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■2013.11.30  night  管理人

ショッピング街の天窓にスカイツリーがにゅーっと伸びていた。

「貴方、プレゼントにめいちゃんのお人形を買ってきてあげてくださいね」
珍しく、妻から土産の指示があった。
しかし、「めいちゃん」ちゅうていわれてもさっぱり分からないので、ググッて調べた。
ジブリの女の子だった。
            
何処で売っているか調べた。
JR蒲田の駅ビル、池袋のサンシャイン、スカイツリージブリのお店。
どうせならと、会議前に羽田から押上まで電車で直行。
スカイツリーのショッピング街を探し回るがお店が見つからない。
人に訪ねたら、お店はショッピング街ではなく外に有った。

店内を見渡すが、有るのはトトロや猫のぬいぐるみばかり。
「すいません、めいちゃんのお人形って何処にあります?」
お店の方、
「めいちゃんは人気が有ってですね」
「クリスマスの贈り物で全部売り切れています、すいません」
「調べてみますが、多分、他店にも無いと思います」

・・・・・・・そうなのだそうだ(泣。
仕方ないから、トトロのぬいぐるみの大と中をお土産に買い求めた。
喜ぶかなぁ〜?
怖がったらどうしよう・・・。


会議は午後五時に修了。
同行した三人で築地で夕食。
同行の一人が行きつけの鮨屋だそうが場所が場所だけにかなりの出費になり、トホホ、東銀座で皆と別れ九時頃ホテルに辿り着いた。
ブロントでチェックイン。
ロビーは人もまばら。

何気にエレベーターのボタンを押し一人で待っていた。
ドアが開き乗り込むと、私の後ろから女性が一人すっと乗りこんできた、エレベーター内は二人のみ。
目的階のボタンを押す、同乗の女性は最上階のボタンを押し私の後ろに立った。
しばらく沈黙があった。

「マッサージしませんか?」
不意に後ろから声が掛った。
突然なもので、びっくりして振り返った。
女性と目が合った、若くは無いがそれほど年配でもない。

「マッサージ、結構です」
とっさに手を横に振り断った。
ドアの方に向き直すと、更に私の背中に声が。
「別のサービスも出来ますが・・・」

その方面は相当ににぶい私でも、その”別のサービス”の意味は直ぐに理解した。
振り向かず、右手と首を左右にふりエレベーターを降りた。
部屋でソファーに腰をおろしてから、
落ち行くと最後の言葉が頭の中をグルグル回った。

泊まったのは珍しくグレードの高いホテルなのに、
エレベーターで、マッサージとは別の「サービス」の直営業を受けた訳で、
この初老の親爺、部屋に辿り着き、
多分、誰もが思うと同じ意味で、一人動揺しまくり夜も更けたのだ(大笑。




■2013.11.28  night  管理人

明日から、
多分、今年最後になる東京への出張です。
週末は何故か何時ものホテルが混んでおり、その為、止むなく普段よりも数段いい(高い)ホテルになりました。
職場には費用がかさんで申し訳ないですが、夜は久し振りに快適なホテルでゆっくりしようと思っています。

この歳をして、
休まずひたすら真面目に働いていますので、
先日、パソコン一台クラッシュしてしまいましたが(汗、
それ以上に働いていますので、
そんくらいはいいと思いますので。





■2013.11.26  morning  管理人

年に一度この時期、高齢の叔母の家に親戚が集まる。
その人数は年によって増減するが20人から30人ほど。
伯母は今年で95歳になる。
山間の僻地に独りで住み、柑橘樹の世話をしている。
この時期それを収穫し、搾汁して柑橘酢をつくる。

生産する柑橘酢は一升瓶で200本程になる。
蜜柑が豊作の年は全て搾汁せず玉でJAに出荷する。
柑橘樹は2年に一度、強めの剪定をする。
樹木の勢いを保つため剪定は欠かせない。

収穫に集まる親戚が高齢化している。
昨年、強めの剪定をしているので今年の作柄は平年並みだが、高齢化のため以前よりも時間がかかるようになった。
因みに私は父の姓を名乗る男では最年長。
叔父や兄、年長の従兄弟は既に皆が鬼籍に入り、この65歳の若輩が一族の最長老になっている。

収穫作業の際に、親戚のこの一年の安否を確認し合う。
この一年、親戚に不幸はないが、それぞれの家族には色々と変化があっていた。
我が家も家族が増え変化があったが、
慶弔がなく家族が減った親戚があった。

慶弔に関係なく・・・・・、
家族が減るって事は、機微なる原因、
身につまされた。





■2013.11.25  morning  管理人

「来年11月**日に同期の同窓会をやります」
札幌の悪友の口コミ情報ではなく、その後正式の”業務連絡”が携帯メールで届いた。
発信元は地元でなく関東同期会会長のM君。
某私立大の学長兼理事長を務め、関東の高校県人会会長も務めている。

2008年の還暦同窓会は各クラス毎に有志が幹事を担い、それを学年幹事O君が取りまとめるかたちで開催にこぎつけている。
この4〜5年、私が関東の女子連と付き合いを深め、彼女らを迎え地元でミニ同窓会を何度か開いた際もこのO君には色々と助けてもらっている。
今回の大同窓会の発議がそのO君ではなく、何故関東在住のM君なのか。
その理由はO君のプライベートに関わるので、ここには書かない。

いずれにしても6年振りの大同窓会開催の”指令”が発せられた訳で、
私に早々とその第一報の指令が下るということは私がクラス幹事以上、学年幹事以下の位置に居るとの評価なのだろう。
この評価は、この4〜5年の私の実績からきているのだと思う。
還暦の年まで、高校時代の付き合いを19歳を境として全て絶っていた私としては、この4〜5年は随分の変化だ。

家族が増えたもので、お誕生祝いも何人かまとめて

この4〜5年で家族が増えた。
子供達にそれぞれ連れ合いが、新しい命も誕生。
そして40年近く務めた職場を定年退職し新しい職場に就いている。
私は唯物論者ではないが、環境が大きく変わったから心も変化したと思う。
それは何も大げさな社会情勢の変化でなくてもよい。

身体が衰えてきたからバランスよく心も枯れてきた。
枯れるは生きもとしての避けられない宿命だから、
黄昏色にほどよく枯れたいと思う。





■2013.11.22  night  管理人


世の中、相変わらず騒がしいですが、
昔の事を思い出しています。
1969年の春、バリケードストライキから一転してロックアウト。
入試が強行され、そして鉄格子のなかで1969年の前期授業が始まりました。

全共闘の最後の部隊は授業再開粉砕を叫び、教室から教室を巡りました。
幸い、理工学部は右翼・体育会の邪魔は無く、授業中の教室には殆ど抵抗なく入れました。
講義をしている教授を押しのけ、ビラを配り演壇でアジ演説をしました。
少しではありますが反発する学生がいましたが、殆どは大人しく聞いてくれました。

アジ演説は一人ではなく、何人かが交代しました。
私はアジ演説は下手クソ、それでも必死に学友に授業をボイコットしようと呼びかけました。
しかし、殆どの学友は一年ばかり続いたストライキに、「もういいだろう」という感覚でした。
露骨な抵抗は無かったのですが、ボイコットに同調する学友は殆ど居ませんでした。

前書きは長くなったのですが、私はその時の自分のアジ演説をおぼろげに憶えています。
確か大学立法がどうのこの、
それと、今、立ち上がらなければ日本は戦争に突き進む国になってしまう。
将来の自分達の子供を戦場に送らなければいけなくなる。
その為に、授業をボイコットして抵抗しよう。

今更に考えれば論旨は脈絡なく飛躍し、学内闘争と政治闘争の整理もなく無茶苦茶な理屈です。
でも、その時代はベトナム戦争の真っただ中、沖縄から海兵隊が、岩国や横田から米軍機が飛び立ち、横須賀や佐世保から空母が出撃して行きました。
そして、そのジェット燃料を積んだ貨物列車が都心のど真ん中、新宿を、そして中央線を走りぬけていた時代でした。
まさに日本が露骨に加担し、私等の生活の皮一枚後ろで戦争が行われ、私等はそんな時代の感覚に突き動かされていました。

今、多くの知識人が、このままいけば日本は戦争が出来る国になる。
そして再び戦争をする国になると言います。
そして、それをいう多くは私等と同世代の人々です。
そして、私等はその同世代の人たちから、時代の”鬼っ子”として憚られ、異端として排除されました。

私はあの時代、殆どの人が”それ”を選ばず”豊かな未来”を選んだのだと思います。
そして日本は豊かになりました。
今、その豊かさに固守し手放さずに、なお且つ”それ”を求めようとしています。
それは出来ない相談だと思っています。

相変わらず、昔も今も論旨は無茶苦茶で性根はねじ曲がっていますが、
そんな事を思い出しています。




■2013.11.19  night  管理人

昼間、職場に札幌の悪友から電話が有った。
来年11月、同窓会をやるようになったと云う。
時折、地元や関東でチマチマとやっている同窓会でなく、
ドーンと学年全部の大同窓会だそうだ。

60歳になった年の還暦同窓会は2008年6月だった。
来年2014年11月はそれから数えて六年余になる、この五年で世の中変わったが、私もすっかり変わった。
体力・気力、そして風貌もさることながら中身も変わった。
有り体に言えば心が”枯れ”てきた。

時代も変わるが人も変わる。
それが年相応の変化なのか、それとも私個人の変化なのか分からないが、
色んな意味で”枯れ”てきたのは間違いない。
その”枯れ”は私の思想にも及んでいる。

特段に思想が右に寄ったり左に寄ったりと云う変化ではない、
それがどんな変化だとは説明に苦しむが、
”枯れ”という表現が一番合っているように思う。
枯れた心の先、私には”あの子”もだんだん見えなくなってきた。

私にとって”あの子”は思想だったのだろうか(笑、
イヤ・・・・、
ふざけてなく、結構、マジな話です。





■2013.11.13  morningU  管理人

昨夜、会議の後の懇親会。
「やあ!、同志」
そういって図体のでかい方が入ってきた。
昨年の4月1日に綴った某県の元・連合会長。
連合とは総評や同盟が一体化した日本最大の労働組合のナシュナルセンター。
総評だけなら理解もできるが、私等の時代は民同といわれた旧同盟系も大勢居る連合の方に、「やあ同志!」と言われるのはいささか戸惑う。

以前も書いたが、私等は在る年を基準として学年が上か下かで上下関係が決まる。
個別、私等の場合はそれが1968年であったり1970年だったりする。
一昨年、元・連合会長と当時の話をしていると学年が私が上だと判明した。
それまでは私が敬語を使っていたが、判明した次点で元・連合会長が敬語に変り立場が逆転した(笑。

出張続きでいささか疲れていたので、一次会でトンずらしホテルに戻っていた。
一風呂浴びて寝ようと思っていたら携帯に電話が。
「**さん、上司が是非一杯やりたいと申しておりまして」
「今、フロントまでお迎えにあがっています」

元・連合会長、今もそれなりの重席についている。
卑怯にも職権で部下に命じ、私を迎えに回している。
仕方ないからも一度服を着てロビーに降りた。
「いや〜、元同志ですから」

迎えにきた方、上役が何故私ごときの老いぼれに会いたいのか理解が及ばないようで、怪訝な顔をしていたのでそう説明した。
「元同志ですか・・・・?」
分かったか分かってないのかよく分からないが、態度的には納得しているように見えた。
今時の若い方、納得できないことは一様納得した態度をとるよう習慣付けをしているのだろう。

一度は8時半にホテルに戻っていたのに、
結局、帰り着いたのは12時近くだった。
勿論、元同志とは周りを無視し自分達だけで盛り上がったのだ。





■2013.11.13  morning  管理人

何気にデスクの端の書類に手を伸ばした。
肘がカップにコツンと当たった。
アッと思ったが後の祭り、
カップ一杯、パソコンが並々とコーヒーを飲んだ。

月が11月に替わり、出張に続く出張、出張、出張。
月始の連休明け、久々に職場復帰し催しの報告書を書かねばとデスクに座った矢先だった。
この顛末、何度か繰り返している、私の履歴と同じで初犯ではない(笑、
しかし今回のミスはちとひどかった。
コーヒーの海にキーボードが浮いている状態、あわててPCを裏返しキーボードから液体を排出した。

その後の対応は危機管理のセオリーに沿った。
とりあえずティッシュで拭い、キィーが作動するのを確認しデータを退避した。
文書やメールを共有ディスクやUSBメモリーに、日頃データは共有ハードディスクに保存することを習慣付けているのでそれほどの作業ではない。
その間も反応するキィと反応しないキィが出てきた。
最悪を考えてPC固有のメール設定や各種設定、それにアドレス帳もアウトポートした。

作業が一通り終わると、電源を落としマイナスドライバーでキィボードをめくりあげた。
キィー自体はお盆状の器の上に並んでおり、コーヒーはお盆の上でほとんどがブロックされているが、いかんせん飲み込んだ液体の量が多すぎた、液は器の端から基盤に溢れていた。
ここもセオリー通り、水ではなく消毒用のアルコールで慎重に洗浄した。
全ての作業を終え一夜明けの”天命”を待った。

お釈迦だった。
翌日朝、出勤し電源を入れた。
ウインドウズの起動が途中で止まる。
慌てず「叩く」、こういう時の最善の対処策だと信じている。
ウインドウズの起動が「再開」、
何事も信ずる者は救われるのだ。

これは物に溢れた団塊世代の揺るがぬ共通認識、電気製品は叩けば何とかなる、
ここまでの対処は世代の共通認識通り正しかった訳だ。
しかし立ち上がるには立ち上がったが、ユーザーのログインパスワードが勝手に記述されログインできない。
デリートキィー、リターンキィ、その他のキィーも全く反応しない。
最後には聞いた事にない警告音がピーと鳴り出す、
期待に反せず「お釈迦」だった。

今やパソコンは単なる事務用品、一台や二台の廃棄は費用的にもそれほどの事件ではない。
問題は事務所が有するパソコンの中でそれが数少ない貴重なXP機だったこと。
データーは何とか退避したが、XP機でしか動かないアプリを「個人的」に入れていた。
代替のパソコンはあるのだが、XP機は業務の会計ソフトを入れた一台しかない。
それは私だけが占有できない訳で。

期せずしてセブン機のデビューとなった。
この歳にして最悪である。
慣れぬメーラーに手を焼き、使えぬアプリにストレスが溜まる。
これも度を起を越した出張のせいだと得意の責任転嫁。
そういう事で、これも言い訳だがパソコンに触る気力も失せて早10日程が過ぎた。

今日も事業提携金融機関との会議で出張先。
自前のXP機でホテルのWi-Fiに接続、
珍しくFTPブロックを解除しているホテル、これ幸いとFTP接続し久しぶりにキィーボードを叩き更新している。
もう直ぐ夜明け、
もう巡業は許して欲しい。



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