my favorite songs
 

■2009.06.30  night  管理人

今日はゲリラ的に自主的休業、珠にはよいのだ。
家中の洗濯物を見つけてきて、
一日中洗濯機を回し、
合間は終日読書をしていた。

書に馴染みのない私が終日読書なんて、
未だかつてないこと、
多分、経年劣化からだろうけど。

明日から七月、
取り合えず七月のページだけは用意した。
まだ白紙だけど、my favorite songs だけは先に貼った。
上出来だ。

その曲、高校生の頃アルペジオで弾いた記憶がある、
聴くと、
あの子の事を思い出し、切なくなるけど。


■2009.06.29    管理人

天下のA新聞(今更匿名にしてもしかたないが、以下の展開もあり)
購読部数は公称800万部オーバー、
読者が独身と限らないので購読者は恐らく数千万人に及ぶのではと測っている。
そういう意味で、天下と冠しても名に負けないマスコミ。

そのマスコミが私等の時代のエピソードを連載している。
読者の何割かが見たとしても数百万人に及ぶと云っても言い過ぎではないだろう。
しかし、管理人の当地はローカル。
鉄道は単線で非電化、ジーゼル機関で運行している。
高速道路、県都以遠は二車線の対面交通。
高速道路で対面がどれだけ恐怖か知っているかい?

話が逸れそうになったが、
当地ではローカル地元紙が唯一のマスコミと云っていいほど巾を利かせている。
葬祭の告知記事からローカル話題まで、
横丁を縫うような生活記事が紙面の大半を占めている。
社説といえば鼻をつくようなオールド・リベラル、このスタンスが万人向きで一番無難な訳だ。

またまた、話が逸れそうになったが、
つまり、かの連載記事に目を通す方は当地では極々少数という訳だ。
そういう事で、長々と言い訳を綴ったが、
連載6までをここに貼り付ける。
連載の記者さん、一度は面識があるので許してくださいね。

これも言い訳になるが、
ファイルにはパスワードを掛けた。
盗人にも五分の魂ちゅうところかな。
何度も同じことを言うが、当地では天下のA紙もレアな存在なのだ。
ファイルオープンのパスは”今年の西暦”。

スキャナーの関係で、縦横が逆になった、
最新のアクロなら紙面上で右クリック → 右回転




■2009.06.28  morning  管理人

「人に優しく、環境に優しく、**電機」
何気なくテレビのCMが耳に入った。
リサイクル料金で不正を働き、
派遣社員から(結果的に)搾取し続け、
正社員を、名ばかり管理職で死ぬほど働かせている会社が、
ぬけぬけと歯の浮くようなCMを流している。
オジサン、プッツン行きそうになる。

ここのところ週末の金曜日に出張が度重なり、
出張のない金曜日にはことごとく飲み会が入り、
そう云う事で5月連休明けから、サロンからず〜っと足が遠のいていた。
何時もの事だが、サロンの諸事は私が居ない時に決まる。
そして、決定事項がメールで送られてくる。
私はかしこまって受け取り決定に従う訳だ。

サロンの次回講演会が決まった。
誰が言い出しっぺか確認していないが、
今回は姉御ではなく長老の発起と思う。
サロンの今までの一連の講演会からすると、お招きする方は意外な人物と合いなっている。
そして、とてもとても政治的だ。
合わせて今までにない流れも。

当地の某党の地区委員会の委員長とのジョイント開催。
言っとくが某宗教政党ではない。
委員長個人の発起なのか、地区委員会が関わっているのか私は聞いていないが。
当該委員長とは以前に少しコミニケーションがある。
「俺はトロには一度も負けたことがない」
この委員長がこう云ってましたよと、ある方から聞かされた。
ムットきたので、この日記に売り言葉に買い言葉を書き早々に当人にメールした。

>ホームページは前にみたことがあります。
>当然、「お気に入り」に入れています。
>貴重な資料だと思います。

私としては喧嘩を売ったつもりだったが、
私より一枚も二枚も上手だった。


■2009.06.26  morning  管理人

「おみっちゃんに連絡して、承諾貰おうよ」
芸闘委の記録映画「死者よきたりて我が退路を断て」をここのページで紹介するのを躊躇っていたとき、
ラッパさんが”おみっちゃん”という名を度々口にしていた。
私には誰の事か、最初は皆目分からなかった。
それから手紙などで数度のやりとりはあったが、最初にお会いしたのは昨年の一ツ橋の写真展会場。
濃いベージュのレザーのジャケットを羽織った”お姉さん”は、
人脈記の連載で紹介されているお年にはとても見えなかった。

最後の仕事で”写真集”を出したいと熱っぽく話しかけられた。
大島のスタジオには当時の未現像のフィルムが山と積み上げられている、今それを延々と現像しているところだと話してくれた。
写真集を出すには”資金”が必要。
仲間の皆で頭を寄せて話し合ったが・・・・・・、
私等は数あった全共闘の中でも体育会派、精神論の範囲で”根性を出せ”といえば何とかなるが、
資金となると、相談は”お通夜”となる。

そこで、はたと思いついたのが鹿砦社の松岡さん。
松岡さんは写真展と同窓会にお招きしており、その前夜も秋田議長と一緒していた。
「佐々木さん、松岡さんなら相談に乗ってくれるかも」
出版社の経営は決して楽ではないが、松岡さん、根性となる私等と競う(否、それ以上)同志社”全学闘”。
それに”義理人情”に極めて弱い事は、この間の付き合いで分かっていた。
ある意味、”確信犯”での助言だった。


朝日新聞連載、人脈記、臼井敏男さん編「反逆の時を生きて」
第四作目登場の”佐々木みちこ”さん。
あの時代を駆け抜けた女性カメラマン。
命を掛けた渾身の写真集「日大全共闘」
鹿砦社より500部の限定出版されています。
もしかして、
この人脈記の余波で売り切れ御免になるかもしれませんので、
ご購入はお早めに。

それにしても・・・・・、
悔しいのは、
ここでも、やっぱラッパさんが主役級なのだ。


■2009.06.25  night  管理人

明大全共闘さんのご指摘の通り、連載三番手は前田さんでなくて米田さんの読み間違い。
訂正してお詫びします。
ところで、いつものパターンなのだが、
朝日新聞に連載が始まって以来、当ページへのアクセスが跳ね上がっている。
テレビといい、新聞といい、マスコミの威力はいつもながら凄いの一言。

ホームページを開設して6年、
6年を経て、アクセス数は27万と5千。
これが多いか少ないかは判断のしようがないが、
しかし、朝日新聞は発行部数が一日800万部オーバー、
記事に目を通した読者が何割でも、一日にして数百万の方の目に触れるわけ。
その万分の一がネットで”全共闘”と検索してもおかしくない。

でも、
気になることが一つある。
ここのところ連日、朝日新聞社のサーバーから定期的にアクセスが有っていること。
臼井さん、
もしかしたらチェックしに来てくれてるのかな?


■2009.06.24  morning  管理人

う〜ん、三番手は安田講堂か。

シリーズ三作目は篭城組みの三名が登場。
「安田講堂 逃げたら悔いる」
asahi.comではシリーズ一作目しか紹介しないから(せこいのだ)、
ここにPDFで貼り付けてやろうかと思ったが、
臼井さんに迷惑掛かったらまずいので自粛。

登場する三名のうち、お二人は片桐さんと前田米田さん。
お二人は昨年の同窓会に来て頂き、共に肩組みインターを唄った。
同窓会の翌日、お二人は東大駒場際・立花隆ゼミの全共闘シンポに参加し、壇上にパネラーとして座した。
仲間が、「塩見さん、貴方は全共闘と関係ないでしょ」と一喝したあのシンポだ。

こんな事でダメになる人生なら、ダメになってもよいと思った
数年前にBSで放映された番組で、片桐さんは安田講堂篭城の心境を聞かれてこう応えていた。
そう、ラッパの大将が吼えまわったあの番組だ。
主義や思想で、その後の人生を負の方向に大きく振るだろう決断を下す方が居ることは否定しないが、
「ここで退けるか!、逃げたら悔いる」
朴な気持ち、自分の生き様で決めた方も居たのを知って感激した。

ここだけの話だが・・・・・、
この言葉を聞いて、以来、私は片桐さんの”ファン”なのだ。



■2009.06.23  morning  管理人

う〜ん、秋田さんが連載2番手か・・・・・、
セオリーどおりだと秋田さんか山本さんが最初にくるのだが。
でも、臼井さんは彼女を最初に持ってきた、
臼井さん、多分この事にこだわったのだろうと思う。

議長のところに取材で出向いたという事は聞こえてきていた。
山本さんへの取材は断られたとも聞こえてきていた。
仲間数人が詳細な取材を受けたとも聞いている。
明日以降、どんな連載が続くかとても楽しみだ。

高野さんの本を手にしたのは阿佐ヶ谷駅ターミナルビルの書店。
'71年は丁度今の時期。
人はそのころから続く連合赤軍の事象が、全共闘運動全般の終焉につながったというが、
マクロとしては否まないが、
ミクロとしての私の場合は違う。

書棚に並ぶ「二十歳の原点」を手にした頃、私の全共闘は溶解しかけていた。
その夏の京都へのセンチメンタルジャーニーが、私の全共闘の終いだった。
人がよく言う連合赤軍の影響ではない。
経過の硬軟は別として、決してそうでなかった事は断っておく。

同年輩の臼井さんは、その頃、どういう思いでその本を手にしたのだろう、
反対に聞いてみたいと思った。


■2009.06.22  night  管理人

「私・・・・、赤坂でデモったこと有るんですよ」
「デモ・・・・、赤坂?」
唐突に話題を振られ、返答に窮した。
ミヨちゃんから事前に知らされた彼女等四人の内二人は初対面だった。
事前に卒業アルバムをまざまざとチェックしたが記憶が無い。

20日の昼食会はホテルの中華レストラン。
バイキングだったが、私が最初に口にしたのは別料金の生ビール。
彼女等四人を向こうにして、とてもとても”しらふ”で対応は・・・、
ここは一つ、アルコールの力を借りた訳だ。

「じゃ〜、私も頂くわ」
一人だけで飲んでいると、初対面の一人もビールをオーダー。
二日続けての真昼間からのビールとなった。
しかし昨日のベルグと違うのは、付き合ってくれる彼女がいること(笑。
にこやかに談笑していて、突然くだんの話題に振りが入った。

「私はね、何も分からなかったけどデモには行ったのよ」
返答に窮している私に、
「ビデオ、観たんですよ」
話題の振りはそういう事だった。
そういう事だったのだ。


■2009.06.21  morning  管理人

帰路の便は15:00、品川からは
20分ちょっとだから、
ミヨちゃんと昼食をしようと約束していた。
決して密会ではない(笑、
敵はミヨちゃんも含め合計300歳オーバーの軍団。
全員が揃うまでホテルのレストランでお喋りすることにしていた。

最初に来たのはやはりミヨちゃん、
先日の旅行の話から始まった。
豚インフルエンザでキャンセルが多かった事、
そのため、イタリアからのチャーターバスがゆっくり出来たこと。
同行の友人の一人が大酒飲みで、朝からワイン三昧だった事、
ユーロとクーナ(クロアチア通貨)のレートの事、
クロアチア旅行の話題がたっぷり1時間ほど。
最後は、「次はどこに行こうかな・・・・」

次に現れたのは旧姓Yさん、
「やあ、お久しぶり、お元気ですか」
Yさんとは昨年8月に会ってるから丁度一年ぶり。
「なに、**くん、年金の手続き未だしていないの」
「駄目だよ、早くしなくちゃ」
年金受給の講義をみっちり1時間ほど賜った。

合計300歳オーバーの軍団との昼食会自体も楽しみに居ていたが、
私にはそれとは別に一つだけ目論見が。
事前に連絡のあった名前の中に、一人だけ文系の子がいた。
あの子とクラスは違えていたが、
3年間でクラスが一緒だった可能性も否めない、
貴重な文系クラスのネットワークの端をつかめるかもしれないのだ。


臼井さん、「二十歳の原点」からシリーズをスタートさせました(泣。

夕方帰宅すると、妻が新聞を差し出した。
「貴方、連載がはじまりましたね」
朝日新聞の連載記事「ニッポン人脈記」
臼井敏男さんのシリーズ「反逆の時を生きて」。

社の論説副主幹の臼井さんとは昨年11月にお会いする機会があった。
一ツ橋の写真展に訪ねてこられた。
文理のO先輩、JUNさんと三人で色々お話をした。
「最後の仕事で人脈記という連載を予定している」、
「時と場所を定めてきちんと取材させてほしい」
臼井さんの話はそういう事だった。

「ご遠慮せずこちらにどうぞ」
四人で話をしている場に山川さんが丁度来られたので、話の輪に。
山川さんは遠慮されたが、
「臼井さんは山川さんの後輩ですよ」
「山川さん、臼井さんの大先輩だから遠慮する必要無いですよ!」
序列の厳しい「日大方式」で強引に話の輪に引っ張り込んだ。




■2009.06.20  night  管理人

会は昼過ぎに終わった。
品川駅に向かうとカンパに出会った。
立ち止まって、切なる訴えを聞いていたら昔の自分とダブった
「頑張ってください」
カンパをしていたら、何だろう涙声になった。

新宿へ足を延ばした。
ベルグでアイスコーヒーを、
ここにはもう少し早く来たかった。
何となく長居したかったのでビールを一杯、更にもう一杯、
少し・・・・・、
いや、かなり酔った。

三越のキタムラで長男の彼女にお土産を。
それから紀伊国屋で新書を二冊。
品川駅のお洒落な店で妻のお土産を、
息子達には・・・・、買った事は無い(笑。
ホテルに戻ると夕方になっていた。

プリンスメインタワー24F、
ガタンゴトン、ガタンゴトン、
音を見下ろしながら本を読んでいたら夜中になっていた。
昨日は、私らしくない一日だった。





■2009.06.11  night  管理人




モノクロの映像。
今では田舎娘のような服装。
お世辞にも上手と云えないツイストダンス。
こういうのが、
レトロおじさん、たまらないのだ。

私の時代のアイドル、
シルビーバルタン








■2009.06.10  morning  管理人

家を建て替えた時に植えた木で、毎年5月頃に白い花をたわわに付ける木がある。
その木が一階のひさしに届くまでになった。
花の咲く頃は、みつばちがその周りをブンブンと飛び交う。
時には大きなすずめ蜂も訪問してくる。

ところが年のせいで、これが何の木なのかすっかり失念していた、
気になりネットで色々調べやっと特定できた。
みちばちが集まることも木の名前で納得した。
アカシアの木。

日曜日は町内の一斉清掃。
今期、町内会の役員は免じられているので一兵卒で参加。
町内は下水道が完備されているので、かつて盛り上がったドブさらいは今はない。
隣り近所の腕っ節の強いお父さんの出番がなくなっている。
家の周りは直ぐに終わったので、町内の児童公園の草引きに参加した。

日差しが強くなる前に作業を終え、家に戻ったら妻にこう云われた。た。
「貴方、樹の枝を剪定したら」
「ご近所さんにそう云われたの」
よく聞くと、遠回しに落ち葉の苦情らしい。
町内でも一際目立つ、我が家の”ランドマーク”の樹木のことらしい。

カチンと来たから妻に言い返した。
「オイラはな、朝も早起きし、家の周りの掃除は事欠いた事はない」
「側溝も下水道が完備されており、落ち葉で詰まる心配なんかない」
「ご近所様の家の前の道路に落ち葉が2〜3枚、いや10枚散るかもしれないが、それがどうした」
緑の少ないご町内、ご近所様に感謝されこそ、責められる憶えは無いのだ。

「そうかい、受けて立ってやろうじゃないか!」
人間が小さいので、すっかり”戦闘”モードに切り替わっていた。


   my favorite songs
 Barbara Lewis  The Windmills of your Mind





■2009.06.08  night  管理人

録音の冒頭、
「アッ、ヤバイ・・・・電池が無い」
私のボヤキが一瞬入っている。
電池切れ警告表示を出しながら、私のICレコーダーは59分7秒しっかり録音してくれた。

子供の貧困の話では、前の女性がハンカチを取り出していた。
当然、私もだが。
自己責任論の話は実に分かり易かった。
とある会合での湯浅誠さんの講演、

勝手に録音し、
勝手に公開するのだ。
彼も(公開を)怒りはしないだろう。

講演(mp3)





■2009.06.05  night  管理人

当地より飛行機で約1時間、一泊の出張に行っていた。
出張先には全共闘仲間が居る、仕事の懇親会を早々に切り上げて会う事にした。
もやしラーメンを分け合い食ったS君だ。
S君の馴染みの店、おかみと三人で”もやしラーメン”の話で盛り上がっているところに藪さんから電話が。

「エッ・・・、**さんそこに居るの?!」
「そう、出張先でもやしラーメン仲間と飲んでるところ」
「そこは70年代後半さんのご当地だよ、そこに居て70年代後半さんに会わないの?」
「う〜ん、事前に連絡してないからな・・・・」
「し〜らない、70年代後半さんに言いつけてやろう」
そんなやり取りを交わした。


電話の直後、
あせって70年代後半さんに連絡を取ったのはいうまでもない。
掛けた電話が転送されて留守番電話に切り替わった。
急だから今夜はダメだろうと思いながら、一様留守録を入れた。
Sくんが、
「オイ、そいつ俺の知ってる奴か?」
「大丈夫、お前さんは知らなくても相手は”もやしラーメンのS”でお前さんをよく知っているから」
「・・・・・??」

2〜3分も経たないうちに携帯電話が鳴った。
「仕事の飲み会が終わって家に帰ったところです」
「でも大丈夫、直ぐ行きますから」
寛いでいるのに申し訳ない展開となった。

一面識もない、
年齢も知らない、
過去の履歴も知らない、
お名前と電話はメールで教えてもらっているだけ、
でも三人で盛り上がった、
・・・・・・というより私一人盛り上がっていたのかも。
ホテルに帰り着いたのは午前様だった。
70年代後半さん、数々の失礼御免なさい。
何時もの如く、反省なのだ。





■2009.06.03  night  管理人

共和国のミサイル発射を一番熱望しているのは政府自民党だという、某ブログに書いてあった。
外からの脅威は時の政権に一番利するというのは常識だから、そう云えばそうなのだろう。
ひょっとしたら、総理もブッシュさんの一発逆転の二番煎じを狙っているのか。
共和国が、今選挙の動向に影響するのは自明の事だから、新聞はそう書けばよいのに。
書かないだろうな。

そう云えば・・・・(話題になんのつながりもないのだが)、
先日、もやしラーメンの話を書いたのだが、
桃井コンミューンに移り、集団生活をはじめてから色々と桃井創作メニューを開発した。
そのなかで極めつけは鳥丼。
貧乏は貧乏なりのレシピがあるのだ。

当時、肉屋で鶏の皮はキロ20〜50円程だったと思う。
桃井の住人4人分と居候+αで2キロ程調達。
鍋にタップリの湯を沸かし、それに肉(皮)を放り込み茹でる。
10分も茹でるとベットリと脂が浮かんでくる。
湯と脂を捨てて醤油と砂糖を入れる。
中火で、鶏(皮)が飴色になるまでかき混ぜる。
これを炊き立ての丼飯の上にタップリ乗せて、煮汁を掛ける。
鳥丼の出来上がり、
このメニューの原価は計算するまでもない。

桃井の仲間はこれを一心不乱に食った。
私等には固い鶏皮をものともしない若さがあった。
丼は涙が出そうになるほど旨かった。





■2009.06.03  morning  管理人

「コラァ〜!、(線路に)降りたらイカン」
「危ないから早く上がれ」
凄い形相で怒鳴っていた。

帰路、JRの無人駅。
下校の中学生がホームではしゃいでいる。
男女区別無く、走り回ってじゃれあっている。
ある意味羨ましくて眺めていた。

その内、女の子が線路にポンと飛び降りた。
追いかけて男の子が飛び降りた。
線路上で追いかけっこが始まった。

帰って妻に報告した。
「思わず怒鳴ってしまった」
「もっと優しく言ったら良かったのだけど」
遅きに逸したが、我ながら反省していた。

「そうですね」、
「私なら、『危ないから線路からあがりなさい』ともう少し優しく言うわ」
「子供は頭ごなしに叱ってはダメ」
「貴方は、優しいのと怖いのが両極端だから」
この件に事つけて、色々とイエローカードを頂いた。

昔、叱られた怖いオジサンに私もなっていた訳だ。
スイッチのオン・オフしかない単純な性格は直りようがないが、
反省しきり。





■2009.06.02  morning  管理人

夜半、ベランダで涼しい夜風に当たっていると思い出すことがある。
夜もタップリ更けた通り、人影は無い。
ペンキ缶には2〜3倍に薄めた不易糊。
ショルダーバッグには刷毛と丸めたステッカー。
中杉通りを北から阿佐ヶ谷駅に向かって進む。

涼しい風が吹き抜けていた記憶があるから、季節は今頃か秋か。
人通りがないのに気を許して、一心不乱に電柱に向かって仕事をこなしていた。
近くに車のブレーキ音。
振り返ると黒白のツートーンカラー車。
ダッシュするのにコンマ5秒掛からなかった(笑。

 職場で花束を頂いた、「早く退け!」という意味ではない (念のため)

「待てぇ〜・・・・」と言われたが、
迫る革靴の音を振り切って夜道をひた走った。
日大通りの手前、路地を左に駆け込み民家の生け垣に潜り込んだ。
どれ位息を潜めていたかは記憶に無いが、生け垣の中にしゃがみ込んでいてハタと気づいた。
「この状態ではコソ泥と間違われる」
生け垣の中にステッカー、ペンキ缶、刷毛を残して何気ない態度でもと来た道を戻った。

ツートーンカラー車が一方通行で逆走出来なかった事、
状況判断以前に脊髄反射で一歩通行を逆に逃げた事、
それと、
「待て」と言われて待たなかった、素直でない性分が幸いした事。
この三点で、お泊りを免れた。





■2009.06.01  night  管理人

明大方面、盛り上がっている。
現在コメント27番目
最長記録はどこまで続くか、
こうなれば当然カウント100を目指して欲しい(プレッシャーをかけているのだ)

文理さんの書き込み、
'70の6.15、
>幅40人長さ200人の大軍団でした。
それがジグザズデモをするので、両端の人は走っていました。

必死になって、短足でジグザクってたのは、
「それは・・・・・、俺だ!」
やっと接点が出来たけど、
センスが違うので、自分ちで吠える。



   my favorite songs  Colletto Tempia and his Orchestra L'ECLIPSE





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