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■2016.04.30  morning  管理人

久米小百合さんの昔の芸名は久保田早紀さん。
勿論、昔も綺麗だったが、歳を重ねた今の方が私はもっと綺麗だと思っている。
信心が人を美しくするのだったとしたら、それだけで私も入信してもよいとは思うが、
私の場合、加齢による容貌劣化は既に行き着くところまで行っているので時すでに遅しだし・・・。

4月最後の茶会、お昼は牧師様が美味しいラーメン店に連れてって下さった。
「**さん、確かバブテストの信者になって下さるとの事でしたよね」
「エッッッ・・・・・・(汗」
まあ・・・、信者さんにも負けないほど足しげく教会にかよっているもので、教会のドアをくぐるのは全く抵抗ないのだが。
信者となるとそれは全く違ってくる、
「はぁぁ・・・・・・・・」

先日、妻もやっと年金満額受給できる誕生日を迎え、家族一同レストランで祝った。
出掛ける前、
「貴方、私に何かお祝い有るのですか・・・・・」
私、
「・・・・・・・・・・・、」
子供たちにお祝い貰うまではかなりご機嫌斜めだったが、やっと機嫌取り直してくれた(汗。
レストランは一歳ともう直ぐ四歳を迎える孫娘たちが居るので騒いでもいいように個室を手配、
よちよち歩きの一歳、はしゃいで走り回る三歳、周りを気にしなくて良かったのでそれは賑やかなお誕生会となった。

「貴方、来月からはいいですからね!」
「エッッッ・・・・・・(喜」
妻と私は独立採算制、水光熱費や法定経費など生活費を二人折半で負担している。
それで食費は一定額を妻に渡しているが、それを今後免除するとの事。
妻の方から嬉しい誕生日祝いを私が頂いたのだ・・・・。



■2016.04.28  morning  管理人

生憎の雨だったが納屋の軒先で鰹を藁焼きでタタキにした。
車で、JRで、皆が三々五々集まってきた。
奥さんと私のカミさんが藁で焼いた鰹を刺し身に切る。
ビール多数、地酒の一升瓶数本、珍しい栗焼酎などなど、皆では飲みきれないほどの酒も集まった。

会場は暖炉のある居間ではなく、八畳二間続きの座敷、床の間に並んで仏壇と神棚が座っている。
床の間には父母の遺影が、
なげしには地域に貢献しただろう父上の表彰状が多数並んでいた。
お街の飲み屋には無いアットホームな雰囲気で夕刻まで同窓の交わりが楽しく続いた。

「おい、札幌のAが今度帰郷した時はここでするって勝手に言ってるぞ!」
「戻り鰹も旨い、その頃もここでしようよ!」
「庭でバーベキューもいいな!」
ホストの意向は関係なく、皆から勝手な提案が幹事の私に幾つかあった。

そうは言っても、奥さんにはかなり負担を掛けることになる、
ほどほどにしないといけないのだ。
今まで仕掛け役に励んだが、今後は適度にブレーキ掛けるお役目を自覚した。



■2016.04.26  night  管理人

1967年、18の春3月、あの子を見納め再び会ったのは2014年11月
単純に計算すれば47年経過している。
やっと所在を探し当て手紙を書いた、それで電話貰ったのが2010年4月10日。
電話貰ってから会えたのは、これも単純に計算すれば4年掛かっている。
よく言えば辛抱強く我慢強くとも言えるが、悪く言えば執念深くしつこいとも言える。

そんな”あの子”との時の刻み方ほどではないが、こちらも牧師様にお願いして早四年経過している。
今朝、牧師様から電話が、開口一番、
「朗報ですよ、**さんが願っていた久米小百合さんが来てくれる事になりました」
「一番先にお知らせせねばと・・・・・」

久米小百合さん

コンサートは来年の年末になるというので、未だ実現までには一年半ほどある。
それで無謀にも牧師様にお願いしたその時の2012年12月6日の日記を読み返してみた。
>掃除でも、下足番でも、寄付集めでも、何でもしますから・・・、
>それに、その日だけはバプテストの信者になりますから。

よかった!
確か実現すれば「バプテストの信者になります」と言ったような記憶が有ったが、
「その日だけは」と条件づけていた。
男の約束は約束だから・・・・・、
条件付けていなかったら、70歳を前に洗礼受けなければいけない状況に追い込まれていたかも(汗。



■2016.04.25  morning  管理人

3月12日の日記に綴った、3月に首都圏から夫婦共々Uターン帰郷した同窓生。
代々継いできた田畑を耕し日々農業に汗しているようで、先日、ご機嫌伺いに訪問していた。
奥さんに珈琲を入れて頂き談笑していると、
「そろそろ魚市場に初鰹をあがる頃だな、それを肴に我が家で卓を囲み、カミさん連も一緒に一杯やらないか・・・」
彼からそんな提案が。

奥さんに「ご迷惑かけますが、お宅に押し掛けていいですか?」と聞くと、
返事は「いいですよ、我が家はしょっちゅう学生さんが大勢押し掛けてきてましたから慣れてます、喜んで!」
そうは言っても素直な学生さん達と、こちらは頑固親爺(オバ様)連、かなり事情が違うと恐縮しているが。
結局、同窓会代表幹事の私が事の始終を献立する事になった。

そうは言っても彼の自宅は田舎の当地でも更に田舎、県庁所在地からはJR特急で50分余り掛かる。
都会で電車を乗り継いでの50分は日常茶飯だろうが、田舎でのそれはチト事情が違う。
此処でのJR50分は山脈の天辺か、はたまた猪鹿が走り回る秘境に辿り着いてしまうのだ(笑。
それと決定的なのは移動コスト、都会での料金は如何ほどかは調べてないが、当地では特急料金を入れると往復は5千円程になる。
因みに安い普通便だと所用時間は片道2時間程(泣。

自宅で、夫婦共々、JR特急50分のド田舎、そんな条件でさてどんな反応が有るかと気をもんだが、呼びかけて見ると予想外の二桁参加者。
それで奥さんには迷惑かけないように料理は仕出し屋に、カツオは彼が直々に調達するそうで、飲物は各自持ち寄り、会費は一人でも夫婦でも3千円に設定。
飲兵衛は好きなだけ酒屋で買い求め自分で持ち寄ればいいし、飲まない者はお茶など持参すればいい。
或る女子は手作り料理を持ち込むと意気込んでいる、そんなこんなの段取りで事前から盛り上がっている。

「オイ、お前さんのカミさんには準備諸々で手伝ってほしいからな」
私は端からカミさん連れていく気はなかったが、ホストの彼からキッチリと条件付けされてしまった。
まあ、参加の同窓生の中で”あの子”の話題を知っている奴は居ないのでいいかなと渋々納得。
今まで飲み屋で開くが常識だったミニ同窓会が今回は一風変わった献立、英語であっさり言えば自宅で開く”Party”が数日後に近づいている。

彼の奥さんの心が広いのと、
それと田舎だから出来るのだろ。




■2016.04.24  morning  管理人

「エッッ・・・・、あんただったの!」
今月初め、講演会の打ち上げの席で講師共々参加した司会役のUさん思わず声を上げた。

基本は、共産党で数少ない仲良しのOさんが企画したアチラの講演会。
茶飲み会に長老を通じて「一緒にやらないか」とのお誘いがあった。
それで長老とノコノコ実行委員会に出ていくと、これぞとばかり主催者挨拶、司会進行、受付と、共産党の色の付かない面子が「表」に出る役回りを全て受ける羽目になった。
これが日頃仲良しのOさんでなければ、「何が共産党が・・・党派色を隠すためこちとらを利用しやがって」とテンパッて撥ねつけたのだろうが。
今の政治の流れもあるが、茶飲みをキィーワードに出来たばかりの団体、これは当方にもいい宣伝になるかもと思ったのも本音。

それで結果だが、講演会の準備や運営で茶飲み会はそれなりの存在感を示せたと思う。
何よりだったの予想を大きく上回り会場に入りきれないほどの参加者が有った事。
さすがに基本が共産党さんが発起した講演会、党の県委員長や各級議員さんが押し並べて参加していた。
一方、来るとは思っていなかった民主党・・・じゃない民進党の重鎮や議員さんの参加もあった。
講演会の参加者、それなりに”野党共闘”のカタチになっていた。



写真は司会役のUさんと会場、撮影は茶飲み会のNさんで彼のブログから勝手(無断)に拝借、いいのだ。

打ち上げの席、
それぞれの役回りを務めた茶飲み会のメンツ、日頃、馴染みのない共産党の諸氏を前にした。
少し遅れてうら若い女性と年配の女性が連れ添って入ってきた。
お若い方は確か今般の参議院選挙のポスターで何時も見る顔、実物の方がポスターよりは若いと感じた(笑。
Uさんが思わず声を上げたのは年配の女性と顔を合わせた時。

「貴女、**さんだよね」
「その節はお世話になりましたね!」
参議院選挙の共産党候補者と連れ添っている年配の女性、この組み合わせからして彼女も間違いなくゴリの共産党さんのはず。
一方Uさんは産別組合の書記長を務めたゴリの旧社会党系の御仁。
その節お世話になりましたとは皮肉を込めての挨拶とは思うが。

酒も入り座が盛り上がり、年配の女性と談笑しているUさんに聞いてみた。
「ああ、彼女は組合が分裂した時の対立組合の役員」
「骨肉相食む争いをした相手だよ」
社共のレベルだから、○中さんと□○のような殺し合いまではしなかったろうが、その憎悪レベルは似たようなものだと思う。
そんな曰くつき同士が、酒席で和やかに談笑している・・・・・。

この何十年振りかの再会をして、私はUさんに司会進行をして頂いた事は適役だったと確信した。
会場を訪れた共産党系でUさん達と激しく対立した退職組合員、演壇に立つ司会のUさんを見て、
「何で私等(共産党)の講演会で、昔、骨肉相食む争いをした奴が司会役やってるの・・?」
誰しもそう思ったはず。
そこから”逆説的”に、私等が意図した事が大衆レベルでそれなりに理解できたのではと思う。




■2016.04.23  morning  管理人

1967年、大学一年の五月連休に帰省した。
その際、小型卓上TVを買ってもらい下宿に持ち帰った。
若干18歳、東京に知り合いは無く、学科にも友人は居なかった。
いわば大都会東京で独りぼっち、寂しさを紛らすためにもTVは必需品だった。

その頃、世田谷桜上水の三畳一間で毎回観てたのが「泣いてたまるか」
このTVドラマ、やがて後の「男はつらいよ」のベースとなる。
18歳のぼうず、恋愛物や娯楽物ではなく、この手のいわば地味なドラマが気にいり観てたのは何故なのか、精神分析が必要(笑、
多分、田舎者のペーソスを主人公に感じ共感したのだろう。

その「泣いてたまるか」が今BS12チャンネルで再放送されている。
それとBS8チャンネルでは「冬のソナタ」の再放送も。
当然だが両方ともしっかりと録り溜め。
レトロ親爺、いつもながら後ろばかり観ている。

私の使うHP更新ソフトはDreamweaver4、こやつがWin-XPまでのOSでしか動かないとはここに何度か書いている
勿論、Win7や10で動くDreamweaverの新バージョンが有るのだが、一度お試し版をWin-7に入れてみたがこれが4とは全くの別物、この親爺の手には負えなかった。
そういう事でmyHPの寿命はXP機の寿命と等しい。

昨年、使い慣れていた高性能のXPデスクトップがクラッシュした。
それ以降は職場のお下がりのXPノートとXPミニノートの二台を使っている。
この二台、何れも既に五年以上経っており、どちらも何時HDクラッシュしてもおかしくない。
そういう事で、myHPも”或る日突然”THE ENDと、物理的に終わりを迎える事になる。

しかしmyHPのご臨終を何もせずに迎えるのも、今まで更新に費やした労苦から言うと悔しい。
それで、いつ来るか分からないPCクラッシュに備え中古のXP機をネットで探し注文、それが昨日届いた。
HDよりは寿命が長いとされているSSD
そうはいっても、中古だから今までどれ位使い込まれているかにもよるが、今年68歳を迎える私の余命から言っても機械の10年20年の耐久性は不必要、後5年程もあれば十分だと思っている。

さっそくDreamweaver4をインストしFTP接続、問題無く動く(喜。
それで電源を切ろうとすると141個の更新プログラムが、このマシンはこの数年はネット接続していないことが推測される。
眺めていると三個の更新に30分ほど掛るので、これは多分朝まで掛かるだろうと放置して寝た。
それで、今朝立ち上げシャットダウンするとまたまた六個の更新プログラムが。

試しに今朝このSSD機で日記を更新してみたがそれなりにサクサクと動く。
一安心だが、よくよく考えると日記の更新は一月振り。
myHP寿命はマシン寿命ではなく、私の頭の寿命と言う方が正しいかも。
それとWinXP、システムの脆弱性については今でもちゃんとサポートされているのですよ、
勿論、ウイルスワクチン対策は自己責任ですが。




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