my favorite songs
 
■2010.02.28  morning 管理人

2007年に可愛い双葉をポットに移植して丁度三年目になる。
ご近所の方、職場の同僚、配達にきた方、リホームの営業の方、
地縁、血縁、職種、宗派を問わず片っ端からポット苗を配った。
真っ赤、薄桃色、紫、一重、八重・・・・、
三年目の冬、そのポット苗に一輪、そして一輪と花が付きはじめた。

「先程ね、新聞代の集金の方がね、これを下さったの」
「可愛い花が付き始めました、お礼ですって」
液肥のペットボトルを私に差し出し、妻が嬉しそうに云う。
嫁入りに出した苗が、嫁ぎ先でもやっといい仕事をし始めたようだ。


昼から妻は祝いの宴席に招かれ外出。
私は休日の午後の定番、ソファーでのうたた寝。
BGMはモーツァルトのピアノソナタ15番、
牧師様に頂いた内田光子さんのピアノで誰もが耳にしたことのある旋律。

今日も居るのかなと、そっと障子戸を開ける。
ガラス戸越し、もう既に敵は私よりも先に体制に入っている。
ベランダの特等席の椅子に鎮座し、丸まって寝息を立てているよう。
小一時間のモーツァルトが終演しても、拍手せず未だ丸まっていた。

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津波が近付いている、
私らはお金が無いのでハーバーなんて贅沢な所に係留していない。
一番良い対応は、船を外洋へ沖出しすればよいのだが、昼前ではもう遅い。
仲間が「もやい」とアンカーを伸ばして余裕を待たせる作業をこなしてくれた。
ついでに防舷物(船の周りに備えるクッション)も補強。
津波と聞けば、直ぐにリアクションを起こすのがセイラーマンだが、
よる歳並みで、すっかり陸の人になってしまっている。






■2010.02.26  morning 管理人

両親は二人とも77歳で逝った、
兄は55歳だった。
兄さんよりも、もう7年近くも長生きしたことになる。
だから、私の人生、残りは10年とちょっと思っている。
それだけ生きられれば十分だ、
百歳までなどと、贅沢は言わない。

残りの人生、贅沢しなければお金はそこそこ大丈夫だと思う。
時間は、仕事を辞めれば十分過ぎるほどある。
唯一心配なのは健康だが、今のところはまあまあでいっている。

ところで、
長老さんに教わったものを探しに行っていた。
昨夜、この歳になってはじめてコミック本書店に入った。
3巻程買って帰りのJRで一気に読んだ。
なるほどと思った。

云われるように私の自虐史、コミックのストーリーのアウトラインだけは辿っている。
ただ、エンディングはこのコミックのようには行かないだろうと思う。
コミックは、願望を自分とダブらせ、手軽に一時の夢を見せてもらうわけだ。
しかし、私は40数年、めげずにず〜っとこの夢を見続けてきた。
それだけで云うなら、エンディングは別として「黄昏流星群」のおとぎ話には負けていないわけだ(笑。

心から、”あの子”の健康を祈っている。





■2010.02.24  night 管理人

鬼の如く黒く
戀の如く甘く
地獄の如く熱き
コーヒー

カフェバウリスタ


私がコーヒーが好きだからと、首都圏の義姉がコーヒーセットを送ってくれた。
ボリビア、パプア・ニューギニア、エチオピアの三点セット。
無農薬、無化学肥料栽培と書かれている。
私は農薬、化学肥料の食物で育った世代なので、こういう表示は有り難く拝めるが、
正直なところ、こういうものは、私にとっては概して不味いのが常なのだが。

それはそれで、有り難く頂いた。
そうそう、「国連のおいしいコーヒープロジェクトから生まれた」とも書いてある。
ますます、有り難い訳だ。

先日の、沖縄ツアーの大報告会の後の懇親会。
若い女性と楽しい帰路を共にしたと一昨日の日記に綴ったが、
「私はツイッターをしています」、と彼女が言っているのを聞いていた。
先程、長老に聞いていた彼女のハンドルネームで試しにググってみたら見事にヒット。

しかし・・・・・・、
よく分からない、
何を言っているのか、
何を書いているのか、
それがツイッターなのだろうか???

多分、姉御がサロンのお誘いのメールを出したのだろう、
そのリアクションの「つぶやき」だろうと思う箇所を見つけた、
姉御!、
やっぱ、貴女は想定範囲内で怖がられていますよ(笑。

>議論する体力ないからサロン参加も固辞。でも考えるし書くし言います。で、リプライを見ない。書き残すだけで必死。

18時間前。

サロンは議論なんてしませんよ!
楽しいお喋りがメインです。
それと情報交換。
時々、○共のMさんがアジテーション気味になるけど、
皆皆、シカトしています。
だから、サロンなのです。






■2010.02.23  night 管理人

「私はサロンのメンバーではありませんが・・・・・」
サロンの催す集い、多くの方がこう切り出して話し始める。
そして、私らは十年来のお仲間のように話を聞かせていただく。

会則も、会員名簿も、会費もない集い、何でつながっているのかと聞かれても、明確な答えは思いつかない。
コアなメンバーは減りこそすれ増えていないのだが、
サロンに集う方は、日増しに、そして着実に増えている。
これは疑う余地の無い客観的事実なのだ。
そして、
その各々の多才なパフォーマンスは当地一と私は思っている。
左から右までズラリとまでは云わないでも、左一辺倒ではないことだけは確かだと思う。

あの子の事はさて置いて、
サロンを続けてきて本当に良かったと思うし、
かつての混沌とした経験が、自分にとって本当に良かったのだとしみじみ思う。
この歳で、マジに、素直に云うのもかなり恥ずかしいのだが。





■2010.02.22  morning 管理人

先月の沖縄連帯ツアーの「大報告会」、ギャラリーカフェを借り切って実施、椅子が足らなくなるほどの大盛況。
今回は珍しい参加者が、
沖縄出身の大学生がネットを通じて、
長老が参加しているメーリングリスト仲間の若い女性も、
ちなみに、女性と長老は始めてのお顔合わせだったようです、
その他、お顔を知らない方が少なからずいました。

先ず、ビデオの上映。
2時間ほどの撮影を30分に編集、これには結構手間が掛かりましたが。
「上手だね、画面がブレてないし、よくまとまっている」
お褒めの言葉を多く頂きました(喜。
「当映像には米軍基地は全く写っていませんが、これはたまたまで日和見ではありませんので、その点はお断りしておきます」
勿論、事前に言い訳はキッチリした上で上映。
その後、ツアー参加者の報告が続き、3時間の大報告会は瞬く間に終了。


「お若い方は私が奢りますから是非どうぞ」
その後、会場をレストランに替えて懇親会を。
怖い姉御の、優しい誘いもあって、大学生と若い女性も参加、予定より4〜5名のオーバーになりました。
「お酒を飲む方は勝手に別会計でやってください」との姉御のつれない仕切りでスタート。
懇親会が始まって10分も経たないうちに、生酒の一升瓶がテーブルに登場。
牧師様のところの信者さんがクーラーに入れて持ち込んだもの。
この配慮ある無断持込で、しこたま酩酊しました。

帰路は偶然に懇親会の若い女性とJR便が一緒。
このレトロ親爺、一対一になると何を話していいのか戸惑いました。
ゲバ話したら引かれるかな・・・・・、
それともあの子ネタで笑い取ろうかな・・・・・、
色々と話題に戸惑いましたが、女性が長野出身という事で、結局スキーの話題も。
女性にとっては迷惑な時間でしたでしょうが、
私にとっては又とない楽しい帰路でありました。
終り。

 




■2010.02.18  night 管理人

正直、分かって欲しいという気持ちと、分からなくてもいいという気持ちが半々だった。
探している経過に、青春の余韻を楽しんでいたのかも。
無残な結果だったが、思いっきり一点突破を試みたのは、確か一昨年の11月だった、
その時、僅かに残っていた最後の馬力を使い果たしてしまったのかも。
アーモンドチョコを頬張りながら、心底、次の一手に窮している。
こういうのを日和見主義というのだ。

朝、パソコンを開けてみるとニューヨークからメールが入っていた。
何故ニューヨークからというと、発信人がニューヨークからですと記していたから、IPを見てみるとなんとなくそれっぽい。
映画「ANPO」の製作に関わっていると自己紹介されている。
「参考にサイトを見てください」とのコメントあり、見に行ったが当然アルファベットのみ(泣。

しかし、メールといっても掲示板への書き込み。
少し内容に事情があって、その投稿は承認していない。
仲間内の意見を聞いてから返答しようと思っている。





■2010.02.17  night 管理人

極度の心的負担は、一般的にはストレスというらしいが、
その事件の日、私は好物のアーモンドチョコを2箱買い求めた、
帰宅のバスの中、ボーっと車窓から景色を眺めながら一個ずつ口に含む、
溶けるチョコを味わいながらアーモンドをカリっと噛み砕く、
気が付いたら2箱とも食べ尽していた。
これは過度の心的負担による過食症の症例かもしれない(笑。

以前、”あるお方”から、
「もしかしたら、その件は知り合いに頼めば分かるかもしれませんよ」
「できれば、今のが分かればね」
そんなような有り難いお声を掛けて頂いていた。

物事が展開する時は一気呵成に行くことがよくある。
同じ頃、同窓生の女の子(還暦+1だが)からある情報を聞き出した。
このために、その日は午前様まで飲めぬ酒を飲みながら頑張ったわけだ。
早速、”あるお方”にその情報を伝えたのは言うまでも無い。

ネット書店から本が届きました

「**さん、分かりましたよ!」
僅かな望みを託していた”あるお方”から、回答が届いたのはその僅か4日後。
当該案件は既に40数年を経ているし、私としてはそれに数ヶ月、否、数年を要しても遅いとは思わない人生上の「課題」だと思っていた。
回答には淡々と「住所」、「電話番号」が記してある。
当然だが、余りの展開の速さに動揺しまくった。
その動揺は弱まることなく今も続いている。
次の展開が思い浮かばす、今もって、チョコレートがドンドンと”消費”されている訳だ。

「調べてくれた知人は『黄昏流星群』の愛読者だそうです」
”あるお方”の回答メールにはそうも綴られている。
かつて私等の人生が劇画漫画のようだったと云われれば否定はしないが、
あの手の漫画のストーリーは、甘く、切なく、美化されている、
現実は、そうそう漫画とは違うと思う。





■2010.02.14  morning 管理人

風が当たらず、夏は木陰、冬は陽当たりの良い樹の下。
クリスマスローズが育つ最良の環境。
我が家の庭にも狭いながらそんな場所が一つだけ有る。
年が明けた頃からだろうか、その場所のクリスマスローズがなぎ倒されている。

先日、ポカポカ日和の昼前、ベンチで珈琲をと庭に出た。
庭に既に先客が居た。
クリスマスローズの花の中で、親子のニュンコが日向ぼっこしている。
文章的には”絵”になるが、写実的にはクリスマスローズはニュン親子の下(泣。
「おいおい、それは何ぼ云っても」
寛いで居るところを申し訳ないが、追い立てた。

「貴方も行きませんか?」
一様、形式的なお誘いもあったが、有りがたく御辞退した。
妻がスキーツアーに出掛けた昨日の独りの昼下がり、ソファーで昼寝の体制に入った。
私の睡眠導入剤はクラッシック。
アシュケナージ演奏のブラームスピアノ協奏曲第二番は、定番の中の一つ。
ウトウトとしながら、ふと窓越しのベランダの方に眼をやった。
あのニャン親子が、私と同じくウトウトしている。

 ミュージックプレヤーをオフにしてブラームスを視聴ください(笑。


気のせいだろうか、親猫の耳がブラームスの方を向いていたように思う。
私はニャン権を認めている。
野良なら尚更だ。
それが親子なら、尚更に尚更だ。

「万国の労働者よ、立ち上がれ!」






■2010.02.11  night 管理人

今日は休日でしか出来ない、外せない仕事があり午前中出勤していた。
昨夜は家に帰りついたら日付が変わっていた。
同窓生と飲む酒は無条件に楽しい、だから悪酔いはしないが、体が・・・・・・。
そう云う訳で、今朝は休日の妻に職場まで送ってもらった。

昨夜は、初めて親しく話した同窓生がいた。
今まで何度か席を同じくしているが、高校三年間一度もクラスが同じでなかったので今まで話す機会がなかった。
結構な会社の社長さんで、地元の新聞やテレビにはよく顔を出している。
そんなこんなで、一瞬、卑屈にも「さん」付けで呼びそうになったが・・・・、
同窓生の集まりだから、グッッと踏ん張って「くん」付けにした(笑。

「お前さんとは中学一緒のはずだよ!」
意外なことに彼は私の事は覚えており、そう云われた、
更に談笑していると、中三はクラスも隣同士だったという事が分かった。
更に更に驚いたのは、私のクラスの女の子が奥さんだと云う。

ちゅ・・・・・う事は、
”あの子”、彼の奥さん、そして私は、中三のクラスメートだったということになる。
「誰だよ!、名前を教えろよ」
かなり執拗に彼に迫ったが、笑って教えてくれなかった。
その内、突き止めてやるつもりだ。

そう云う訳で、
一晩で、一気に、色々と伝手は出来たのだが、
それ以上の進展は、そう簡単そうではないのだ。
寝不足で重たい頭を抱えている。






■2010.02.11  morning 管理人

「オ〜イ、どうしている、忘れているのか?」
雨降る帰路、早めに駅についたので、ベンチで寛いでいた。
携帯のバイブがブルブルと振動する。
「アッ・・・、そうだった後免!」
すっかり忘れていた、昨夜は飲み会を約束していた。

1ケ月程前、首都圏の同窓生が帰郷してくるので一杯やろうと案内を受けていた。
同期の友人は、某有名私大の学長先生様だ。
駅から、雨の中を引返し、居酒屋に急いだ。
10名ほど、珍しく女の子(還暦+1だが)もいる、
既に盛り上がっている、負けじと駆けつけ三杯。

実は、その後の二次会で大きな成果があった。
約1名の女の子は文科のクラスだった。
「文科のクラスだったんだね、**さんの消息知らない?」
「**さんは私と中学からの同窓生、会いたいんだけど」
カラオケの騒音の中、尋ねてみた。

「**さん・・・・、確か二年の時同じクラスだったわ」
「何処に住んでるかは知らないけど、確か県内のはずよ」
その後話してくれた”あの子”の近況は、ここには書かない。
「フ〜ン、そうだったの!」
「それで、**さんの今の姓知ってます?」
「知ってたら教えて欲しいんだけど」
「ちょっと待って、忘れたらいけないから、俺メモするから」

”あの子”の姓を知るのに40年掛かった訳だ。





■2010.02.10  morning 管理人

「我が家の車が一台になって費用が助かるわ!」
「貴方には不便を掛けてすみませんね」
妻に殊勝な事を云われたが、私は自分の車が無くても、全く不便と思っていない。
土日、出かけるときはJR、バス、電車を利用、天気が悪ければ無理してまで出かけない。
車を手放してもう二年目になる、車検の費用や税金が一台分になっている訳だ。

「車検も良いが、今が絶好の買い替え時だな!」
妻の車はT社の車、
エコカー減税で話題になった時に買い換えようかと思案した。
しかし、納車が半年以上先になるとセールスは言う。
そこまでして買い換えようとは思わなかったので止めた。
その車がもう直ぐ車検になる。

私が車に乗り始めた昭和40年代、
エンジンは素直に掛からないし、アクセルが突然吹き上がるのも日常茶飯事。
二代目の車は、燃料パイプの継ぎ目から地面にガソリンが漏れていた。
時代は違ったが、機械に完璧なものなんて有るわけ無いと思っているし、
これはアメリカ帝国主義の陰謀だとも思っている(笑。

狂牛病騒動が猛威を振るっている真っ最中、
こんな時だからこそ焼肉を食いに行こうと長男を誘った。
当然、店はガラガラに空いていた。
店主は「こんな時に来てくれるお客様は神様です」と両手を合わせてくれた。
帰りには次回来店の割引券を沢山頂いた。
新型インフルが流行っても、マスクは絶対しないし、手洗い、うがいも励行しない。
掛かるときは掛かるのだ。
私はヘソ曲がりの性格なのだ。

話題の車は、今が絶好の買い時だと思う。
派遣切りのT社を擁護するつもりは無いが、
何度も云うが、
私としてはこの騒動の主因は、アメリカ帝国主義の陰謀だと思っているのだ。





■2010.02.08  night  管理人

志はあっても、超零細の弱小出版社で、この出版不況。
それで、色々な人にご案内しています。
よければ、ぜひとも買って下さい。
そして、読んでみて、よいと思ったら、他の人にも勧めて下さい。
あつかましいお願いですが、よろしく願いします。


amazon

管制塔被告支援1億円カンパで出会い、
一昨年の2008年11月、拡大同窓会にも参加頂いたKさんが作った本。
上記の案内を昨日頂いた。
日頃、書籍に馴染まぬ私だが、Kさんが創った本なら話は別だ。

早速、ネットで注文を入れた、
定価1995円也だが、生協を通じたから組合員割引10%。







■2010.02.07  night  管理人

嘉数高台、普天間基地が眼前、後ろの空が真っ赤に染まり始めた。
夕陽、黄昏時が一番好きな私、
無意識にファインダーを夕陽に向けていた。
今日、遅れていた沖縄ツアーのビデオ編集をした。
偶然、ビデオに撮った事をすっかり忘れていた日食。


一日がかりで二時間余りを40分に編集。
近日の「沖縄連帯ツアー大報告会」でお披露目する予定。
編集していて気付いたことがある、
草花の映像は沢山あるのに、
米軍基地を間近に撮った映像がほとんど無いこと(汗。

これは、いろんな意味でヤバイと思う。






■2010.02.03  night  管理人

旅行記を中座していたので、私の緩い頭から記憶がドンドン薄れていく。
40年前の事は、断片的にではあるけれども結構な記憶が残っているのに、
僅か数週間前の事を忘れてしまうというのもヘンなものだが。
しかし、私には執拗に撮り続けた写真とビデオがある。
それを頼りに旅行記を再開。

三日目の弐

エ〜と何処まで綴っていたか?
伊江島の朝御飯までだったはず。
朝御飯を食べると、反戦平和資料館に入った。
開設者の亡き阿波根昌鴻さん自らが「ここはガラクタの山」と云ったそうだが。
失礼だが言葉通り、貴重な遺物、写真などが剥き出しで所狭しと並べてある。


その翌日、南部の沖縄平和祈念資料館を訪れた。
さすが県立の公共施設、近代的な立派な建物に、ガラス張りのケースに納められた資料が整然と並んでいた。
それはそれで資料を保存し、歴史を語り続けるには良いと思うが、
ヌチドゥタカラの家の反戦平和資料館のそれは、垣根なく迫ってくるものがある。
出来れば、朽ち果て滅しない程度の施設にと願った。

館長の謝花悦子さんにお礼をいい、皆で記念写真に納まった。
「フェリーの出発までに、岸壁にお土産を届けるから待っててください」
お別れの際に謝花さんがそう云う。
そのお土産が写真のもの。

 サンダアーギーというらしい

卵大の大きさで一人分ずつビニール袋に。
9人分でボストンバッグ一杯になるほど。
フェリーの中で一個食べ、読谷までの西海岸の道中で一個食べ、那覇のホテルに帰って一個食べた。
お世辞なしに美味しかった。

残りを家のお土産にすると、妻が美味しいと絶賛。
「でも・・・・、これ太りそう」
食べた後、恨めしそうに言っていた。






■2010.02.02  night  管理人

旅行記はもう少し中座して。

昨日の集会ではなく、先々日の29日の集会、
集会後デモ行進に移った。
先頭は横断幕を持って進む。
私はゲバラ旗を持って最後尾についた。

デモ先頭は集会場を出て歩道を進む?
後続も歩道を進む?
整然とデモ隊は歩道を進む?
集会の主催者は政党筋の平和団体だから、警察へのデモ申請は抜かりないはず。

法的にどうかは知らないが、
歩道を歩くのに事前に届け出る必要があるのだろうか?
歩道を整然と歩くデモなんて私の経験値の範囲に無い。
日常では許されない車道を示威行進するのだから、事前の届出をするものだと思っていた。
どうにも納得がいかなかった。

「こっちを歩こうよ」
周りに呼びかけ、ゲバラ旗を持って車道にせり出した。
後に車が2〜3台止まりだした。
車に遠慮するなんて、知った事ではない。

デモは事前に公安委員会に届け出たものである、
決して意図的に交通を妨害するのものでなく、市民に権利として保障された示威行動だと思っている。
警備はその市民の権利を守り、かつ交通を円滑にするためにある。
規制されなければならないのは車両の方、
それが私の感覚なのだが。





■2010.02.01  night  管理人

「明日は早出の仕事だから、早く寝る」
「フ〜ン、大変ね」
妻にはそれ以上詳しいことは言わなかったし、妻もそれ以上聞かない。
朝三時に起き、
三時間ブッ飛ばし、
集会に行くなどと言うと、彼女に心配掛けるから。

三時ジャスト、目覚まし無しに起床、
洗顔し、バーコードをなでつけ、トーストに牛乳、そして珈琲を一杯。
三時五十分に家を出て、四時十分に集合場所着。
集合場所を四時四十分に出発、目的地に七時着。
三時間の所要時間の予定が実質二時間二十分、ブッッッ・・・飛ばした訳だ。
途中、ヒヤリとする場面が数度。

八時開催だから、これで一時間の余裕が。
ホテルの食堂が営業しているのを見つけ、閉まっているドアを叩き強引に入店。
そぼろ降る雨、気が萎えそうになっていたが、
トーストと珈琲で体を温める、
これで気合が十分に。

集会場に着くとやたら賑やか。
集会場脇で愛国党の街宣カーがアジり飛ばしている。
「北朝鮮が・・・、中国が・・・」と馬鹿のワンパターンで怒鳴り散らしていやがる。
右翼を見るとやたら挑発に乗りたいのは日大全共闘のDNAだが、ここはグッ・・・ト我慢。
折角だから街宣カーのフロントガラスの前でゲバラ旗を付けて振ってやった。
愛国党員は息子程の若者だったから、多分ゲバラ旗は理解不能だったろう。

集会が始まると更に雨脚は強くなり、突風が入ってくる。
旗が徐々に徐々に重くなりポールがしなる。
老人行動隊にはこれが結構きつかった。
雨合羽の上下、びしょ濡れの軍手。
当然だが、デジカメ取り出す余裕などは無し。

遥々駆けつけ、雨風の中で旗を振り続けたのに・・・・・、
目立ってなんぼの役は十分果たしたと思うが・・・・、
「どうだ、確かに行ってきたぞ!」
そうやってサロンの皆に海老反る”アリバイ写真”は撮れなかった。
それだけが残念で、三時間かけて帰ってきた。
しかし・・・・・
帰って、当地の共産党の地区委員長のブログを見ると、私がメインの証拠写真が載っている。
涙チョチョ切れ、
感謝感謝!



妙にトップページの旗振り写真と似てないか?
どうだ!、40年経っても振ってるぞ(笑。
委員長、有難うございます、
リサイズと少しトリミングし、ちゃっかり使わせていただきます。
今日はお疲れさまでした。




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