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■2014.03.29  morning  管理人

「貴方、飾っておくだけになるんじゃないですか?」
後ろから妻のきつい突っ込みが入った。

ビアンキを納戸に収めているので、エイヤで買った二台の折りたたみ自転車の置き場が無い。
玄関横の自転車置き場で妻のママチャリと並べることも考えたが躊躇した。
屋根も付いておりスペースは有るのだが、風雨は容赦なくかかるので×。
思案の結果、ネットで二台用バイクハンガーを購入し玄関内に。
二台をハンガーし、一人悦にいって眺めているとすかさず突っ込みが入った訳だ。
物から始まり、えてして飾っておくだけで終わる性分はしっかりと見抜かれている。

昨夜は遅く出張から帰った。
マイカーで片道2時間半、近場の仕事だったがこの歳で日に5時間の運転は疲れる。
朝起きて、鉢植えの桜に花が咲いているのに気がついた。
健やかに育てと願いを込めて誕生記念に一昨年植えて、二度目の春になる。
二か所に二輪、四輪だけだが今春初めて花を付けた。

成人式まではとても無理だが、
この樹が一面桜色に染まるようになる小学校入学、
出来れば中学生まで見届けたい、
そこまで生きていられるだろうか。





■2014.03.26  morning  管理人

JRの料金、四月から幾らになるのかな・・・・、
そんな事を考えながらキップの自販機にコインを入れたのはしっかり覚えている。
無人駅だから列車に乗るまでに改札は無い。
その間の記憶はおぼろ。

下車しホームで何時もキップを入れている小銭袋を開いた。
無い!
無意識にポケットに入れたかと思い、ポケットをまさぐる。
無い!
何処を探しても無い!

下車駅も夕刻は無人駅になりホームで車掌さんがキップを回収する。
全て回収しなければ列車は発車できない訳で、その最後の一人になってしまった。
「済みませんキップ失くしました」
「何処から乗車されました?」

JRのルールでは、キップが無い場合は始発駅からの料金となる。
あ〜あ、しょうないな、そう思いながら乗車駅を言った。
すると、「其処からだと**円です」
ローカル線の車掌さんは柔軟に対応してくれた、有り難かった。

帰宅しぼけた頭を振りしぼった、二重に払った料金でなくキップの記憶が無いのが悔しい。
すると、自販機からキップを取りだした記憶が無い事に気付いた。
ローカル線無人駅、キップ取り忘れのアナウンスが有るような高尚な自販機ではない。
スーパのレジで、お金でなくサイフをそのまま差し出したボケぶりと同じレベル。
一気に脱力感。

春なのだ。
『母さん、ボクのキップどこにいったのでしょう』






■2014.03.23  night  管理人

妻が誕生祝いに自転車が欲しいと云う。
自転車ぐらい自分で買えばと思うのだが、妻は「私は年金暮らしで、貴方は”給与所得者”だから」だそうだ。
そういうせめぎ合いの結果、自転車屋さんに出掛けた。
店内には今流行りのクロスバイクから、軽量フレームの軽快車まで色々展示している。

私は退職時にビアンキを買っている、だからカウンターでそれなりの価格を覚悟。
目の覚めるような色の車体フレームやカラータイヤなど、お洒落な自転車が並んでいる。
そうなのだが・・・・、
結局、妻が選んだのはお洒落なママチャリ。
お洒落ではあるが基本はママチャリ、覚悟していた価格よりはるかに安い。

整備してもらう間、店内をウロウロ。
ふと一台の自転車が目についた。
以前から欲しいと思っていた折りたたみ自転車。
体力的に遠出はきついので、車に乗っけ行った先でウロウロするのに丁度いい。

 多分、そんなに乗らないので一台は玄関でハンガー、もう一台は納戸に

在庫が一台だけだったので、もう一台取り寄せてもらう事に。
折りたたみなら荷台に妻と私の二台でもゆっくり乗せられる。
そう云う事で勢いでエイヤと一度に三台購入。
団塊の価値観は「物より達成感」では断固なく、「まず、物!」ちゅうセオリーはきっちり守った。
で・・・出費は、三台でも私のビアンキ一台分とほぼ同じなのだ。

ところでビアンキは如何しているかというと、私の完全リタイアまで納戸で静かに待機している。
屋内だからサビ一つ、ほこり一つ付かず完璧な保管なのだ。
自転車屋の大将とそんな話をすると、
「お客さん、自転車でも何でも使わないと痛みます、良くないですから」
「乗る前には一度整備に持ってきて下さい」
だと。

さあ、明日は、
苦節この半月程、ねじり鉢巻きで作った新年度事業計画&収支計画案を持って”勝負”の理事会だ。





■2014.03.22  morning  管理人

東京の大学受験するって云うから、てっきり東京の大学かと思っていた。
先週、仙台の姪っ子から便りが届いた。
「サクラチル」
昔の電文だとこういう内容になる、息子の受験結果を知らせてくれる内容だった。
もう一年、親子共々しっかり頑張れと心でエールを送った。

昨夜、世も更けて・・・と云っても午後九時過ぎだが電話が鳴った。
ナンバーディスプレイは神奈川の義姉宅の番号。
何事かと受話器を取ると、開口一番、
「オジサン(と云っても大伯父なのだが)、受かりました!」
受かったと云っても、母さんからは既にサクラチルの便りを貰っているのだが?

「後期試験で何とか受かりました」
「後期・・・・?」
聞くと、今の国公立の入試は前期とか後期とかがあるそう。
で、その後期にも再チャレンジして難関を突破したそうだ。
「で・・・、何処受かったの?」

私は東京の大学と聞いていたので再確認の意味で聞いてみた。
ところが、聞いた名は東京の大学だが東京の大学ではない。
私は、東京には国立大学の医学部は東京の大学しかないと思い込んでいた。
国立大学の医学部が東京の大学の他にあるとは知らなかったのだ。

「エッ、なら、お茶ノ水じゃないか」
「そうか、お茶ノ水なら横町のドブ板までオジサンは知ってるぞ!」
「それに一度だけだが、校舎の屋上に上がった事もある」
「お茶ノ水橋を眼下に見下ろし、複雑な心境だったのを覚えている」
彼には意味不明の事を交えお祝いを言った。

 2011年3月、三年前の兄弟

彼が弟とお姉ちゃんと三人で仙台から当地に避難してきて丁度三年。
彼は東北有数のバンカラ高校に進み、三年間部活も手を抜かず、今年からは母さんと同じ道を歩むことになる、
お姉ちゃんは今年大学四年生、就活に勤しんでいる、
ちびっ子は小学校に入学し、今年は三年生、好きなのは算数だそうだ。

あれから三年、
それぞれが自分の道を歩み、成長し、
サクラ咲く三月、私は少しずつ老いさらばえていく。
いいものだ。





■2014.03.16  night  管理人

今のところ大丈夫なよう。
ここ数日、帰路の途中児童公園に立ち寄る。
家路は少し遠回りになるが、どうしても足が向いてしまう。

先の週初めの午後4時、出張先に妻からメールが届いた。
題名は「クリスマスローズ」で、「公園に植えました」
ご近所の方にも手伝ってもらって植えていると、町内会長さんも鍬を持って来てくれたそうだ。
帰ると、12ポット入りのケースが9つ空になっていたので108株を植えさせてもらったことになる。
実際は、手伝って下さった方が欲しいと10ポット程を差し上げたので公園には約100株。
どれどれと見に行ったが、
素人にしては、まあまあだろう(笑。

 昼から墓掃除に、クリスマスローズを供え

事後の報告で少々気になったのは、
足かけ四年、ポットで育てているので中は根でギュウギュウに詰まっていたそうだ。
それで、無理やり根をほぐして植えたという。
私としては、できればそのまま根を傷つけずに植えて欲しかったのだが。
でも生命力の強い花だから、問題なく根付くはず。

それより心配なのは、
根付いてしまえば、地中深く根を伸ばす植物なもので引っこ抜くのは簡単でないが、
この秋まではひっこ抜くことが簡単、
それに今は丁度花頃なので、よからぬ奴に狙われそうで、
そのチェックも兼ねて、毎日、家路の途中に立ち寄っている。






■2014.03.09  night  管理人

土曜日、長男家族と買い物に、ショッピングモールとデパートをはしご。
彼女、ひょこひょこ、あっち行ったりこっち行ったり。
人に迷惑にならないように付きっきり、。
気にいったところで立ち止まり、商品をとって私の方を振り返り「アアーーアアーー」

「これが欲しいから何とかせよ!」、とのサイン。
私と彼女、意志疎通は十分だが、
欲しいものは何でも買ってあげるのだが、母さんに聞かないと。
夕食は彼女と初めてレストランへ。
階段、エスカレーター、駐車場など抱っこして歩いたら、
今朝は、腰が・・・・・・・。

明日から出張、
確か三年前の出張も3月10日と11日の日程、
会議の会場も一緒、
あの時は山の上ホテルへ泊まったが、今回はもう少し安いホテルに。

あれから三年、
世の中随分と変わり、
私の身辺も随分と変わり、
私自身、体力気力とも順調に老化、随分弱った。





■2014.03.07  night  管理人

やっと一週間が終わり、這うようにして帰ってきました。
昨晩より180度転換して、
今夜も独りです。
作り置きの食事を取り、今、午後九時です。

することが無い事は無いのですが、
今まで十分あくせく生きてきましたので、
”明日出来る事は明日に回す”
数年前から、こういう生き方に変えていますので、
別にふて腐れている訳ではなく、
もう寝ます。





■2014.03.07  morning  管理人

心と身体の弛緩状態が続いており、肝心な事が抜かっていた。
公益法人制度改革で監督官庁の法人管理が厳しくなっている。
今までは、来年度の収支計画は決算年度が明けたしかるべき時期に理事会に諮っていた。
総会が五月だとすると、四月の適当な時期、そのつもりでのんびりしていた。

「しめしめ、これからは出張が劇的に少なくなっているな」
スケジュール帳に目を通し、ひとり納得していたのだが、三月ページの末尾、「昨年理事会開催」とのメモが目に付いた。
「ウヌ・・、理事会は四月じゃなかったかな?」
そう思って働かない頭を無理やり働かした。

ヤバッ・・・・ァ、
収支計画を審議承認いただく理事会は、決算年度末の一日前までに開催しなくてはいけないことを思い出した。
さあ、大変!
いい加減、日程詰まりで身柄確保の難しい理事の皆さんを、一番繁忙な時期に捉まえなくてはいけない。
弛緩していた心が一気に硬直。

ところで、新年度から町内会長の責を受けることになっている。
これこそ、なりたくてなるのではなく、半ば強引に押し付けられた。
んじゃ、どうせやらないといけないなら、以前から納得いかない事が一つある。
「あの事」を仕掛けてみようと思った。

あの事とは、
我が町は平成の町村合併で三町村が合併して新しい町になっている。
当然、町村議会も一つになった。
そのことで議会議員が多すぎるのではとの声が少なからず出た。
議会も努力して若干名の議員定数を削減している。

その事は別段どうでもいいのだが、
更なる議員定数の削減を求めて、町内会連合会会長が会長名で削減要求を議会に出している。
ここで私は頭をひねった。
議員定数の多少にはそれぞれ住民は意見があるだろう。
その意思は何らかの手段で議会に反映させればいい。

私が頭をひねったのは、町内会連合会会長が会長名で削減要求を議会に出している事。
私の町内会は町内でも一二を争う大きな町内会。
他の町内会は知り及ばないが、我が町内会では一度も議員定数について議論した経過も無ければ、議決したことも無い。
いかなる民主的手続きを経て、連合会長は議員定数の削減要求を会長名で行っているのだろう。
町内会長連合会でそれを聞いてみる事にする。

お役目を頂かなければそんな機会も無かっただろうし、折角だから。
それに、一町民の目線から、住民自治が声の大きな地域のボスに牛耳られているように感じられるから、
事の事実関係を前会長からしっかりヒアリングし、納得いかなければ、連合会会長の要求を一旦取り下げることを要求するのだ。
とりあえず一住民目線から、闘争勝利! なのだ。





■2014.03.06  night  管理人

手を繋いで歩こうと差し出したら、つれなくバシッっと振り払われた。
両肩をフリフリ、ペンギンさんのような歩き方で前を歩いて行く。
それで彼女、ベビーシートを指さし
「ウーウー・・・」
これで、私と彼女はしっかり意志疎通ができている訳で「乗せろ!」という命令。

今週月曜日、片道3時間40分+αの日帰り出張。
一日置いて昨日水曜日、片道3時間の一泊出張。
兎にも角にも疲れたのだ。
それで午後は出張から直帰させて貰った。

今日は運よく”彼女”のお迎え日。
後部VIP専用席でふんぞり返っている。
母さんのお迎えまで、我が家の臨時保育園でご本を読んだり、
ひょこひょこペンギン歩きの後ろをついて回る。

彼女、一瞬立ち止まり椅子につかまり眉間に皺を寄せている。
「オーイ、おおきいのやってるぞ!」
「ハイハイ、捕まえましたよ」
妻がオムツを持って飛んできて、逃げ回る彼女を確保。

連日の独り暮らしから180度の変化なのだ。




■2014.03.04  night  管理人

昨日、日帰り出張から独りの我が家にやっとこさ帰りついた。
午後九時半、帰り着くと特段することないから直ぐに床に着いた。
それで朝3時に目が醒めた。
幾らなんでもとも一度目を閉じ、次に目が醒めたら4時。
仕方ないから、ゲロ吐いて車中作業を中断していた同窓会名簿の整理をした。

午後の職場、頭がボーッとして生あくびが止まらない。
原因の一つ、二年間続いたお役目の引き継ぎが完全に終わり心が弛緩していること。
もう一つは、日帰り出張の疲れ+余りの早起きに、午後から体が弛緩していること。
くたびれ帰宅し、作り置きの夕食を。

今夜も独り。
明朝午前六時出立の一泊県内出張、今、午後八時半、今夜も特段することないからもう寝る。
念の為に言っとくが、
独り味わい、うらぶれているだけだから、
決して熟年離婚ではないからな。




■2014.03.04  morning  管理人

日帰り出張、片道JRで3時間40分と書いたが往路は4時間オーバーになった。
新幹線への乗換駅近く、乗車していたJR在来線が途中で立ち往生した。
「次の駅で利用客がホームから転落し、けが人が出ております、このまましばらくお待ちください」
結局、立ち往生は15分ほどだったが、乗り継ぎ予定のみずほは発車オーライした後だった。

復路は折角の長時間乗車だから同窓会名簿の整理をした。
車窓の外は真っ暗、下を向いて名簿の小さな文字を追っていると、しばらくして吐き気を催した、
トイレに駆け込んだ。
乗り物酔いは、25年前、初めてヨットに乗せてもらった時以来。

40歳前後だったと思う、初めてクルーザーヨットに乗せてもらった折、出航直後は晴天だったのに、沖に出るとはるか向こうに灰色の雲が。
途中から荒天に変わり、うねりが出、左右前後の揺れに上下の揺れが加わる、ロデオの馬に乗っている状態、それにうねりの山から下るときは大きな船体がサーフィングする。
うねりの底に入ると回りは波の壁に取り囲まれる。
今ならその状態を楽しむ余裕があるが、当時はデッキに居ると、船首が切り裂く波しぶきでびしゃ濡れ、迫る高波に身体が恐怖で引きつった。
途中から安全なキャビンに下りたが、狭い箱の中で混ぜ繰り返される状態。
胃の中の物を全て吐き出すがそれでも吐き気は止まらず、血反吐を吐く、まさにその状態だった。

結局、トイレの中で吐いてしまった。
船酔いには120%の自信があるのに、鉄路の上のJR列車で吐くとは、
歳のせいにするわけにもいかず、どういう言い訳にしようか困っているのだ。





■2014.03.02  morning  管理人

一昨年は盛岡から、昨年は一ノ関から山深い温泉に入り、今年は少し下がって福島から入る予定。
常連メンバーは夫婦四組八名なのだが、一昨年は病気で一組欠、昨年は親の弔いがあって一組欠、二年続けて夫婦三組六名。
今年は今のところその四組に、新たに再雇用65歳満了組が入って夫婦五組10名の参加予定。
エアー、新幹線チケット、温泉宿の手配も全て済んだが、何せ歳が歳だから、私等自身の予定が”予測不能”だと思う。
まあ、その時はその時と構えている。

六名だとレンタカーは六名乗りワンボックスカー、カーゴスペースが少々窮屈だがジャストサイズだった。
それが予定通り10名だと10名乗りクラスになる。
「おい、そんな大きい車で姥湯温泉大丈夫か?」
昨日、メンバーの一人から電話が掛って来た。

まあ、大丈夫とは思うが、念の為ネットでチェックを入れてみた。
YouTubeサイトに温泉までの経路を車載カメラで録画したものが有った、便利なものだ。
で、それを見て返答の電話を入れた。
「この程度の山道が怖いなら、当県の山間地では生活できないよ」
「立派な普通の”生活道路”のレベルだよ」
「行き違いがヤバイ・・・・?」
「そんなもの、バックすれば済む事でしょう!」
一件、解決なのだ。

ところで山道を心配したこの仲間、当日記で幾度もつらつら綴っている地元国立大全共闘の創設者。
それでもって、同じ高校の同窓生。
それでもって、その地元国立大にはごまんと高校の同窓生がいる。
私の母校は、地元国立大付属高校と云ってもよい程、多くの卒業生を送り込んでいる。

何が言いたいかと云えば、ごまんといる高校同窓生のなかで全共闘をやったのは彼ぐらい、他には聞き及んでいない。
私は東京だったからそれほどでもないが、多分、地元では、狭い世間で孤立無援の立場でなかったかと思っている。
そんな事を承知の上で同じ高校の同窓生なもので、大同窓会の打ち合わせに声を掛けてみた。
多分、その昔、嫌な思いをしいているから断られるだろうと思っていた。

ところがさにあらん、
「おーいいぞ、それで何時だ?」
予想外の返答が返ってきた。
あらためて彼のメンタルのタフさに感心した。

大同窓会で全共闘勢力を結集せねば(笑。






■2014.03.01  morning  管理人

今朝、午前七時に30秒前。
我が家の壁時計は電波時計だから正確。
電話をダイヤルし10秒前に発信。
ツゥーツゥーツゥー、
話し中。


3.11の折、羽田の出発ロビーに居た。
最初のグラッはタカをくくった。
「ああ、また地震だな」
そしたら数秒後に猛烈な横揺れ、前面の湾曲したガラス戸がガラガラと音を立てて今にも落ちてきそう。

これはただ事ではないと、未だ最初の揺れが続いている最中に反射的に妻に電話を入れた。
私としては、相当機敏なレスポンスで電話したと思うのだが、
電話機は既にツゥゥゥー、
通じなかった。
世の中には私よりレスポンスのいい方がごまんと居るのだ。

この五月末から、地元全共闘残党一派と恒例の東北秘湯ツアーに行く。
主だった行程は随分以前に馴染みのツーリストに頼んだが、姥湯温泉だけは予約受付が3月1日からだと云われ、
「1日は丁度休日なので、ご自身で予約して下さい」
ツーリストにつれなく言われた。

昨日、予約は何時からと確認を入れると明朝午前七時からだと。
それで今朝、3.11の経験も踏まえ万全を期し電話の前に座った、
午前七時10秒前コール、で・・・・既に話し中。
30秒程ごとに電話すること十数回、やっとこさ繋がった。

予約無事完了。
残党の皆、私も人並に努力したのだ。



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