管理人日記2006年8月

 
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■2006.08.31 night 管理人 wrote


John Denver - Take Me Home Country Roads (1971)


■2006.08.30 morning 管理人 wrote

プログラムの一覧なんぞはついぞ見たことが無かったのだが先日、
「ムムッ・・・、俺のパソコンにはパワーポイントとアクセスが入っている!」
仕事で使っているパソコンは、オフィス・プロフェッショナルというパッケージソフト入りだったらしい。
そういえば、購入するとき「テンコ盛りのソフトを入れときましたよ」と電気屋さんが云っていた様な。
買って数年経つのにこのソフトの存在に気がついていなかったのだ。

ここ数年で鍛えられたオタク魂がムクムク。
アクセスはそこそこ分かっているのでパス、パワーポイントは作ったものを仕事で見る事はあるがソフトをいじるのは初めて。
ソフトを立ち上げると、コマンド類はエクセルと限りなく似ている。
「何!、ムービー、サウンド、アニメーションの抽入」、これは私の得意分野だ。
早速、携帯カメラでサンプルムービーを撮影し、MPEG4のオリジナル動画をエンコーダーソフトでwmvとaviの二つのファイル形式に変換。
オリジナルで2.5MBのものがaviでは950MB、wmvでは12.5MBに変身、当然wmvを使用。
BGMもMP3とMIDIの二つを用意。
テキストやタイトル、吹出し、アニメーションを入れると、立派なムービー入りのプレゼンテーション作品が出来上がる。

ここで、はたと気がついた。
我が職場の広報部門や企画部門はパワーポイントを殆ど使わない。
紙のレジメにパンフレット類の旧態依然。
ここは一つ世代が逆転して、若い者にレトロ親爺が活を入れなければ。
職務でWEBの技術を習得させていただきMyホームページの世界が開いた。
少し頑張ってオタクのテクを職場にお返しさせていただこう。


■2006.08.27 morning 管理人 wrote

昨夜、同学科の仲間から電話が入った。
彼にも案内が来たよう、私の出欠の”方針”の確認だった。
其の時期は仕事の催しが目白押しなので、決めかねているが、
案内状には「勝手ながら、会場の都合でーーー名で受付を終了させていただきます、・・・・・」
員数に制限があるので、早めに決めなければ。

「仲間達が集いはじめ、僅かずつではあるがその輪が広がっている」、と一昨日に記したが、
予め員数制限の案内を出さざるを得ない状況は「急激に輪が拡がっている」と訂正。
日大全共闘の平均年齢が60に手の届く昨今、皆にも時間の余裕が出てきたことも有るのだろう。
かつて最強・最大を誇った日大全共闘、時代を経た再結集でも先陣を切りそうな気配だ。

明日以降、万難を排し、職権を乱用し、早急にスケジュールを”操作”しなくては。


■2006.08.26 night 管理人 wrote

余りの残暑に日記を端折っている訳ではないが、
いい曲が有ったので、勿論ムービーもだが。


Is It For Freedom? Sarah Thompson   Where Have All The Flowers Gone



■2006.08.25 night 管理人 wrote

I'll Be Seeing You         I wish I were a princess


ペギー・マーチとビリー・ホリディ、お父さんは堪りません!


■2006.08.25 morning 管理人 wrote

へとへとなって我が家に帰り着くと、妻もソファーにダウンしている。
週末近い日の我が家の風景は何時もこんなだ。
テーブルに目をやると封書が置かれている、
裏面の差出人は先般6月22日と23日の日記に記した先輩からだ。
「ああ、来たな!」
もう直ぐ来るだろうと思っていた便り。

'70年〜'71年を境に、日大全共闘の主力部隊は見事に瓦解していった。
其の問いの根源性、戦闘性ゆえに、極一部を除き、全共闘の形を持って学園に生き残る事は無かった。
それ以後、殆どの仲間が例外なく沈黙に入った。
その仲間が10年程前からとポツリポツリと横の連絡を取り合い、集まり始めたらしい。
その事を知ったのは、3年前の私がこのホームページを始めた直後。

日大全共闘の組織ベースはあくまで学部、学科の闘争委員会。
思想的にセクトの影響を受けた者も居たことは居たが、
主体は学内民主主義に則ったノンポリ集団で、学部・学科を横断する全学連のような組織だったと私は思っている。
いわゆる全学連と違ったところは、徹底した直接民主主義の手法を執った事と、妥協を許さない戦闘性だった。

10年程前から、その仲間達が集いはじめ、僅かずつではあるがその輪が広がっている。
40年近く前の気持ちのまま入っていける同窓会の形式をとっていることも、肩を張らず、気負い無く参加できる要素だ。
40年近く経っても、かつての日大全共闘の開かれた組織性は脈々と生きている。
「来るものは拒まず、去る者は追わず」

今年の集いは某所、某日。
差し障りがあるので、此処には詳しいことは書きません。
理工学部闘争委員会の仲間で、期間限定の私への連絡先(1ケ月程有効、それ以後消去)は下に。
不確かなサーバーやIPなど、成りすましからの連絡は受け付けません、その点の見極めはこの親爺はオタクですから(笑。

abcアットマークz930.com
スパム防止のためアットマークを@に置き換えて下さい。


■2006.08.24 morning 管理人 wrote

週の折り返し点の水曜日を越し木曜日となると疲れも絶頂。
長男は親睦のソフトボール大会から帰ると、打ち上げだろう、そそくさと出て行った。
次男坊は夜も更け、土のついたじゃが芋や胡瓜、茄子などを袋一杯持って帰ってきた。
寄る年波だろう、息子二人の元気さが羨ましい。

先日からプラウザをFireFoxに変えていたが、やっと慣れてきた。
一言で言えば”シンプル”。
慣れてしまえばIEとも遜色ない。
何にも増してイスラエルを支援するマイクロ・ソフトでないというのが良き事だ。

ついでにメール・ソフトも同列のThunderbirdという奴をダウンロードしてみた。
パスワード以外の設定でアドレス帳、受信メールホルダーなどは、インストールの時に自動で移行してくれるのでややこしい設定はしなくてよい。
こちらも慣れれば、マイクロ・ソフトのメーラーから完全移行しようと思っている。
いずれもIEやOutLookと比べ、”悪意のある攻撃”が殆ど無いというのが良いのだ。


■2006.08.23 night 管理人 wrote


■2006.08.23 morning 管理人 wrote

珍しく次男坊が陽の明るいうちに帰ってきている。
茶の間でテレビを見ていた次男坊が「母さん、あれは兄ちゃんではないか?」とニュース番組を指差したらしい。
「貴方、長男がテレビに映っていましたよ」、茶の間の下りていくと妻の報告
「何で映っていたの、仕事の関係?」
「さあ、どうしてかしら?」
悪いことでは無さそうだが、よく分からない会話が続いた。

またまた珍しく、先日は次男坊が助手席に。
最近は仕事に慣れてきたこともあって、朝の会話は少ないのだが、普段と少し表情が違う。
息子とは長年の付き合いだ、話したいことがある時の表情は直ぐ分かる。
誘い水で「仕事はどうだ?」

先日、勤め先の部署間の調整会議が有ったと言う。
偶々、課長が不在で補佐が出席することとなったらしいが、懸案の調整事項の担当が息子だったらしい。
出るとは思っていなかった会に、補佐につれられて出席と相成ったという。
息子は部署でも末席、会議は後列に待機と思っていたらしいが、意に反して最前列の課長席へ座らされたらしい。
並み居る列席者は、人事や関連部課の課長連、終始ビビリながらも何とか会議を終えたと話してくれた。

返して親爺といえば、仕事の業績は止まらない悪化。
もともと五体は人並み以下の虚弱な造り、反面、根性は遠い昔に何故か鍛えられて人並みより少し曲がっている。
このアンバランスが弱い内臓にくるのか、胃に穴が開きそうな昨今。
そういえば高校野球の監督は胃に穴が開いたらしい、屈強な五体に繊細な神経だったのだろか。


■2006.08.22 morning 管理人 wrote

気温が35〜6度になってくると、私は30度設定のエアコンでも快適だ。
30度というのは、我が家のエアコンの冷房設定が30度までしかないので、
外気温より数度低ければエアコンの除湿機能が働く、
不快感は湿度と温度の相関だから、湿度さえ下げられれば32〜3度までは快適と感じると思うのだが。
省エネをいうなら、冷房温度設定35度までの機種を出したら良いのにと思う。

エアコンを使わないのが省エネの究極とうたう自然派の方も多い。
その方々の生き方は、もう信仰にも近いのではという意味で”原理主義者”と私は呼びたい。
勿論それは省エネであろうが、うだる環境で失うものも多いと思うのだが。
昔は皆我慢していたというが、生活環境は一変している。
申し訳ないが私は、そこのところは世俗派で改良主義、我慢しない。
私のためにも是非、冷房温度設定35度までの”地球温暖化対策機種”を発売して欲しい。

朝、新聞を取りに庭に出ると、ひやりと冷気。
そこまで秋がやってきている。


■2006.08.20 morning 管理人 wrote

[LIVE] 椎名林檎 1996

降ったり止んだりのはっきりしない天気。
ラッパの大将さんから季節の便りが、
何でも著名なKANさんと話す機会が有ったらしい、どんな話をしたのか詳しく聞いてみたいものだ。
もう一通、リンクを貼って下さっている方にメール出していたら返事が入っていた。
同世代の方、「私のページに勇気付けられた」と書かれている、嬉しい限りだ。

わたしの好みは”童子”も”林檎”も一緒。
かつて”ビリー”と”ジャニス”を聴いたときも感じるものは一緒。
表現方法が対極のものは、返って通じるものがある。

しかし・・・・・、さんざん利用していて言うのも何だが、
You Tube はかなりまずいと思うのだが。
”ジョン”のイマジンがBGMに使われているクリップは、画面貼り付けタグが公開されていない。
管理者もさすがにこれはまずいと対応しているのだろうが、
一日に35000本が投稿されていたら、全て管理し尽くせないはず。
最終的にサービス停止に追い込まれた第二のNapsterになる可能性も大、そんな事が日経のサイトに書かれていた。


■2006.08.19 morning 管理人 wrote

森田童子「さよなら ぼくの ともだち」

11日に紹介したムービー「not in our name」、
どうもこれは声明文のようだ、
それらしいサイトを見つけた。


■2006.08.17 morning 管理人 wrote

毎朝、出かける前にキャビネットからランダムにCDを一枚選ぶ。
昨日がサンタナ、その前はデープ・パープル、今朝はリリー。
結構なCDコレクションはこの手のものばかり。
ラッシュで40分ほど、空いてると30分足らずの通勤、調度CD一枚分の距離。
リリーのハスキーな歌声が車内にあふれる、
そういえば等身大のポスターが有ったのだが、30数年も前の話なので何処に行ったのか。


パソコンとの出会いは何時だったのだろうか。
職場の研修でN社の講習を受けさせられたのは'80年代も半ばだったような記憶。
三角形の面積を求める簡単なベーシックのプログラムを書く講習、訳が分からず作ったプログラムを保存する先はTDKのカセットテープだった。
私のパソコンの進化はそこで止まり、仕事で使うオフコンに進んだ。
仕事で求められた技はリレーショナル・データベース処理、マシンのCPUのクオーツロックは18MB。
ディスクは100MBもあれば「オオッ・・・、フロッピー100枚分もの容量が!」と感激したものだ。
フロッピーを差し込めばカッチン・カッチンと回転音が聞こえる、
この無機質な作業が性に合い、既にこの頃オタクの芽が出ていたのかも。

再びパソコンへ復帰したのはMS-DOSが終焉しWindows95が登場してから。
生粋のオタクはこの前後からパソコン通信とやらを既に始めていたというが、私は仕事が要求する表計算の範囲で、パソコンで通信するなんぞは夢のまた夢。
状況が劇的に変化したのは5年前、ホームページ自作のためのWebの80時間講習を強制的に受講させられたことだ。
自発的意思ではない、業務命令に近い講習だった。
意識朦朧、脳みそフリーズの連続だったが、この結果HTMLのタグと画像処理ソフト、FTPソフトが使えるようになった。
私のWeb元年、親爺オタクの誕生だ。


■2006.08.16 morning 管理人 wrote

物事を洞察する緻密さ、僅か数行で心一杯にしてくれる語り。
私が好んで訪問するブログだ。
それと比べ、経験だけは負けてないと思うのだが、読書が足らなかったのか、IQの不足なのか、
色んな事象に思いはふつふつ湧いてくるのだが、その丈を表現できない歯がゆさが身に染む。

妻が生協で買い求めたフェアートレード商品というものが有る。
コーヒー豆から食用油、テーブルクロスなどそう多くはない品なのだが。
多国籍企業のアグリビジネスに買い叩かれている農産物。
其の商品の後ろには”収奪と貧困”が伴っている。
貧しい国の犠牲の上に”法外な豊かさ”があるのを忘れてはいけない。


生協以外でも色んなネット通販があるようです


パスタが好きな方にはこれがお勧めだ。
パレスチナに愛を!


■2006.08.16 night 管理人 wrote

No more war !  No more hiroshima !



■2006.08.13 afternoon 管理人 wrote

「今日はオタク道に専念なの!」
Flash8、せめて1mmぐらいは進まなければと、日曜日の外出を促す連れの誘いを断る。
作品にチャレンジとCDから一曲チョイス、ところがFlashが受け付けない。
Flashはmp3かwavのみ読み込み可能とマニュアルに、このファイル形式ヘエンコードするフリーソフトをネット探しで小一時間。
ところが、このエンコードソフトに付随のプレヤーが一緒にインストールされて、今度は標準装備のWinメディアプレヤーが動かなくなる。
ムービープレヤーは勝手に切り替わって動くのに、このオーディオプレヤーにはブチ切れ寸前。

ネット探しの途中で、You Tube のムービーをダウンロードするフリーソフトの情報に出会う。
ストリーミングサーバーからは容易にダウンロードできないと思っていたので意外。
興味はそちらに、video down loaderというサイト。
早速、エンコードソフトの事は忘れてそちらにトライするが、ダウンロードしたムービーファイルはflvという未知の拡張子。
このファイルを再生出来るように変換するフリーソフト探しにこれまた小一時間。
flvプレヤーなるものをゲット。
ここまでは良かったのだが、何処でどうなったのかこのホームページのFlashムービーを再生しなくなった。
PCでインターネットを開き、私のページを開いてもトップページもムービーページも、ムービーも再生しない。
You Tube のムービーは再生するのに、私の創ったムービーを再生しなくなった。

試しにバイオのPCで開けてみると問題なく再生してくれる。
どうもIEの設定を変えてしまったようだ、トホホ・・・・・。
やい、マイクロソフト、テメエには愛想が尽きた。
そこでハタと思い付いた訳だ、「そうだIEには三行半だ、Firefox がある!」

天野屋さんの言っていた「Sカフェ、飲んだ奴は、共犯だ」を正確に翻訳すると、
イスラエルを支援する企業のトップワンはスターバックスコーヒーちゅう事なのだ。
其の次の次ぐらいにマイクロソフトがいる。
かなりのこぎつけで無駄な抵抗だとは思うが、プラウザは Firefox に変えるのだ、この際大義名分がある。
Firefox で開くと再生してくださる・・・・・、有りがたい事だ。

今日の日記は少し長くなるが、
You Tubeで「パレスチナ」とか「イスラム」でサーチを掛けると、プロパガンダのムービークリップが出てくる。
なかには20分を超えるものも有る。
イスラエルの非道さを訴えるもの(と思う)
聖戦へ呼びかけるもの(と思う)
そして、その反対のプロパガンダも当然有る。
それぞれ結構なアクセスカウント数が出ている。
米国で生まれたサイトなのに皮肉なものだが、これがWeb2.0なのだろう

パレスチナのムビーを幾つかこの日記に貼り付けたのだが、
親切な方から忠告があった、
イスラムやパレスチナのプロパガンダに協力的なメッセージを出すと、その筋からマークを受けやすいと。
私のような個人サイトは余計にマークされると。
その筋とは日本に限らないらしい。
インターネットとはそういうことなのだ。
ということで今日の1作は。

The Heart of a Muslim

 


■2006.08.12 afternoon 管理人 wrote

Hasta Siempre


■2006.08.12 morning 管理人 wrote

私が勝手に名付けた Flash movie の「not in our name」を聞きながら。
Flash8の進捗は0、数ミリ、先は長い。


日の出と共に墓所へ出かけた。
蚊取り線香3巻き、一面に燻らせながらゆっくり草むしり。
母方のご先祖様と父と母が眠る墓前に庭で咲き誇るランタナを供えた。
父は私が39才、母は40才の時逝った、もう少し長生きして欲しかった。


■2006.08.11 night 管理人 wrote

who's the terrorist ?
              not in our name


ヒップ・ホップやこの手のサウンドは好みではないけど、これは別だ。

本格的なFlashのマニュアル本を買ってきた、
厚さ30mmオーバーだ(力が入るのだ)
ウヨに負けてなるか、
私のオタク魂が許さないのだ。


■2006.08.10 morning 管理人 wrote


(You Tubeのオリジナルサイズで観たい方は画面をダブルクリック)

ウヨには悪いが、俺には俺の使い方が有る。


■2006.08.08 morning 管理人 wrote

やはり・・・、やっぱりなのだ。
米国サイトなのでイングリッシュ・オンリーと思い込んでいたのだが。
投稿画面で”タグ”の設定を要求される、
私の理解する”タグ”は、HTMLの言語なもので戸惑ったが、
この場合のタグとは、投稿作品のインデックス、検索単語のよう。
ちなみに、私は”フォークソング”と、日本語で入れるとちゃんと表示される。

爆発的に増殖している米国のYou Tube。
日本で200万人が見ているとされている・・・・ので、
あの層が動かないと・・・・・・・、悪い予感がした。
竹島、靖国、韓国、反日とネットウヨのタグを入れてサーチしてみた。
出て来る、出て来る、出て来るわ!、ごまんと溢れている。
論客の諸氏のTV討論番組、某都知事のテレビ出演番組、自衛隊の演習ビデオまである。

さすがにネットウヨの坊やが自ら主演のビデオクリップはない。
そんだけ言いたいのなら、自ら出演作品を創ればよいのに(覆面は認める)。


■2006.08.07 night-V 管理人 wrote

これって、最初の方の幾つかのシーンは日大全共闘だよね


■2006.08.07 morning-U 管理人 wrote

You Tubeへ投稿してみようと思い、無謀にもこのオタク親爺が挑戦。
ユーザー名では既に登録ありで何度もはね付けられる(泣、
keit、motomoto、等々英語のまともな並びはまず無理。
日本語が受け付けられるかどうかは未確認。
いかに登録者が多いかうかがい知れる。

今はページ丸ごと翻訳があるから、英語ならそうバリアーは高くない、
・・・・・無いと言いつつこれが苦労!
一様、「著作権の有るもの、ワイセツはダメよ!」、ちゅう警告がある。
実際、投稿されているものは、んなもの皆無視してるようだが。
でも、ワイセツなものは無いから、そちら系を期待するなら行っても無駄と、代わってお断りしときます。

ブログに投稿する手順とさして変わりなし、
翻訳の内容が所々笑えるのだが。
ブログやHTMLのページに貼り込むタグも提供される、
ちなみに私の携帯で撮った何でもないムービーを投稿(著作権は私)したが、恥ずかしいからここではHasta Siempreで提示されているタグを貼り込んでみた。
ヘルプには、ムービーのファイル形式は殆どのものが、ファイル容量も100MBまでOKらしい。
僅かな容量で細々とやっている方には、代用サーバーにも重宝のよう。
You Tubeのオリジナル画面サイズより、HTMLタグを書き換えて2/3に縮小。

日本で200万人、世界の数億人に見られ、一日に4000万回アクセスを受けるサイトに今私のムービーが実際に座っている。
皆、プロパガンダに使わない手は無いと思うのだが。
もう、立派な”オタク”だ

 


■2006.08.07 morning 管理人 wrote

時流に乗ったビデオ投稿サイトの「You Tube」に夢中になっている。
もう観れないと思っていたレアな映像がある。
チェ・ゲバラのそれはもう涙ものだ。
Hasta Siempre(スペイン語で「いつまでも・・」)

映像は概ねメディアが握っている。
握っているのと合わせて、公開の是非もメディアが握っている。
そのメディアが時の権力者の顔色を伺っている。
流される情報も映像も管理されたものだ。
最近のメディアにその傾向が顕著と感じるのは私だけだろうか。

Web2.0のロングテール理論とはこういう事を言うのだろうか。
何十万、何百万の大衆が個人的に収録している映像をアナーキーに公開する。
玉石混合だが、分母が大きいから玉も少なくない。
テキストでは敬遠する者も、映像ではバリアが低い。
プロパガンダとしても十分にその役割を果たす。

>すでにGoogleやYahoo!を追い抜く日経BPサイト

 YouTubeには現在,1日に3万5000本のビデオがアップロードされ,1日当たりの再生回数は4000万回以上という。ビデオ・サイトにおける訪問者数のランキングでは,MSNに次いで第2位。すでにGoogleやYahoo!のビデオ・サイトのそれを上回っているという大変な人気ぶりである(米Nielsen//NetRatingsの調査資料)。

 また先ごろ公表された別の調査では,日本からの利用者が多いことも分かったという(図1,関連記事)。日本からはすでに1カ月に200万人以上が訪問しており,そのリーチ(利用率)は米国のそれとほぼ同じ。YouTubeは日本でも米国並みに浸透しているのだという。これは,英語で提供されているサイトとしては「珍現象」。ビデオのコミュニティーにおいては,言葉の壁はあまり関係ないといった感じである。

我が国の業界は、やはり著作権侵害と見ているようだ。
日本のビデオ投稿サイトのそれは、多分に著作権に配慮し、
良い悪いは別にしてだが、You Tubeのような勢いを持つことはないだろう。
しかし、ネットはボーダレスでワールドワイド&アナーキーなのだ。


■2006.08.05 morning 管理人 wrote


Hasta siempre:いつまでも(忘れない
Che Guevara1
Che Guevara2
Che Guevara3
Che Guevara4(Hasta Siempre)
Che Guevara5
Che Guevara6(Hasta Siempre)
Che Guevara7(Hasta Siempre - Boikot♪)

Hasta Siempre Comandante Che Guevara mp3(右クリックでダウンロード可、3.09MB)
http://www.hastasiempre.it/で公開されています



■2006.08.04 morning 管理人 wrote

仕事で難問山積、この歳になると少しは思慮深くなっていますが、
反面、同時並行で一度に多くの事に対処でる能力は大きく低下しています。
あちらに対処すれば、こちらがズル抜け、
所詮出来る範囲でしかできないのだから、まあ老人力と諦めています。

しかし、難問山積と嘆く割には、オタク度は進化しています。
先日は、仲間よりうれしいご配慮を頂いき、これで心置きなくオタクに専念できる条件が整いました。
ネットは何でも有りの世界ですが、良き方向に使えば限りなく良きものです。
私はネットに関してはoptimistであろうと思っています。

昨夜の閲覧履歴
(かなりのレアものですぞ)
Lesley Gore - It's My Party - Judy's Turn to Cry (2 songs)
The Supremes - Baby Love
"Poupee De Cire, Poupee De Son"-France Gall
Dixie Cups - Chapel of Love (1964)
Peter, Paul and Mary - If I had a hammer
Byrds - Mr.Tambourine Man
Del Shannon - Runaway (1961)
番外?
Paris 1968 2006 Manifestations
Springtime for Paris

 フラッシュ・プレーヤーのインストール
いつも言ってるけど、観るにはこれが要るからね



■2006.08.03 night 管理人 wrote

そうだよね、天野屋さん。
私等は勝ったんだよな!

'68年9月30日、そして翌日の10月1日の未明。
もう殆ど記憶がない。
どうやって両国の日大講堂へ行って、どうやって理工一号館バリケードに帰還したのか。
憶えてないのは私も同じだよ。

かすかに残る記憶は、講堂前であちら側の方々と罵声を浴びせあった事。
角材、ヘルメットで講堂へ突入したこと。
演壇を占拠し、角材を床に打ち付け団結力を鼓舞した事。
勝った!、勝った!、と紙ふぶきが舞った事、
それ位。

それから翌年早春まで続くバリケードの攻防戦が熾烈で、
敗退戦が余りに長かったため、
たった一日だけの勝利感が希薄で、
ああ、終わった、普通の学生に戻れると感じた記憶がかすかにあるが、
どんなに喜んだかは思い出せない。

記録ムービーの1968.9.30編に講堂に突入する映像がある。
前列は我が理闘委だ、
この中に私が居る。



■2006.08.01 morning 管理人 wrote

自ら”オタク”と称してきましたが、やっと認めて頂いた様です。
若年の方を評する場合、マイナス評価の場合もあるようですが、この年齢になると”専心”するというプラスの評価と勝手に受け止めています。
Jさん、オタク度のお褒めの言葉ありがとうございます(作品の評価ではないですよね?)。
60間近にして、このような事に凝るとは思いもしていませんでした。

図画・美術は大の苦手で、絵心はゼロ。
国語、作文の時間は胸が悪くなるほどの文系嫌い、好きなのは数学・物理。
ですから理工学部に進んだのですと開き直ります。
それが、奇しくも仏文卒のお二人(♂)の方と知り合いまして啓発されました。
今後は、全共闘”オタク”派を名乗りましょうか。


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