音ネタ日記 2004年1月より
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管理人日記に綴られた”音楽ネタ”を集めて編集再編したページです。
管理人のささやかな音楽に込める思いを日々綴っています。



■2004.1.15 管理人wrote  森田童子

仲間がパクられら日曜の朝
雨の中をゆがんで走る
やさしい君は それから
変わってしまったネ
さよなら ぼくの ともだち

バックミラーを見ると眼を真っ赤に腫らした顔が映っていた。
朝仕事に向かう車の中で久しぶりに森田童子の歌を聴いた。

この前の休日、グーグルで日大全共闘という検索用語でページにどんどん入っていた。
かなり入っていったところで「東京***記」というホームページを開いた。
JOURNALという日々の思いを綴る2003.5.11に、

「NHKアーカイブスのボブ・デイランの番組を観る。
若き村上龍氏が様々なアーテイストにデイランについてインタビューをしている。
途中からだったので、中山ラビさんの部分は観ることができなかった。
最後に日大全共闘のリーダー、秋田明大氏にもインタビューしている。
村上龍さんは、秋田氏にだけは質問をせず、ただ彼の秋田明大さんへの想いを一言告げにきたのだと言った。
佐世保で闘っていたころの僕にとって、日大闘争を闘ったあなたは英雄でした、と。
秋田明大氏の最後の長い沈黙には、はかりしれない重みがあった。」


と記されていた。
同世代かと思って読み進んでいくと、どうも一回り若い方らしい。
それにしても感性が私たちの世代に近く感じられ”親近感”を持った。

作者は森田童子についてもかなりの思いをそこここに記していた。
私も森田童子の「マザースカイ」というレコードを発売直後に買っていた、昭和50年頃だったと思う。
最近は復刻版のCDを2枚購入した。

熱心なファンにしかられるかもしれないが、彼女の歌っている世界は私の実体験をデフォルメしたものとダブるのだ。
前述の歌を聴くと思いを寄せていた彼女がパクられた記憶がダブってくる。

親近感を感じ、読後の感想などをメールした。
一回り若い世代には森田童子の世界は「夢想」の世界かもしれない。
そんな世代に、私の実体験だと言って割ってはいるとどうなるのか。
余計なメールをしたかも知れないと反省している。


■2004.1.16 管理人wrote  森田童子U

家族が居る時には森田童子の歌は聴かない。
休日の午後、誰もいない時そっと聴く。
聴いていると自然に眼を閉じている。
ワルツのリズムにメランコリックなバイオリンの旋律がのる。
いつの間にか拳を握り締め、歯を喰いしばっている。

赤坂見附、機動隊に殴られながらも延々と続くデモ隊列、
バリケードで知り合った仲間達、
見張り番の夜の焚き火の赤い炎が浮かんでくる。

父よ、母よ、
あなたのいい子でいられなかった僕を
許してください
ぼくは一人でいきてゆきます

(チィチィよハァハァよ)

留置場を出た日、迎えに来た父の悲しげな顔、
涙を浮かべて迎えた母の顔が浮かぶ。
かみ締めた口を緩めるためコーヒーをすする。
思いはスライドのように変わって行く。

ガリ板刷りのアジビラが風に舞う
赤ヘルメットのお前が
ぼくを見つけて手を振った

(球根栽培の唄)

防衛庁に突っ込んで行った同志社の学生、
赤軍から生還した北大生、
いつも何かに悩んでいるような眼をしたバイト仲間のトン女の全共闘、
水俣から上京してきた熊大生、
デモで親しくなった青ヘルの青学の仲間、
安田講堂のてっぺんで微笑んだ東大の女学生。

あの時代は何だったのですか
あのときは何だったのですか
みんな夢でありました
みんな夢でありました
悲しいほどに
ありのままの君とぼくが
ここにいる

(みんな夢でありました)


■2004.1.18 管理人wrote  無題

増殖しゴチャゴチャになったトップページを少し整理した。
コンテンツ毎にページを作り、トップから下ろした。
少しみやすくなったかも(自己満足?)

作業はあがた森魚の「乙女の浪漫」を聴きながら。
「東京***記」というホームページを先週見てから、この手の曲を何故か聴いてしまう。

ないて生きよか
笑って生こか
死んでしまえば
それまでよ
生きてるうちが
花なのね 

(大道芸人)
あがた森魚は赤色エレジーが有名だが私はこの曲、この詩が好きだ。

二日前に掲示板につらい書き込みがあった。
気の弱い?私は、掲示板を一時閉鎖しようかとも悩んだ。
昨日、同じ日大全共闘だった仲間がフォローの書き込みをしてくれた。
ほんと・・、うれしかった。

今日、本人から侘びの直メールが入ってきた。
身近で話せば何でもない無い事が、言葉の行き違いでトラブル。
私も含め直情・行動型の日大全共闘は、爆発的なパワーを持つ反面特にこの点が危ない。
原始的な直接民主主義を体験した私達は、その良さと危なさの両面を知ってるはずなのに。


■2004.1.23 管理人wrote  

1月15日の日記で紹介した「東京***記」のyamamoto(メールアカウント)さんからメールを頂いた。
読後の感想をメールしたのが12日の成人の日。
10日ぐらい立っている。

ナイーブでペーソスがあって、都会的なセンスの溢れるHP。
それに比べ田舎者の私のHPは、いかにも粗野でハードコア。
余計なメールをしたのでは。
返事は来ないだろうな、と思っていた。

メールには、
「もしかすると私は、**様のような方に読んでもらいたくて、 そして、このようなメールをいただきたくて、あのHPを作ったのかも 知れません。果てしない海に瓶詰めの手紙を投げかけるように。」 と記されいた。
私にはもったいない・・・言葉だった。

最後に「森田童子はお好きですか」と問いかけがあった。
ウ〜ん、「好きです」という言葉はふさわしくないですね。
聴きます、のめり込みます、「覚醒剤」です。
30数年前がスライドのように頭の中を駆け巡ります。
副作用も強く、回復には時間が掛かります。


■ 2004.2.10  管理人 wrote

以前、1月15日と23日の管理人日記で紹介した「東京***記」のyamamoto(メールアカウント)さんがCDを送ってくださった。
昨日届いていたが残業で遅く帰宅、今朝の通勤途中にカーステレオで聴いた。

森田童子ライブ盤

我慢できたのは3曲目の「君は変わちゃったネ」まで。
4曲目の「雨のクロール」は私の持っているCDにも収録されているが、こちらはライブ録音版。
収録は昭和53年夏、東京カテドラル聖マリア大聖堂。
私のCDとは少し違うコーラスの入った明るい曲調に編曲されている。

だのに、何故か目頭が熱くなってくる。
6曲目の「友よ泣かないのか」で、完全に涙腺が切れた。
前を向いて運転が出来ない。
路肩に止めてしばし聴いた。

友よ ぼくたちは 
輝く陽射しを 
目ざすべきでは なかったのか

風よ泣かないのか
時よ泣かないのか
友よ泣かないのか
新しい朝のために 

激しくかき鳴らすギターをバックに歌う「風さわぐ原地の中に」が最後の10曲目。
この曲も初めて聴く曲だった。

贈ってくださったyamamotoさんは『友よ泣かないのか』の冒頭の
“友よ ぼくたちは 輝く陽射しを 目ざすべきでは なかったのか” に激しく共感すると書き記されていた。
yamamotoさん、素晴らしい贈り物、本当にありがとうございます。


2004.3.6  morning 管理人 wrote

朝から天気が目まぐるしく変化する。
晴天かと思うとにわかに突風が吹き、みぞれが混じる。
咲き誇ったクリスマスローズが痛みやしないかと気が気ではない。

昨日、久しくレンタルショップに立ち寄った。
CDコーナーが増えている、何気なく入った。
おや!っと気が付いた。
コルトレーン、ウェス・モンゴメリー、ソニーロリンズもある。
次のコーナーに行くとクリーム、キャロル・キング、オールマン・ブラザーズ・バンドまであるではないか。
チョット待て、以前来たときはこんなの置いてなかったはずだ。

私は洋楽CDが10年前ぐらい前だったかレンタル禁止になってから、ほとんどCDレンタルは利用した事がなかった。
今のJポップで好きなアーチストは椎名林檎と矢井田瞳、中途半端な奴は好きじゃない。
私はレンタルカードを持っていない、明日借りにこようとワクワクする気持ちをこらえて帰途に着いた。

また青空が見えてきた、空気が澄んで爽やかだ。
ジョン・コルトレーンの「至上の愛」「マイ・フェイヴァリット・シング」「ブルートレイン」、キャロル・キングの「つづれ織り」、オールマンブラザーズバンドの「フィルモア・イーストライブ」、ウエス・モンゴメリーのTHE INCREDIBLE JAZZ GUITAR、ソニー・クラークのCOOL STRUTTIN の7枚をレンタルしてきた。
妻にレンタルカードをレンタルして借りた。

レコード盤のコルトレーンは納戸に眠っている。
CDから流れてくる久しぶりのコルトレーンのサックスが呻いている、泣いている。
30年前が蘇ってくる。
次はヤード・バーズ、クリーム、ジャニス・ジョップリンのライブ盤も借りてこよう。
若い方は多分知らないだろうから、レンタルの競争相手がいないオジサンの世界だ
、万歳!!


2004.3.7  morning 管理人 wrote

昨日は自宅で半日溜まった仕事をしていた。
年が明けてから、業務システムがWebを利用した方式に変更された。
そのシステム変更の責任者もしている。
自前のサーバーを運用し、ケーブルでつなぐ端末で仕事をする方式から、データ処理会社のサーバーを介して、インターネットを利用して業務端末を結ぶ方式だ。
世の中めざましい変化だ。

端末を特定し接続にセキュリティーガードを掛ける予定だが、システム稼動直後のためどこの端末でもIDとパスワードさえあれば業務システムに繋がる。
昨日は自宅で業務システムに繋ぎ、仕事をこなした。
会社の場所、セクッション、仕事の縄張りなど、今後大きく変化をしてゆきそうだ。

夜はまたレンタルショップへ出かけた。
かつて余りにも有名すぎて買っていないアルバムをごそっと借りてきた。
リー・モーガンのザ・サイドワインダーはJAZZ喫茶のテーマソングの様な曲だ。
キャノンボール・アダレーのサムシング・エルス、物悲しいトランペットの”枯葉”は余りにも有名。
マル・ウォルドロンのレフト・アローン、マルは晩年のビリー・ホリディーの伴奏をしていた、ピアノの右側で歌う亡きビリーを偲んで綴ったアルバムで心に沁みこんで来る。
ウイントン・ケリーのケリー・ブルー、これもJAZZファンなら誰もが知る曲だ。

クリーム

がらっと変わって、単純明快なロックの古典クリーデンス・クリア・リバイバル(CCR)のベスト盤。
クリームのカラフルクリーム(1967)と2枚組みのライブ盤(1968)、若きエリック・クラプトン、ジンジャー・ベーカー、ジャック・ブルースのシンプルでブルージーなロックの古典だ。
バーズのミスタータンブリンマン(1965)はT社の車のCMのバックに今でも流されている。
全部あわせて10枚のCD、妻のレンタルカード支払いで借りてきた、呆れられるのと一緒にムットともされている。
でも、まだまだ借りるつもり。


2004.3.27  noon  管理人 wrote

陽が上がりポカポカ暖かい陽気。
散歩がてらにレンタルショップに行っていた。
妻にビートルズを頼まれていた。
ビートルズも含め8枚借りてきた。

音楽が段々昔帰りし、行き着くところまで行ってしまった様だ。
ベンチャーズのフォーエヴァー盤。
私が音楽に興味を持ったのは中学3年の頃、思春期真っ盛りの1963年。
いわゆる洋楽ポップスというジャンヌの曲に興味を持った。

ロネッツの”ビー・マイ・ベイビー”、リトル・ペギー・マーチの”I WILL FOLLOW HIM”、ヘレン・シャピロの”悲しき片思い”など、今で言うシックスティーズ=’60のアメリカンポップミュージックが私の好みだった。
小さなトランジスターラジオで毎週のヒットチャートを聴くのが楽しみ。
カセットも、CDも、コンポも増してや携帯も何にも無い時代、トランジスタラジオだけが唯一のディバイス。
休み時間、ヒットチャートのランキングを友達と喋るのが楽しみだった。
中三の二学期’63秋、初めて耳にしたビートルズの”プリーズ・プリーズ・ミー”はそれまでアメリカンポップばかり聴いていた私には鮮烈なサウンドだった。
この年の夏、日本に上陸したコカ・コーラを初めて口にした。
薬くさい飲み物だな、というのが初印象。

今日借りてきたベンチャーズはその翌年、高校生になってからだ。
この頃には我が家にも”ステレオ”が座った、コロンビア社の家具のように荘厳なステレオ再生3点セットで我が家の居間に10年以上鎮座していた。
このステレオでベンチャーズをガンガン鳴らした
そのメモリアル盤を40年経った今またガンガン鳴らしている。
若い方には分かるまいが、ペケペケペケ-----という単純明解なサウンドだ。


ベンチャーズ、ジャニス・ジョップリン、ボブ・マーリー、エンヤ、キャロル・キング


■2004.5.2  night  管理人 wrote

昨晩BSで1960年代ビルボード全米ヒットヒャートNo1の2時間番組を見た。
1963年は中学3年生だった。
2学期の座席の並び替えで、好きな女の子と机が一緒になった。
リトル・ベギー・マーチの「アイル・フォロー・ヒム」を聞くと、中三の頃の甘酸っぱい記憶が蘇る。

Peggy March "I WILL FOLLOW HIM " (1963/7)

私立進学校への中学受験に失敗した私は公立中学に進んだ。
成績の良い子は進学校に抜けており、こんな私でも成績はクラスでトップだった。
毎晩パナソニックのトランジスタラジオでヒットチャートを聞く。
都会であればFENも聞けただろうが、私の田舎は電波が届かない。
夜、減衰を繰り返す、雑音だらけの日本放送を聞きかじっていた。
学校で、ヒットチャートの情報交換をする、そんなたわいも無い事が楽しくて仕方なかった。

今はどうか知らないが、私の時代は男女がくっつき机を並べていた。
休み時間や昼休み、席を立たずその女の子に数学や英語を教えたやった。
学校が楽しくて楽しくてたまらなかった・・・・。
日曜日も学校があればとこの頃は本当に思った。
冬休みは、後何日で学校が始まると指折り数えた。

ヘレン・シャピロの「悲しき片思い」大好きな曲だった。
クリスマス、その女の子からクリスマスカードをもらった。
卒業式の日、彼女がサインアルバムに「 I  Like You 」と書いてくれた。
片思いではなかった。


Helen Shapiro"悲しき片思い" Jeanie Sommer"OneBoy" Ronettes"BeMyBaby" Ann Margret"ByeByeBirdie"

彼女とは同じ公立高校に進んだが、この卒業アルバムがいけなかった。
それまで同性の友達のように仲が良かったのに、がぜん意識し始めた。
意識し始めると全てがぎこちなくなる。
片思いでないのに距離が縮まらない高校三年間だった。

1963年にヒットしたのは、カスケーズの「悲しき雨音」、ガス・バッカスの「恋は素早く」、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」など。
私は東京、彼女は地元の短大へ、やがて日大闘争が始まりそれっきりになってしまった。
about forty years ago ・・・・・・


■2004.5.4  morning  管理人 wrote

かわいい訪問者があった。
生後3ケ月、抱っこをするとウーウーとお喋りをする。
ウインナーのような手をさすると握り返してくる。
命の塊だ。
いくら見ていても飽きない。
この女の子の名前がまた良い、*子という最近では珍しいオーソドックスな名。

お母さんは妻の職場の後輩。
お父さんは若手の弁護士、東大法卒のサラブレッド。
司法修習生の実習の時知り合ったと聞く。
彼女は・・・、いや女性は強い。
仕事を辞めず、彼が東京から離れこちらで弁護士を始めた。
妻も皆もこの反対を想定していており、唖然としたそうだ。

妻の手作りのピザの昼食を挟み、2時間ぐらいこの子を中心に楽しい会話が弾んだ。
「は〜い貴方の番よ!」、おしめ番は彼だそうだ。
「おしめを変えてる彼はただの人ネ・・」、帰ってから、妻が一言。
そりゃそうだ、どんなキャリアがあろうが、幼子にとって父親はただの人。

彼の趣味はウインドサーフィンと音楽という。
私のCDコレクションを披露、1960〜1970年代がメイン。
ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビィー」は彼も持っていて好きだという。
かけていたウイントン・ケリーも良いですねという感想。
弱冠29歳の彼、音楽の趣味はただものではない。
普通はこんな古い”暗い”ジャズは聴かないと思うのだが。
2週間後のロングセーリングにお誘いした。

Bill Evans "Waltz for Debby"


■2004.5.10  night  管理人 wrote

丁度梅雨の近づく今頃の季節から、毎土曜日”新宿西口広場”へ通い始めた。
スケッチ用の画板に、署名用紙。
カンパ用のモヒカン柄の理闘委のヘルメット、これにカンパを入れてもらう。
仲間4〜5名の、何組かで出かけた。

新宿西口広場では、ベ平連のフォークゲリラがサタディー・ナイト・フィーバー。
地下広場を学生、サラリーマンが埋め尽くしていた。
通い始めて2〜3週間目だろうか、輪の中心で歌っていた女の子が駆け寄ってきた。
見覚えのある顔だった。

岡林信康の「友よ

友よ 夜明け前の闇の中で
友よ たたかいの炎をもやせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の向こうには
友よ 輝くあしたがある
 

友よ 君の涙 君の汗が
友よ むくわれる その日がくる
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の向こうには
友よ 輝くあしたがある
 

ジョーン・バエズの「花は何処へ行った

Where have all the flowers gone
Long time passing.
Where have all the flowers gone
Long time ago.
Where have all the flowers gone
The girls have picked them ev'ry one.
Oh, when will you ever learn
Oh, when will you ever learn
作詞・作曲 ピート・シーガー

結構もの悲しい曲調だったが、この曲も反戦歌としてよく歌われた。
それに、ボブ・ディランの「風に吹かれて」も。

女の子は、その前年’68年のバリ祭りに、勇敢にもバリケードに入ってきた高校生だった。
どんな経過があり、フォークゲリラで歌っていたのかは定かでなかったが、再会を喜んだ。
このフォークゲリラに刺激され、帰省したとき地元の繁華街の公園で、一人フォークゲリラを試みたが、下手なギターと音痴で全く受けなかった。
それよりも私には、ヘルメットとゲバ棒が性に合っていた。

昨年12月9日、私の掲示板の一日目にこう書いた

元全共闘のみな、生きていますか。
ベトナム反戦を忘れたか!
生きているならここで何とか言ってよ。


■2004.6.13  morning  管理人 wrote

私のスピーカーは、結婚したときお祝い金で買い求めたものだから、もう30年以上使っている。
アナログの時代から、デジタルに変わった今まで、何の不具合も無くしっとりした音色を出す。
”ダイヤトーン”ブランド。

何故三菱ダイヤトーンスピーカーを買ったのかというと、
学生時代、貧乏旅行をして中四国から北九州を回った。
松山市では道後温泉に入り市内を歩き回った。
温泉は市営の銭湯で確か100円位と憶えているが。
愛媛大学のすぐ近くにJAZZ喫茶を見つけ入った。
旅行といっても金が無いので、入るのはJAZZ喫茶ぐらい。
そこに鎮座していたのが、一世を風靡した三菱ダイヤトーンの”スダジオモニター”だった。

東京で、当時(今も)高価なJBLやALTECのスピーカーを、「ウム!、やっぱ舶来は音が違うな」と分かったような顔をして聴いていた。
しかしこの国産の、何の飾りも無い業務用スピーカーの音に聞き惚れた。
この時、私の頭に「三菱のスピーカーは良い」という刷り込みが。

ダイヤトーン・スタジオモニター

結婚で頂戴した祝い金の全てぶち込みダイヤトーンスピーカーを。
でもスダジオモニターではない、全てをぶち込んでもこれには手が届かなかった。
密閉型3WAY、BASSスピーカーは30cmタイプ。
30年以上使っているが壊れない。

日大は金持ちのボンボンも多く、自家用車で来る奴もいた。
校舎の脇に乗りつけた、三菱ギャランGTOハードトップの黄色が今も頭に焼き付いている
三菱自動車はもうダメかな・・・・・。


■2004.7.10  night  管理人 wrote

午前中、伸び放題だった庭木の剪定に精を出した。
ここんとこ仕事はシステムの検証作業。
ほぼ終日エアコンを効かせた部屋に籠もりっぱなし。
朝から晩までパソコンと睨めっこ。
汗をかく事がまずない。

着ているものが搾れるほどの噴出す汗。
シャワーを浴びると実に爽快だ。
人間やっぱりこうでなくちゃ。
芙蓉の紫が鮮やかに咲き出した。

昼からはフリーズした頭のリカバリー。
レンタルショップでCDを3枚。
サラ・ヴォーン、ロッド・スチュワートのバラードベスト、それにお決まりのオールデーズベスト盤。サラ・ヴォーンの芯のある”サマータイム”はビリーとは一味違う。
ロッド・スチュワートの”セーリング”は最高だ。
3時間ほどボリューム全開で音のシャワー。
デジタルフリーズの頭がアナログに融解してゆく。

やっぱ、明日は選挙に行こうかな・・・・・。

  rod stewart


■2004.7.27  morning  管理人 wrote

Carole King is good !
卓球の愛ちゃんの出ているCMで流れるBGMの歌声は、キャロルみたい。
久しぶりにアルバム「つづれ織り」を聴きながら通勤。
私のお気に入りは「Will You Love Me Tomorrow」

Tonight you're mine completely
You give your love so sweetly
Tonight the light of love is in your eyes
But will you love me tomorrow

Is this a lasting treasure
Or just a moment's pleasure
Can I believe the magic of your sighs
Will you still love me tomorrow

Tonight with words unspoken
You say that I'm the only one
But will my heart be broken
When the night meets the morning sun

I'd like to know that your love
Is love I can be sure of
So tell me now and I won't ask again
Will you still love me tomorrow
Will you still love me tomorrow
Will you still love me tomorrow
Will you still love me tomorrow

ハスキーが掛かった声で、切なく歌う”歌姫”
1971年にリリースされたアルバムは、2200万枚販売されたという。
’70年代、私達に「癒し」のメッセージを贈ってくれた名盤だ。

キャロル・キング、オフィシャルサイトへ


■2004.8.13  night  管理人 wrote

妻は同僚たちと飲みに出かけた。
「帰りは電話して来い、迎えに行くよ」と声を掛けると、にこっと嬉しそう。
次男坊は母方の祖父母の所へ、従兄弟達と泊りに行った。
彼は、幾つかの就職試験の結果待ち、けっこう辛い日々だ。
長男は相変わらず、何時終わるか分からない残業。

コニー・フランシスのアルバムを流している。
カンツオーネに似た彼女独特の情感豊かな”泣き節”、’50のサウンドだ。
私より一つ上の世代のアメリカンポップス。
ボーイ・ハントを聴くと、少し切なくなる。
久しぶりの独り。

 


■2004.9.8  night  管理人 wrote

久しぶりに山崎ハコを聴く。
納戸に潜り込み、仕舞っていたお皿を出してきた。
レコード針をゆっくり下ろし、アナログのサウンドを聴く。
ノイズのプチプチ・パチパチも、たまに
はいい。

CDがディスクを圧巻するまでは、プレヤーはオーディオの最重要ユニットだった。
ターンテーブル、アーム、カートリッジそれぞれ得意のメーカーがあり、その組み合わせに興じたものだ。
私のチョイスはマイクロのターンテーブルにシュアーとエンパイアのカートリッジ。
プレーヤー本体は当時3〜4万円だが、シュアーのカートリッジは3万5千円、エンパイアにいたっては5万円オーバー費やした。
でも今は全部で1万円なりのSONYのプレーヤー。

山崎ハコ 望郷 1975

青い空 白い雲
菜の花の小道を
かけまわり 蝶ちょ飛び
遊んだ故郷  

真っ白な 霧のなか
神社の階段で
駆け上がり 手を合わせ
泣いてた 小さな子  

寂しくて 悲しくて
出てきた横浜
優しくと 思っても
みんな他人さ  

いつのまに こうなった
鏡の中には
知らぬ人 疲れた顔
悲しげに笑ってた  

帰ろうか 帰ろうか
田舎のあの道へ
青い空 白い雲
田舎へ帰ろうか  

あの家へ 帰ろうか
あの家へ 帰ろうか
あの家は もう無いのに  


■2004.9.19  morning  管理人 wrote

ケニー・バレルの midnight blue、デューク・ジョーダン、キース・ジャレット等々、探していたCDが並んでいる。
レンタルショップ、JAZZのコーナーが以前より隅に追いやられている。
でも、新たにブルーノートの廉価版シリーズが並んでいる。
名盤中の名盤ばかり、これは借りない手はない、一山ごっそりレンタル。

ギブソンのセミアコースティックギターがシンプルでブルージーな四拍子を奏でる。
でもこのサウンドには拘りがある。
バレルのセミアコは、徹底して刺激的な音域をカットするサウンドミックスをしている。
これはミニコンポで聴くと唯の気の抜けた音。
高音と低音域を誇張して誤魔化しているミニコンポでは、バレルのセミアコのナチョナルな心地良さは伝わってこない。
私のダイヤトーンが、心地良いギブソンの中音を再生する。

  KENNY BURRELL midnight blue

この一週間結構真面目によく働いた。
よく働くと音楽のシャワーを浴びたくなる。
昔、デモの帰りにJAZZ喫茶に立ち寄ったものだ。
くたくたになった体で、高円寺のサンジェルマンで聴くコルトレーンのシャワーはよく効いた。
そういえば英国製のタンノイでJAZZを鳴らしていた無茶な店もあったが。

マスターの配信に障害が発生して、解決までほぼ一週間。
配信データの中に、データとして読み誤るスペースデータ(空データ)があり、通信が異常終了。
これを突き止めるのに、2つの電算会社が牽制仕合い3日程ロス。
システムの素人の私にニ社がジャッジを求めてくる、どうしろと言うのだ。

安田さんを招く会は、地元のNPO連絡会が、加盟NPOに広報してくださるとの事で、チラシをごっそり持参、あり難い思い。
連絡用のメールに自然食品のお店から連絡有り。
お店のホームページで紹介したいのでリンクを張らせてて下さい、との申し出。
早速、チラシとポスター、それに図々しくチケットも持ってお店を訪問。
奥でパンを焼いていた店長さん(と言っても一人だが)が、笑顔でチケットを快諾してくれた。


■2004.9.20  night  管理人 wrote

10月になると次男坊が還ってくる、7年目のご帰還だ。
先だって京都に戻るとき「父さん、還ってくるまでに僕の部屋空けておいてね!」
彼の部屋は不用品置き場と化している。
彼は戻ってくるたび、不用品の間で寝ていた事になる。

戦中派ほどではないまでも、戦後派世代の我が夫婦、物を捨てる事がヘタ。
あれも、これも、未だ使えると捨てずに取り置く。
特に子供の物は、衣類、おもちゃ、ノートに至るまで捨てずに大事に取ってある。
納戸はとうに溢れ出し、今や不在の次男坊の部屋も埋め尽くしている。

妻が、思い出したように何度も念を押す。
「貴方、これからもう送金しなくてもいいんだよね・・・」
長男坊から始まってひたすら、離れ住む二人の息子に10年近く送金を続けた。
「子供がいなければ、毎年新車のベンツが買い換えられる・・」、半ばやけ気味に同僚にぼやいたものだ。
辛いと思ったことは一度も無いが、庶民の生活レベルの我所帯、キツイ負担であった事は間違いない。

昨日は、終日JAZZのシャワー。
ビル・エバンスの「green dolphin street」、ポール・チェンバースとフィリー・ジョー・ジョーンズのギンギンの相棒二人。
ビートの効いたフォービートで、ビルには珍しい初めて聴くアルバム。
今日は不用品の選別に明け暮れ、とうとう2日間家から一歩も出なかった。

  1959.1.19 rec at new york city 「Green Dolphin Street


■2004.9.25  night  管理人 wrote

トップページの写真は、昭和44年2月10日発行の写真集「日大闘争」から借用している。
全共闘書記局発行だから、著作権については構わないだろうとの身勝手な判断だが。
最近、ネットサーフィンしていると、この写真が使われたページに2件行き当たった。
敢えてどのHPとは言わないが、全共闘を紹介する際に使っている。
2つともプロパティやトリミングが私と同一、つまり私の借用のパクリ。
私が版権者でないが、変な使われ方をされていなかった事もあり、ホットする変な気持ち。

1968〜1969年にかけての全共闘の事を伝え知らせるホームページはごく稀にしかない。
私がせっせとネットサーフィンするが、仲間の日大全共闘のページ以外に全共闘と冠したページは芝工大のページくらい。
でも芝工大はよく見ると*トロさんのセクト集団、全共闘といえば言えなくもないが私が言う全共闘とはちょっと違うかな。
でも別に謗ってるわけじゃ無いので、念のため。(ゲバられると*トロさんは怖いからな)

東大全共闘はかなり前に、山本義隆さんを中心に「東大闘争の記録」を編纂したらしい。
日大の仲間から昨年それを聞いた。
思いは墓場まで・・・、山本さんや秋田さんは黙して語らない姿勢を貫いている。
その姿勢は、後の世代の方たちからは一面無責任とも謗られ、非難も受けている。
私の様にペラペラ喋らないが、記録はデータベースとしてきちんと残し、国会図書館にマイクロフィルムで収めたと聞いた。
編纂された記録、国会に用の無い者にはまず目に留まらない。
学者の研究用に資料として残したのか。
やっぱり、日大と東大の闘争は根底のところで違っていたのか、という思いが今更に感じる。

丁度、今の季節。
トップページの写真はバリケード奪還の激動の9月。
中央、角材を持たず前を向いているメガネの御仁は私のベストフレンドMくんだ。
Mくんはページ「Mくん」で紹介している。
その右後ろにいるのは多分Kくんで、その周辺は理闘委の面々だ。
右側の建物は法学部校舎だと思うのだが。
私は何処に居る・・・?、
私はこのとき鉄格子の中で完全黙秘中、残念な事に歴史的なこのショットには入れなかったのだ!。

スタンゲッツ・ジルベルトのイパネマの娘。
ボサノバの鎮魂歌が流れる。
先程レンタルショップで借りてきた。

  GETZ GILBERTO the girl from ipanema rec 1963 new york


■2004.10.19 night   管理人 wrote

ミディアンテンポのフォービート。
心臓の鼓動と共振する。
ウオーキングベースも良い。
疲れた体なら尚更良い。

フィフティーズのビーバップ。
GO A HEAD
タイトなフォービートが、サックス、ピアノ、ペットを噛む。
トレーンのバラードを聴いてみろ。

ヤバイ集会に出かける儀式は、黒いお皿のコルトレーンだった。
6/8の滑らかな拍子の上で、トレーンが咽び泣く。
A LOVE SUPREME A LOVE SUPREME A LOVE SUPREME
ポケットを空に、救対のメモを大事に捻じ込む。


   


■2004.10.21  morning  管理人 wrote

1970年も半ばを過ぎる頃から、もう気持ちはボロボロ。
唯一の支えは仲間と音楽だった。
aaghさんの云うジョージのファンキィーや、新宿、高円寺、阿佐ヶ谷にはよく通った。
私はJAZZもROCKも両方好き(今はクラッシックも)だったので、ジョージのビバップにも通ったな。
ビバップは、クリームやジミヘン、ジャニス・ジョップリンをガンガン鳴らしていた。
ビートルズが掛かると、皆が床を踏み鳴らしたものだ。
中野のサンプラザの何階かにあった、名前も忘れたJAZZ喫茶も良かった。

     Fanky

とにかくジョン・コルトレーンは強烈だった。
メディテーション、インプレッション、ラヴ・シュプリーム。
救済と癒しの音。

’68〜’69のリアクションは、それから30年以上の沈黙だった。
今日は10.21、そう云えばかつて”国際反戦デー”なんて有ったな。


■2004.11.20  night   管理人 wrote

「この方、日大全共闘の**さんです」
かなりな紹介のされかた、私は少し度惑ってしまったが、相手はにこりと微笑んでくれた。
あ!ラビさん、この方空気が共有できる。
「隅っこではなく、こっちへ出ておいでよ」

国分寺、ほんやら洞の隅っこで三人で話に興じていたら、カウンターの中山ラビさんから声が掛かった。
7時に国分寺駅で「東京幻想旅行記」のYさんと待ち合わせた。
急な駆け足の出張の僅かな合間、以前から是非お会いしたいと願っていた方。
想像していたように優しそうな方、私は瞳をみれば分かる。

Yさんが、もう一人ホームページを見て是非私に逢いたい女性が居るという、光栄の限り。
ほんやら洞に行くと、既に待っていてくれた、「私、日大農獣医で10年後輩です」
当然日大生だったので日大全共闘は知っていたらしいのだが、ホームページを見て、それまで持っていた全共闘のイメージとすっかり変わったと言う。

私のホームページ、「憶えていない」「ごめん忘れた」という下りが実に良いと褒めてくれる。
私としては、受けを狙った訳ではなく素直に書いたつもりなのだが、受けたようだ。
カウンターの中の中山ラビさんを交え、終電間際まで楽しい夜は続く。

  

■2004.11.23  morning   管理人 wrote

薄緑の若葉が顔を覗かせている、我が家の庭はこれからが楽しい。
クリスマスの頃から花が咲き始めるので”クリスマスローズ”、
凍て付く冬から早春まで咲き続ける可憐な花。
夢中になって3回目の冬を迎える。

急な出張で僅かな時間だったが、国分寺の夜は楽しかった。
音楽を交えた楽しいひとときなんて実に久しぶり。
ほんやら洞の店内は、かつての荻窪・教会通りのシルクロードとそっくり、
入り口がカウンター席で6〜7人と、壁側に10数人も入れば一杯の座席、
奥には4人分の隠れ家の様な席もある。
ここなら”武装蜂起”の密談も出来そうだ、35年前に帰った様。

それまで。お名前は知っていたがラビさんの曲は聴いた事がなかった(御免なさい)。
音楽よりも、1970年代に岡林信康さんや高田渡さんたちと、同志社学館や京大西部講堂で伝説のライブをやったというエピソードは聞いた事があるが。
ラビさんの別名”アングラの女王”。
「ラビさんの曲を掛けてくれませんか」とリクエストを。

「あ!、それなら私がプレゼントします」、
Yさんがカウンター奥から新品のCDを買い求め、封を開きプレーヤーへ。
申し訳ない気持ちと嬉しい気持ち、遠慮せず素直に喜んだ。
CDタイトルは「ラビひらひら」、ライナーノーツにサインまでしていただいた。

途中からCDが変わり、耳慣れた曲が流れる。
ラビさんに「このこの曲いいですね」と聞くと、「これはリリースしていない曲なの」。
美空ひばりの「真っ赤な太陽」、カバー曲でギンギンのブルースに仕上げている。
アーティストを目の前に、此処だけでしか聞けない曲。
この私が遠路遥々行ったのだ、日大全共闘理闘委中央沿線一派は是非行ってみるといい。

帰路、渋谷タワーレコードで、棚にあるラビさんのCD全部買い占めた。
感謝の気持ちを込めて、ゆっくり聴かなくちゃ。
ホームページでラビさんの歌が聴けます(要 RealOne Player)
一曲だけ直リンクを張らせていただきます、「私の中央線」、HP管理人さんごめんなさい。


ラビさん、「50人集まればライブに行くよ」・・・・・。


■2004.11.27  night   管理人 wrote

出張前に、自分の携帯電話を職場へ忘れて早4日になる。
休日に職場までわざわざ取りに行くのも億劫なので、エイままよとそのままにしている。
かなり着信が溜まっているだろうな、と思うけど(電話した人すみません)。
携帯を持たない気ままさも又良いものだ。

出張明けだが、今日も昼から仕事のイベントのため出掛ける。
帰路、ホームセンターに立ち寄り買い物を。
昨年末からクリスマスのイルミネーションを始めたのだ。
今年は更にパワーアップを計る。

昨年、ご近所のお年寄りのご夫婦に「楽しませていただいてます」、というお言葉を頂戴した。
イルミネーションには結構なお金が掛かる。
この投資は全て私のお小遣いからの出費、かなり堪えるが。
クラブ帰りの中学生が「アア・・、綺麗!」と言って通り過ぎると、嬉しくてたまらないオジサンだ。

今年は妻が「貴方何時始めるの?」、と催促する。
三軒向こうのお隣さんも、歳の瀬が詰まった頃から競うように飾り始めた。
私は出遅れまいと、明日にはデコレーションするつもり。
こんな他愛もないことが楽しいのだ。

  

或の日 湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ檸檬 細い手でかざす
それをしばらくみつめた後で きれいねと云った後でかじる
指のすきまから蒼い空にカナリア色の風が舞う


喰べかけの檸檬 聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ

さだまさしの「檸檬」の曲は、私の風景画にある。
私の檸檬は”LEMON”。
LEMONの5階から眺める神田川は、私の切ない青春。
収録したカセットテープを失くして久しい。
また聴きたくなって先程CDを注文した。


■2004.12.1  morning   管理人 wrote

「ひらひら」はいい。
Yさんが、国分寺「ほんやら洞」に案内してくれた訳が良く分かった。
ここのところ毎日、朝夕の通勤で中山ラビさんのCDをとっかえひっかえ聴いている。
渋谷タワーレコードで買い占めたCDだ。

最初は”おんな拓郎”の様で”山崎ハコ”の様でもあり、耳に馴染んだシンガーに緋も付けて聴いていたが。
聴き込むほどに中山ラビが浮かび上がってきた。
私に(私だけ!)とって重要なのは、聴くと1968年がフィードバックしてくること。
この点、ラビさんは120点だ。

妻に「貴方はすぐ染まるから」と呆れられているが。
今朝は「ラビひらひら」、ほんやら洞でYさんにプレゼントして頂だいたCDを聴いた。
5曲目の「こうして二人」優しいバラード、とてもよい。
8曲目の「ひらひら」もいい。

聖橋を渡り、桜が舞う湯島天神を二人で歩いた。
不忍池まで足を伸ばし、また聖橋まで。
ただ歩くだけ、それだけでほんのり幸せだった。
その子がバリケードに出で来なくなったのはそれからすぐ。

バラード「こうして二人」を聴いてて、そんな情景を思い出してしまった。


■2004.12.2  morning   管理人 wrote

歌詞2番

君はスクランブル交差点斜めに渡り乍ら
不意に涙ぐんで
まるでこの街は
青春達の姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにもかつて
使い棄てられた
愛が落ちている
時の流れという名の鳩が
舞い降りてそれをついばんでいる
 喰べかけの夢を聖橋から放る
 各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ


さだまさしの「檸檬」が収録されているCDが届いた、
1978年リリースのアルバム。

まるでこの街は、青春達の姥捨山みたい・・・・・
この下り、私(達)の私小説、
皆分かるだろう!

少し前、東京の国立大を卒業したという若い方からメールが入っていた。
返事を差し出していた。
彼は思うところがあると書いており、最近上京した折り、立川でデモに参加したという。
東北の地で、これから地道にやっていきたいと書いている。

ファイト!   闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!   冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

中島みゆき「ファイト」


■2004.12.8  night   管理人 wrote

いまは
なにもいらない
雨の日は
こうして ふたり
こうして ふたり
カサさして
こうして ふたり
こうして ふたり
肩よせて 歩いてく  

いまは
なにもいらない
花びら ひろい
こうして ふたり
こうして ふたり
夜ふけの町を
こうして ふたり
こうして ふたり
空みあげ 星をかぞえたりする 

いまは
なにもいらない
向かいあい
こうして ふたり
こうして ふたり
目をとじて
こうして ふたり
こうして ふたり
抱きあい 限りなく 

こうしてふたり中山ラビ作詞・作曲 1974

素晴らしい曲・・・、
きっと 死ぬまで聴き続けるだろな。
そうだ・・・、何時か来るだろ息子たちの”祝い”の席できっとかけてやる。

仕事から帰ってくると、たかし・Y さんからCD届いている
”黒葛原りつ”、はじめてのシンガー、
CDジャケットの裏、
Special Thanks TAKASHI・Y の記載が、
ありがとう、ゆっくり聴かせていただきます。

黒葛原りつ


■2004.12.17  morning   管理人 wrote

ポンコツ車は修理・養生中。
NHK朝の連ドラでバックミュージックにマル・ウォルドロンのレフト・アローンが流れていた。
ビリー・ボリデーに伴いピアノを弾いていたピアニスト、亡きビリーを偲んだ名曲だ。
バーのカウンターを挟み、主人公が家族の話をするシーン。
私はこの曲を、デモの帰り、阿佐ヶ谷の吐夢で初めて聴いた。
一緒に行った熊本大生のリクエスト、疲れた体に染み込んできたのを憶えている。


ビリー・ホリデーを教えてもらったのもこの熊本大生。
1970年、一年間熊本大を休学して上京し、水俣病支援闘争で裁判や患者支援で頑張っていた。
薬学の仲間を通じ知り合った。
勉学を放り、熊本を遠く離れ、バイトを続けながら東京の地で支援闘争を続けていた。

時代だろうなあ・・・、
体育会・右翼と競り合い、機動隊と激しくぶつかり合う日大全共闘と、地道に粘り強く”地味”に支援闘争を続ける学生が、お互いに共感し合った時代。
公害被害に苦しむ患者を見て、放っておけなかったその気持は”社会正義”、
日大全共闘の、私のそれと共通する。
しかし、彼女、私等より地道で粘り強かった。

立川自衛隊官舎ビラ入れ不当逮捕の事件は「無罪」を勝ち取った。
無茶苦茶な逮捕と、それに続く長い拘留。
時の政権が仕掛けた、国の政策に逆らう者へ、法を無視した「見せしめの弾圧」と言っても過言ではない。
ビラ一枚、官舎アパートに入れて”家宅侵入罪”、令状逮捕と家宅検索。
何ヶ月にも及ぶ拘留に、6ケ月の求刑・・・・・ふざけた事を云うな!

今朝の新聞、各紙一面トップで報じている。
逮捕された時、報道しなかった地元の地方紙も一面トップ記事の扱い。
全国紙が社説にまで扱い、表現の自由の深刻な侵害ではないかと問いかけた今回の逮捕。
私の地元の地方紙に、何故に逮捕の記事を載せないかと問い合わせると「共同から配信がないので」と応えた。
今回の一面トップの扱い、正直少し複雑な気持ち。

ネットメディアは総じて、この記事は無視。
今朝のトピックスとして扱っているところはヤフーをはじめ、私の見るところでは皆無。
トピックスはセンセーショナルな3面記事の内容で占められている。
メジャーなネットメディアのあからさまな右傾化傾向を示しているようだ。
これはIT関連メディアが、国の業界振興政策と深く結びついてるためと勘ぐりたくなる。


■2005.01.02  night   管理人 wrote

何気なく教育テレビのチャンネルをかすった時。
歌のお姉さんの歌声が聞えてきた。
かすれた透明感のある歌声、「??、子供番組でこのボイス」
居間に一緒に居た次男坊が、「父さん、その人はウーアだよ」

初めて聞く歌手の名と歌声、気になって早速レンタルショップへ。
打ち込みのサウンドに、ボサノバのような歌唱法、組み合わせが良い。
ベースのシンプルな打ち込みだけで、ディスクU9曲目アカペラに近い曲「赤いあなた」、
何かのカバー曲のようだけど、とても良い。
中山ラビさん以来、最近久々の私の好みにヒットする歌手。


でも、こんなアーティストが何故、子供番組、歌のお姉さんなんだろう。
世の中変わったな!


■2005.01.03  night   管理人 wrote

一昼夜にわたる飲闘を貫徹された方々が居るが、私はこの三が日ひたすら音楽に浸っていた。
初めて聞くアーティスト、耳馴染んだアーティスト手当たり次第に。
元旦はスメタナの交響詩「わが祖国」、ドボルザークの「新世界」、これで半日が終わる。
趣を変えてワーグナー、ヴァルキューレ騎行などの管弦楽集、これも元旦にふさわしい。、

次は元旦から開いているレンタルショップで、手当たり次第に借りてきたCDを聴く。
ウーアも良かった、結局アルバム4枚聴いた。
ハービー・ハンコックの処女航海。
マーりナ・ショウの ”Who is this bitch,ANYWAY”
ノラ・ジョーンズは3枚、中でも” come away with me”が良い。

 

音楽漬けになっていると、3日はすぐ過ぎてしまった。
明日から又仕事、嫌だ嫌だが仕方あるまい。
ノラ・ジョーンズの”I've got to see you again”をもう一度聴いて寝よう。
これで正月は終わり。


■2005.1.6  night   管理人 wrote

今頃が陽が一番短い、仕事の帰路には周りはとっぷり暗い。
今日は昼からの会議が5時前に終わり、そのまま帰路に。
行く先に、久しぶりの夕焼け。
メランコリックな気分にしてくれる夕焼けは好きだ。


ノラ・ジョーンズの曲を掛けながら、夕焼けに向かって車を走らす。
I can't help myself.
I've got to see you again.
 
雑踏の中にジュンサンを認め、我を忘れて捜し求めるユジン。
ノラのこの曲は、冬ソナのこの場面を思い浮かべる。

こんな場面と共に、丁度いまの時節の30数年前の風景を、ふと思い出した。
凍て付くような深夜の阿佐ヶ谷南口、目的も無く徘徊する自分の姿。
セーターを何枚も下に重ねた、カーキ色の米軍ジャケット姿、
冬ソナのように美しくは無いが・・・・・、
I can't help myself.
I've got to see you again.
 
夕焼けはメランコリックな気分になる。


■2005.1.25  morning   管理人 wrote

ほぼ一週間、毎朝ノラ・ジョーンズを聞いて通勤。
職場に着く頃に、9曲目の I've got to see you again. になり、聴き終わるまで車に座る。
56才と半だが、もう初老期の兆候だろうか軽い躁鬱の気を自覚する。
今日はなんだか気持ちが高ぶり、オールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモアLIVEを聴きながら通勤。

良くしたもので、最近この手のものがCD復刻版で発売されている。
フィルモア・イーストのライブ盤ではアル・クーパー&マイク・ブルームフィールドのLPも持っていたが何時ぞやから行方不明。
復刻版が出ているのなら是非とも手に入れたいCD、アマゾンを探してみるべし。



オールマン・ブラザーズのこのアルバムは1曲20分オーバーの曲がある、さすが1960年代の熱気を伝えるサザン・ロック、車内でノリノリだった。
もう一つ、又聴きたくなった曲がジョン・メイオール。
エリック・クラプトンも一時期加わったUKのブルースバンド、60年代ロック小僧としてはモッズ次男坊にも教えてあげなくては。


■2005.1.25  night   管理人 wrote

車内の”音楽鑑賞”の良い点。
心置きなくフルボルームで聴ける。
感涙を流しても、誰にも分からず恥ずかしくない。
音痴でも歌える(唸れる)。

そういう訳で、最近はもっぱら車内感傷(誤字ではない)派。
帰路、スピーカーが破れる寸前、これでもかの音量でオールマン・ブラザーズが鳴る。
ボディー鋼板が揺れているかも。
デュアン・オールマンのギターが唸る、泣く。
ええ〜い、一日の何もかにもが吹っ飛んでしまえ!

1971年、最後の桃井コンミューン。
躁鬱が小刻みに来る。
I can't help myself.
I've got to see you again.


■2005.1.30  night   管理人 wrote

今日借りてきたサンタナのスーパーナチュラルを聴きながら、夕日を眺める。
仕事帰りに見る夕日と一味違う。
サンタナのギブソンが切なく夕日にのびてゆく。
もっとも、妻にとっては、「それ、サザンのCD?」
貴方には一生分からないだろう!

朝は洗濯、これが結構楽しいし、昼からは音楽のシャワー。
最近、妻がやっとの思いで買い求めた民芸家具、
そのテーブルで飲むコーヒーは喫茶店を凌ぐ味。
一人ではもったいない贅沢な時間だ。


今日はCD4枚にプラスして、初めてミュージックDVDをレンタル。
ご法度だが、一応DVDのコピーにチャレンジ。
四苦八苦したが、マニアへの道を進まないとヤッパリ無理な様。
この歳では、キチンとお金を出しなさいと云う事らしい。
DVDはテネシー・ワルツのボーナストラックがおまけ付き。
食事を済ませてゆっくり観よう。


■2005.2.13  afternoon   管理人 wrote

昨日親戚の見舞いの途中、久しぶりにマリーナにチラッと立ち寄った。
昼時、ハーバーに戻り皆のんびり寛いでいる。
殆ど見かけない顔ばかり、社会人は居ないかと覗き込んだが知った顔が居ない。
夏から随分ご無沙汰しているので殆ど門外漢。
もうすぐ春一番が吹き出すとシーズン開始。

朝から庭掃除、お日様が照り気温が上がり心地良い。
鉢物の植え替えもほぼ終わり、日向ぼっこにしばしベンチに座る。
庭先を通る方からみれば、ひなびたオジサンが呆けて日向ぼっこの風情だろうな。
昼から次男坊が実に嫌そうな顔をして妻と外出、何でもスーツを買いに行くと言う。
自分で稼ぎ出せばこんな事も最後になるだろう、辛抱して母さんに付き合え。

 岡林信康の世界(LP)

ひっそりした我が家、久しぶりに音楽鑑賞。
納戸からゴソゴソとレコードを引っ張りだしてきた。
プチプチというノイズも結構良いものだ。
アマゾンにレコードジャケットを探しに行ったが岡林とリリィは、無い。
そんなに古いのかなあ・・・、スキャナーとデジカメで作成。

石川セリ(CD)、リリィ(LP)


■2005.2.16  morning   管理人 wrote

石川セリといえばヤッパ井上陽水でしょう、今日の車中BGMは”GOLDEN BEST”
若い方から結構メールを頂く。
妻に自慢もこめて「どうしてこんなオッサンを相手にしてくれるのか?」、と聞くと、
「そりゃ〜、貴方が日大だからでしょう」、
「・・・・・?」、
「相手が構えないのよ、日大だから」。

褒められたのかけなされたのはよく分からないのだが、
日大だと敷居が低いという意味らしい。
その後にまだ追い討ちが続く。
「これが東大で理路整然とした事を言っていたら、誰も近寄らないでしょう、説教は誰も聞きたくないの!」、
納得してしまう自分が少し惨め。

69年の安田講堂はまさにこの正反対の事例だったのでは。
篭城した当の東大生が極僅かで、外人部隊の他大学生(一部労働者)が大半だったのだが。
東大だから、象徴だから、カンパニアとして充分すぎるほどの値打ちがあったから挙って集まったのだろう。
私が徹底抗戦で篭った68年9月4日、理工学部一号館バリケードは日大純潔種だった。
議論になっている東大と日大の篭城では、かなり意味がちがうのだろう。

でも歴史は面白い。
日大生だけで(一部未確認の自発的応援部隊もいたが)闘った学内民主化闘争が、その後の学園闘争に一番影響を与えたと自負している。
日大闘争は、右翼や機動隊が相手だったから論争なんか通用しなかった、体張るより他守る術がなかった。
ポン大生だからとにかく数が多かった、数が多いから怖くなかった、単純だからしつこかった、諦めなかった、妥協しなかった、。
結構こんないい加減なファクターが、意図的かつ計画的な闘争より広範な影響力をもつ稀な事例だろう。


■2005.3.2  afternoon   管理人 wrote

1968年の事は本当につぶさに憶えているのに、
1969年以降のことは記憶がズタズタ。
数え切れないくらいの集会やデモに参加し、鉄格子で囲まれた校舎に何度も何度も突入した。
都内を走り回り、三里塚の野原を駆け巡った、
けど、これらのことについては時系列がグチャグチャ。

日大カザルスホールに保存されている一号館正門(経闘委より提供)

そんな中でも、桃井に居付いた頃の1970年の事はそれなりに思い出すことが出来る。
皆で赤坂へバイトに出かけ、帰りに食料や酒を買い求め毎夜食事した。
バイト休みの小春日和、誰かがギターを弾き歌い、耳を傾ける。
ディランや岡林、ビートルの曲が多かった。

バイト先では女子大生の”友人”ができた。
憶えているのは「トンジョ」「ケイセン」「アトミ」 皆、可愛かった。
殺伐とした履歴の中で、唯一薄日が射した時期。
丸の内ピカデリーへ「ある愛の歌」を観に行ったウルウルの記憶も残っているのだ。
吉祥寺のビ・バップにも行った。

アマゾンでやっとこさ見つけた「ある愛の歌」

しかし、その桃井の終結を迎えることなく1971年の末に私は去った。
その事の経緯をよく思い出せない。
別に仲違いした訳ではない、何時までもそこに居られたらと思っていたことも憶えている。
私の中で、何かが変わっていったのは確かだ。
仲間で篭る事によって、静かに煮詰まっていく自分が居た。
皆と一緒に居たいのに、去らなければ、独りにならなければ・・・、もう一人の自分が居た。


■2005.4.24  night   管理人 wrote

宵闇迫る夕暮れ時。
皆が出掛けひっそりした家で、ディランを聴く。
ウトウトとして気が付くとコリーナ・コーリナ、
アルバムも最後の方の曲だ。
窓の外の夕焼けが綺麗。

ソファーで固まった肘を回しながらコーヒーを点てる。
ジュディ・コリンズの「青春の光と影」を掛ける。
アマゾンを知らない数年前、街中のレコード屋を探し回ってやっと手に入れたCD、
特別な思い出がある。

桃井のコンミューン、70年か71年の冬。
仲間の仲間、又その仲間ぐらいの伝手で、芸術学部映画学科の卒業作品出演の映画のバイトの話が舞い込んだ。
バイトと云っても、飯代と一日千円位だったと記憶が定かでないが。
撮影は都内の至るところ、早朝と夕刻の新宿もあった。

セリフは後で吹き替え、という事で無し。
役割は”フーテン”の若者、実生活を地でやれば良いだけだった。
スクリーンの中の私は、肩まで髪があったはず、フーテンには負けていない。
私と同姓の桃井のYくんと二人で演じた、私の幻の主役作品だ。
試写会を見ずに私は東京を去ったので、71年の冬だったのか。
東京を去った数年後に、そのYくんから、ジュディ・コリンズの「青春の光と影」がテーマソングで流れたと聞いた。


三年前、無性に聞きたくなった。
レコード屋を何軒回っただろうか、やっとの思いで手に入れた。
この曲、1967年発売のWildflowersに入っているとディスコグラフィーに書いてある、
少なくとも時系列はあっている。
透き通るような曲だ。


■2005.5.14  night   管理人 wrote

たかし・Yさんのホームページを訪問。
5月6日の日記、購入したCDの紹介を読む。
>CD「フォーエバーヤング」が届いていた。
ちえみ・ジョーンズによる「ケンとメリー」収録。
映画「光の雨」のイメージソングになった歌だ。



1.結婚しようよ(ラヴァーフェニックス)
2.ケンとメリー~愛と風のように(ちえみジョーンズ)
3.帰れない二人(Runt Star)
4.なごり雪(TRANCE CANDY)
5.僕の胸でおやすみ(ハイカラ)
6.竹田の子守唄(犬神サーカス団)
7.通りゃんせ(キャリースマイル)
8.夏が終る(こむろゆい)
9.赤色エレジー(Miss GOBLIN)
10.時代(新宿フォーク

一週間前の事。
私も直ぐにアマゾンで注文、
パックって御免、たかし・Yさん。
このCDが、「映画 日本国憲法」DVDの後を追うようにS急便で届く。
Miss Goblin の歌う「赤色エレジー」、あがた森魚以外で聴くのは始めて。
何時聴いても、71年の冬の光景が浮かんでくる。

昼から出かける妻が、このCD「私、気に入ったの貸して」と言う。
カーコンポで聴きたいらしい。
私の求めるCDには、殆ど興味を示さないのに。
急いでバイオのメディアプレヤーに落す。

そう云えば、収録されているTRANCE CANDY の歌うイルカの「なごり雪」は、
妻のカラオケのオハコだったんだ。
たかし・Yさん、CD情報パクらせていただきました。


■2005.5.16  night   管理人 wrote

帰路のBGM、フォーエバーヤングの9曲目、赤色エレジーをリピートで3回。
陽が高いので夕陽にはまだ間がある。
ミディアムテンポのワルツのリズムはメロー。
何故か何時も浮かぶのは、’71の冬、深夜の阿佐ヶ谷南口。

実家に逃げ帰る数ヶ月前、かなり・・・、否、完全に行き詰っていた。
10曲目は”時代”。
これで”昭和ブルース”でも掛かれば完璧、頭は34年前にぶっ飛ぶ。
居場所を探してうろつく貧相な自分が見える。

団塊オヤジはこれからどうするのかなあ、
居場所を探してうろつくオヤジが巷に溢れかえるのか・・。
白いサンゴ礁”もいい。


■2005.7.4  night   管理人 wrote

帰路、いきなりロックロール・ミュージックから始まる。
ここんとこ通勤のBGMは、フォー・セールとラヴァー・ソウル。
根っからのビートルズ世代、曲の終わりの3秒前で次の曲のフレーズが出て来る。
憶えているとかそういうのじゃなくて、体からフレーズが染み出てくる。
少なくとも、四人が仲が良かった時期の全てのアルバムでそうなのだ。


最初にビートルズと遭遇したのは1963年か4年、中三の二学期だ。
弁当箱ぐらいのパナソニックのトランジスタラジオ、「シー〜ラヴズ〜ユー〜」と聴こえてきた。
「ウヌ・・・、こりゃ〜何だ」
ビジュアルも何も無い、音だけでのビートルズとの初めての出会い。
「おい、ヒットチャートに変な曲が登場したぞ!」、次の日の休み時間、すぐさま話題になった。


ビートルズが流れる朝の通勤、助手席は確率5割で次男坊。
二日連続同伴通勤というのも珍しくない、いやはや予想外。
その時は少しビートルズを絞る。
フォー・セールは私にとってビートルズが一番ビートルズらしかった時期の一枚。
ウィズ・ビートルズも好きな一枚。

妹と小遣いを出し合って欠かさず買ったレコードは、
嫁入り道具だといって、一枚残らず持って行かれてしまった。
ノォー・リプライで家に着いた。


■2005.7.10  night   管理人 wrote

妻が先日コンサートに出かけていた。
曲目は、モーツァルト・ピア協奏曲17番だったそうだ。
私はモーツアルトのピアノ協奏曲なら何番でもさわりを聴けば分かる。
「俺が行きたかった!」

そのせいか、妻が友人のCDをごっそり借りてきた。
モーツァルトが7〜8枚、ブーニンとN響のは私も持っているのに。
ショパンにラヴェルも数枚。
イージリスニングなジョージ・ウィンストン、JAZZにも通じるテイスト。
このほかの数枚の中に一枚だけ気を引くCDがあった。


私はミーハー、キャッチコピーでその気になる
帯に、「世界でいちばん美しい歌がある」
アヴェ・マリア、サラ・ブライトマン・クラッシックス。
澄みきった張りのある歌声だ。

サラ・ブライトマンを聞いていたら、ゴスペルを聴きたくなった。


■2005.7.11  morning   管理人 wrote

次男坊は今日飲み会と云う。
「父さん、カブは置いとくからつんでって」
最近は用意が良い、朝から飲み会対応だ。
昨日妻が借りてきたクラッシックCDの中に、何故かチャーリー・パーカーが。

朝の通勤のBGMにと車に持ち込んだ。
輸入版かあまり見かけないジャケット、バックにストリングスが入っている。
何曲目かに「サマー・タイム」
「父さん、これバードだよね」
「バードって、お前チャーリー・パーカー知ってるのか?」

モーニング・ミュージックには少し重過ぎるが、
息子と二人でバードを聴きながら出勤。
もう直ぐ梅雨も明けるだろう。


■2005.7.24  morning   管理人 wrote

本サイトのご利用について
本サイトは、三里塚空港反対闘争のさなかに決行された3.26管制塔占拠闘争の仲間に(勝手連的に)連帯する目的で作られています。
反対運動やこの闘争にかかわる議論は多々あると思いますが、本サイトは情報交換の場で議論場ではありません。無用の煽りや運営妨害と見なされるコメント・トラックバックは削除することがあります(議論の場として、掲示板を指定させていただくか、新たに作成する予定です。)よろしくご協力の程、お願い申し上げます。

これは、○だ。
掲示板やブログ上の議論には癖々している。
相反する思想や主義は、たかだかなスペースと空間のWeb上で相互理解を得られるなどとは思っていない。
感情の投げ飛ばし、罵倒、中傷が常に横行している。
現時点でのWebサイトの最大利点は「情報交換」。

「Justice On Our Side」
少し言い過ぎと思うのだが・・・・、
仲間に発するメッセージはこれくらいの膨らましは有っても良いと思う。
「議論はとりあえず置いといて、行動しよう!」
これは日大全共闘の最大の思想・・・、
否、キャラクターだったと思っているのだが。

今日はこれから、金曜サロンメンバーの御大が主催する講演会へ参加します。

暗い水の流れに 打たれながら 魚たち のぼってゆく
光ってるのは 傷ついて はがれかけた鱗が 揺れるから
いっそ 水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば 楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて 魚たち のぼってゆく  

勝つか負けるか それはわからない それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて あいつは海になりました  

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が 笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながら のぼってゆけ
  ファイト! 作詞・作曲 中島みゆき  


■2005.7.28  morning   管理人 wrote

数年前、いや、もっと前かな。
丁度今の季節、関西圏に居る妹が里帰りしてきていた。
「兄ちゃん、行ってきたぜ!」
ローリングストーンズ大阪ライブに50のオバサンが馳せ参じていたという。
この妹、確か高一の時、ラッキーにもビートルズ武道館講演のチケットが当った。
ビートルズのレコードに付いていた応募券がヒットしたのだ。

当時は、この手のコンサートに行っただけで停学等の処分を食らう時代。
それに妹は厳格な私立進学校。
両親の必死の説得で、決行を諦めさせられた。
馬鹿の付く、ビートルズ、ストーンズファン。

今朝のBGMはジミヘン。
このスト〜ンと落ちる音は何とも云えない。
ステレオサウンドが貴重な時代のミキシング、音が人工的に左右に飛び回る。
サウスポーのフェンダーからブルースが切なく流れる。

詮無い事だが、ジミヘンとジャニスのライブに行きたかった。
今なら何を質に入れても(表現が古いか)、米帝でも大英帝国でも世界の果てでも馳せ参じるのだが。
ジミヘン、1970年9月18日没
ジャニス、1970年10月4日没

吉祥寺 Be-Bop は、壁一面に何十本というコーラル18cmフルレンジスピーカーを埋め込めていた。
壁面からから流れる圧倒的な音量の二人を聴き始めたまさにその時代に、二人は同時に逝った。

■2005.8.8  night   管理人 wrote

そらが泣いたら 雨になる
 山が泣くときゃ 水が出る
 俺が泣いても なんにも出ない
 意地が涙を... 泣いて 泣いてたまるかヨ 
 通せんぼ  

海は涙の 貯金箱
 川は涙の 通り道
 栓をしたとて 誰かがこぼす
 ぐちとため息... 泣いて 泣いてたまるかヨ
 骨にしむ 

上を向いたら キリがない
 下をむいたら アトがない
 さじをなげるは まだまだ早い
 五分の魂... 泣いて 泣いてたまるかヨ
 夢がある 


1966.4.17〜1968.3.31までテレビで放映されたドラマ。
私は1967年から、世田谷桜上水の学生アパートで欠かさず観た。
今宵出かけたライブの二曲目で歌われた。
「この歌知っている方は拍手を」と云われ拍手したが、
会場で、私の他二人しか居なかった。

全共闘以前の懐かしい歌。


■2005.9.10  night   管理人 wrote

レコードコレクターズという本にジャニスジョップリンの特集が出ていた。
ついつい本屋で立ち読み1時間、さすがに腰に来てガクガク。
6〜7人の評論家がア〜ダコ〜だと書いていらっしゃいますが、
私の興味は「フォークソングを歌っていたころ」のジャニスの写真。
生ギターを抱えた真面目そうな田舎娘、
シャウトしないジャニスの歌ってどんなのだろう。
ミーアンドボギーマギー、アイウオントベンツ。

アドルフ小泉、
ワイシャツのタリバン岡田、
良くもまあ皆言うもんだ。
でも、あの代々木の茶坊主の緊張感の無い間抜け顔だけはいただけない、党首は顔だから。
いや間違った、人は顔だから。

BURIED ALIVE IN THE BLUES


■2005.10.28  morning   管理人 wrote

昨晩、帰宅のBGMはノラ・ジョーンズのフィールズ・ライク・ホーム。
夕闇にアコーステックのギター、ビロードのようなノラの歌声。
先日帰宅すると、珍しく駐車場に次男坊のスーパー・カブが鎮座している。
「今日は兄ちゃんの誕生日だからな」
彼は飲み会を断固撥ね付け、ご帰宅と相成った訳だ。



妻の車がない、どうやら予約のバースディー・ケーキを取りに行っている様。
蝋燭は大が3本。
「御免、父さんすっかり忘れてた、しかしもういい歳だな」
息子二人、四人家族が何時まで続くのか。
この状態が良いようで、良くないようで。


■2005.11.22  morning   管理人 wrote

出張の際立ち寄ったレコード・ショップ。
私のローカルとは違ってさすがの品揃え、しばらく眺めて楽しむ。
おっと!、岡林が有るではないか。
カウンターでお金を取り出していると、店員さんが困っている。

ジャケットには税込み2500円也の定価表示なのに、レジは2548円。
何度もレジをチェックしているが、しばらくして納得の表情で事情説明を。
「お客様、このCDは消費税3%の定価表示なもので・・・」
私は一昔前の在庫品をチョイスしたようだ。



そう云う訳で今日の通勤BGMはレトロなNEWレコード「私を断罪せよ」
岡林は一度だけライブを聴いた事がある。
何時だったか忘れたが日比谷の野音、前座はアリスだったような。
ヘルメット被って聴いたかどうかは定かでないが、それなりにコアな聴衆ばかりだった。

「手紙」
”差別”を真正面から唄った歌だ。
異議な〜し!、ではなく、やり場のない悲しみが込上げてくる異議有りの歌。
世の中を真正面から見据え歌った歌が聴けなくなって久しい。
歌の力が骨抜きにされて久しい。

もしも差別がなかったら
好きな人とお店がもてた
部落に生れたそのことの
どこが悪い なにがちがう
暗い手紙になりました
だけど私は書きたかった
 (作詞:岡林信康)

若者よ、どうかゲリラしてください。


■2005.11.30  morning   管理人 wrote

寒いのか朝なかなか起き上がれない。
出社拒否症候群かも知れないが、こんなに働いているので少しはいいだろう。
適当な理由をつけて2時間ほどの時差・社長出勤。
出掛けにCDボックスからランダムにチョイスしたのが Bonnie Reitt。



渋い好みの方で無いとご存知ないだろうが、
ハスキーな歌声と、ギタリストを上回るブルースギターが何ともいえない。
聴きようによってはカントリーとも聴けるが、私はブルースとして聴いている。
1949年生の同世代。

管制塔元被告団から丁重な礼状が届いた。
読んでるとまたまた目頭が熱くなる。
7月17日、ふとしたことから肩入れを始めたのだが、
色んな方々と暖かい交流ができた、何度も云うがお礼を言いたいのはこちらだ。
クリスマス・イブの感謝の会のご案内も入っている、う〜・・・・ん。


■2005.12.1  morning   管理人 wrote

ボニー・レイットのハスキーボイスに、しわ枯れた心が和む。
今日のCDはランダムチョイスではなくてセレクトチョイス。
CDレンタルショップのセコハン・ワゴンセールで買ったジョー・コッカー。
こんな良いCDがセコハン放出なんて、今の若い方の音楽シーンは寂しい限り。


昔の張りのあるしわ枯れ声が、歳とともに艶のあるハスキーに。
好みは女性ボーカルが殆どだが、数少ない男性ボーカルの一人。
私(等)のサウンドはメローな”泣き”のサビが入っていることが条件。
ポコポコのテクノや、気の抜けたラップは好きになれない。

未明に息子の車の音に気が付いた。
子供らの手本にならねばと気負ってきた人生だが、
『最後の最後まで闘うぞ・・・、闘うぞ・・・』って気持ちだけはバックフラッシしてたが、
現実は、どうやら息子等に追い越されてしまったようだ。
夜昼なしに働く我が子に、頭が下がる。


■2006.01.04  morning   管理人 wrote

昨日、サーバーの契約をすると早速お試し用のIDとパスワード、それに仮のアカウント(URL)が送られてきた。
お試し用といっても、アカウントの承認後はそのまま継続して使う領域。
嬉しくて弄繰り回していると元あったボルダーのディレクトリを動かしてしまい、元の場所が分からなくなってしまった。
サーバーにはホームページで公開する階層と同じ階層に、色んな機能を持つボルダーが有る。
管理者が色んな機能を使うために必要なフォルダーとファイル。

何でも適当に弄り回し、何となく分かって使いまわすという習癖。
何時もの様にあれこれやっていたのが間違い、アプリケーションと違ってマニュアルも無いし、再セットアップの奥の手も無い。
止む無く、未だ試用段階でサーバー会社に「救援とリカバリー」のお願いメールを。
これから先がどうなることやら。


・・・という訳で、少し寝不足の朝はCreamの「WHEELS OF FIRE」。
aaghさんの『Queenの「We Will Rock You」』という書き込みに触発されて、私も一発決めようとチョイス。
いい歳こいてCreamとQueen、お互い触発されることはいい事です。
かつて、こうやって最強のゲバルト部隊が出来上がっていったんです。
学校は未だ休み、あっという間にクロスロードとスプーンフルの2曲で職場に着いてしまった。


■2006.01.24  night   管理人 wrote

君と淋しい風になる

明日になれば どのように
僕は君を愛するだろう
時は短く
僕達はもっと短い

形の無い愛は
いつも僕をすり抜けて
いつか二人は
淋しい風になる

明日になれば どのように
僕は君を愛するだろう
時は短く
僕達はもっと短い

形の無い愛は
いつも僕をすり抜けて
いつか一人で
淋しい風になる
 

a boy


■2006.02.11  morning   管理人 wrote

食事をしている最中から眠気が迫ってくる、さすがに昨夜の夜鍋が堪えている。
相変わらず妻と二人、静かな夕食。
「オリンピックですね」、妻が話し掛けるが、そちらのほうにはとんと興味が向かない。
あんな面白くないものを、何故あれほど騒ぎ立て面白そうに創り上げるのか、
それに今更だが、国家行事とやらは嫌いだ。

いつものようにaaghさんのブログに訪問、
aaghさんの味わいある”ボケ”に心が和む。
いつも”突っ込み”を入れてやろうと虎視眈々としているのだが、
aaghさんの”ボケ”は間口が広い。
突っ込みが半端だと、間口を外してしまいそうでいつも躊躇する。
aaghさんと漫才コンビを組むには、まだまだ相方として役不足。
悔しいから文学部と土建屋学部のキャラ(本当はレベル)の差と言い訳しておこう。
ムービーを一本アップロードし早々と布団に潜り込む。


朝一番、私が中坊の頃のアイドル、HAYLEY MILLS が歌っていた曲が有った筈と探索を開始。
ネットで検索したら出てきた。
Let's Get Together、
ウン!、これは入手せねば。
早速、アマゾンをご訪問。


オヤジのレトロ趣味はこれほどふっかけられるのか。
定価2114円のものが中古価格で7334円より。
新品同様で13800円より。
それでもって新品の買い物篭は無い。

視聴盤もリアルのストリーミング再生。
これってダウンロードできない設定、自分がやっているからよく分かる。
メタファイルをリンクするととりあえず聞ける筈(直リンクのマナー違反はお許しを)。
ミルズの懐かしい声、オタクだな〜。


■2006.02.14  night   管理人 wrote


PEARL Janis Joplin


■2006.02.15  night   管理人 wrote

「そりゃ〜違うよ」
来るだろうな・・・と思ってたら、案の定来なすった。
日大全共闘は「右」の系譜には何故か拘る。
赤ヘルさんが、呼び名一つでああまで拘るのと同じと言えば角が立つだろうか?。

日大赤化防止同盟なる摩訶不思議な団体(フラクション)、其の団体名の意味をここで解釈するともっと角が立つので止めとくが。
「農闘委に在ったというのは正確でない」というご指摘。
法学部、経済学部、商学部、文理学部、それに農獣医学部の有志で横断的に血盟された・・・と云うのがその構成の正確な記述になるらしい。
この血盟、何故だか右翼・体育会とのゲバルトには異様に強かったとうわさで聞いている。

今回の親切なご指摘、何処の何方は伏せておく。
記述がかなりデフォルメ気味になっているが、
全共闘の主力は、いわゆるノンポリで構成されていたことも改めて断っておく。

クリックで再生 クリックで再生


■2006.02.21  night   管理人 wrote

生意気な奴。
頭が良くて、口が達者で、理屈の多い輩を私はこう呼んでいた。
口では勝てない、理屈では負けるので、生意気だというしかなかったのが、これまた悔しいのですが。
でも、一度も卑屈に思ったことはありません、
自分にとって、どれだけ前に出れるか、どれだけ先に突っ込めるか、それが大事でしたから。

その生意気な、頭の良い、学者先生の上野千鶴子姐御がこう書いています。
「私と同年齢の人たちの4年制大学への進学率は13%。女性にいたってはわずか5%で、人口の9割は大学に行っていない。そのうえ全共闘はシンパも入れて約2割、アンチ全共闘が約2割、残りの大学生の6割はノンポリだったから、大学闘争は世代のマジョリティーを巻き込んでいない・・・」

Peggy March

ウン、これは私が1年程前日記に綴った内容と同じではないか。
学者先生と同じ見立てだから私も優れていると有頂天になりそうだが、
こんな見立ては誰でも出来ること。
「全共闘に代表される団塊世代は・・・云々かんぬん」
こういう見方が間違っていて、的を得てないということを云いたい。
全共闘は団塊世代だが、団塊世代の代表でも特徴でもないのだ。

じゃ〜なんだって?、
そんな事は私の頭では分からん!。


■2006.02.22  night   管理人 wrote


Bye Bye Birdie  Ann Margret


■2006.02.23  afternoon   管理人 wrote

>サーファーズは、
たしか「アパッチ」というインストルナンバーで
わずかに有名になったような気がする。

aaghさんのブログで音楽ネタを見つけた。
懐古趣味は私だけではないのだ。
一安心!

apache


それでもって、サーファーズのアパッチを探しにいったが、
どうしても見つからない。
変りにベンチャーズのアパッチを張り付ける。
これは私が高二の頃のだったと思う。


■2006.02.26  morning   管理人 wrote

「健全な資本主義」・・・・・?、

そんなもの有ったのか、
病んだ社会主義なら知ってるけど。

Loco Motion


■2006.02.27  night   管理人 wrote

>わかっているかい
イエイエベイビ
で、始まる曲が、思い出せません。

aaghさん、私もこれだけでは分かりません。
めいどいんじゃぱんなのか、めいどいんゆー・えす・えーなのか、めいどいんゆー・けーなのか?
そこいら辺りでも情報があればよいのですが。

Helen Shapiro You Don't Know

ここんところ気分が鬱気味で、
昨日の、平和主義者と帰化人とやらの訳の分からぬ掲示板の書き込み、
問答無用、即刻削除です。
何処の何方か知りませんが、ついでに投稿拒否設定をかけました。
私はこういう物言いは嫌い!、理由はそれだけ。

「健全」とか、「理想」とかを語れるのは社会主義だけだと思っていたのですが、
弱い者を踏みつけない、
貧富を生み出さない、
そんな「健全」な資本主義があるのなら、
今からでも乗り換えてもよい。


■2006.02.28  night   管理人 wrote

昼飯食ったら、何時もはデスクで転寝をするのだが、
今日はおにゅーなパソコン、
FTPソフトをインストールしたついでに、こっそりmyホームページにアクセス。
あくまでおにゅーなパソコンの使い勝手の検証ということで。

Paul Paula

もう直ぐ、躁鬱振幅の一番激しい弥生三月。
2月バリケードを失い、中大、明大と渡り歩いた1969年三月、
・・・・が去り、取り残された阿佐ヶ谷1971年三月、
この二つの思い出だけで、三月は嫌いだ。
三月の思い出は切なく哀しい。


■2006.03.14  night   管理人 wrote

summertime Billie Holiday


■2006.03.22  night   管理人 wrote

八月の濡れた砂



■2006.04.01  morning   管理人 wrote



万国旗を貼って博覧会・・・?、
3月度に、当ホームページへご訪問頂いた国々の旗です。
この他に国籍不明ipも少なからず有りますが。
間違い訪問も含めて、20数ケ国になりました。
米国、豪州がダントツなのは変わり有りませんが、隣国の韓国の訪問がその次に続いています。

韓国の特徴は、アクセス数の割にはアクセス容量の大きいこと。
つまり、大容量のムービーを熱心にご覧頂いているようです。
詳細なアクセスログ解析でもその事が裏付けできます。
これは、韓日友好に役立っているのでしょうか????・・・。

もしも可能であるならば、
私は、1968年5月の仏国の「五月革命」を、
メデイアの記録ではなく、当事者の記録で見てみたいのですが、
私が発信しているように。

We Shall Overcome Joan baez

WEBは色んな意味で大変なツールです。


■2006.04.01  night   管理人 wrote

朝から庭仕事、お洒落に”ガーデニング”と云いたいのだが、
傍目では、どう見ても野良仕事のオジサンなもので、
我が家は親爺の時代から”庭仕事”。
塀に這わせているつる薔薇に花芽が沢山付いているのを発見。

昨年はどうだったのかな、と一年前の日記を見に行くと4月22日に写真をアップしている。
白で一重の小振りの花が塀一面に咲き誇る。
この生育具合だと、今年は昨年より1週間遅れのよう。
この日記、庭仕事日記としても結構役立つのだ。

Amezing Grace Joan baez

今週は目まぐるしく繁忙、定刻退社できない日が続いた。
厳しい業績で、職員の待遇条件の大幅な切り下げを進めてきたのだが、
月末、新年度を前に突然の早期退職者が立て続いた。
それぞれ30年近く一緒に頑張ってきた同僚なので寂しい思い。

経済が一向に上向きを見せない、未だに沈みつづけているローカル。
僅かばかりの早期退職割増金を支給するのだが、
都会のように、転職先があっての決断ではない。
50台半ばは、去るも残るも、厳しい世代なのだ。


■2006.04.02  morning   管理人 wrote

4月の柔らかい雨が降る。
明日は私の勤めるビルにも、希望に胸膨らます若者が見られるだろう。
傍らで、矢尽き刀折れ、職場から同僚が去る。
定年まで一緒に働き通すと疑わなかった同僚、後僅かなのに。

このページに結構飛んできているリンク元のページへ少しご訪問。
悪いけど・・・、アクセスログ解析でリンク元が分かる訳。
私のページはリンクフリー。
リンクは大歓迎です。

それにしてもこのページは面白い。
ロフト創始者?の、平野悠さん。
中大四トロに居たと堂々と”カミングアウト”
しかし・・・、掲示板は荒れ放題、こういういい加減さは良いのだ!
さすらい人の唄」という日記がライブのよう。

Amazing Grace Judy Collins

みにもにさん、4月1日のダイアリーでの紹介、有難うございます。
aaghさん、ロフトは常連だったのでは?


■2006.04.02  night   管理人 wrote

今日三度目の書き込み、フッ・・〜、
やっと見つけたよ、aaghさん。

500Miles_CrulWar PPM


■2006.04.03  morning   管理人 wrote

Jさんに応えて、Judy Collins をもう一曲。

1970年だったかな、親の経済制裁で食い詰めていた。
寒い冬の時期だった思う。
桃井コンミューン同居人(といっても私が居候だが)のM君がいいバイトの話を持って帰ってきた。
芸術学部の映画学科、卒業作品の出演依頼だった。
確か日当1000円だったか。

Someday Soon Judy Collins

新宿から丸の内と、都内の数箇所でのロケも含め1週間程。
ゲバルトで擦り切れたコットンのVANコートにチューリップハット。
私と、同じく同居人のY君が二人主役。
フーテンの若者の役柄だったが、地のままで全くオーライ。
そのころの私といえば、髪は有り余り、レゲエのお兄さん風情であったのだ。

話は長くなったが、その卒業作品にBGMで流れたのがこの Judy Collins 、
私には特段の思い入れが有るのだ。
面白いことに、昨年の今頃も同じような事を日記に綴っている。
進歩が無いのだ。


■2006.04.04  morning   管理人 wrote

想定範囲内のリアクションは良しとしないのだが、
aaghさんの挑発には断固応えるのだ。
しかし、レアなオールディーズには参った。
テンテケ・テンテケの「太陽の彼方に」は見付からず仕舞い。

Misirlou The Astronauts

これで許してくんろ・・・。


■2006.04.04  night   管理人 wrote

そうか、joe cocker ときたか、kaze さん、
これも頂き。
昨年12月1日に、最近のジョー・コッカーを綴ったばかり、
ジャニスとコッカーは桃井の定番だった訳 。

Feelin' AirightJoe Cocker

桃井のアパート、1台しかないステレオ。
一号室にライト・スパーカー、
三号室にレフト・スピーカー、
二号室の住人がお呼びになったツートンカラー車、赤色等の点滅がコッカーのダミ声と混ざる。

少し自慢話。
オイラはサーファーじゃないけでサーフィンできるぜ。
遥か彼方をタイフーンが通るとき、
ジブシートを目一杯緩め、ランニングでうねりに75度。
セイルクルーザーがうねりの山に乗ってサーフィング、
これって堪らないのよ。


■2006.04.11  night   管理人 wrote

思いのほか早くCDが届いた。
相変わらず繁忙。
映像とミックス、こういう紹介はチトまずいかな。
死んだ男の残したものは

CDクレジット
ベトナム反戦運動のために作られた曲。
1969年7月録音、高石友也。


■2006.04.13  night   管理人 wrote

これは善い・・・・・、
この壊れっぷりは実に善い、
私も歳をとったものだ。

こういうのを久しく聴かなかったのだろうか、
涙がにじんできた。
危ないから止めていたドライビング・ムービーを撮る。
「宝船」、小林隆二郎
この曲に涙する親爺、この指とまれ!


■2006.04.14  night   管理人 wrote

avexに張っ倒されるかも、
今までで一番とは言わないが、今年聞いた曲では一番、
ぶっ壊れた善い曲だ。

「宝船」 小林隆二郎

ああ 沖にみゆるはアメリカ船
幸せもたらす宝船かえ
いえいえ それは血のにじむ
コカ・コーラと爆弾 それに基地

ああ 沖にみゆるはヤマト船
幸せもたらす宝船かえ
いえいえ それは鼻摘む
公害ヘドロの 海洋博

信じちゃならねぇ ヤマトンチュウ
信じちゃならねぇ アメリカ
必ずくるさ 宝船
お前の心の その中に

歌う俺はヤマトンチュウ
長い歴史のあか花を
千切ったその手を裏返し
祖国復帰とさわぎたて

聞いているお前らは ウチナンチュウ
話す言葉は ヤマトグチ
忘れちゃならなぇ
ウチナワの言葉 あか花 青い海

信じちゃならねぇ ヤマトンチュウ
信じちゃならねぇ アメリカ
必ずくるさ 宝船
お前の心の その中に
 

俺はいまでも覚えている
東京タワーの叫び声
包丁握ってせまりくる
わんがうまりゃ ウチナワと

戦争ゆるした親の親
差別ゆるした親の親
そんなすべてにアグラかき
知らん顔して何してる

信じちゃならねぇ ヤマトンチュウ
信じちゃならねぇ アメリカ
必ずくるさ 宝船
お前の心の その中に
 

CDクレジット 
神戸大中退、今は地下鉄の労働者。
片岡ユズル、中川五郎らと一緒に今も「かわら版キャラバン」などで頑張っている。
このうたは73年に彼が沖縄でつくったもの。74年5月沖縄でのライブ録音。


■2006.05.02  afternoon  管理人 wrote

薄曇、少し湿気があるしっとりとした涼しい風が吹く抜けていく。
午前中、庭にしゃがみ込んでクリスマスローズのこぼれ種を拾う。
世間様と少し違う、変則的な連休。

コーヒーを点てて、CDを聴きながら昼から珍しく読書を。。
最近お気に入りはショパンのバラード、1000円という廉価も懐に魅力で手に入れた。
その筋の方が「カツァリスはリズムをデフォルメしていて少し硬い、ルービンシュタインの演奏は自然なリズム感、伸びやかに歌いテクニックは言うこと無し、体にすっと入ってくるような感じで」、と少しキツイ評だが。
ルービンシュタインのアナログは夜用だが、こちらカツァリスは昼下がりに良い。


バラード第1番ト短調op.23、少しさわりを云うことで何時もの携帯ムービーを。
テーブルに映るものは、決して飾りではない。
読書を嗜まぬ私が、試練と思い心して少しずつ読み進めている本。
ある方から贈っていただいた有り難いものだ。

今晩はBSで”フー”の音楽番組が有るそうだ、DVDにとらなくては。


■2006.05.03  morning  管理人 wrote

政治的でない私でも、つくづく政治だなと感じる事がある。
大統領閣下に逢えた方々、その思いが行く着くところまで行った訳だが。
国と国を挟んだ事件だから、事は刑事ではなく政治。
意図したのかしないのか、家族の方々、結果的に政治の頂点に立ってしまっている。
かつて私らが、一瞬だが行き着いたところだ。


Calling You aaghさん、カバーの”Holly Cole”なら見つけたよ

辺野古も普天間も、岩国もこの事も、そして3兆円も、、
みんな後ろで繋がっているのだなって感じる。
伴侶がいみじくも言った、
「何故、頼るところ、行き着くところがUNではなくUSAなの?」


■2006.05.13  night  管理人 wrote

aaghさんがあっちで時々挑発しているもので、
ピーター・アンド・ゴードンならこれでしょう。
しかし、渋いところをお好みですね。

A World Without Love

彼ら、結構女の子に人気のあったんですよ。
To Know You Is To Love You
私はこの曲がお気に入りでした。


■2006.05.27  morning  管理人 wrote

aaghさんの昨日26日のブログ
ネタが古い、使いすぎだとコメントされているから少し援護射撃。
ここでなら直のやりとりじゃないから良いだろう。

私の日記はブログでなくて良かった。
定期的に同じネタを使っているから、謗りのコメントで溢れるかも。
でもね、私はaaghさんのネタ、何時読んでも新鮮だと思うよ。

先輩も掲示板で言ってたけど、
人柄は文章ににじみ出てくるものだよ、
aaghさんのネタの奥深さは、行間に隠れていると思う。
行間を読み取るのは、読む人の感性。

チューリップのアップリケ


■2006.06.28  morning  管理人 wrote

どちらかと言えば反米愛国なのだが、
カルチャーは物心ついた頃から米国ドップリ。
進駐軍の記憶が残る最後の世代、
米国への憧れ、’50〜60年代アメリカンポップスを聴いて育った。

この2〜3週間の間、猛烈に忙しかった。
朝、携帯のスケジュール帳を開けると、おぉ・・予定が無い!
そういう訳で今日は急遽休暇を取得。
捨てようと片付けていた大量のビデオの中に「MONTEREY POP '67」を発見。
'88年の録画だから18年も前のビデオ、カビけてなくて再生できた。

DVDに焼く前に、画面を携帯ムービーで撮ってみた。
サーバーも余裕があるので、アップしてみた。
TVの画面だからいいだろうと、何時ものように納得してみた。
最初に「SAN FRANCISCO」、説明は要らないだろう。
ジャニス、ジミヘン、フー、ジェファーソンエアープレイン、ママスアンドパパスなど順番にアップ予定。

無料版で充分 を入れてないと観れないので、悪しからず。


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