my favorite songs
 

■2012.07.31  morning  管理人

全共闘の旗揚げはたった二人きりだったそうだ。
旗揚げの二人だけの頃、二度、それぞれ別個に民青に取り囲まれリンチされたそうだ。
「リンチって、吊るし上げられたのか?」
地元国立大学で最初はたった二人の全共闘、まあ、対立する民青には取るに足らない勢力のはず、
せいぜい吊るし上げ程度だろうと思ってそう聞いた。

「にぁ〜もの、大勢で俺一人を取り囲み殴る蹴る、ボコボコだよ」
「たった一人、抵抗もなにもあったもんじゃない、一方的に殴られた」
「なにせ我が大学は近辺エリアでも突出した民青の拠点校、一人や二人の抵抗勢力でもあいつらは絶対許せなっかのだろうと思う」
「ヘェ〜、それでもお前さん達は続けたのか」

「俺はこいつが唯一の頼り、こいつは俺が唯一の頼り」
「でもな、嬉しかったことがある」
「一人に寄ってたかって許さん、こいつらに手を出したら今後は俺が相手になる」
「そう言って、ボクシング部の奴がかばってくれた、そいつはインカレの最強の選手でな」
「それ以後、民青は俺たちに手を出さなくなった」
次にかばってくれたのは60'年安保世代の大学教員だったそうだ。
でもそれから一年余り、全共闘が無視できない勢力になるまでは自分の学部キャンパス内に立ち入れなかったらしい。

「俺、お前さん達二人尊敬するよ」
「お世辞じゃないよ」
「個別、俺の場合はイケイケの多数派で全共闘始めたから、少なくともそういう惨めな話はない」
宿泊三日目の宿は二室しか確保できなく、夫婦分かれて男女三人ずつに部屋割りした。
日本酒買ってきて男三人チビチビと飲み、当然、昔話に。


■2012.07.26  morning  管理人

バタバタと一週間が過ぎてゆきます。
せわしなく時間が過ぎてゆきますが、現役時代とちょっと人生の姿勢が違ってきています。
還暦再就職職場ですが、甘えることなく仕事はきちんと責任もってやってます。
でも還暦以前と違うのは、がむしゃらは止めて、仕事をさて置いても「休む時は休む」という姿勢です。
私もやっと欧米並みのライフスタイルになりました(笑。
という、言い訳がましい前置きをして、週末からまたまた旅行に出ます。
今度は国内旅行。

以前から計画していた旅行で、地元国立大元全共闘一派と一緒に行きます。
かつて40数年前、偶の帰省時に地元の国立大や県立大学によく顔を出しました。
1969年に入り、日大闘争は急激に勢いが衰えていましたが、地方はやっと火がつき始めた頃。
私は日大と地元の国立大の両方で、闘争初期の勢いのある状況を経験した幸福な男です。

国立大と県立大、
いずれも全共闘は圧倒的少数派でお互いが密に連携していました。
国立大に行くと、そこに県立大のメンバーが同席していますし、県立大に行くと国立大のメンバーがという状況。
何時だったか時期は忘れましたが、理闘委の仲間と一緒に帰省した時です。
国立大に行くと、丁度、学生会館の奪還闘争の真っ最中でした。
学生会館を民青が占拠しており、全共闘がそれを奪い返すと云う状況、首都圏とは丁度真逆の構図。

理闘委の仲間と一緒に物見遊山の気分で行っていましたが、これ幸いと学館前のデモに加わり、学館前での小競り合いを繰り返しました。
勿論、理闘委の仲間と私は小競り合いごときで納得する訳がありません、学館前の立て看板を踏み倒し学館食堂に突入しました。
食堂の椅子や机やらを投げ付け、やりたい放題やってしまいました。
私等二人は自らの経験も踏まえ、それが奪還闘争の”スタンダード”であると信じて疑わずやってしまったのですが、
地元の全共闘の皆さんからは「やり過ぎ」との大ブーイングを食らいました。
「たしかそうだったよな、(一緒に跳ね上がった)クメちん!」

話は元に戻り、
一緒に旅行に行くのはその時の国立大の全共闘親分衆二人。
其の二人の連れは同じく県立大学の全共闘女子連。
因みにこの二人の連れは妻の大先輩にもあたる。
姉御にバレると、この時期にと猛烈なそしりを受けそうだが、
それはさて置き六人旅、楽しい旅になりそうだ。



■2012.07.22  morning  管理人

出張明けから理事会まで、今週も休みなく働いた。
昨日はやっと土曜日と思ったが、手帳を見ると予定が(泣。
TPPのシンポちゅうか勉強会が、それも午後一時から五時半まで、トホホなのだ。
それでもジャナーリストとか大学の偉い先生とかの話が聞けると云うので、殆ど半強制だが出掛けていた。

私はアメリカさんが関与することにロクな事は無いと思っているタイプの人間ですので、TPPは勉強しなくてもロクなものでないと信じて疑ってない。
しかしまあ・・・・、知識というかうんちくでも良いので知っておいて損はないので真面目に拝聴した。
農業分野や金融・保険なんぞでアメリカナイズされたルールが日本を圧巻するというのは色んなところで聞いているが、私の業界の労働組合筋にも多大な影響が有ると聴かせて頂いたのは今回が初めて。
少しおさらいの意味でここに記録しておく。

第一に、
日本は法律や条例よりも国際条約が上位にある。
アメリカの場合は州法と国際条約(TPP)が同等なので、日本の企業がアメリカに行くと州法の制約を受ける。
反対にアメリカの企業が日本に来た場合、国際条約(TPP)に沿っている限り日本の法律や条例の制約を受けない。
これを不平等条約と云わずして何なのか。

第二に、
仮に自治体が条例で環境に配慮した企業を優先的に公共事業に採用する条例を定めていたとする。
TPPは原則自由競争なので、外国企業がこの自治体の入札から排除された場合、自由競争を阻害したとして遺失利益の損害賠償が日本国政府に対して出されることになる。
事実、先行してアメリカとFTP条約(二国間のTPPと思えばいい)を結んでいる韓国では、金融事業で韓国政府がアメリカ企業に損害賠償で訴えられる事例が既に発生し、かの国の官僚は縮みあがっているそうだ。
学校給食から遺伝仕組換食品を排除する条例もこの一例で、例を上げるといとまがない。
つまり、特徴ある地方自治が潰されていき、アメリカの弱肉強食のスタンダードに置き換えられていくと云う事。

第三に、
ここが本題だが、労働組合や労働運動に関わる事例。
TPPはグローバルな自由競争と云う概念が骨格に有り、WTO・多国間投資協定と云うものが盛り込まれている。
これは多国籍企業のTPP圏内での自由な企業活動を定義するものでり、この協定には多国籍企業が守るべき労働者保護と労働基準の遵守か述べられている。
その労働基準とは、
労働組合の尊重と建設的な協議/児童労働の廃止/強制労働の廃止/人権や性、宗教等での差別の禁止/施設・便宜の提供/雇用条件の交渉に必要な情報開示/会社の経営状態の正確な理解を促進する情報提示/解雇等を伴う組織変更の場合の通知と負担軽減努力など。

順守されるべき労働基準のどれももっともであるが、これは既にはるか以前に到達された古い基準であり、国際的な労働者保護の現在的な到達点を踏まえていない。
現在的な労働基準の到達点としては、
ストライキ権/労働者の健康と安全の保障/移民労働者の保護/ディセントワークを保障する最低賃金制/雇用の安定性/社会保障/男女平等/情報開示・協議・参加の権利など。

これらが順守すべき基準としてうたわれていないということは、
この事により、日本の法律で定められている労働基準やルールが上位のTPPという国際条約によって制約される。
一例として各県で定められている最低賃金が、参入した多国籍企業や外国企業に担保される保障は何処にもなく、反対に最賃法を根拠に損害賠償を日本国政府が受ける可能性が極めて大きい。
WTO・多国間投資協定の順守すべき労働基準に最低賃金制はうたわれてないと訴えられれば、それで終わりなのである。

つまり多国籍企業や外国企業が、日本では正当とされる労働運度や争議で被った企業損失や将来的な遺失益を日本国政府に賠償請求する権利をTPPは担保している。
これは結果として労働組合の団結や争議権を否定する方向へ流れていき、年収数千万以上の一部の富める者と、年収200万円未満の圧倒的多数の貧困層に二極化し、いわゆるアメリカ型社会に突き進んでいくだろう。
これが、クソ経団連がもろ手を挙げてTPPを賛成とする一つの理由だろう。

ウ〜ン・・・・、
もっともっとTPP講座は続けたいが、取り敢えずここまで。
我ながらよく勉強したものだ。
しかし、TPPに関して得られる情報は極めて断片的ではあるが、
ここまでの情報としても大変な内容を含んでいる。





■2012.07.21  night  管理人

出張から帰ると直ぐに理事会。
以前から懸案の案件が急に煮詰まり、尻に火が付いた状態。
出張先から何度かやり取り、水曜遅くに帰宅し中一日挟み金曜日に開催。
木曜日は弁護士事務所、税理士事務所、それに司法書士事務所と走りまわっていた。
緊急なもので、夕方五時から開催し七時前になんとか終わった。

疲れ果て、サロンに行く馬力は無く電車に乗った。
私の前の席には年配の御婦人が、とおに70歳を越していると思われる如何にも気難しいそうな二人組。
市役所前で小さな子供連れの30歳代の若い夫婦が乗ってきた。
お父さんはベビーカーと大きな板のようなものを二枚持っている。

最初はそれが何か分からなかった。
10分程経った時、お父さんが子供を抱え上げた。
その時、その板の反対側がチラリと見えた。
「脱原発」と書かれたプラカードだった。

二人組の年配の御婦人もそれに気が付いたようだ。
口に手を当て二人でボソボソ何かを話している。
「嫌ね、あの夫婦、子供を連れてあんな事して」
私は、年配の二人がそんな話をしているように受け止めれた。

そうか今日は金曜日、
確か金曜日は市役所前で脱原発の集いが有ったはず。
そのプラカードを見るまですっかり忘れていた。
出張続きと理事会開催の忙しさにすっかりかまけていた。
そのうち子供連れの若い夫婦はそれから2〜3駅先で電車を降りた。

その時、思いがけないものを見た。
気難しそうな年配の二人の女性が降りる三人に小さく拍手をしている。
そして、振り返った若い夫婦に手を振っていた。
「頑張ってくれて有り難う」
言葉は無かったが、二人の年配のご婦人はそんな事を云っているような気がした。

この年配のお二人、決して表(集会)に出てくる事はないだろうが、
このムーブメントは、静かにそして着実に、社会の奥深くから湧き出しているのかもしれないと思った。
そして蛇足だが、
当然この状況を前にして、私の涙腺がウルウルに緩んだのは云うまでもない。




■2012.07.17  night  管理人


右上の音楽プレヤーを止めて、再生スタート

JUNさんとエデンの東さんがBBSで紹介している『脱原発四万十行動in中村 月例デモ』の動画。
この動画、勝手に貼って秋山理央さんには礼を失するが、保管庫と思っていただければありがたい。

去年の9月27日の日記で紹介した現役共産党地区委員長と立命館文学部哲学科出(除籍?)の元・純トロが。
動画の中、誰が誰だと敢えて解説はつけないが、かつての常識ではミスマッチな組み合わせで共に闘う脱原発行動。
ただただ脱帽です。

今日は高円寺のポエムに、相変わらず出張ですが一日早ければ、悔しいぃぃぃ

ところで調べてみたら四万十市はかの幸徳秋水の出身地らしい。
このマッチング、さもありなんである。
ところで地区委員長、29日の脱原発国会大包囲には志願者を募ってレンタカーを駆って馳せ参ずるらしい。
思うにこの地区委員長、装甲車を乗り越え国会に突入しかねない、
元トロよりも”暴発”に注意が必要と思うのは、私の思い過ごしだろか?

芝工大 I さんの写真、拡散OKということで昨日7.16 の動画TOPに使わせていただきました。




■2012.07.17  morning  管理人

代々木公園  脱原発17万人U

右上の音楽プレヤーを止めて、再生スタート

四大学共闘、青山通りを占拠した映像がありました by/TAC






■2012.07.16  night  管理人

代々木公園  脱原発17万人

右上の音楽プレヤーを止めて、再生スタート

明大、専大、芝工大、日大、猪、芸闘委・黒旗などが映っています / by JUNさん


四大学共闘、
映像で見る限り、軽く100名は超えていますね。








■2012.07.14  night  管理人

旅行八日目、見事にダウンした。
朝、起きざまに食事をもどし体がだるく、前日までの気力が全く失せていた。
勿論、食事は受け付けず朝・昼抜き、ミネラルウオーターのみ。
昼からはホテルで半日ひたすら寝ていた。

往路中継地の空港、緯度は北海道よりはるかに北なのに気温は30度近く。
乗り継ぎ最後に降りた空港の緯度は日本の宗谷岬と同じで日没は21時半だった、
昼夜の寒暖差が大きく、夜は涼しく快適なのだが日中は温度計が35度近くまで上昇、陽は刺すように痛い。
それから徐々に南下の旅、ダウンした八日目の気温は37度だった。

 ワラジ2枚分程のステーキ、勿論完食!

日本で35度を越す気温であれば不快極まりないが、乾燥した天候はそれほど不快感を伴わない。
その大陸的天候が曲者だった。
好き嫌いのない安直な性分、何でもガツガツと食らい、毎日炎天下を走りまわった。
「俺も歳の割に案外タフだな」と錯覚した挙句、見事にぶっ倒れてしまった。
疲れと熱中症。
翌日やっと回復し、なんとか日本に帰って来た。

しかし・・・・・、
時差ボケも嘆かず、
帰国した翌日から昨日まで一日も休まず、根性で働いていた訳です。





■2012.07.11  morning  管理人

昨日、文理\(^o^)/学科さんから電話を頂きました。
首相官邸前の話をしてくれました。
殆ど涙声でした。



かつて私等は、
極限られた学園という状況でしたが、
そして少し違うかも知れませんが、
彼が電話で話してくれたような状況に出会った事があります。
だから”涙”の意味が分かるのです。

かつてあの時は、
偶然にも状況の真っ只中にいたのです。
それぞれの立ち位置で頑張れと言われればそれまでですが、
”ソレ”を経験している私としては、
今は”ソレ”から遠く離れていて、素直に、とても、とても、悔しいです。






■2012.07.09  morning  管理人

「明日の晩、市役所前で集会やるから出て下さい」
言葉は「出て下さい」というお願い口調だったが、内容は「出てきなさい」という命令だったと思う。
6月28日の木曜の夜、日本を出る前の日、姉御から電話が入っていた。
「御免よ、明日夜は日本に居ないもので」

原発問題が風雲急を告げる遥か以前から予定していたもので、
決して姉御が怖く、かつ、集会に出るのを日和見って逃げた訳ではない。
それから約10日間、日本国内情勢からは遠ざかっていた。
何人かからは電話も貰ったが、殆ど真夜中の着信だった故に結果的に失礼をした、ここでお詫びを。

 意地でも成田は使わぬ!

あちらでネットを試してみたが、備わっていたPCが貧弱なのか、それとも日本語IMEが入っていないのか、
日本語ページで見えるものはほんの僅か、まず殆どが記号だらけ。
URLの直接入力も試した、
マイナーなページ、ブログなどに至っては全て記号だらけ、読めたものではない。
それで、殆ど浦島太郎状態で日本に戻ってきた。

帰宅しメールを開くと、スパムも含めて300通程溜っていた。
慣れぬ経験で老体の故、かなりグロッキー。
それに一丁前に時差ボケも、
日常に戻るのに2〜3日はかかりそう。






■2012.07.01  morning  管理人


旅で、当分更新はお休みです。


管理人日記トップに戻るトップページに戻る