」「でも、いまでも変わっていないことも多いと思うの」「だから、私たちは、闘わないといけないんじゃない!」 2008年の初頭から、私がこの掲示板に書き込みをさせていただくようになったのは、加藤さんのあのMCに触発されたためなのかもしれません。
嵐の夜に 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月 7日(水)20時50分56秒 台風の進路がNEに。 直撃は無くなった。 雨も小降りで風も無い。 警らを兼ねて散歩してきた。 これから進路にあたる諸君は気をつけて。 雨戸を閉めて、藪さんからの危険物を処理中。 加藤登紀子さんは管理人の熱意に動かされたのだろう。 連合赤軍の中にも「日大闘争の記録がパクリ」の未確認情報。 本物が出さないと事実が歪曲化される。
パクリのパクリ・・・(汗。 投稿者:管理人 投稿日:2009年10月 7日(水)11時39分9秒 私も元々パクリだから云えた義理ではないですが、 「1968PV」に使用されている↓の写真は、「映画ANPO」よりの引用という表示ですが・・・・、 間違いなくここのサイトの写真のパクリのようです(キッパリ。 白山通りのフランスデモの写真は左右2ページの貼り合せですが、私がA4スキャナーで1ページずつスキャンしたもをを継ぎ合わせたため写真の左右で色が違っています。 ページの継ぎ合わせも寸分たがえず同じです。 映画ANPOは私のサイトからパクリ、そして私は日大全共闘や一般の写真集からパクリ。 映画ANPOはどのような引用のインデックスを表示したのでしょうか? 面白いですね、笑ってしまいましょう。 それと、加藤登紀子さんが昨年の「930拡大同窓会」に来たかったいう話を、某プロデュサーからお聞きしたんですが、このPVを観ると本当のようですね。 管理人
続「?」 投稿者:JUN 投稿日:2009年10月 7日(水)08時24分38秒 「1968PV」に、さらに日大全共闘の画像発見。 「?」 投稿者:JUN
投稿日:2009年10月 7日(水)08時07分1秒 連続投稿ご容赦 「1968PV」をDLして、あらためて見たら、こんな画像があった。 服装から推測すると1968年初秋の、農獣医学部キャンパスのようだ。 映画「ANPO」に挿入された画像なのか、「?」。 お登紀さんも「1968」 投稿者:JUN
投稿日:2009年10月 7日(水)07時48分46秒 「1968 by 加藤登紀子」というミニアルバム(マキシシングルと言うのか?)が、出たようです。 40年経って、いろんな人が「1968」を語り始めました。歌い始めました。 日大全共闘を直接経験した仲間たちの「記録本」企画も進行中、これは持ち出しばかりで絶対に「商売」にはならないだろうが、完成を願っています。 下の写真は小さくしすぎた。特設ページURL http://tokiko.com/1968/ 参考:YouTube動画 1968PV http://www.youtube.com/watch?v=Ht_BCHZXy7c 1968年から続いている http://www.youtube.com/watch?v=K_8Q8xMyd6g&feature=related カミングアウト 投稿者:文理\(^o^)/学科
投稿日:2009年10月 3日(土)08時39分22秒 私は日大闘争をしていたことを、公然化しています。第一70年代は公安が2名でマンツーマンでした。職場の近くを天皇が通過するだけで上司から「自宅勤務」を命じられた。何故だと上司に聞くと「その筋から指示があった」という。友人と飲み屋に入ると清算の際に「あちら様がお支払いになりました」という。あちら様に「余計な事をするな」というと、「まあまあ悪く思わないでください」という。 とにかくどこに行くにも公安が付いてくる。公安に「邪魔だ」というと「仕事ですから」という。公安に「お前たちのせいで職場で首になったらどうする」というと、警視庁公安2課責任者が私の職場管理者に「彼を首にしないでくれ」と申し入れを行う。したがって 私の場合過去を隠しようがない。無論過去を隠すつもりもないし、当時の仲間や職場で、あるいは組合で堂々と話をしていた。なお、組合では共産党がいて「トロ=スパイ説」を流していたが、公安が組合事務所の入口にいるので、スパイ説は崩壊した。 80年代になると、マンツーマン体制は解けたが何か事件があると(ロケット弾が飛んだり)ガサが自宅に入る。隠すようなものが何にもないので、ガサが終わると「隠し酒びん」が見つかる。当時幼い子供は「面白がって」いたようだ。 90年代から現在まで、ガサは入らないしデカも付いていない。しかし、時折公安の異動などでわざわざ挨拶に来る時がある。また、90年代初め韓国に行ったらソウルの入管のゲートををくぐる際に大騒ぎになった。そこにはブラックリストがあり、私の名前があった。同行した人は「まあしょうがないですね。過去は消せません」というが、人権問題であり日本大使館担当者を空港まで呼びつけ、怒鳴りつけ、なんとかクリアーできた。 現在公安は来ないけど、弁護士によると一度「なんとか台帳」に掲載されると一生ものだそうだ。職場とか仲間内で「何をやったのか」と聞かれると、いろいろあるので詳しいことをいうことはやぶさかではないが面倒くさい。だから「暴力革命で国を転覆しようと企んだ」ということにしている。
「なにか」とは何か? 一つの解 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月 2日(金)20時30分38秒 70年代後半さんの「なにか」の疑問・質問がマスコミの取材の中から良くあります。 「日大全共斗が正義の闘いならどうして(顔・氏名を出して)公表しないのですか?」 「日大斗争とセットで質問されると嫌がる人が多いのですが?」等など。 取材する側としては不思議に思うらしい。 首都圏で取材しても最終的に「ノー」。で、結局空港から3時間。鉄道も高速も無い私のところに廻ってくる。 昨年40年振りにロビン隊長の追悼式で再会した、A子さんやマリアから「昔の仲間と集まるが日大斗争の話しはしない」。 「どうして?どんな話しをするの?」と聞いたら「触れたくない。アングラの演劇の話しをする」と答えがあった。 私はあまり気にしてなかったが翌日ドクトル邸での話の中で解明された。 6時間に渡る抱腹絶倒・波乱万丈・森羅万象に及ぶ大活劇(1本の番組や1冊の本になる)の中で官僚と教育について論が及んだ時。 例によって私が「東大・官僚は馬鹿だ!」と発言。 ドクトルはニコリと笑って「日大は全開できる馬鹿で良いよな〜」 ??? Dr「東大に入学する奴は幼少の頃より図抜けている。色々な能力が有る内、上の者(先生や答案作成者)が何を望んでいるかを見抜き、合わせる事に長けている。 組織に合わせる為、能力を切り捨ててきた。それがTOPになり合わせるべき者が無くなった時暴走する。」 これは、戦前の軍部の暴走と同じことだろう。 東大官僚の暴走が日本を破滅の渕に追い込んだ。 宦官 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A6%E5%AE%98 や纏足 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%8F%E8%B6%B3 に近い感覚だろうか? さらにDrは「切り捨てた能力に触れられたくないので、全共闘の集まりは無いし話しもしない。」 個人的には能力の一番小さいところでしか活躍できない秀才達を哀れむが 「權門上に驕れども 國を憂うる誠なし」では天誅を下すしかないだろう。 つまり、話さない話せないのはトラウマ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7 で一つのきっかけがあれば解消できる。 Drの言う「全開できる」は日大全共斗が天才 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D の集まりだと褒めていると強引に解釈したのだが。 日大全共斗はバガボンド(放浪者)で議長が『天才バカボン』なのだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3 結論。 トラウマを乗り越える時、自己否定と自己肯定を繰り返し、やがて白黒に分離し、問題点が明確になり、饒舌なまでに話し出す。 これを発見者に因み「シマウマ効果」と命名しよう。
八ッ場ダム・・ 投稿者:文理\(^o^)/学科 投稿日:2009年10月 2日(金)15時18分40秒 私は個人的に八ッ場ダム関係者に知り合いが多いのです。日本で一つしかない測量専攻課程がある群馬高専は、ダム計画に近くの「中之条」にあります。そこで、60年代後半から70年にかけて白ヘルの学生たちのダム反対運動もありました。動員数もかなりあったのです。 無論町あげての反対運動です。しかし、80年代から自民党ごろつき政治家が金と権力にものを言わせ、反対運動に切り崩しをしてきました。反対運動を継続する人は「国賊」「アカ」とレッテルをはぎ、家族・親戚などの分断をしてきました。県の自民党ボス、町の使い走りの議員、土建屋、ヤクザなどを動員し脅かしてきました。 マスコミはそういう実態を伝えません。今でも反対派が住民の36%を占めています。それをマスコミは無視して報道しています。さらにこの期に及んで、補償額と損害賠償額目当てに賛成派はうごめいています。無論利権屋と自民党やごろつきです。 今、当地は怒りを自民党県連とその手先に向いています。住民は「翻弄された」という報道ですが「誰に翻弄されたのか」を明らかにしています。現在の町長であり自民党県連であり、土建屋であり、利権屋であることを明確にしています。民主党マニフェクトがあたかも問題であるような情報操作も見抜いています。 そういうことが全国的に徹底すれば、悪しき利権政治も一掃されるでしょう。中途な形で終わればまた利権政治が出てきます。 http://yamba-net.org/ 藪さん、こんばんは 投稿者:70年代後半
投稿日:2009年10月 1日(木)22時38分39秒 >日大法闘委でやってた従姉の連れ合いさんが、未だに気持ちを表せないってのに ほんと、そのあたりに「68」の本質を探る「鍵」がある気がします。 >あの時代、私等の側で最前線に立った同志が、今の政治の舞台で余りにも少ない事 >私が云うのも何だが、あの時代、最前線に突き出た者が背負ったものはそれほどまでに重いのだろうか …09.10 管理人さんの日記より このあたりとも、重なる大切な「なにか」があるのです、きっと! >このままでは誤った記録が残されてしまう! >真実の姿は自ら語るしかないし、今しかない! 闘う不良隊長に続くしか、私らの道はありません、よね!
八ッ場ダム再開発計画 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月 1日(木)21時22分44秒 ダムはムダ! これは官邸ならぬミズスマシ邸での決定。 八ッ場ダムは私の生まれた年に計画された。 だが計画発表以降、当然ながら頑強なダム建設反対運動が起きた。 建設により環境破壊を引き起こす。 やがてダム底に砂礫が溜り機能を失う。 この死水を排出すれば下流だけでなく海の生物まで死滅するだろう。 ダム事業は2度目の計画変更を行い事業費が2100億円から4600億円に上昇。 建設事業費に基金事業費、起債の利息も含めると総額8800億円になるという試算を 示し文字通り日本のダムの歴史上最も高額なダム計画=「ムダな公共事業」である。 国土交通省からのOB天下りが事業落札に絡み37社の企業に国交省から52人、 随意契約業者57社に99人、7つの公益法人に25人が天下っていて政官業癒着の典型である。 ダムが完成した後の新たな観光地として年間約57万人に達する見込みは 机上の空論にしか過ぎない。 川原湯温泉の貴重な自然湧出の源泉を活用するにもダムは中止すべきだ。 ではどうするか? 橋脚を観光の目玉にする。 エレベーターを併設し、空中展望レストランを作る。 橋と橋を揺れる吊橋で結ぶ。 ロッククライム競技場を作る。 巨大露天風呂を作り、バンジージャンプや滑り台で飛び込めるようにする。 立ち退きした土地は観光農園又は分譲する。 毎年2回来れば名誉村民に登録する。 子供達に愚かな政策の行く末を教育する。 周りに植林をして緑のダムを作る。 木々からバイオ燃料を作る。 私が大統領なら環境・教育の場として再開発する。 全共斗の妻達 投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年10月 1日(木)13時03分7秒 新版「叛逆のバリケード」の企画の時に叛バリさんに冗談で言いました。(笑 愛妻は日大だけでなく、東大・安田講堂組の奥方3人程と色々話しをして「妻達の全共斗」を形成しているようで。 しかし、私が閉篭もりで家の中では無口で、外弁慶なのを公表されると困る(笑
芸斗委活動者会議 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年10月 1日(木)12時40分24秒 最近継接ぎだらけの似非・全共闘本が出回っているらしい。 このままでは誤った記録が残されてしまう! 真実の姿は自ら語るしかないし、今しかない! 芸斗委を語るにしても行動隊が全てではない。 有名?なのは、斗う記録隊が映像を残しているからだ。 更に重要なのは、サポートする救対・食対・情報。 右翼・機動隊から身を守るバリケード構築隊。 ヘルメット・ゲバ棒のデザイナーがいた。 アジびら・立看板。 書記局や学部間連絡など。 それぞれの視点で語れば膨大な物語を紡ぐ事が出来る。 東大遠征も幾度かあり、11・22だけでなく、あかつき部隊とゲバルト。 安田講堂を頑強な要塞にした工兵隊は理工主体だと言われているが実態は不明。 郡山・京都まで遠征している。 委員長が2年掛けてまとめた「新聞報道に見る日大闘争」(118P) 発行 68・69日大闘争アーカイブス と新たな映画と写真で真実の扉を開く・・・と言う議論の場だったが。 やはり芸斗委。話しが爆発してしまう(笑 私が「芸斗委は天才が多いから」と言うと 委員長が「天災は君だけだ」・・・ それって、人災かよ???
お礼 投稿者:80年代メール 投稿日:2009年10月 1日(木)00時24分39秒 日大全共闘各位 先日は、楽しいひと時にご招待いただいた上に、2Fバルコニーから水すまし先輩のエールとともにカンパまでいただき、ありがとうございました。 元気をいただいて、闘争勝利をあらためて決意いたしました。 同僚女史は、聞き書きがライフワークですが、「極道の妻」ならぬ「日大全共闘の妻?」への聞き書きに興味をもった様子です。 ラッパさんの企画?でしょうか… 70年代さん、こんばんは 投稿者:藪
投稿日:2009年10月 1日(木)00時03分28秒 >もて余していたのだ 個別的にいうなら日大法闘委でやってた従姉の連れ合いさんが、未だに気持ちを表せないってのに、なんでお前が「断言」できるのだ!っての・です。「のだ」なんて言うな!です。ヒンシュク買うかもしれないけど率直な感想です。じゃ70年代の私も「もて余していた」のかよ・・・なんてね。*もまた*で括ってほしくないし。 あの本が図書館にあったので、だらだら読みましたの。つまんない本でした。史料としてなら「新左翼運動全史」のほが絶対ましですしね。 >「時代の誤読」 ほんとうにそのとおりだと思います。あんなの読む前に「叛バリ」読まなかったのでしょうかね。分かったふりしてなんにもねぇ、などと。やっぱり笑います。
世代を見通す老人を使え・・・島 泰三 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年 9月30日(水)20時33分47秒 現代の人間は生涯80年のうち、最初の20年間は親に扶養され、 40年間働いた後に、最後の20年間は社会に扶養される存在になっている。 地球上に多くの生き物が存続してきたが、 生涯の半分しか働かないで生きていけるのは、現代の人間だけである。視野の狭い若者に広い視野から物事を言う年寄りになれ。 若者は気骨のあるうっとうしいジジイの世代を突き破れ。 戦後壊れたコミュニティ再構築せよ。 http://bizboard.nikkeibp.co.jp/kijiken/summary/20090810/NB1503H_1497896a.html http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090806/201902/
激動の1週間 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年 9月29日(火)21時54分8秒 22 極秘・・・・ 23 ・・・・・・夕方。利根川解放戦線
。病み上がりのaagh宅にて日付変更まで活動者会議。 24 秋葉解放区 最新情報を収集。午前2時/ みずすまし 25 新宿解放区 ・夜。芸斗委+活動者会議。午前2時半/
みずすまし 26 早朝より打ち合わせ。上野動物園 夕方、ドクトルと安田講堂進入。23時まで 27 上野博物館巡り。 午後 930 17時、早く終わった。二次会はオープン前で残念ながらに「クラクラ」に行けず。淡水会の案内で近場。K氏取材で遅くなり近場で23時まで。 28 芸術学部工事中のためかフリーパス。 桜はなくなっている。敷地が広くなっている。設備が充実している。 唯一現存するは「中講堂」のみ。現在の工事が終われば解体。 この辺に居ただろう位置で記念写真。 学食で早い昼飯。 「国立国会図書館」に行くも時間切れで空港に向かう。 本が出てくるまでに20〜30分掛かる。一日掛かりでないと 仕事も金も無くなるが、自由が手に入る。 不良隊長は良いが体調不良には気をつけて。 しばらくは原稿整理に入ります。 同志諸君も原稿は早めに。 ina田舎の市民デモ 投稿者:amanoya
投稿日:2009年 9月28日(月)06時25分44秒 市営保育所閉鎖・学校の統廃合・消防署統廃合にNO!!!!!!!!! 権力に逆らうのは、泥棒より悪い。 そんな田舎での出来事。 27日2時、裏切り者市長にNOを突きつける市民集会が始まった。 地元の共産党系の集会と思いきや、しっかり普通のオバサンたちが仕切っていた。 垂れ流しの無駄使いには蓋。お金が無いからと学校・保育所、挙句の果てに消防署まで統廃合。これに抗し、保育所に子供を預けている、若いお母さんたちが立ち上がったのが半年前。消防署と合わせて二万名以上の反対署名を集め、議会に請願。紹介議員は、共産党5名、民主党3名。共産党市議団の弁は、民共共闘だそうだ。 消防署の件は今回の市議会上程は無し。先送りとなった。 しかし保育所関係は、文教委員会で市長派の市議によって不採択にされた。 ついに切れたお母さんたちは、もっと広く市民に知らせようと、デモ行進を決行。 土田・日石フレームアップ 投稿者:文理\(^o^)/学科
投稿日:2009年 9月27日(日)21時16分13秒 土田・日石事件のフレームアップがありました。これに関する問題を以下に記します。 荒岱介の自伝『破天荒伝』より以下引用 その時期、私を中心に命がけの闘争をしてきたはずの戦旗派も、内ゲバのような分裂の兆候を見せはじめていた。当初は病床にあった私に代わって組織を指導していた部分が、軍事組織の見切り発車的な武装闘争を押さえられなかった問題に端を発していた。 私は仕方なく、強引に軍事組織を解散させた。第二次ブント末期のRG組織や赤軍派の例にもみられるとおり、武器を待った軍事組織は、つねに軍隊固有の論理で独自化してしまう傾向も持つ。私たちの組織の分裂劇の真相は新左翼運動の中でも謎とされている。このあたりは今でも多くを書けない暗闇の部分がある。私は病床にあったのでわからない部分も多い。その当時の人間が墓場まで持っていくべきことなのかもしれない。以上引用終わり。 さらにWikipediaの共産主義者同盟では以下の記述がある。 ブント戦旗派の地下軍事組織が爆弾闘争を行い(黒ヘルグループが冤罪で逮捕された事件)
、その総括をめぐって、戦旗荒派と戦旗西田派に分裂する。
この場合黒ヘルグープルというのは、広い意味でノンセクトグループであり、黒ヘルを被っていたのではない。冤罪で爆弾闘争といえば、土田・日石以外にいない。もう少し踏み込むと、道庁爆破では大森さんが無罪を主張しているほかに、爆弾闘争で闇にしまっているのは土田・日石である。また、土田の場合、当時の土田の職責である警視庁警務部長宅に小包爆弾が配達され、それにより土田の奥さんが死亡した事件である。これについてどの団体も声明を公表していない。それは指導部を含んで死刑を宣告される事件であるからだと思う。実際に一審では、増渕さんには死刑が宣告されている。それ後裁判で実行者の証言と、逆にノンセクトグループには物証はなくアリバイもあるという状況であり、フレームアップであることは確定している。 また、「事件の数ヵ月後に戦旗派は火炎ビン闘争を行い100人以上が逮捕されています。その際に警察に自供した者がいたらしい。すでにノンセクトグループをデッチ上げ逮捕していた警察は、メンツもあって戦旗派に本格的な捜査の手を伸ばしませんでした(北のりゆき「遊撃インターネット26」)」。という戦旗派シンパの意見もあります。http://www.sepia.dti.ne.jp/yuugeki-internet/zakki026.htm
amanoyaさんへ 投稿者:藪 投稿日:2009年 9月25日(金)23時11分14秒 孫はまだ出来ていません、たぶん(^^) >私もニヤケテいます。 メチャクチャ気持ち悪いですわよ。鏡をみて修正してくださいませ。 それでも頑張ってください。しかもお体を労わりつつ。 ムチャはいけませんですよ。ここはマジです(^^ゞ
薮さんの嗤う顔想像ーーーーー 投稿者:amanoya 投稿日:2009年 9月25日(金)11時21分47秒 まさか孫でも出来たのか? おめでとう。 27日は地元の日凶系の集会デモに参加します。 軒先を借りて、母屋を乗っ取る計画です。 当地では市民レベルの政治集会デモは、我々の方が先に慣行。 日共系は二番目です。 私もニヤケテいます。 写真は当日撒く予定のビラです。 「時代の誤読」を正したい 投稿者:70年代後半
投稿日:2009年 9月25日(金)06時26分5秒 「THE BIG ISSUE」の連載コラムで、雨宮処凛さんが、『1968(小熊英二著)』についてふれていた。 「彼ら(=1968当時の若者)もまた、現代の若者に通じるような『生きづらさ』『生きている実感のなさ』『自分の無力感』のようなものをもて余していたのだ」と、「本」を読んでの感想として、やや興奮気味に書いていた。 どんな時代にでも、若者には「生きづらさ」はあるだろう。 でも、「1968」について、そこに本質があると矮小化してしまうのは、やはり違う!…と、(もちろん、私は当時を何ほどをも知らない者ながら…)思った。 そんな「時代の誤読」(…あの「本」は正しく読むと、この「時代の誤読」にたどり着くように書かれているので、タチが悪い!)の波及を、なんとか撃退できないものか!と、強く願っていたら…、 その誤りを正す!動きについての、嬉しいmailが、My
Dear Y氏から!一昨日夜届いていた。 私も(微力ながら)、お役に立つことがあればさせていただきたいと、思わず志願の返信をした。 なんだかしれませんが 投稿者:藪
投稿日:2009年 9月23日(水)22時30分36秒 嬉しい夜です。 なんで嬉しくて気持ちの良い夜になったのかはナイショです。 ニヘラ笑いの私が、、、。たまにはいてもいいでしょ?なんて。 わが友にはこれからメールしますの。おほほ(^^)
チョッカイである 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年 9月12日(土)21時29分40秒 先日「全国障害者福祉協会」と名乗る団体から、高額な書籍を当NPOへ送付したいと電話があった。 「障害者支援のための原資にしたい」との事。 慇懃な話し方ですぐその筋とわかった。 下手に出て送りつけたら集金に来る。 支払いを渋ると一転恫喝をする団体だろう。 自慢ではないが当NPOは貧乏である。 2年連続で10万円捻出しているが二万九千円の本等買えない。 地元の顔の見えるショウガイシャを支援するのが精一杯だ。 弱者を食い物にする団体はこれだ! http://www.jeed.or.jp/information/info08.html http://www.yumenara.com/kaku/data_html/114378911620.html
>チョッカイではない 投稿者:藪 投稿日:2009年 9月 5日(土)22時57分24秒 よく分かってますわよ(^^) でも、よかったですね。 どんな顔をして新聞を持ってきて、もらったのかな。 テレ顔を呑みこんだニコ笑顔で?それとも謹厳実直笑顔で? 管理人さん、ほんとによかったですね\(^o^)/
問題はこれから・・ 投稿者:文理\(^o^)/学科 投稿日:2009年 9月 5日(土)15時21分54秒 8月24日に盲腸炎と腹膜炎併発で緊急入院、緊急手術となりました。その後、25日には歩行訓練が始まり、8月30日には流動食となり、9月3日には退院しました。 選挙には行けない状態ですが、テレビと新聞で一部始終流れを確認しています。民主党が勝利はまずは良しでしょう。また、民主党内右翼の西村の落選も良しでしょう。 だが、日米同盟という冷戦時代からの構造は日本に長期債務800兆円以上の債権国がアメリカで、またアメリカの債務国が日本という構造を作り上げている。この経済関係がどうにもこうにもならない。アメリカの不況と日本の不況は関連性が高い。アメリカの地方自治体も経済的に行きず詰まり、カリフォルニアでは大麻とかコカインを合法化しそこから税収を得るまで進行している。 民主党の歴史的勝利の展望は政策の実行だが、例えば地方分権化の結果地方の疲弊は深刻化し、国からの補助金なしには生活ができない。一方で分権化、その一方で金をくれ、という構造も問題だ。このように、ネグレイトしている地方と中央の在り方を見直すことができるだろうか。 官僚主導型の政治はこれも問題であるが、官僚はその道のプロでもあり、それをどのように使いこなせるか、まず官―政―民の癒着と腐敗の温床を一掃する。これを素人の政治家がコントロールできるか。うまくいって当たり前の政治社会で、だめだったら国民の落胆はニヒリズムになるだろう。ダメでもともとは政治社会では通らない。そうならないためにも透明度が高い政府と党の運営が必要だ。ダメならその根拠が見える政治が必要である。 さらに最大の無駄は自衛隊と、在日米軍の維持費である。自衛隊は国土災害防衛隊に縮小し、米軍の日本からの完全撤去である。1機80億のヘリなどいらないし、日本の海上・海運は海上保安庁で十分だ。 これがだめなら国民は絶望し、そうなれば幸福党のようなファシズムが出てくる温床となる。
民主党は全共斗?それとも全学連? 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年 9月 3日(木)21時19分36秒 民主党は、自由民主党の派閥と比較すると、緩やかな組織であり、明確にグループ分けができるものではなく、1人が2つ以上のグループに多重所属している場合も多い一方で、無派閥議員の割合も高い。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%B4%BE%E9%96%A5寄せ集めでサークル的だと言われている。 学部で独自性を持ちながら連帯する全共斗に近い感覚だろう。 自民党は上下と金で縛り上げる体育会で全学連に近い?? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%B4%BE%E9%96%A5 民主党がこのままで行ければ良いがそうは往かないだろう。 それは、今まで(望んでいたが)持っていなかった政治権力を手に入れることだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E5%8A%9B http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E6%A8%A9%E5%8A%9B/ 「他者をその意に反してでも服従させるという、支配のための力」は求心力を持つと共に、権力奪取の為の闘争で分裂を招く。 自民党末期に顕在化したように全学連の「内ゲバ」が再現されるだろう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%85%B1%E9%97%98 全国全共闘の総括をどのように活かすか? 各派セクトが自派の勢力の拡張と指導権をとることを優先させると、ノンセクト・ラジカルが組織活動を担わねばならなくなった自己矛盾で自滅した二の舞いになるだろう。 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/sengogakuseiundo_8_2.htm http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090124/sty0901241814004-n3.htm 「八派ふみふみ」 http://marukyo.cosm.co.jp/ZGR/ZGR4.html 宇宙人=鳩山が、バカボン=秋田を超えることができるか? それが問題である。
私たちの暮らしに安心を取り戻し、日本社会に活力を与えるためには、政治はどう変わるべきか。 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年 9月 2日(水)21時22分35秒
意見も異見も違見も 言いたいことは http://www.nhk.or.jp/korekara/ 政権交代しても政治哲学の後退はするな! 投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年 9月 2日(水)18時29分39秒 今回の自民党の敗北は民主党の勝利ではない!オウンゴールだ。 しかも、自民と米国共和党の。 扇動者(米帝の手先=小泉)の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、私利私欲に走る、無統制で無責任、無能力な人間が政治を動かしていくという、いわゆる「衆愚政治」にレッドカードを国民が突きつけた。 国民は当たり前のことを望み、世襲・族議員や利権の分配に群がる輩と肥大する官僚の秘密主義にNOを突きつけた。 日大全共斗が古田体制に石を投げつけたように。 民主主義の哲学とは、諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則を共有することである。 日大全共斗の活動者会議=直接民主主義のように。 なぜ当たり前のことが出来なかったか? 米帝の民主化と民主主義は似て非なるものだからだ。 日本やアジア、最近では湾岸国など、武力制圧で「民主化」させられた国は枚挙にいとまがない。 如何に誤魔化そうとも、「民主化」とは米帝の「支配下」に置かれることと同義語である。 戦後自民党の一党独裁が続いたのも米帝の意向が働いたからだ。 日本が独自性を発揮しようとした時必ず潰されたことは、歴史が証明している。 例えば、田中角栄が中国に接近した時ロッキード疑惑で、細川護熙の連立内閣
は佐川急便で、小沢一郎は西松建設疑惑で追いつめられた。 逆に共和党の子分=自民党を守るため阿漕な真似をしている。 選挙の洗礼なしに禅譲した安倍の繋がる佐藤栄作は造船疑惑を超法規=米帝の圧力で逃れている。 相似形として930の直後の10・1佐藤発言で古田を救済している。 世襲議員の多くが族議員として米帝の利権と結び付いているのは何ら不思議ではない。 米海軍の3代にわたる下請け業=小泉には日本の郵貯を米帝に差し出す代わり過分の選挙応援を受けている。 しかし、鳩山政権はオバマ民主党政権で共和党からチェンジした幸運もあり、CIAが弱小化したため新聞でしか「口撃」されていない。 今回の選挙では国民の感情的な反応=自民党への反発・懲罰でしかないが、政権交代で日本でも民主主義とは何か?が論じ始められようになり、やっと、北朝鮮や中国よりも民主化が進んだ。 自民党の敗北の原因は「議会村の住人」と「国民の乖離」にあった。 餌をくれるご主人様=米帝の顔を窺っているのだから当り前ではあるが、自業自得と言え世界同時不況で下々の者までおこぼれが回らなくなり、騒ぎが大きくなったのは誤算だったろう。 国民は民主党に「全権委任」したわけではない。 「どぶ掃除」と国民の財産である税の徴収・分配の情報公開を徹底できなければ、鉄槌は情け容赦なく振り下ろされるだろう。 議会制民主主義には多くの欠点がある。 代表者と有権者の意思疎通ができる、辻立ち・戸別訪問の「どぶ板選挙」は欠点を補う古くて新しい方法だ。 国民は選挙「剣」の使い方を覚えた。 国民投票と国民発義を活用できるのは間もなくだ。 私は毎週、西口で反戦意思表示です。投稿者:大木晴子
投稿日:2009年 9月 2日(水)07時25分6秒 godzillaさん、文章はしっかりと読んでくださいね。 これでは、私がピースボートに乗っているみたいですね。 乗っていらっしゃるのは鎌田さんです。 2002年に小田実さんや吉川勇一さんそして鎌田慧さんもいた ベトナムの旅を思い出しながら書いたページです。 >それはそれとして。 ・・・からの文章は、鎌田さんにお送りしときます。 http://www.seiko-jiro.net/ 大木晴子さん、「残酷」ではないと思います。投稿者:godzilla
投稿日:2009年 9月 1日(火)23時34分33秒 大木晴子さん、こんばんは。 京都のgodzillaと言います。 ピースボートに乗っておられるんですね。 素晴らしいなって私は思います。 それはそれとして。 >自民党や公明党支持者も乗船しているはずだから、残酷である。 でないと私は思います。 事実は事実。 そして、手を叩いて喜ぶ多くの人がいるのは当然のこと。 全く残酷ではないです。 長年の保守政治の被害者。 具体的に言うと、古くは水俣病の対応から今の薬害問題に至るまでの与党政治の犠牲者の多さ。 それを初めとして、実に多くの人が今の保守政治の無策で命を落としり健康を害したりしてきました。 そうした犠牲は今まで続いた政権党の責任。 そうに思いをはせると、自民や公明の支持者が「嫌な思いをする」なんてことは実に些細なこと。 むしろ、自分たちが支持してきた政党が一体今まで何をしてきたかを問い直す・考え直す機会かと。 でも実際には、支持する政党の正義を信じているでしょうからそうはならない可能性が極めて高いですが。 >来年五月から、国民投票法が施行され、三分の二以上の賛成で >「改正発議」が可能になる。傲慢自民党は拒否された。 >民主党はその轍を踏まず、民意を大事にしてほしい。(ルポライター) 全面的に賛意を表します。 憲法9条を変えるような政治は、絶対に有権者の半分以上は望んでいませんもの。 その根拠は、私の身の回りの人に尋ねてみた結果から。 思想信条は全く無関係で、9条を変えることに賛成する人は極めて少数です。
2ラウンドまで 投稿者:管理人 投稿日:2009年 9月 1日(火)22時37分50秒 ここでの応酬は2ラウンドまで、 それ以上は管理者が認めません。 そういう事で、 よろしく。
ええっ!藪さん投稿者:70年代後半 投稿日:2009年 9月 1日(火)22時21分1秒 藪さんも、中津川に行かれたのですか。 じつは、私も(はるばる!)行ったんです。 う〜ん、残念! あの土砂降りのなか すれ違ったのかも知れないのにぃ。 >中津川の遠藤賢司は最高でしたよ! ホント!最高でしたね!!
ちなみに 新曲を歌い終えた後 「いまのは、『歌う水平社宣言』と思ってください」のコメントに、 いち早く拍手を送ったのは、私たち夫婦です。 三島について >至誠の全共闘の前ではぐうの音も出なかったでしょうし。 >玩具の兵隊さんなんての発想は潰されてしまったでしょうね。 そう思います。(深く納得!)
鎌田慧さん『おごるなかれ』東京新聞「本音のコラム」 投稿者:大木晴子 投稿日:2009年 9月 1日(火)22時13分36秒 大木晴子です。 9月1日、朝刊に掲載されたものです。 今度の選挙結果、私も同じ気持ちでいます。 これから多くの文化人、知識人の皆さんがこのような想いを 機会あるごとに語り、書き意思表示をしてほしいと思います。 『おごるなかれ』 鎌田慧 期日前投票をすませてピースボートに乗った。最初の寄港地ダナン(ベトナム)着岸の前に、スタッフのパソコンから、スクリーンに映しだされる開票速報をみていた。 乗客たちは、自民党の大物政治家たちの落選が報じられると、手を叩いて喜んでいた。記憶に残る歴史的瞬間だが、自民党や公明党支持者も乗船しているはずだから、残酷である。
民主党の議席が三百を超えたころから、不安を感じるようになった。わたしは自民党政権の崩壊を確信してきたものだが、連立政権こそが理想的だと考えてい る。民主単独政権になると、選挙協力をしてきた、かつての野党仲間の主張に耳を貸さなくなってしまわないか、との不安である。 共同通信社が行っ
た立候補者へのアンケートによると、民主党候補の53%強が、憲法改定に賛成だった(自民党は89%)鳩山代表以下、党の幹部に改憲派が多く、先制攻撃論 や集団的自衛権行使論者もいる。それに不安を感じながらも、民主党に投票したひとたちは、それよりも自民党へ憤りが強く、下野させたのはいいが、9条を変
えられたら元も子もない。 来年五月から、国民投票法が施行され、三分の二以上の賛成で「改正発議」が可能になる。傲慢自民党は拒否された。民主党はその轍を踏まず、民意を大事にしてほしい。(ルポライター) http://seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=flat&topic_id=1200&forum=1 http://www.seiko-jiro.net/ amanoyaさん 投稿者:通りすがり
投稿日:2009年 9月 1日(火)21時04分51秒 大きな勘違いをされていると思いますので、書いておきます。 おいらは、生きざまはアナキスト、戦略はアンドレ・ゴルツと思って下さいw マルクスなんて青春の青いかけらですw 人それぞれに思いを込めた位相は、違うと思います。 爺ちゃん・婆ちゃんを批判の対象に持ち出していますが、それは、僕も含めて貴方も如何に運動にコミット出来なかったという証左だと思っていますよw 正直、自民党より民主党の方が、個別法案(在日外国人の問題とか)が良い方向に法制化されるかも・・・という、期待くらいしかないです。 通りすがりさん投稿者:amanoyaメール
投稿日:2009年 9月 1日(火)08時44分12秒 ≫おいらは、今でも議会制民主主義を認めていません。 認める認めないは、あなたの勝手でしょう。 車椅子の爺ちゃんが、膝の上に置いていたのは一発の爆弾。 孫に手を引かれて投票所にたどり着いたばあちゃんの手の中には、一発の銃弾。 みんな小さな紙切れです。皆紙切れを握り締めて戦ったんです。 みんなマルクスなんか知らない人たちです。 それが、なに悪い!!!!!!!!!! 私は1968.10.1佐藤発言に、やっと対抗出来た思いでいっぱいです。 私の時計は、41年ぶりに動き始めました。 これからのほうが、たいへんそうですけど。
70年代後半さん、こんばんは 投稿者:藪 投稿日:2009年 8月31日(月)22時20分39秒 あいかわらず御連れ合い様のセンスはよろしゅうございます。 今日の晩御飯も美味しかったでしょうね(^^) >(理論派の)私は 女性の直感に理論的反論できるなんて凄い! 私なんて押し切られて・叩きだされて終わりです。無駄な抵抗はやめましたの(T_T) >そしたら自決なんかしなくてすんだのに 日大全共斗と出会っていたら・・・ですよね。そうかもしれません。 至誠の全共闘の前ではぐうの音も出なかったでしょうし。 玩具の兵隊さんなんての発想は潰されてしまったでしょうね。 私はちょっと短絡的に考えていたようです。 >40年来の1ファンとして…。 ご指摘、ありがとうございました。その通りです、。 中津川の遠藤賢司は最高でしたよ! 反感を承知で投稿者:通りすがり
投稿日:2009年 8月31日(月)20時16分31秒 おいらは、今でも議会制民主主義を認めていません。 おいら達が闘ったその地平は、民主党の圧勝の向こう側にあると思っています。 もし、今を謳歌するならかっての闘いを根底から総括し直さなければならないと思います。 より良い国家を選択するのではなくて、新しい国家(=地域)を求めていたと思っています。 頭脳警察が新しいアルバムを出します。 「スパルタクス・インターナショナル・R&R・ブント」と云う曲も入っています。 未だ、その立ち位置を変えないミュージッシャンもいることを忘れないで下さい。 お騒がせしましたw
革命勝利投稿者:amanoyaメール 投稿日:2009年 8月30日(日)21時36分35秒 一票は一発の弾丸となった。 まさに合法的暴力革命だ。 これで日本が変わると期待する。 我が利根川統一戦線のメンバーまでもが、比例区で2名当選。 取手市から、3人の衆議院議員が誕生。 自民党の世襲議員は、落選の模様。
藪さんへ 投稿者:70年代後半 投稿日:2009年 8月29日(土)23時03分3秒 >なんで日大全共斗の巣窟に行かなかったのかな。 >そしたら腹切りも、もっとカッコよかったのに。 三島ファンでもある 私のつれあいは. (私が出入りさせていただくようになって、この掲示板に目を通すようになっての感想として)「三島も東大じゃなく日大行けばよかったのに。そしたら自決なんかしなくてすんだのに」と、いいました。 いつも直感で話す彼女に苛立つ(理論派の)私は、そのときばかりは妙に納得したのでした。 なお、小さな突っ込み えんどうけんじは、遠藤「賢司」です。40年来の1ファンとして…。
日米関係『対等』は日本を支配してきた米国の国益と反する??? 投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年 8月29日(土)11時50分25秒 自民党は50年にわたり、ワシントン主導の外交政策に従ってきたが、民主党では日本の外交姿勢が変化。 http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/20090828-567-OYT1T00931.html 日本の安全保障政策は与党重鎮と高級官僚だけで決めていたが、国民世論が影響するようになり、きっちり主張する国になる。 http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20090819-01.html?C=S アメリカの本音が出てきた(笑
首写真投稿者:藪 投稿日:2009年 8月28日(金)23時58分44秒 三島由紀夫さんのアジテーションは、たしか高校の教員室で聞いた記憶があります。ヘリのバリバリ音やらなんかで聞き取れなかった。次の教員室は連赤でした(^_^;) 遠藤堅司 http://www.youtube.com/watch?v=z2AfJDoMoIg 氏の作品では「豊饒の海」が好きでした、輪廻転生と2・26が。彼が提出した最高作品は彼の首だったのでしょう。最後までテメェの美学を見せつけたかったのかな?彼が東大に行って「議論」を噛まそうとした点で評価する向きもございますが、大向こうを狙う只の貴族趣味?(笑)なんで日大全共斗の巣窟に行かなかったのかな。そしたら腹切りも、もっとカッコよかったのに。 あい×千投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年 8月28日(金)15時04分58秒 うららさん私の行動は国家機密なのでお答えできません。 と、言うよりも前後の記憶が飛んでいます。良くあることです 割腹は昭和四十五年(1970)11月25日 http://www.geocities.jp/kyoketu/6105.html その頃取った資格の記録が残っていました。 1971年取得 危険物・自動車整備士・潜水士など10種類。 受講は1970年だと思う。 どれかの受験で上京中だったと思います。 「変な人」=「先見の明」ですね。 凡人は自分と同程度の人が普通の人だと「思い込み」ます。 当然「先見の明」のあるうららさんは「変な人」です。(ヤバ 「あい」は私の「I」であり「愛」 「×」は「翔る」であり「賭ける」です。 「千」は「千里」であり「多くのもの」を現します。 翻訳すれば 私は愛の為、平和のために千里の道を駆け抜けます。 一応お伺いしたかった投稿者:うらら
投稿日:2009年 8月27日(木)20時45分51秒 久々に失礼します。 ところで、ラッパの小父さんが三島の自害を知ったのは四日市付近だった、ということですが、一体その時、何の用事で、どこへ向かわれている途中だったんですか? http://uraranoura.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_885d.html 三島由紀夫って、ずっと「変な人」だと思い込んでいましたが、ようやく最近になって、「先見の明」のあった人なんだと理解しました。 最近、『偽装農家』という本を読みました。 「平成検地」の必要性を説いています。 面白かったので、ご紹介まで。 http://uraraprep.blogspot.com/2009/08/blog-post_24.html http://uraranoura.cocolog-nifty.com/ 二大政党よりも三つ巴投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年 8月24日(月)23時39分6秒 西洋の一神教的二大政党は中庸の日本にそぐわない。 アメリカの共和党 当初は知識層が支持するなど進歩的であったが、新保守主義の立場を取る中道右派政党になった。 大企業や財界・軍需産業・キリスト教右派・アメリカ中南部の富裕層の保守的な白人層を代弁する政党である。 共和主義者(君主国における君主制廃止論者)であるが、「日の丸・君が代・靖国」の日本の自民党との関係は良好である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%85%9A_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB) これは、アメリカ政府の反共政策に基づいてアメリカ中央情報局
の支援を受け、現在においてもCIAの影響下にあるからだろう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) アメリカ民主党 中道からリベラルの立場を取る。 経済政策に関しては国内の貧困層や弱者,中小企業を救済するため、国内産業保護主義を取る。 外交関係では国際連合(国連)を重視し基本的には国際協調主義を取る。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB) 日本に於いては 大企業や財界・軍需産業・富裕層の保守的な代弁者。=「自民党」 国内の貧困層や弱者,中小企業の代弁者=「民主党」 護憲・平和・環境の共産党と社民党併せて 「共和党」なら天皇制廃止?名称で混乱するかな? 「進歩党」ではどうだろうか 社会党が分裂し、自民党に取り込まれ消滅した愚を繰り返さないように。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%85%9A
政界再編性投稿者:ラッパの大将 投稿日:2009年 8月22日(土)21時39分33秒 Godzillaさんようこそ。 8・30総選挙と9・30向けで慌しく活動しています。 私はのんびりとしていますが(笑 気が早いのですが次の動乱の予想です。 自分党だった自民党は自滅党になってしまった。 民主のオセロ的勝利になるだろう。 小沢一郎は東京大学を志望し、2年間浪人したが断念して、慶應義塾大学経済学部、日本大学大学院法学研究科へと進学した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E 小沢が“裏方宣言”「政権交代できれば満足」 http://www.zakzak.co.jp/top/200908/t2009082102_all.html これが曲者。 「いっしんかい」は只者ではない! 一心会 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BF%83%E4%BC%9A ではなくて、 一新会 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%96%B0%E4%BC%9A 民主党内派閥 http://blogs.yahoo.co.jp/xpwgf012/folder/1448967.html を観れば判るが他の重鎮たちは競って政府に入る。 そうなると党を仕切るのは誰だ? 今回の新人発掘。直前の候補者決定は? 100名近くの新人教育は? イチローだ! 当然、小沢会派に入り、一新会と併せて150の大派閥になるだろう。 そうなれば、”政治は数、数は力” http://blog.goo.ne.jp/universalsoft/e/cba1fc58680ac45966248f6c2be26e35 壊し屋 小沢一郎氏の本領発揮 http://www.chunichi.co.jp/hold/2007/ntok0010/CK2007110802062834.html 大連立に動くのか それとも、 民主中心で改憲・国連主義になるか? 弾き出された自民・民主の右が憲法改正・対米追従・天皇制でまとまるか? 民主の左と共産党。護憲・親中・反戦が頑張ってバランスをとれるのか? 次のインパクトに期待する。 貴方と近い政党は? http://mainichi.jp/select/seiji/eravote/09votematch/etc/?inb=yt
京都のgodzillaと申します投稿者:godzilla 投稿日:2009年 8月19日(水)22時18分0秒 編集済 皆さん方、初めまして。 京都在住のgodzillaと申します。 ラッパの大将さんとの縁で、かつての日大闘争の記録を読ませていただくことができました。 http://www.z930.com/index.html です。 私は今年は例年になく長期の夏季休暇が取れゆっくりとした夏を過ごすことができましたので、存分に日大闘争の記録を読ませていただきました。 その休暇も今日限りなので、今日は未読の部分を全て読みました。 読んでいて血が騒ぎました。 「そこまで熱い闘いだったんだな。」って。 私も同じ世代を生きてきました。 日大の闘いの記録を読む中で、特に次の記述が印象的でした。 機動に検挙された際のこと。、 >それよりも、少し時間が経ち若干気が緩んできて隊員がした話を良く覚えている。 >彼は日大の法学部の2部の勤労学生であるという事。 >学費の一部は警視庁が補助してくれているという事。 >夜間の授業がきついという事。 >しかし授業は早く始まって欲しい、お前たち昼間の学生は恵まれていて甘えている、 >などとぼそぼそと私に言った。 私も二部の学生でした。 18歳で労働者になり、19歳から住民税の天引きをされ始めました。 京都ですので、住民税とは市府民税を指します。 その19歳の私が、若干18歳の時の収入に課税され掠り盗られた府民税で雇われている機動によって、ヘルメット姿で初参加したデモの際に激しい暴行を受けかなりの怪我をしました。 怪我がひどかったので翌日に病院で治療を受けた程。 日大闘争の記録を読んでいて私が一番羨ましいと思ったのは、機動に全力でぶつかっていけたこと。 鉄パイプで機動を成敗するなんて本当にうらやましいです。 私はそこまでする機会はありませんでした。 せいぜい投石。 でも一度だけ、京都地裁前で「昼休みデモ」をしていて、素手の私達デモ隊が気迫で機動を圧倒的に上回り、機動の京都地裁前の「阻止線」であった盾に対する波状的な体当たりで崩壊させたことがあります。 その時、機動は大混乱。 数枚の盾を放置して機動が退却した後の路面には、逃げ遅れた「人間甲虫」がデモ隊に引きずられて路面に横たわっていました。当然ながら、私も「可愛がって」やりました。 機動は退却した後、京都地裁前に新たな阻止線を構築。 でもデモ隊はそれを完全に無視。地裁に突入しようとするような無駄なことはせず、放置された盾を折ろうとしたらぐにゃりと曲がったので「折れんわ」と放置したり、逃げ遅れた機動をひとしきり「可愛がった」あと再度デモを継続し誰一人逮捕されることなく解散地点まで行くことができました。 話を少し戻します。 大学のこと。 私が籍を置いていた大学の自治会はT・U部とも代々木が支配しており、なおかつU部自治会はそれにさらに輪をかけ代々木が強い力を持っていました。 そんな状態だったので、私は大学でのは学生運動はしていませんでした。 していたのは労働運動のほんの一部。 デモをするたびに激しい暴行を受け、私は次第に機動に対する怒りを募らせていきます。 なのに、そんな私が京都で「弾ける」ことができたのは、極めて穏健だった先述の京都地裁前の行動を含めないと、たった一度、 その一度は、祇園解放区・四条通り制圧闘争の時。 多数のデモ隊で祇園石段下が完全に解放区に。 石段下の交番はデモ体によって破壊され、交番の机の引き出しの中身も全て路面にぶちまけられました。 ほとんど「やられっ放し」だった私は、結局その怒りをほ祇園解放区闘争で一部解消しただけで、完全に不完全燃焼のまま来年には還暦を迎えます。 話は変わります。 ラッパの大将さんが書かれています。 大いに納得して読みました。 >民主党が良いとは思わない。 >しかし、自民党は我国を駄目にした。 >ギロチンに架けるべき。 当然ながら私も今回の衆議院選では大きな怒りをぶつけます。 当時の活動仲間だった一人は今では地方議会の議員。 「かつては議会主義粉砕と叫んでいた俺が今では議員や。godzillaはどう思う?」って尋ねられたことがあります。 「いいやんそれで。何の問題もなし。むしろ、どぶ板議員に徹して高得票を目指すべき。」ってアドバイスしました。 今回の選挙。 かつて目の前に現れる最も身近な敵だった「人間甲虫」をずっと操ってきた闇勢力を叩き潰す、 あるいは叩き潰せなくても弱体化させる絶好の機会だと私は考えています。 は〜やく来い来い投票日。 最後に。 立命館大学の学生だった高野悦子さんが苦悩の上鉄道自殺で自らの命を絶ちました。 その際に線路に入ったと思われる京都の「天神踏切跡」の写真を。 写真を写している時に地元の方が家の外に出ておられたので、当時の踏切のことを教えてもらうことができました。 「狭い狭い踏切で、車も通れなかったよ。」ってことでした。 写真に写っているように、今は山陰線は高架化されています。 私は全く知らなかったはずなのに、踏切跡に立つとその当時の苦悩する悦子さんが天神踏切に入る様子がなぜか目に浮かんでくるような気がしてきました。 合掌。 虹のネットワーク 投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年 8月16日(日)22時40分10秒 閉じ篭り症候群の私だが・・・(笑今回の遠征は刺激的だった。 書記長は髷の似合う、骨太。 選挙分析やら今後の展望。 夕方サロン。 最初は1つのテーブルだったが参加者が増えるにつれ拡張。 メンバーは多士済々。 敗戦の記憶がある方が3人。 満鉄と孤児。日中友好の話し。 「個」の無い日本人が誤解される話し。など 写真と環境の話題。 場所を変え居酒屋共和国?に移動。 更にハチャメチャに飛躍する。 空襲経験者と言われたが非常に若い明太子さんと料理の薀蓄。 珍しい教派の牧師さんが料理を運んでくれる。 で、最後に駆けつけたのが新婦ならぬ牧師婦人。 多国籍経験者なので話しがぶっ飛ぶ。 自分が経験したのとは「当たり前」だがそうでない者には想像するしかない。 翌日は長老の紹介を参考に更に移動。 道の駅を梯子しながら最果ての地にたどり着いた。 アネゴは楚々としてチャーミングでした。 百聞は一見に如かず、 百見は一行に如かず、 百行は一考に如かず。 やはり、日大全共斗の経験はどこかの切り貼りではなく斬った張ったの自分の言葉で伝えなくては。 在特会。。投稿者:文理\(^o^)/学科
投稿日:2009年 8月11日(火)20時45分27秒 7月の週末に三鷹市で「親子で平和を考える」展示会が開かれた。党派ではなく(一部にいたかもしれない)そこら辺の親子連れだ中心である。ところが右翼が日の丸・海軍旗を持って登場し、朝鮮人はゴミだ、とか売国奴どもよ恥をしれ、とか喚く。生長の家とかの右翼だ。 警察は「会場防衛」の名目で参加者を締め出す。なすすべをなく、参加者は右翼の暴力におびえる。一言でも文句を言うと、その十倍喚きが帰る。参加者を誰彼ともなく小突き、殴る。このような怒りは久しぶりである。もし、私の手に機関銃があればきっと奴らを殺していただろう。それで死刑になってもかまわないし、第一帝国主義者どもに追従する今の司法に裁く権利はない。 写真はレイバ―ネットより転載しました。 こんなところに投稿者:ラッパの大将
投稿日:2009年 8月10日(月)23時44分51秒 http://www.geocities.jp/godzillagogo/index.html 足跡掲示板
6月15日(月)以降に日大全共斗が紹介されています。http://6621.teacup.com/newgodzilla/bbs まともな感性の持ち主なので荒らさないように。
小熊クンの労作について 投稿者:なのなの勢力メール 投稿日:2009年 8月10日(月)04時23分35秒 読んでいない立場で申し訳ないのですが、彼は、私が学生時代の東大駒場寮の寮委員でありまして、けっこう無茶してきた人です。大学教員をやっている立場もあるので、順当な結論を書かざるを得ないことをおおめに見ていただきたいと思います。自分が無茶を承知でやっている場面で、寮生(大衆)がついてきてくれなかったことが、ある種のトラウマみたいになっているのかな? 酒飲みながら、駒場寮の廊下を密集デモして騒いだことを思い出して、熱いものをぶちまけて欲しいです。
秋田元議長、広島行動で奮闘 投稿者:90年代 投稿日:2009年 8月10日(月)02時53分38秒 秋田元議長、頑張っておられるようです! >感動といえば、日大全共闘の秋田明大さんが会場に来ておられるという紹介があり、立ち >上がり挨拶されたのですが、ちょうど会場の反対側で遠すぎて顔が分からなかったのが残 >念でした。 http://marukyo.cosm.co.jp/forum/data/forum7/200908091634408844.html
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