my favorite songs
 
■2017.01.29  morning  管理人

年初め、アドビ社のドリームウイバーからジャストシステムのホームページビルダー21にFTPソフトを変更した。
ジャストシステムは徳島県に本社を置く会社、一般には一太郎のソフトで名が通っている。
変更したと言ってもサイト全体を一気ではない、部分部分から少しずつ。
その少しずつの作業のついでに日記を更新している、それがお陰でほぼ毎日の日記の更新につながっている訳。
このモチュベーションの下がった70才近い爺さんにとっては大したものだと自画自賛している。

そうは言ってもオートマチック仕様の米帝ソフトと国産ソフトは操作が随分違う。
HTMLの基本は同じなのだが、私が15年程前に習ったやつは既に古い化石のよう、この間HTML言語は随分と進化している。
進化していると言ってもそこはコンピューター言語、基本は同じなのだが、同じと言っても沖縄と東北の方言ぐらい違う。
その違いを幾つかの方法で解決している、一つはソースの確認対比、も一つは「HTMLタグ辞典」を引く。
この辞典、15年前のWEB講習で買わされていたのだが、ドリームウイバーが余りにもオートマ仕様だったので用が無く殆ど使っていない。
辞書(辞典)を引くという事は脳の活性化に良いと信じシコシコとやっている。

 
2002年2月改訂発行版、表紙ラベルも残りほぼ未使用

もう一つ厄介なのは、ネットで引っ張てきたテクニック。
リンクを貼ると下にアンダーラインが付くが、これを付かないようにするとか、URLの前にZ(ゼット)の小さな図柄を入れているがこれもネットから入手したテク、これがなかなかで少しずつ手作業でやっつけている。
も一つ、これは前にも書いたが動画プレヤーを埋め込むみそのままアップすると空白のエラーになる。
これはビルダーのバグだと思うのだが。

そんなこんなでサイト移行をシコシコやっているが、少し手慣れてきたのでお遊びも。
実名サイトのページを匿名にカスタマイズし、闇に紛れてちょこちょことこのサイトにアップしている(笑。
元が実名サイトページだから匿名にしても、このサイトとしては少し違和感は否めないが。





■2017.01.27  morning  管理人

「貴方、電話替わってください」、妻が受話器を持ちそう言う。
何処の家でも同じだろうが、昼間、色んなコールセンターから頻繁に営業電話が入る、その場合ナンバーディスプレーに表示されのは決まって0120から。
私は着信音が煩いから受話器を一旦取り上げ直ぐに戻す、かなり手荒い対応をとることにしている。
それが妻の場合、律儀に対応し受話器を下ろせなくなることしばしば。
そんな場合も替わると「ハイ、ご苦労さん」と一言、相手の対応は無視し受話器をガチャンと下ろすことにしている。

今回の場合、妻は「私ではよく分からないのでお願いします」と続いた。
そんなもんで、ハイご苦労さん・ガッチャンではなく丁寧に「替わりましたが何でしょうか?」と続けた。
走り聞きした内容は、石川県に在住の方でAmazonから受け取った荷物、中身は私(妻)が注文した物。
Amazon出品者にメールすると返信は中国から、出品者はその方の負担で我が方に転送してくれとの返答だったらしい。
で、中の伝票にあった私の電話番号に電話したらしい。

それで結論はその方と同じ、
誤発送したのは出品者、転送の負担をその方に強いるのはおかしい、私もその旨出品者に抗議の連絡を入れてみると約束した。
Amazonのマイページに行くと出品者への連絡フォームがあり、その連絡内容はAmazonに担保されるとある。
「間違って届いた先に転送費用負担はおかしい、これ以上商品到着が遅滞したり他人様に迷惑が及ぶようなら、そちらの評価も含め、それなりの対応をさせてもらう」と送信。

でぇ・・・、それなりの対応とは、
1、Amazon.co.jpにトラブルを言い上げる
2、出品者評価に悪ざまに書き込む
3、消費生活センターに言い上げる

支払いに関しては送付表に受領印した時点で発生する仕組みだから、中味に何が入っていようが今回は石川県の方が本来発注した(受け取っていない)商品の支払いが発生する仕組みのはず。
だから、申し訳ないが私の方に支払いは発生しない。

でぇ・・・、長くなるが昨夜遅く出品者から返信が届いた。
内容は、今海外出張中で商品を早く届けるため石川県のお客様から転送することにしましたとあり、お詫びの言葉が続いている。
返信の内容を精査すると、
・海外出張中
・早く届けるため
・転送に関する費用負担については言い及びが無し
・私の抗議について半分答え、半分答えていない
・仮に転送で届いたにしても発送者は石川県の方だから、アマゾンの仕組み上の受け取り確認はどうするのか?

返信を更に深読みすると、
以下、謝罪文
>赤心で謝罪いたします。
これから間違いしないように、
しっかり注意致します。

「赤心」ってのは妻に言わせると中国で一般的に使われる言葉で日本では余り使わないのではと思うとの事。
謝罪文全体の言い回しは流暢な日本語だが、「間違いしないように」ってのは「間違わないように」と普通は書くのだが。
それと出品者名、如何にも”日本的”な取って付けたような名前。
この出品者、如何にも日本人出品者のように装い、実は違うのではと勘繰ってしまう。

こう勘ぐったのは謝罪文の文体もしかりだが、発送ミストラブルは常時発生するはずで、それなりの対応策は決められているはず、今回、その際の対応が実にずさんで日本的な商行為の基本か逸脱していることになる、つまり常識外れの対応。
まぁ~私の場合、以前「生活相談員」してた履歴からもこの手の話はくどくなるが、ネットでは色々ある、間違いをネチネチと楽しむ余裕で気長にだ。

終わり。





■2017.01.26  morning  管理人

「じっちゃん、おしっこ!」
保育園から帰ると、そう言いながらトイレに駆け込んだ。
最近は催しても少し我慢できるようになったのと、一人で用が足せるようになりずいぶん楽になった。
しかし、怪訝な顔してトイレから出てきた。

「どうしたの?」、声掛けると、
「ウンコ、出てきそうだったけど引っ込んじゃった」
「そうか・・・、それ気持ち良くないね」
排便は人の基本、幼児でも同じ。

「そうだ、ばっちゃんに言って緑のジュース作ってもらおう」
「お野菜タップリ入れると、ウンコ気持ちよく出るよ」
「ウン、分かった、ばっちゃんと一緒にジュース作る」
はなちゃん、エッサエッサと台所に足場の椅子運んだ。



妻に、
「少々散らかっても、はなちゃんに出来るだけやらせてあげて」
「ハイハイ、分かってますよ」
「リンゴにバナナ、それにお野菜も!」
はなちゃん、目を輝かせ緑のジュース作った。

ダメ押しで、ジュースの後に大好きな苺ジャムタップリ入れたヨーグルトも。
さて、事は首尾よく運んだかどうか、母さんの報告楽しみだ。





■2017.01.25  morning  管理人

「**さん、”こども食堂”やりますよ!」
先日、飲茶の会で牧師様にそう言われた。
マスコミなどで子供の貧困が言われて久しく、私も前職場で生活相談員しており、いろんな相談の背景に子供の貧困を多々見てきている。

ところで何で教会?、でと思ったがよくよく考えると、
特段にキリスト教を上げへつらうつもりはないが、普通に見渡して、目に見える形で身近で、世界で、教会は恵まれない子供に手を差し伸べている。
随分昔になるが、元職場の上司が私に生い立ちを話してくれたことがある、
上司の家が貧しかったからか、それとも戦争孤児だったかは定かでないが、「私はマリア様に抱かれ教会で育てられました」と話してくれた。
上司宅に行くと、家にはマリア像があり敬虔に十字を切っていた。

不遜な言い方になるが、
牧師様には日曜礼拝、曜日が決められた祈祷会、また宗派連盟の会議や出張などのお勤めがあると聞いているがそれ以外のお仕事を知らない。
給与生活者だった私は、生産・消費に関わる側面からのみ社会を捉えることが常で、それ以外の切り口から社会を捉えるのには慣れていない。
宗教家は”それ以外”の社会活動を生業としているから私には解かりにくいのだろう。
私等の飲茶の会、これは有体に言えばジジ連コミュニティ、教会はそれ以外にも”老人体操”や生協の地域コミュニティの場にも教会を提供しており、これは教会の地域福祉活動、私等のはさしずめ高齢者福祉活動の一環だろう(笑。

そう考えれば、
私が今興味をもって読書している世界史、そこに読むキリスト教は負の面も多く語られているが、恵まれない者、貧しいものに手を差し伸べてきたのもキリスト教だといえる。
日本の生活協同組合の祖は賀川豊彦で、それ以降の日本の協同組合運動の父と言われており、彼は敬虔なクリスチャンで、活動の元はキリスト教の博愛精神だったと受け止めている

その一環というか、教会の社会福祉活動の原点ともいえる”児童福祉”活動の「こども食堂」が私等が寄る教会で始まるらしい。
常に弱いものに寄り添い、そして無償の活動を行う。
これって、私等がかつて目指し潰えた社会主義の理念ではなかったのか。





■2017.01.24  morning  管理人

今は一年で一番寒い時期だそうだ。
夏の7月8日に立て籠もったバリケード、強制排除を逃げて撤退したのは翌年の2月はじめ。
籠城当初はせいぜい数か月程と思い、足掛け8ケ月、200余日、まさかこれ程立て籠もるとは思ってもみなかった。
その長い期間、色々と言い尽くせぬことがあったが、2月始めの早朝未明、凍てつく空気の中バリケードを後にした様は記憶に冷たくしみついている。
そんな人とは違うこの時期の思い出にはせながら窓の外を見ると、クリスマスローズの葉が寒気でしなだれている。

昨晩、妻は何かの新年会、何時もなら迎えに行くのだが珍しくJRで帰宅した。
手にコーヒーカップを携え、少し興奮気味に話す。
「列車待ってる間に駅のコンビニでコーヒー買って、車内で飲みながら帰ってきました」
「コンビニでコーヒー買うのは初めて」
「ビックリしました、余りに美味しいので」



そういえば私も最近コンビニでコーヒー買ったことがある。
その際、初めてなものでレジで出し方教えてもらった。
小さな容器を機械にセットし、ボタンを押すだけ、ブシュゥ~とコーヒーが抽出される。
飲んで一口、「これは美味い!」と思わずひとり呟いてしまった事がある。

その昔、喫茶店は私等の生活の一部であり、
そこで出会い、語らい、笑い、涙し、時には怒ったこともあり、生活の中で大きな要素を占めるものであった。
その一種独特のコミュニティで飲むコーヒーは甘く苦い青春の味でもあった。
その喫茶店文化が時代と共に廃れて久しい。

もう、あの時代のような青春が詰まったコーヒーを飲むことはないが、
牧師様が点ててくれ教会で飲むコーヒーにはほのぼのとした歳相応の文化の香りがする。
この歳で幸せなコーヒーに巡り合えて感謝している。
コーヒー、時代に合った飲み方があるようだ。





■2017.01.23  morning  管理人

本人にその自覚はとみに薄いが、我が家は親代々から仏教徒のようで。
前の家の母屋には大きな仏壇が有ったが、両親が亡くなり建て替えた際にミニ仏壇に変えた。
何でも仏壇、壊したり燃やしたりする際は坊さん呼んでそれなりの手順を踏まないといけないらしく困っていたら、姉が引き取ってくれた。
何とか、粗大ゴミに出すことだけは避けられた。

ミニ仏壇、幼子の背丈に丁度合っているようで、はなちゃんのおもちゃになっている。
ハタと気が付くと仏壇内がはなちゃん流にレイアウト変更、はて、位牌は何処だろうと探すと引き出しに仕舞われていたりする(笑。
それでも近頃は父さん母さんに習ったのだろうかおりんをチィ~ンといい音で鳴らし、小っちゃな手を合わせている。
ただそんな、はなちゃんの礼拝の後は決まって立て損なったロウソクが散乱し、折られた線香が10本程線香立てに突き刺さっている。
勿論、何れにも火は付いていないが・・・、賑やかな事、多い事はいいことだ。



今朝、妻が仏壇を指さす。
「貴方がこれを飾ったのですか?」
はなちゃんのDLおみやげが仏壇に鎮座している。
「多分、それはなちゃんの仕業だよ」
仏壇にひな人形、ミスマッチだか、幼子の飾る心は嬉しい。

父母が相次いで逝ってもう30年近くなる、久しぶりに線香に火を灯し仏壇に手を合わせた。





■2017.01.21  night  管理人

年明け、母校の校友会から名簿の確認と訂正用のハガキが届いていた。
このハガキ、1967年卒業以降定期的に届いていたが、私は2008年の還暦同窓会を迎えるまでほぼ40年一貫して無視していた。
日大闘争が私に与えた心情の断裂、青春の一事としては余りに大きく、人間丸ごと生まれ変わったと言ってもいい程で1968年を境にしてそれまでと、それ以後の人生を区切っていた。。
その1968年の裂け目をやっと相対して見れるようになったのはこのHPをアッピした頃から。

あれ程意地張り拒絶していた高校同窓会、一度吹っ切れるとイケイケになるのも私の素の性分。
ハタと気が付いたら同期同窓会代表幹事に収まっていた。
決して人の前に立つようなキャラでなく目立たず大人しかった高校時代の私のキャラからすれば青天の霹靂といってもいい程、これもあの日大闘争で人(人格)が変わってしまったせいだろうと思う。



まあ・・・・、そんな言い訳をつらつら書いて合理化しているのだが。
四年毎に改訂出版される校友会名簿の案内、片手程かかる高価な出版物だが、生きていたらだが永久幹事の任を負わされている身なもで必携品。
それで出版会社の母校データベースにアクセスすると不明者名簿が掲載されいた。
不明者は258名、同期卒業生は680名程だから400余名は所在が判明しているので大したものだ思うのだが、不明者を私の名簿と照合してみた。

258名の所在不明者の内40名ほどの所在を先の同窓会で掴んでいる。
さて、どうしたものかと思案した。
母校データベースにアクセスするとボタン一つで所在を通知できるのだが、出来ると、していいはまた別の話。
私のように頑と40年音信不通を続けた者もいた訳で、その個々の意思は尊重しなければいけない。
だから少し考えて、不明者の勝手な代理通知は止めとくことにした。

それでそれは一件落着したのだが。
校友会の不明者名簿に目ざとく”あの子”の名前を見つけた。
2014年11月、同窓会で会ってからもう三年近く経つ。
2010年4月、電話で話したのが七年前。
1967年3月、18才のあの子を最後に見て、次に見たのは65才のあの子だった。

ウ~ン、これはいい口実と受け止めた。
三年振り、68才のあの子と話すいい機会、連絡とってみっか。





■2017.01.20  morning  管理人

「はなちゃんのお家にはね、神様がいるの」
「はなちゃんいじめると神様がやっつけてくれるの」
保育園帰りの車中、はなちゃんとの会話、喋りが随分と達者になりおしゃまで実に楽しい。

ソファーで、保育園からお持ち帰りの大好きな恐竜の絵本を開き熱心に見ている。
「はなちゃん、その恐竜なんて言うの?」
「これはトリケラトプスよ」
「じゃこれは?」
「バキケファロサウルス」
次から次に質問すると、
「もう・・・・、自分で考えなさい!」
しっかり溜口で、睨み返された。



昨日からはなちゃんは母さんが披露宴出席で、父さんも一緒して東京へ連れてってもらっています。
ディズーニランド、それほど寒くもなく空いてたそうです。
前回より身長伸び、初めての乗り物にも挑戦したそうです。
母さんから送られてきた写真、楽しそうなはなちゃん見てジジババはウルウル。





■2017.01.19  night  管理人

牧師様、目をキラキラ輝かせながらDVD選んでいた。
何れも私が見たことのないタイトル、聞いたことのない監督、知らない俳優ばかり、見る間に前のテーブルに選んだDVDが積み上がってゆく。
余りに興奮する牧師様を見ていて羨ましくなり、「ねえ牧師様、私にも選んでくれませんか」とお願いした。
私の選定条件は、韓国、台湾、中国映画で”ほのぼの系”。

牧師様、押し入れから出してきた大きなダンボールを次々開いて総当たりでチェックする。
ご自分のを選ぶついでに、軽く千本以上のDVDから以下の5本を私に選んでくれた。

・サンザシの樹の下で:監督チャン・イーモウ 中国
・台北に舞う雪:監督フォ・ジェンチイ 中国
・芙蓉鎮:監督シェ・チン 中国
・緑茶:監督チャン・ユアン
・愛しきソナ:監督ヤン・ヨンヒ 韓国



今日、まず最初に「サンザシの樹の下で」を観た。
映画音痴なので、描き込まれている文革がどうのこうのとか評論・感想は書かないが状況報告だけは。
1/3程のところでウルウルっと、後半は涙ポロポロ、ポロポロ、ポロポロ。
牧師様の選定は間違っていなかった、有難うございます。

随分前に長老に教えていただき観た「あの頃、君を追いかけた
5本を観終わったら次は、その印象が残っているの台湾映画を、今度、牧師様に探してもらおう。





■2017.01.19  morning  管理人

我が家には三種類ほどのクリスマスローズ原種のヘレボルス種がある。
原種は総じて開花が早く、その名の通り既に年末クリスマスの頃に開花している。
玄関脇に置いている鉢植えヘレボルス、開花時はほぼ白色だったが時が経つにつれ淡いピンク色に変わってきた。
ハイブリッド(交配種)のクリスマスローズの方は蕾がぼつぼつ膨らみはじめた。

先日15日の故人宅での本の整理、
「気に入った本があれば何でも持って帰って下さって結構です」
奥さんにそう言われそれぞれが本を選んだが、多い者でダンボール一箱程。
私はと言えば、難解な書籍にはもともと興味がない、旅行雑誌やDVDを頂いた。



温泉旅行にも話が及んだ。
旅行の復活、故人の奥さんが参加するかどうかによる。
「いいですよ、私一人の参加でも、実姉も暇にしてますので二人の参加でも」
故人が亡くなってもう直ぐ半年、奥さんもやっと心を外に向けれるようになった。

それでだ、
旅行のお膳立て、これまで行程は故人、宿やチケット手配は私と分業していたのだが、
どうも・・・・、私一人でこなさないといけない状況。
それもあって旅行雑誌やDVDを頂いてきた。

今年の東北秘湯ツアー復活第一弾は原点回帰、青森の酸ヶ湯、奥入瀬、白神方面へ。
勉強しなければ





■2017.01.17  morning  管理人

圧倒される本のボリューム、どう写真で表現したらいいのか分からない。
やはり腕前と、それに合ったレンズが必要なのだろうと自分に言い聞かせた。
しかし、本当に圧倒されたのは書籍ではない、押し入れに大量にあったDVD。
押し入れに秘かに有ったからと言って決して”アレ”ではない。

昨日、映画好きというか、映画フリークの牧師様に「半端な数ではありません、一度見てみませんか」と声掛けした。
そう言うことでぶしつけながら故人宅へ赴いた。
牧師様の目、キラキラ光っているのが分かる。
ダンボールを次々開き、「アッ・・・・、これ一度見たかったんだ、アッこれも!」
そういってチョイスし次々目の前に積み上げていく。



故人の奥さんは、故人の学生時代の全共闘仲間。
故人と一緒にシネクラブを立ち上げ自主上映運動を続けていた。
主人のコレクションを分かってくれて嬉しそう。
牧師様、結局、推定千本余のDVDから選り出した百数十本から、更に50本程に絞り込み借りていくことに。
それで最初に選り出した百数十本はダンボールに「次回に」と書き込み押し入れに戻した。

くだんのDVD、私が知っているタイトルは片手程。
牧師様にお願いし、名作アレルギーの私は台湾、韓国、中国作品で”ほのぼの系”のDVDを五本程選んでもらった。
しかし・・・・、
書籍もさることながらDVDにも圧倒されたのと、
モーツアルトCD全集一巻2万8千円が15巻全巻未開封で有ったが、さすがに欲しいとは言えなかった。

因みに写真に写る書棚、本は奥にもう一列並んでいる、見えるのは前面の列のみ。
写真は二階部屋で、これと同じ本の量が居間にも。





■2017.01.15  morning  管理人

BSフジで「冬のソナタ」全25話を一挙放映していた。
勿論、全部録画した。
涙を流して見直している。
音声は副音声のハングルで、ジャパニーズだと微妙なニュアンスが消し去られ興ざめ。

その他録画しているのは国営放送の「趣味の園芸」、最近のだと「世界のドキュメンタリー、危険な世界に生きる」、「世界ふれあい街歩き」、放映が再開した「刑事フォイル」。
世界ふれあい街歩きは街頭ブラブラ歩きで色んな所を訪れる紀行番組だが、いかにも美味しいとこ撮りで、偶然を装った企画とやらせが見え見えだが、それでも面白い。



昨日14日のパーティーの集合写真をMLで送ってもらった。
撮ってくれたのは共産党のNさん。
彼は県委員会の広報担当者、集会や講演会、社会性のある事案の全ての何処かにいる人物。
昔、サロンを始めた頃、講演会の告知で随分とお世話になった。

しかし、お世話になったといっても確信的な共産党の方、私の履歴、属性から言って彼とはこれまで一線を画していた。
それが一線を越えて親しくなったのは教会でお茶会を始めた頃から。
話してみると、思想信条は脇に置いておいて、趣味が広く、お茶目で結構面白い。
いくつか講演会を共催し、9月に亡くなった故人の語る会も一緒した。

面白いというか、「エッッ・・・・そうなの?」と思ったことがある。
某講演会の実行委員会で一緒した際の打ち合わせ、
進め方で意見が相違した際、同席した同じ共産党県委員会幹部から「お前さん、そんなスターリン的発想よくないぞ」と揶揄られていた。
共産党員どうしがそんな会話をするなんて、少々、面食らった。
お茶会の長老、「**さん、共産党も近頃は変わったのですよ」と笑われたが。

どうも日共とか代々木といって拘っているのは私ら以上の世代と、旧民同系労組ぐらいになっているようだ。





■2017.01.14  night  管理人

打ち上げビッフェパーティー、楽しく懇親できた。
以前にも書いたが、放射能母子疎開で当地に来ているママさんの一人、彼女の父上は東大出の大学教授、既に退官しているが中世ヨーロッパ゚史ではその筋の権威という。
そういう属性も知って彼女には近寄り難かったが、彼女が日芸映画学科卒と知って、それ以降急に親しくなっている(笑。

当然だが、会話は完全に先輩後輩の序列を踏まえている
「先輩、私は1967年生まれ、私の元カレは10歳上だったから(全共闘の事)知ってるかも」
「それ全然無理無理、だってオイラ達が暴れまわっていた頃、その彼は未だ10歳前後だもの」
そんなこんなな話しで大笑いした。

「先輩が(日大闘争で)変わったように、私は3.11でそれまでの私から全く変わってしまいました」
当時、福島在住ではなく関東に住んでいた彼女にも、3.11はそれ程の影響を与えている訳だ。
一緒に来たお子さん、下の子は今年の春、小学校入学だという。
二人の幼い子を抱えての異郷暮らし、何度も言うが、3.11はそれ程の影響を与えている。



7年ほど前に貼り付けた動画です。
また聴きたくなりました。
右上の musicplayer を停止し、再生ください。
50歳の頃だそうです。

やっぱりembedタグが抜けてしまう、どうしてだろ?





■2017.01.14  morning  管理人

JUNさんから、忘れざる日々告知ページの若干の手直し要請が来た。
今朝、早朝未明に手直しを。
何故、日中出来ないかというとそれには訳がある。
このボケ気味老人、すぐやらないと忘れてしまうのと、ボケかかった頭でも早朝未明だとそれなりに冴えて居るから。

ドリからビルダーに移行しているのはここにも書いている。
ドリは米帝ソフト、殆ど全部をコマンドボタン操作でできる。
ミッション車が主流の時代、既に殆どがオートマだったアメ車を思えばうなづける。
例えば画像の抽入や入れ替えも、タグ記述をすることなくボタン一つでできた。
返して国産ソフトのビルダーは例えて言えばミッション車のようなもの。

そのミッション車にもシンクロミッションとそうでないミッション車がある。
一方は乗用車、他方は大型トラック。
その昔、バスの運転手さんがミッション合わせをしてクラッチ繋いでいるのを興味深く見ていた記憶がある。
一度クラッチを抜き、エンジン回転数を車輪側と合わせて再びクラッチを繋ぐ職人技。

例えが長くなったが、ビルダーはさしづめシンクロ付きだがミッション車のようなもの。
ビルダーにも画像の抽入、差し替えコマンドはあるのはあるがいまいちうまくいかず、結局、HTMLタグ記述で作業している。
JUNさんの要請は画像の差し替えなもので、ビルダーでHTMLタグを書き換えて作業を進めたが、結局最後はドリで仕上げた。
そう言うことで、この作業は早朝未明のそれなりに冴えた頭が必要。

Win-XPでドリだと簡単至極なのだが、致し方ない。
これから打ち上げビッフェパーティーに赴く。






■2017.01.13  night  管理人

よく分からないが、可愛い孫娘の為と妻と二人揃って次男坊の孫娘が通う保育園に出かけていた。
次男坊の連れ、「保育園に9時45分に行ってください、11時までだそうです」
何がどうなのか分からないが、分かっているのはジジババが園から招待されていることだけ。
「いらっしゃいませ、どうぞこちらへ」
園児の部屋に招き入れられた、室内には既に30人ほどのジジババ。

その内、幼児、年少から年長まで園の子供が全部が列をなして入ってきた。
園長先生、
「皆さん、今日はおじさん、おばあさんと楽しく一緒に昔遊びしましょう」
「ハーイ!」
園児の元気な声が室内に響き渡った。
「それでは、おじいさんおばあさんに自己紹介していただきます」
マイクが回ってくると
「私は****のおじいさん、こちらはおばあさんです、皆さん今日は楽しく遊びましょう」

昔あそびは折り紙、あやとり、こま、けん玉、紙ひこーき、竹とんぼ、竹馬などなど。
「おじいさん、おばあさん、それぞれ得意なものを選んで園児たちと遊んでやってください」
ジジババはそれぞれの部屋と園庭に別れた。
迷ったが私はこま回しを。
出来れば分捕り合戦のベー駒をしたかったが、相手は保育園児なものでさすがにベー駒は無かった(笑。
それでも最後は上手な園児と、こま合戦に興じたが。



最後は皆でやるラジオ体操。
体操の途中息切れ、前屈で腰に痛みが走る、この体操がこの日で一番しんどかった。
隣を見ると私と同年配であろうババさん、前屈で手の平を地面にピッタリくっつけている。
体は豪快に回すわ、とにかく体のキレが私と全く違う。
終わった後、私は息切れでゼーゼー言っているのに、ババさん、頬はほんのりピンク色で何食わぬ顔。
男女の平均余命の違いを痛感した次第。

たったこれだけで、夜はばったりベットに倒れ込んで眠りこけた。





■2017.01.12  morning  管理人

9月10日に亡くなった友の一連の催しの打ち上げ兼新年会が14日の土曜に。
8月11日山の日に亡くなった友、彼が残した大量の書籍整理兼東北旅行組+αの新年会が15日の日曜に。
二日続けの連荘になったのは、東北旅行を一緒しているキルケゴールの君のせい、
彼は地元では一端の文学者らしく、年明けは地元の各種文学賞選考や新年会で押しているらしく、14日まではスケジュール一杯との事。
14日の日程は早々とコンクリートされていたので、止む無く二日続けの連荘と相成った。

ところで他称文学者の友、高校時代からキルケゴールを読んでいた奴だから変わり者とは思っていたが、ローカルながら各種文学賞の選考委員や委員長をしているとは知らなかった。
そういえば、妻が新聞で彼の名前をよく見かけると言っていたのを思い出した。
私は恐れ多くも地元ではそれなりの”名士”と付き合っていた訳だ(笑。

大昔、御茶ノ水界隈で機動隊とのドンパチやって、命からがらヘルメット+ゲバ棒の完璧なゲバスタイルで中大学館に逃げ込んだことがある。
当時、学館奥には食堂・喫茶コーナーがあり、やれやれ助かったとヘルメットを脱ぎソファーに腰を下ろし前に座る中大生であろう野郎と視線が合った。

その時、お互い同時に「お前、どうしたのだ!」と声が出た記憶がある。
キルケゴールの君とは高校卒業以来何年振りかの再会だった。
この「どうしたのだ!」というセリフ、
私は、
「この騒乱の時代、お前は街頭にも出ずソファーに悠然と座り本を読んでいるのか?」という意味で。
友は、
「あのおとなしい、ノー天気なお前さんが一体全体その恰好は?」という意味だったのだろう。

それで話は戻るが、
15日の書籍整理、キルケゴールの君は父上が遺した膨大な書籍類の整理に難儀した経験者。
返して、私はたかだかコミック本の処理に苦労した程度だから役には立たない。
だから、彼が作業全体を俯瞰し、指揮命令を出してくれるだろうと期待しているが、その前に、殆どアル中に近い彼が酩酊しないように気を付けなければ。

難物の父上の「金日成全集」をどう処分したかは聞いてないが、
連荘闘争勝利なのだ。





■2017.01.11  night  管理人

昨年2月、かなり大掛かりな整理をした。
その際、息子達のコミック本で処分し残していたものを一年越しで今朝ブックオフに持ち込んだ。
ダンボール10箱、運ぶのに腰を痛めそうになった。
この手の店は初めて、カウンターに赴くと店員さん笑顔で誠に愛想がいい。

「ダンボール箱どうします?」
「本よりダンボール箱の方が高いかもしれないから持って帰ります(笑」
「買い取りできないものは当方で処分させていただきますが、いいでしょうか?」
待つこと10分ほど、中古品売却は身分証明が必要との事で運転免許証を提示。
68のこの歳になって初めての経験。

  
  


夕方、長男がはなちゃんを迎えに来た。
「ハイ、これ半分」
コミック本は息子達二人のものだから、取り合えず買い取りの半額を長男にくれてやった。
これが高いか安いかは判断のしようがないが、資源ゴミで出せば一円にもならないから上等。

ところでもう直ぐ確定申告。
これって売却収入だから、来年、確定申告の対象になるのかな?
確か20万円未満の雑所得は申告不要と覚えているのだが。
それと受領したなかには消費税も含まれているのだが、この預かり消費税って、ワタシャ~どうしたらいいの?
売上一千万円未満の非課税事業者になるのかな。
元・法人経理の責任者でもあったので、ことをややこしく解釈する癖が未だに抜けないのだ。





■2017.01.11  morning  管理人

朝刊を見ていてある記事が目に留まった。
私が以前勤めていた社団法人が連合とタイアップして若者向け労働ハンドブックを刊行したという記事。

私は、その法人に在任中、課せられた公益支出に四苦八苦していた。
法人は貯め込んだ純資産を公益支出する義務を課せられていたが、労働団体からなる組織で構成会員へのサービスが主たる事業の団体なもので、その性格上、広く公益に資する事業や活動をしたことが余りない。
それで私は、労働組合の活動領域の延長で法人定款にも齟齬しない何かいい事業はないかといろいろ思案し、ハタと思いついた事業があった。

その事業、これから社会に出ていく若者向けの労働ハンドブックの制作。
今の教育はいろんな事を教えるが、中でポコリと抜けているものがある。
働くという事はどういうことなのか、特に、雇用主の下で働く際の権利義務関係については殆ど全くと言ってよいほど教えない。
そのため、大半の責任は雇用主にあるブラック企業体質だが、雇われた側にも権利義務関係の知識が欠如していることが、そのブラック体質に一層拍車をかけている。

事業起案する際、行政の助成を考えた。
行政から金を引き出すにはバランスが重要、労働組合サイドだけの要請では行政は難色を示すので経営者協会にも事業連携を打診した。
経営者協会事務局、反応は紳士的だったが私には「やる気がない」と見え、承諾を待っていてもラチがあかないと判断した。

私の居た法人の強みは公益事業にしか使えないが「金」があること、それもタップリあった。
労働・経営・行政の三者連携でハンドブックを刊行できれば、その後のハンドブックを活用した事業展開もスムースで理想的だったが、気の短い私は連合との連携で出すことに決め、事務局長の任にあった私は理事会に諮り、事業計画・予算を総会で承認頂いた。
その総会が2015年6月のこと、私はその月末に退職と相成っている。

今朝の新聞記事、それから一年半が経っている。
しかし、労政経の三者連携に拘っていたら今現在でも事業の目途さえ立っていなかったのではと思うのと、後任者が色々と苦労して刊行にこぎつけたと思うと、たかがハンドブックの刊行だがいろいろ感慨深いものがある。
日頃、世間様には見えにくい事業しかしていない私の前職場がだ、珍しく、世間様に少しはお役に立てるだろう私が起案した「見える化」事業が展開と相成って嬉しい限り。





■2017.01.10  night  管理人

 
りりーさんはいいですね、写真は童子さんですが

Flvplayerが表示できなくて、細かくソースをチェックしていたがページ移行の際に何故かタグ記述が抜けていることをやっと突き止めた。
試しに上の動画タグ精査したら、動画埋込embedコマンド終了の</embed>の記述が抜かっていた。
フッッ・・・・。
ドリームウイバーで作成したページをビルダーで上書きしたページにのみ見られるので、
これってビルダーソフトのバグじゃないかって思うのだけれど。

今後、移行する際は注意しなければと思うけど、無理して全て移行する必要も無いかなとも。
サーバーにドリとビルダーのページ混在しても、閲覧する分には関係ないし。
今後、更新が続けられればいいだけなので。






■2017.01.10  morning  管理人

我が家、調理以外の家事は全て私が分担している。
妻が実家の母の世話で繁忙なのが一因だが、これには私の性分も大いに起因している。
もともと私の性格は穏やかで小まめ、因みに私を女性にしたら良妻賢母タイプだろう(大笑。
掃除洗濯、家財のメンテ等々、調理以外の家事万端をこなしている。

台所の片付けの中でも食器洗い、食洗器もあるが私は使わないので結構な手作業になる。
食器洗いといえば洗剤だが、家事を分担するようになった頃は生協の高アル系の台所洗剤を使っていた。
ところが使い続けていると手のあちこちに発疹が出始め真っ赤に腫れ上がるほどに。
洗剤のせいだろうと洗剤を液体石鹸に変えると症状は治まった。

ある日、台所のシンクが水で一杯に、下水が流れなくなった。
下水管を見ると、管の中は固まった油脂で一杯、石鹸のアルカリと油脂が反応して固化し管が詰まっていた。
これを解決する天然由来の浄化剤も知ってはいたが日々のメンテは結構面倒、液体石鹼の使用は止め再び高アル系洗剤をゴム手袋をして使用。
しかし、コム手袋着用は不便かつよく食器がスベル、大事な食器を割ってしまう事しばしば。

妻が、ドイツ製の台所洗剤が手が荒れないとかなり高価だったが買ってきてくれた。
使うと確かに手荒れは少ないが、それでも長く使い続けるとやっぱり手荒れが出始めた、私の手はよほどデリケートなのだろう(笑。
そんな頃、懇意になった民生委員さんが毛糸を編んだ食器洗いを下さった。
半信半疑で使ってみると、温水ならば油汚れまでよく落ちる。

それ以来、食器洗いは温水を使って素手、洗剤は余程の油汚れでない限り使わない。
更に便利なのはガスレンジ周りや台所壁面の汚れ落としもこの毛糸洗いで一つで全てOK!
普通の主婦が遠の昔に知っている生活の知恵、私は七十歳に手が届くこの歳で知ったわけだ。
洗剤使用は限りなくゼロ近くになったが、反面、温水を結構大量に使うから、地球規模でのエネルギー収支は同じだと思うし、”環境に優しい”などと声高に言い張ることは遠の昔に止めている。

昨年末の教会バザー、この毛糸洗いが出品されていたので大量に買い求めた。
リタイアし主夫業は更にパワーアップしている、残るは調理のみだが何故かこれだけは許してほしい。
これを”男の女性化”という貴方、その見識は”差別”だぜ!





■2017.01.08  night  管理人

私は昨年亡くなった故人にまつわる集いを二つ献立ているのだが、それに続いて直ぐに教会での食事会を牧師様が献立してくれている。
昨年教会で開いた生協のプチパーティ、好評だったので牧師様が再度申し込んだそうだ。
そもそも、生協の組合員拡大の取り組み、牧師様以下、完全に主旨を違えているのだが、開催カイドラインはクリアーしている訳で、生協も断れないのだ。

前回開いた際、高齢化社会を先取りした平均年齢70歳前後のパーティーな訳で、生協はこの特異な取り組み集団をきっと”取材”に来るだろうと私は深読みしていた。
しかし来たのはスタッフのみ、これは心外と当県の生協代表と上部団体の連合会会長に抗議の電話をしたのは言うまでもない。
二人とも大笑いしていたが。



それで、山の日に亡くなった友の本の整理だが、昨年末、墓参りに行く際、故人の家に立ち寄った。
奥さん、部屋に案内してくれ大凡の状況を理解したのだが、その際目についた旅行の雑誌をちゃっかり頂いてきた。
本の整理、あくまできちんとした装丁本が主なので、私が先取りした旅行雑誌は決して抜け駆けでない。






■2017.01.08  morning  管理人

「**だろう・・・」の見込み運転だが、ビルダー操作に少し慣れてきた。
タグ記述を省きコマンド入力が特徴だったドリームウイーバーと比べると簡便性は少し劣るが基本は同じ。
今のドリームウイーバーで展開するとページがバラけてしまい手の付けようがなかったが、素人判断だが、ビルダー21は古典的なHTML4の受け口があるからだろうと思っている。

現在、私は四つのサイトを更新管理している。
うち二つは、友人から頼まれたブロバイダー無料サービス領域を使ったもの。
もう一つは、レンタルサーバーの別ドメインサービスを利用し実名で公開しているサイト、別ドメインだから余程のマニアでない限りこのサイトとの関連性は見抜けない。
ビルダーの要領が少し分かってきたので、昨夜、この別ドメインサイトの移行もやってみた。
作業の基本は”だろう運転”。

私にとっては珍しく深夜の午後十時過ぎ、実名サイトのindexページをビルダーでアップロードしてみた。
どれどれとプラウザで実名サイトを確認。
「?・・・・・・・・」
ページソースを見ると、ビルダーでの上書き記述が見当たらない。
「?・・・・・・・・」
考える事しばし。

もしやと思いこちらHPのトップを開いてみた。
ページは殆ど真っ白け。
「?・・・・・・・・」
ものの数十秒だが、自分のやったことが「多分だろうだな」のレベルだが理解できた。
別ドメインといえどもサーバーは同じでアップロードの手順も同じ、アップするディレクトリの記述が僅かに違うだけ。、
このHPのindexページを実名サイトのindexページで上書きしていた訳だ。
それで、いろいろいじってみたら間違った操作手順も分かり直ぐに元に戻したが(泣笑。

いやはや、焦ることしきり。
そのうちサイト全削除もやりかねない、そん時はこのロートル老人の寿命が切れたと思ってください。





■2017.01.07  night  管理人

私の思想ちゅうか歴史認識といったほうが適切だろうが、近頃、標準的リベラルからかなりズレはじめている。
そうかといって、これは決して朝方綴った高校後輩の影響ではない。
かつて戦後の平和と民主主義に懐疑的になったのと同じように、敗戦をはさみ手の平返した日本国総体への懐疑がどうしても払拭できない自分に気づき始めたから。

昨年の5月、地元国立大全共闘最後の大同窓会のことを綴っている。
その日記で現役地方議員を務め「変革を恐れぬ過激な民族派」と自称する、私に言わせればバリバリ右翼の後輩のことを綴っている。
今朝綴った「正しい歴史教科書」を作るため活動する元赤ヘルの高校後輩、昨年5月に綴った過激な民族派を自称する元国立大全共闘の後輩。
昨年の山の日に亡くなった友はこの二人から限りなく慕われていた

「かつても今もまともな左翼は日本共産党だけ」という亡き友が遺した一言。
このアイロニー(皮肉)とも取れる一言、私は深遠で微妙な意味が込められているのだと気づく昨今。





■2017.01.07  morning  管理人


長いこと更新が滞っていたが、メゲていたのは老い朽ちゆく私の人生にでなく動かぬPC。
かつてドリームウイーバーに挑み無残な結果を味わっていたので今回ダメ元で挑んでみたが、これが思わぬ手ごたえ。
こうなると元気なもので、現在、昨年末に買ったばかりのWin10機の買い替え思案中。
今のはどうせインターネット見るだけと最低スペックの安物を選んだのだが、それがHP更新管理に使うとなると話が違ってくる。
CPUがCore i7、メモリー16G、ソリッドステートのハイスペック機を選定中。


はなちゃんは四歳に、妹分は今年もうすぐ二歳になります
年が明けて二つの催しの献立を任されている。
一つは昨年11月に催した故人の「語る会」の打上げ兼新年会。
反原発市民団体や放射能母子疎開の方が居るので費用を抑え昼食を兼ねた茶話会形式で。
車での参加を想定し郊外レストランを三時間ほど借り上げ、ビッフェ形式の軽食に飲料、茶菓子、酒の持ち込みOK、子供は無料。
親爺連の月並みの飲み会とは一線を画した企画にしてみた。

もう一つは昨年山の日に亡くなった友の本の整理、これも故人宅で昼食を挟み、東北の温泉旅行組の新年会も兼ねて催す。
実は遺された大量の書籍、故人は生前ある人物にその処理を託していた。
その人物、私等より5~6歳年下の高校の後輩、大学時代は阿佐ヶ谷に住まい、大学では某派で赤ヘルを被っていた、私とも懇意の仲・・・・なのだが。
赤ヘル某派といえば「斜に構えたややこしい思考をするグループ」といえばお分かりだろう。
詳しくは書かないがその彼はある時期から「右」に大きくハンドルを切っている。

最近、私も標準的リベラルからかなり逸れた言動をして止まないので、あるところまでは彼と意気投合するのだが。
とある席で彼と議論になった際、
「先輩、僕は言われるような右翼ではないですよ」
「歴史教科書に書かれている日本近代史は全くデタラメ、正しい歴史認識による教科書を作らなければ」
「ただそれだけの事です」
私は「それを右翼ちゅうと言うの!」と切り返したら大笑いとなった事がある。

この後輩、故人が託した思いがあるので奥さんに了解とり声掛けしている。
さて、地元国立大全共闘が主たる東北旅行組の他のメンバーとどうなるか・・・。
来週、連荘での催しとなる。





■2017.01.06  morning  管理人

遅ればせながら新年おめでとうございます。
年末年始のフルタイム保育からやっと解放され、しばしの休日を味わっているところです。

ところで未だにこだわって使っているWin-XP、メインのノートPCが殆ど使い物にならない状態です。
詳細は、画面の後ろでCPUが暴走しているようで、メモリーの殆どを食いつぶしています。
ネットで色々調べたら、ウインドウズのアップデートを探し回っているようで、無いものを探しているのでその作業が延々と続き、その為、他のアプリが殆ど動かない状態、これはマイクロソフトの陰謀ではとの疑念もあるのですが。
何時もならPCなんて所詮文具、この野郎と叩きつけ踏みつけクラッシュですが、それだけは寸止めで我慢。

そういうことでHPの更新もままならず。
対して、昨年末購入したWin10機はサクサクと快適そのもの、さてこの対処策はいかなるものかとロートルの頭ひねって思いついたのが大胆にもWin10で動くFTPソフトへのサイト移行。
この案、4年ほど前のXPサービス提供終了予告アナウンスに慌て、Win7でアドビのドリームウイーバーを試したことがあるのですが、けちょんけちょんの敗退。
イロハのイから理解不能、早々にギブアップでした。

今回はその米帝のアプリでなく国産アプリに照準。
誰もが知るホームページビルダーを年末に購入、保育の合間を縫ってアレコレと試していました。
大雑把に言えばFTPアプリの”総論”は十分理解しているのですが、操作段階の”各論”で試行錯誤の連続。
それでも多分こうだろうとのチャレンジで一部だけ移行の目途が。
そういう事で、このページはビルダーで更新しましたが、当分はモバイルPCのドリとWin10のビルダー交互の更新で徐々にサイト全体をWin10ビルダーへ移す予定。

我ながら、ヨワイ68歳にしては上出来です。
自画自賛の新年です。
何~、嘘だろうって!
信用できないならこのページのソースをご覧あれ。
(ソースを見るのはページ上で右クリック、ソースを選択ですぞ)


管理人日記トップに戻るトップページに戻る