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■2011.11.30  night  管理人

さあ、困った。
日記のトップページ、2011年の枠までしか取っていない。
2012年が無いのだ。
ページを作った当時、そこまで生きていないだろうと思ったのか、
それとも己の三日坊主で10年も続くまいと思ったのか、
とにかく困った。

HTML的に偉そうに言えば、表枠を拡げるのは至難の技、
適当にやっていると全体のレイアウトが一瞬で崩れる。
それにHPを開設した頃の集中力はもう無い。
当日記を既製品のブログと思っている方もいるが、手間暇かかる家内工業的な純粋HTMLページなのだ。

どうすんべえか・・・・・、
残された時間は後一ケ月、このままでは新年が迎えられない。
さあ、困った。




■2011.11.30  morning  管理人

昨日は消防訓練を実施。
一定規模以上の建造物では、消防避難訓練を一定期間で実施しなければならないと消防法で定められているそうだが、罰則規定は無いらしい。
罰則規定が無いからかどうかは知らないが、私が管理人を務める建物はここ数年実施が疎かに。
色々調べたが、以前実施した資料が何故か殆ど残っていなく、殆ど素からの取り組みで苦労、
所轄消防署へ届け出し、訓練内容の指導を仰ぎ、入居団体との数回の打ち合わせ後、やっと昨日訓練実施に至った。

かつての経験で”火事場”は慣れているつもりだったが、訓練実施スタート10分程前、監督に来た消防士に質問された。
「火災の非常ベルは、消火の給水システムに連動してるかどうか管理会社に確かめましたか?」
「警備会社には連絡していますか?」
「避難経路の防火扉は煙感知ですか?」
「ウッッッ・・・・・・・」(汗、汗、汗。
幾つか質問が出たが、どれも事前の準備のシュミレーションから見事にズル抜けていた。
パニッって確認と連絡を取ったのは云うまでも無い。

 消火器の操作訓練も

”火事場”には慣れているとうそぶいたのだが、
かつてのバリケードは、例えは悪いが抗争中のヤクザの事務所の様なもの。
何時、襲撃があるか、
何時、ガサ入れがあるか、
それが何時あってもいいように何時も構えていたし、覚悟も出来ていた。

まあ、そういう”火事場”には慣れているつもりだったが、
今のご時勢は、あらゆる仕組みがシステムで組み上げられている訳で、
泥縄的な根性とシステムは相性が悪いのだ。



■2011.11.29  morning  管理人

「まあ貴方、軽四自動車でスキーに行くつもりなの?」
「もう歳だし久しく滑ってないでしょう、骨折するのがおちよ」
ぼろ糞な云われようなのだ。

10月末に注文を入れていた車が週末には納車できそうだとカーディラーから連絡が入った。
下取り査定1万円の四駆ツーリングワゴンから街乗り専用の軽四自動車に買い替えるのだが、軽四といえども新車はそれなりに嬉しいものだ。
妻の車も同時にハイブリッドカーに買い替えだが、そちらの納車時期は未だ未定。
しかし、幾らなんでも春まで待たされることはないだろうとそちらのスタッドレスタイヤはしっかりと購入済み。
今、迷っているのは私の軽四自動車にもスタッドレスタイヤを購入しようかどうか、スタッドレスは私の地方では12月に入ると殆ど在庫が無くなるので今が決断時期。
そんな話をしていたら、冒頭の妻のリアクションだ。

勿論、軽四自動車でスキーに行くつもりはない。
もうそんな気力・体力はとうの昔に失せている。
目的は冬場の各地の温泉、それも山奥の。
途中の山道はスタッドレスが必要だと思うし、アイスバーンのドライブはワクワクして大好きなのだ。



■2011.11.28  morning  管理人

最長老と出会ったのは2006年頃だったと思う。
それ以後、体調の良い時はサロンの講演会にも通ってくれた。
2007年、天木直人さんの選挙の際は老体に鞭打って、ビラ貼り、街宣カーなどの活動も一緒に行った。
書道を嗜んでおり、選挙ビラに達筆も生かして下さった。

出張から帰着し、駅のコインロッカーに荷物を預けその足でサロンの送別会に参加した。
最長老は昭和6年生まれ、今年で80歳になる。
加齢と持病で年々体が弱ってきており、子供達が居を構える首都圏近郊へ夫妻で移住すると決断された。
日本共産党の県幹部として活躍していた1967年に、日中問題の意見の相違で党を除名されている。
それ以後は、それまでの党への献身的な貢献は全否定され、反党・不良分子として徹底的に謗られたと話してくれた。

出張最終日は某全国集会に参加

「当時私は、貴方達の為に何もしてやれなかった」
「だから、せめてもの罪滅ぼしだから」
2008年に新版・叛逆のバリケードを出版した際、私から是非にと最長老に進呈させて頂いたのだが、
本代を払うと云って最後までお金を引っ込めなかった。

'60年安保世代の長老格、
'60年〜'70年安保の間の兄貴世代、
'68〜'70年安保の団塊世代、
若手(相対的だが)の部類の姉御、
一際異彩を放つ二人の牧師様共闘、
それに戦後焼け跡派の最長老、
サロンには幅広い年代層が集っていたのだが、その最頂点だった重石役がいなくなり寂しくなる。

そんな折角のサロン、筋金入りの old communist の話をもっともっと聞きたかった。
それが返す返すも残念だ。



■2011.11.26  night  管理人

「それじゃ私は先輩の先輩になるわけですね」
「先輩、私らの時は酷かったですよ!」
「入学すると、大学はバリケード張られていまして」
「バリケードといっても、大学の方が張ってるバリケードですけどね(笑」

出張2日目、まだまだ出張は続いています。
昨日は私の業界の全国定期総会で東京。
決められた座席に着くと、隣の席の名札は全水道とある。
そうだ、確か学科の後輩が全水道の役員していたはずだ、
そう思い出して隣の席に声を掛けた。

「全水道の方ですか」
「確か私の大学の後輩に、全水道の役員してた**ってのが居たはずですけど、ご存知ですか?」
「エッ・・・、**さんの事ですか」
「**さんは大学の先輩ですよ」
「私は日大の生産工学部卒です」
差し出された名刺には、”全日本水道労働組合中央本部書記長”と肩書きが記されていた。

ここで一気に、大学の先輩・後輩の序列が出てきた訳(大笑。
「そうですか、**の後輩ですか」
ここはあくまで先輩・後輩の序列で、書記長の先輩を「**」と呼び捨て。
全水道中央本部書記長といえども、その後、後輩の後輩には終始上から目線で話したのは云うまでもない。

そういう事で、
**!、お前の後輩には、先輩の先輩としてしっかり仁義切っといたからな!
今夜は少し酩酊しています。


■2011.11.24  morning  管理人

最初は二年程前の事だったので、今回は私の人生で二度目の出来事。

朝の通勤列車、通学の高校生で結構混みあっていた。
乗車して二つ目の停車駅、立ってボーっと車窓の景色を眺めていた。
トントンと肩を叩かれた。
振り向くと、高校生がポッカリ空いた座席を手差ししている。
一瞬動揺したが、何とか笑顔で「有難う」と会釈し座席に座った。
これで座席を譲られたのは人生二度目の出来事だ。


幾重にも山が重なる先の里、昨日、叔母が育てる柑橘の収穫との搾汁に出かけていた、
叔母は今年で94歳!、頭も体もシャッキリの現役だ。

動揺は、私が座席を譲られるとはついぞ思っていなかった事の他にもう一つ想定外があった。
一つ目の停車駅でくだんの高校生が乗車してきた。
私の後ろ側に立ち位置をとった。
髪の毛は今様、頭頂は逆立ち、脇には剃り込んだ筋が入っている、
スボンは骨盤までずらし、ワイシャツははだけている。
肩を叩かれ振り向いたら、その高校生がにこっと笑い空いた席を手差ししている。
想定外に更に想定外が加わって動揺した訳だ。



一つ、座席を譲られたのは、見かけで既に私は”老人”であるという事。
一つ、その老人に席を譲った高校生は、見かけではなかったという事。

一般的に、人は見かけ(外見)で判断してはいけないという示唆があり、
一方、人はほぼ見かけ(外見)で判断できるという示唆がある。
人は、この二つの示唆の間を揺れ動いている訳で。
私もこの二つの示唆の間で動揺している訳。

明日から長丁場の出張、
出張はもういい加減いいのだ(泣。



■2011.11.22  morning  管理人

出張に続く出張で、あれよあれよの間にもう直ぐ師走になる。
そう言えば今日は11.22。

ソファーに座っていてエイヤと立ち上がる際、一瞬、膝の力が抜けるような感覚。
僅か数分座っていて、さあ立ち上がろうとすると、足に全く力が入らない。
数十分も座っていれば、当然に痺れて誰でもそうなるだろうが、僅か数分で。
歳相応、否、相応以上に足腰が弱ってきていると実感する。

朝、JRの駅から職場までは約15分程の徒歩。
帰路は二つ先の駅まで30分程歩くように心がけているが、これも何時もとはいかない。
水泳を再開すればベストなのだが、マイカー通勤を止めている身にウイークデーは無理。
アフターファイブに通うようなジムなど我がローカルには無い、有ってもそういう所は性に合わない。
足腰は弱る一方。

 職場の催しの「森の学校」、童心に帰って木工教室にトライ

駅から職場までの間に小高い城山がある。
毎日、裏山の登り口階段を横目に見ながら通勤していた。
今朝、これを登って城山を回り道してみた、職場着が5〜6分遅れるだけ。
日々の通勤なのでこれは続きそう。
この歳になれば、意識した運動の何かをしなければと痛切に思う。




■2011.11.14  night  管理人

散髪屋さんの椅子、良い気持ちでウトウトしていると隣のオッサン、

「入る入る〜、入るぞ・・・・・」
「入ったぁ!」
大声でわめくものだから、すっかり目が醒めてしまった。
何でもホールインワンというものだそうだ。

私の職場、年に4〜5回のブロック9県が集まる幹事会といものがある。
夜の懇親会が定例で、下戸の私だが何度かこなすうちにもう慣れた。
翌日は昼までの会で、お昼前後にお役目ご苦労様で解散になる。
最初のうちは、折角遠くまで来たのだからと近くを観光していたが、
近頃は余程の事が無い限り寄り道せずに真っ直ぐ家を目指す、折角だから何処かへとかいう程の体力も気力もなくなってきている。

何回目かの会、日程メニューで「翌日はスポーツ交流」というが目に付いた。
私の元職場は貧乏団体、出張業務の明けにスポーツ交流なんぞというメニューは一度として経験が無い。
薄々は分かったが、取り敢えず事務局に尋ねてみた。
「ああそれですか、ゴルフですよ」
「**さん、ゴルフされるんでしょう」
「何、されない!」
まるで非国民の扱いの様な返答が戻ってきた。

酒飲み懇親は、百歩譲って業務の延長と理解しようと努めてきたが、
朝からのゴルフはどう考えてもそうは思わないし、
それにゴルフのクラブ一度も握った事ないし、
許してほしかったのだ。
別にゴルフがブルジョア趣味で反革命的というのではない、それを言えば私のヨットの趣味はそれ以上だから。
要は趣味の問題なのだ。
結局、朝一番、皆と別れ自主解散させて頂いた。

ところが困ったことが、
来年からその幹事会のお世話役の役回りが当県に周って来る事になった。
「困ったな、私はゴルフをしない(出来ない)し、そのお世話をするっちゅうたって」
「スポーツ交流の時だけは助けて下さいよ」
今の世話役に泣きついているが、世話役は、
「**さん、今から始めればいいじゃないですか」

あのなあ!、
俺は来年64歳だ、今からと云われても今更体が云う事利かないし、
趣味ってのは、そういう問題ではないのだ。
ゴルフは絶対やらないからな。



■2011.11.12  night  管理人

アタシャ〜、びっくらこいて腰抜かしそうになった。
時折、自虐的な刺激をもらいに密かに見ているページがある。
久し振りに見に行って、そこに考えられぬ写真を見つけた。
あの稲田朋美女史と阿部知子姉御が肩を並べて写っているではないか。
方や売国奴と罵り、方や売国奴と罵られた二人が。



阿部知子姉御は知る人ぞ知る元・東大全共闘。
全共闘ちゅうても、派手な白や青や赤のヘルメットではない、地味な緑のヘルメットだったと聞いている。
どこかのテレビ番組で、
「1.18・19の安田講堂の時は、駒場でせっせとおにぎりむすんでいました」
まあ、医学部だから安全圏内で頑張っていた方だが。

方や稲田女史、
「てめえら、右翼をなめるんじゃねえぞ」、そう聞こえてきそうな迫力。
誰もが知るウルトラにチョーを三乗したような右派。
彼女の国会質問を聴いていると、思想の右左はさて置いて、もう自虐的に快感に近いものがある。
当然、稲田女史からみれば阿部知子姉御はセオリー通り憎っくき売国奴なのだろう。

土佐高知の雑記帳さんが、
TPPはこれから'60年安保以上の闘いになるだろうと云い切っている。
ウヌッ・・・、この面子の構成は日大全共闘のような・・・。
写真を見て思った、
ここは右でも左でもない守銭奴の”売国奴”に対し、
右から左までの日大全共闘・・・じゃなくて、”日本愛国戦線”を結成せねば。

ウ〜ン、支離滅裂か。






■2011.11.10  morning  管理人

「まあ、貴方達・・・・・・」
「お墓にお花の一つ、お線香の一本もあげてこなかったの」
「・・・・・・・・、」
「今日は取り敢えずお墓の場所を突き止めるところまでだったので・・・・」
往復5時間のドライブで疲れ果てて帰ってきたら、妻にそういって猛烈に謗られた。

友の「お母ちゃんの墓」探しはこの夏から始まっていた。
「おい、**町の住宅地図を持っていないか」
「札幌で地図屋をあたると、取り寄せでウン万円かかると云われた、そちらで持ち合わせていないかと思ってな」
中心部住宅地図なら職場に備わっているが、友の云う周辺部ちゅうか、郡部遠隔地の地図など持ち合わせていない。
「そんな郡部の地図など無理だ」と返答しておいた。

友には、虫網をもって田畑や山、砂浜を走り回ったかすかな記憶が残っているそうだ。
優しいお母ちゃんの顔も、その記憶の中にきっと残っているのだろう。
家の近くには物見やぐらが有った記憶もあるという。
そのかすかな記憶と住宅地図を照らし合わせ、お母ちゃんがいた実家を探そうとしていた。
「そうだ!」
それからしばらくして、はたと思いついた事があった。

私は労働組合業界の職場に在籍している。
労働組合は何も労働運動だけではない、労働運動の軸には選挙闘争も座っている。
選挙運動には住宅地図は欠かせない。
それにかつては後援会活動と称して、個別に住宅も訪問している。
それにそれにだ・・・・、かつて選挙の実動部隊として強力な全逓という組織もあった。

ネットワークを駆使し、友のお母ちゃんの実家は一日で突き止めた。
かかった費用は限りなくゼロ。
一家の墓所の大凡の場所も判明した。
私の”仕事”の功績は大なるものがあるのだ。
後は友が帰郷するのを待つばかりになっていた。


■2011.11.09  morning  管理人

「でもよかったな、おかあちゃん待ってていてくれて」
背を丸め墓石をさする友の背中に向かってそう言ってやった。
墓石正面には母の名が刻まれ、
その側面には友の名、それに友の妹の名、
そしてその下には「(二人の)母」と刻まれていた。

札幌の悪友が帰郷していた、
彼が母の”墓探し”に行きたいというので、休みを取って片道二時間半のドライブに付き合った。
1968年の5月、札幌で母の訃報を聞いたが無視したと云う。
葬儀に出ず、その後墓にも一度も出向いていない。

「俺はおかあちゃんに棄てられたんだ」
僅か8歳で、子供には分からぬ事情があって母と生き別れになった。
幼い頃、多感な思春期、全共闘だった頃、そして家庭を設けてからも、ずーっとその思いを捨てられずに胸にしまいこんでいたと話してくれた。
だから1968年、二十歳の春に母の訃報が届いた時も、絶対行くものかと無視したと云う。
「それがな、この歳になってな、やっと許せると云うか、そんな気持ちに変わったんだ」
「一度も訪れた事のないおかあちゃんの墓所を探し訪ねたいと思うようになったんだ」

赤い花が一面に咲く畑の向こうに幾つか墓石があった。
一つ一つ確かめてゆく。
墓石の前で立ち止まり、かがみこみ墓石を撫でている。
「おい、横に俺の名前と妹の名前を刻みこんであるぞ」
振り返りそういう。

確かに兄妹の名前が刻まれていた。
きっと何時か訪ねてくれると信じ、その思いを込め、
順番を違え先に逝ってしまった娘の為、残されたおばあちゃんが刻んだものだと思う。
墓石には母の無念と、おばあちゃんの思いが込められていた。

丸めた友の背中に言った。
「ここに来るのに、お前は40数年かかったんだな」
「でもよかったな、おかあちゃん待ってていてくれて」
きっと友は、嗚咽を堪えていたと思う、
次は一人で来て思う存分泣けばいい。
花一杯持って。


my favorite songs Mark Dinning - Can't Forget



■2011.11.05  night  管理人

今日、2日夜の飲み会で中学が同じだった高校の同窓生♀に教わったS君の所に出掛けた。
「大丈夫、S
君は昔の面影が残っているから、すぐ分かるよ」
彼女にそう云われていたので、教わった場所でそこいら辺りを見回した。
何人かの中で、多分こいつだろうと当たりを付けて声を掛けた。

「済みません、ちょっと人を尋ねているのですけど、Sさんではありませんか?」
人違いだと失礼にあたるので”君”ではなく”さん”付けで声を掛けた。
「はい、そうですが何方ですか?」
「**中学の三年生の時、同級生だった**ですよ」

一瞬、間を置いて、
「おう、**君か、憶えているよ」
中三の時から会っていないので48年振り、実に半世紀近くの時間が経っている。
「いや〜、憶えていてくれてありがとう」
彼は仕事中だったのでそんなに長くは話せなかったが、住所、電話番号を交換した。
「ところで、僕が仲良しだったT君の所在知らない?」
「おう、T君なら月に一度位会ってるよ、電話番号教えるよ」

直ぐそこでT君に電話を入れたのは言うまでもない。
電話は奥さんとおぼしき女性が出、本人に代わってもらった。
「おい、中学の同級の**だよ、久しぶりだな」
久し振りと云っても同じく48年間会っていないのだが。
「**・・・・??」
「俺、**だよ、憶えていないの?」
「御免、憶えていない・・・・」

T君とは大の仲良しだった記憶がある。
今度、あらためて連絡を取ると云う事で電話を終わったが、電話では最後まで思い出してもらえなかった。
俺って、クラスで人気者だったはずなのに、
お互いポップミュージックが好きで、毎日ヒットチャートの話してふざけ合った仲なのに、見事に忘れ去られていた。
48年と云う時間は其れほどまでに長い時間なのだろうか。
”あの子”の場合とは違う意味で、少し落ち込んだ。





■2011.11.04  morning  管理人

「一昨日は楽しい席でしたね、ありがとう、日曜日**君を探してみます」
「ほんと、たのしかった!、日曜日 頑張ってね」

**君とは中三の時、クラスで人気者だった同級生の事だ、彼女に大凡の所在を教えてもらった。
今度の日曜日は集会もデモも無いので、訪ねていくつもり。
探し当てれば、彼にも中学の同窓会に一肌脱いで貰おうと思っている。

世の中はどんどん進化しており、スマートフォンが主流になりつつあるそうだが、
主流からは置いてきぼりになっている私の場合、恥ずかしい話だが、携帯のショートメール(SMS)ってのさえつい最近まで知らなかった。
『おかしいな?、こいつにはメルアド教えた覚えがないのに』
或る日、携帯に毛色の違うメールが入ってきた。
また或る時には、不在着信通知のメールが入っていた、これも普通のメールと毛色がチト違う。
これらのメールがショートメールと知るには随分と時間が掛った。

最近、このショートメールを良く使うようになった。
一昨夜の中学の同級生♀、しっかりと電話番号を交換している。
携帯電話番号さえ知っていればメールが打てると知ってからは、面倒なメールアドレスをわざわざ聞かないようになった。
ドコモ、ソフトバンクで70文字(全角)、auでも50文字まで打てる、年寄りにはそれで十分。

ショートメールは相手に負担を掛けない。
文字数制限も有り、文体は簡潔を要とする。
冒頭の二行が今回交歓されたメール、
弱り目の心が、ホンノリと温まる。

my favorite songs
Mark Dinning - Come Back To Me My Love


■2011.11.03  night  管理人

昨夜の飲み会、二次会へ行こうと誘われた。
「**くん、行きましょうよ」
高校卒業以来45年振りにあった女子にも誘われたがご辞退した。
久し振りの女子とはもっともっと話したかったが、二次会をこなすには体力と気力が足らない、それで今後ゆっくり連絡取り合おうと電話番号はしっかり交換した。
昼間の茶話ならそれなりに持つのだが、今の体力気力で酒の付き合いは二時間程が限度。
皆と別れ、自販機で茶を買い求め公園のベンチで酔いざまし。

今年の8月、私の”あの子”ではない「あの子」が帰郷していた、これについては8月9日と10日の日記に備忘録的に綴っている。
その「あの子」のたっての頼みで、中学以来、双方が片思いと思い込んでいた彼と彼女の再会の場をセットした、
お互い好き同士なのに、私等の青春時代にはよくある話だ。
別に何かが起きる訳ではないが、結果はハッピーエンド、双方永い間かかえていた荷物を降ろすことが出来たらしい。
それはそれで良かったのだが、想定外のハプニングというかトバッチリが一つあった。

「**くん、貴方の片思いの彼女、ここへ呼び出しなさいよ」
「アナタ出来ないなら、今、私が電話してあげるから、番号教えなさいよ」
「女の私が呼び出せば、向こうも警戒しないでしょう」
世話したお返しなのか、酒の席でそう云って責め立てられた。
「いいよ、明日自分で電話するからさ」
結局、強引に約束させられてしまった、60余歳のオッサンとオバサンが、顛末は殆ど中高生のノリで気恥ずかしいが。

話は昨夜に戻るが、
ベンチでひと時、酔いを覚まし帰りのバスに乗った。
車内はガラガラ、ウォークマンを取り出し、ベットボトルの茶を飲み干す。
車窓を流れていく灯を見ていると、じわ〜っと涙が滲んできた。
還暦同窓会以来、次々と会う40数年振りの同級生女子連は、皆々チャーミングで笑顔なのに・・・・。

それで、話はまたまた8月に戻るが。
次の日彼女との約束通り電話をした。
個別、私の場合、結果は今のところハッピーエンドではない。




■2011.11.03  morning  管理人

隣に座った同窓生♂が名刺を見せろと言うので差し出した。
その隣の女子(といっても多分63歳だろうが、笑)が肩越しに私の名刺を覗き込む。
「エッ・・・貴方、もしかして**くん?」
マジマジと私の顔と名刺を交互に眺める。
「嘘ぉぉ・・・・、ぜんぜん分からなかったわ!」

この飛び石連休、首都圏の某有名私大で学長様をしている同窓生が帰郷してきた。
なので、昨夜はそいつを囲んでの飲み会となった。
彼には東京で何時も女子連と一緒に歓待して頂いているもので、ヘタレていてもその義理からこの席は外すわけにはいかない。
夜の六時半、来た者順に席に着く、
私の次の次に女子が入ってきた、初対面で高校時代の記憶は全くない。
座が始まり、酒が回り打ち解けてきた頃、隣の野郎が私に名刺を見せろと言い出した。

「私、**よ、憶えていない?」
そう云われれば何となく記憶がある、中三の時に同級生だった女子で同じ高校に進んだ子。
彼女は文科で私は理科、一学年15クラスのマンモス県立高校だったもので、中学の同級でも全く付き合いはなかった。
還暦の同窓会以来、随分と昔の付き合い+αが生まれたが、中学の同級生、それも女子と再会したのは始めて。

「**さん、実は数年前、中学の同窓会をやろうと画策したのだけど、途中で挫折しているの」
「野郎で数人、所在を突き止めたけど女子は全く分からなかった」
「他の高校の同窓会名簿も調べたけど、女子は姓が変わっているでしょう」
「そういえば、貴女も同窓会名簿で調べたけど、所在不明だったよ」
中学の同窓会を開こうとこの間の努力を話した。
・・・・がしかし、そのモチュベーションが”あの子”に会いたいためだとは当然云わない。

「私ね、還暦の同窓会で皆と再び会って楽しくお喋りして、それが楽しくそれ以降こんな席があれば出ているのよ」
「今日は**さんに声を掛けられ、今日来ている人殆ど誰も知らなかったけど出て来たの」
「**くんにも会えるし、同窓生ってほんと楽しいわ」
瞳を輝かせ笑顔でグラスをぐいぐいと空けてゆく、彼女、きっとこれまで幸せな人生を歩んできたのだろう。

そういうことで、中学の同窓会にこぎ着ける心強い橋頭堡を確保した。
なにせ女子連の情報ネットワークはすごい、それはミヨちゃんのそれで実証済みだから。



■2011.11.02  morning  管理人

通勤列車は単線ローカル鉄道なもので、朝は特急列車の通過待ちに上下列車の行き違いが加わり、途中の駅で12〜3分停車する。
ウオークマンで何時もの曲を選び、マグボトルに入れてきたコーヒー
を啜る。
目を閉じると、何時も決まった情景が脳裏に浮かぶ。

日差しが暖かい記憶があるから今頃の季節か年末だろう。
バリケードから、ニコライ堂を左手に見ながら本郷通を渡ったところにある喫茶店に行った。
薬学科の女子と私の学科の野郎と4〜5人だったと思う、勿論マドンナも居た。
温かい日差しが差し込む喫茶店。
コーヒーを飲み、他愛もない話に興じた。
お金は、勿論、女子に出して貰った。
たったそれだけの記憶だが、毎度、繰り返し繰り返し脳裏に浮かんでくる。

人の記憶って不思議なものだ。
大きな出来事でもなく、何の変哲もないバリケードのとある一日の出来ごと。
バリケードに訪ねてきた薬科の女子を誘って喫茶店に行っただけの記憶。
ガラス越しの暖かい日差しと、コーヒーの香り、
それにマドンナの笑顔。
たったそれだけの記憶だが、毎度、繰り返し繰り返し脳裏に浮かんでくる。

これって、
人生、黄昏た証拠だろうな。







■2011.11.01  morningU  管理人

ヘタレているのは何も私だけではない。
家中の家電、ヘタリで10年周期の買い替え時期に、それはそこそこ対処がすんだ。
しかし、最後に大物が残っていた。
二台のマイカー。

妻のマイカーは、年明け満7歳の車検時までには買い替えようと以前から予定していた。
問題は次男坊から出戻ってきた私のマイカー、満15歳の車検を来春に迎える。
リタイヤした後の老人二人には車二台も必要ないので、一台は廃車にするというのが当初の予定だった。
しかし現実は、私は再就職し働いている、当初の想定とは違う状況。
通勤はJRだが、仕事も含め私に車が全く要らないという生活環境ではない。

そういうことで、先日、妻と二人でカーディラーを覗いた。
年金だけが頼りの生活もそう遠くはないので、おのずと目が向くのがいわゆる省燃費の”エコカー”
もう車に夢やライフスタイルを求める世代ではないので、経済性が最優先。
一台は少し余裕のあるハイブリッドのエコカー、もう一台は軽四自動車で最近発売されたエコカーに決め、先日注文をすました。
勿論、軽四自動車は私用、走ればいいだけの用途、HBのエコカーは妻で、少し贅沢だが両方の車にナビを付けることにした。

ここで普通は車の購入談義になるのだが、
私は買い物で駆け引きはしない、それは妻も同じ。
希望のオプションを付けて、担当者に値引き等を含む見積もりを出して貰ったら、それで即決で決める。
それ以上の、いわゆる駆け引きの値切りは一切しない。
これは私の生活スタイルだし、値切らなかったらそれは損だと思う方もいるだろうが、私はそう思った事は一度も無い。

しかし、悲しい事が一つ有った。
「本来は廃車費用をお願いしなければいけないのですが、それでは幾ら何なので・・・・・」
妻の車の下取り査定はそこそこだったが、私の15歳を迎える4WDツーリングワゴンの下取り査定が10000円だった事、
10万円ではない1万円。

購入した翌年、次男坊の進学で家財道具満載で京都に行った記憶。
草木も眠る丑三つ時、ランドクルーザーとパンパンに凍結したアイスバーンを80Km/hでカーチョイスしてスキー場に向かった記憶。
スキー場登山道のヘアピンカーブ、路肩のアイスバーンで車が不意に180度ターンし真後ろを向いた記憶。
ディンギーヨットをカートップ車載して、颯爽とヨットに出かけた記憶。
そんな14年間の思い出が一杯詰まった愛車が、義理値で1万円なのだ。

頭では理解できるのだが、メンタル面では落ち込む。






■2011.11.01  morning  管理人

魂が抜けかけ”ほうけ”ているうちに11月になってしまいました。
それでも私の個人的・精神的事情などお構いなしに、集会、デモのお誘いはキチンと届きます。
日頃、諸団体にはサロンの活動でお世話になっている義理も有り、気合い(かつては”決意と主体性”と言っていましたが)入らぬ体をひきずり出かけています。

10月29日は反原発市民集会、呼びかけ団体は社共両党、連合、労連系の労組、市民団体と両手両足の指の数より多かったです。
しょぼい旧社会党系はさておき、あの共産党や民青同盟、それえに新婦人が名を連ねていたので、会場はさぞかし盛況だろうと出かけたのですが。
まぁ・・・・・、それなりでした(笑。

しかし、
今回のデモ・・・・とわ云わず、今は”パレード”と言うそうですが、
特筆すべき事は、初めて車道を歩いた事です。
今まで何回もデモには参加したのですが、何時も歩道。
我が体に染みついた経験値は車道、それも端っこではなくド真ん中なもので、歩道を歩くデモはデモではないというのが私の信条です。
そういうことで、久し振りの車道のデモは少し元気が出てきました。

電力会社の真ん前を通った際は、特に大声を張り上げましたが、
隣の姉御に耳打ちしました。
「生たまご持ってくればよかった」
「生たまご・・・・?」
「玄関ドアに投げつけてやろうかと思った訳」

「それはいいわ、残念ね」
姉御、「止めときなさい」と云うかと思ったら、素直な反応。
この女性を相手に安易な跳ね上がり言動は以後慎もうと思いました。
私の経験から言えば、ローカルな当地に僅かな員数のデモ隊では、生タマゴは確実に器物毀損罪でパクられるからです。

my favorite songs Mark Dinning - The Twelfth of Never



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